V-08.信じて、前に進んで
「……着いたよ! 起きて!」
「ん……」
私は気が付けば、みのりの背中の上で寝ていました。退妖獣使たちに囲まれた時、もしかしたら分かり合えるかもしれない、そう思って必死に叫んだせいでしょうか。
「もう、突然私の上でぐったりするから、何事かと思ったら。前に向かって倒れてくれたからよかったけど」
私が起き上がったのを確認して、みのりは元の姿に戻りました。起きていた時にはお尻の少し上のあたりから出ていたタヌキの尻尾も、その時にはすでに引っ込んでいました。狩気を下げてしばらく時間が経ったからだろう、と私は思いました。
「ここは……?」
私はみのりに今どこにいるのか尋ねつつ、自分でも周囲を見渡しました。さっきまでみのりと一緒に向かおうとしていた都市部でないのは、明らかでした。むしろ朝までいたはずの集落ほどではありませんでしたが、田舎町という表現がふさわしい場所でした。
「ちょっと遠回りしちゃった。大丈夫、もう退妖獣使はいないよ」
退妖獣使からうまく逃げられたのは、素直に納得できました。みのりが本気で走った時は本当に速く、普段走り慣れている人間はおろか、ベテランの退妖獣使でもあっという間に姿が見えなくなってしまうほど引き離されてしまいます。あくまでみのり自身が言っていたことなので本当かどうかは分かりませんが、速いのには間違いありませんでした。
「ちょっと、疲れちゃった。かれこれ二時間くらい走ってたのかな。できるだけ人の目に触れないように走ってきた。朝ごはん多めに食べててよかったあ」
あとはあの時、腕をかじれたのも大きかったかも。
みのりは私にだけ聞こえるような声の大きさで、そう付け加えました。
「ごめんなさい、部屋の片付けで手間取っちゃって。入ってくれて大丈夫よ」
私たちは道すがらにある一軒の家の前にいました。そこには老夫婦とまではいきませんが、そこそこ生きてきたのだろう夫婦がいました。
「この人たちは?」
「とりあえずこの一帯は、私たちと同じような四半妖獣が住んでるところ。受け入れてもらえそうな家は何軒かあったけど、一番集落の入口から近いところにした」
みのりはそう言いながら、どんどん家の中に入っていってしまいました。私も本当にかくまってくれるのか、と思いつつ、おそるおそる入ることにしました。
「同じ四半妖獣でもわたしらは人間と一緒に生きていきたいって思うてるから、人間に一緒に生きていけるって認めてもらえるまでは、助け合わなあかんからねえ」
その家の女性――すぐに、おばさんと呼んでいいと言われましたが――私たちと同じような方言で、そう話してくれました。
「助け合う……」
「人間の気持ちも、分かってやらなあかん。だって人間からしたら、わたしらも他の四半妖獣も、区別がつかんもの。疑り深くなってもしゃあないし、分かれとも言われへんから」
「でも……」
私はさっき自分たちを殺そうとした退妖獣使の集団のことを思い出しました。確かに退妖獣使や人間の側が私たちは違う、と区別をつけるのは難しいどころか、ほとんど無理な話なのかもしれません。けれど、さっき見た退妖獣使は、そういう種類ではないと思いました。あれは退妖獣使なんかじゃなくて、ただ人殺しを楽しんでいる殺人鬼なだけだ。そうとさえ思っていました。
「話はみのりちゃんから聞いたから。辛かったやろう」
「……私のお母さんと、お父さんは」
私がそう切り出した瞬間、おばさんの顔が曇りました。私はそれだけで、何が言いたいのかを悟りました。それでも、おばさんは自分の口からは何も言わず、テレビのスイッチを入れました。
『……使による今回の殲滅作戦は、成功したとの見方を示しています。今後は脱走した二名の行方を追う方針です』
アナウンサーの声とともに、映像が映し出されました。それは上空から私たちのいた集落を映し出したものに、他なりませんでした。
無残にも集落のあちこちには火が放たれ、煙がカメラの映像をかすませるほどでした。時々映像がはっきりしたかと思うと、見えるのは焼け野原に等しい光景。とてもまだ人が生き残っているとは思えませんでした。
「お父さん……お母さん……」
「疑り深くなってしまうんはしゃあない……しゃあないとは言うても、これはひどいと思う」
呆然とする私たちに、おばさんはそう言いました。
「この二人が、あなたたち、やんね?」
「……たぶん」
みのりが私の代わりに答えました。逆に、私たちしか逃げて来られなかったのか。私はそう思うので精一杯でした。
あの時逃げる前に、集落に戻っていれば。再びその後悔が、私を襲いました。でも私たちが戻ったところで何かできるわけでもない、まず逃げようとしたのは正解だった、と思い直して、でもやっぱりみんなを見捨てたようで悲しくなって、その繰り返しでした。
「退妖獣使は、四半妖獣を絶滅させるために存在する。四半妖獣を倒せるんやったら何でもする、そんな退妖獣使もいっぱいおる。それでも、四半妖獣の中には、わたしらのようなのもおるって、伝えていかなあかん」
おばさんはおばさんの心の中でも確かめるように、そう私たちに言いました。
「あそこの集落が襲われたっていうことは、ここもじきに見つかるはず。それやったらここで暮らすことを考えるより、いかに逃げ回りながら、一人で生きていくかを考えなあかん」
それはおそらく、苦渋の決断だったのだと思います。私たちに一人で生きていくためにはどうすればいいかを教える。でも、その間はきっと逃げる準備ができないでしょう。おばさんはもしかすると今回のことがあって、すでに諦めているのかもしれない。私はどきり、と胸が痛むように感じました。みのりも同じ思いのようで、口を開こうとして、やっぱりためらう、というのを何度か繰り返していました。
「できるだけ、四半妖獣や、ってことは言いふらさないこと。それから、信頼できる退妖獣使を少しでも多く探すこと。この二つは、いつまで経っても守らなあかん」
それから数ヶ月。私とみのりは、一人でも暮らしていけるように料理や掃除など、いろんなことをおばさんとおじさんから教わりました。少しでも長く、無事でいるには私とみのりは離ればなれにならなければいけないと言われたので、私もみのりもそれぞれいろんなことを覚えなければなりませんでした。
「退妖獣使たちに顔を見られたなら、名前も変えること。元の名前から、ちゃんとかけ離れたものにすること」
私とみのりはそれに従って、お互い名前を完全に変えました。私は少し前にテレビでやっていたアニメの主人公の女の子を思い出して、その子の名前にあやかりました。その名前に合いそうな苗字を考えて、前の名前の名残がなさそうなのを確認しました。
“翠条 真織”
私がみのりと一番異なる点。それは、透き通った緑の髪です。ヒスイ、という宝石に似たその色はあなたのいい特徴だから、それが表れた名前にしなさい。そうおばさんに言われて考えた苗字でした。
みのりも一緒にそのアニメを見ていたので、先に取ってずるい、と言われましたが、やがてみのりもしぶしぶ受け入れて、別の名前にしました。何年か一緒にいる苗字の違う二人が、苗字を合わせるわけでもなくまた違う苗字どうしにしたのです。私もみのりも、少しくすぐったく感じました。
『警察と退妖獣使は、近隣の集落に四半妖獣の隠れ先がないか、引き続き捜査を進めています』
そうしている間にも、退妖獣使の脅威は刻一刻と迫っていました。前に住んでいた集落からみのりが走ってたかだか二時間ほどの距離しかないこの集落が、ずっと見つからないわけがありませんでした。
「本当はこんな歳の子を一人で突き放すわけにはいかへん。それは分かってるんやけど、少しでも長く生きるにはそうするしかあらへん」
おばさんは何度も自分に言い聞かせるように、そう言っていました。もしかすると私たちは、そんなおばさんの言葉に何か言った方がよかったのかもしれません。そうだひどい話だ、とか、どうしてくれるんだ、とか。でもそんなことを言っても仕方ないというのも、また私とみのりの思いでした。
「みのりは九州の方に行くんだ」
「そう。東の方はまだまだ、四半妖獣がみんな悪いと思ってる退妖獣使も多いらしいし」
もともとアヤカシが悪さをしたり、妖獣が生まれたのが京の都ということもあって、東京方面に妖獣が広がったのは比較的後でした。人を食べる妖獣を問題視したのも関西方面の方が先で、そういう背景があって退妖獣使の認識は関東地方の方が若干遅れている、とおばさんが言っていたそうです。
私の方はというと、しばらくこの近くを転々として、様子を見ることにしていました。私のような四半妖獣を理解してくれる退妖獣使はきっといると、私はまだ信じていました。
出発の日。みのりはおじさんの車に、私はおばさんの運転する車に乗って、家から別方向に出発することになっていました。
「みのり。あんまりはしゃぎすぎひんようにね。怒ったらすぐに化けてまうんやから」
「そっちこそ。何かあるとすぐ尻尾出すでしょ」
私たちはそう言い合って、お互いに笑いました。狩気を上げることで体の一部が変化する四半妖獣は珍しいです。その珍しい仲間として、私たちの気が合っていたのもありました。
「……これ以上話してたら、みのりと離れたくなくなるかも」
「うそつけ。そんなことないでしょ」
私たちはお互い茶化し合うようなことを言っていましたが、私は半分以上本気で、そう思っていました。だから車に乗るのは私が先になってしまいました。それを見て、みのりが窓から顔を出した私に向けて、つぶやくように言いました。
「じゃあ。……元気でね、ココノ」




