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妖獣怪奇譚~争われしアヤカシの血~  作者: 奈良ひさぎ
五幕 翠条 真織(すいじょう しおり)

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V-05.ある夏の日

 じー、じー、じー、……。


 開け放った窓の外から、アブラゼミの鳴き声が聞こえてきます。あまり気持ちいいとは言えないその合唱で、私は目が覚めました。

 夏真っ盛りの朝です、窓を開け放っていてもまだ暑苦しくて、汗でパジャマがあちこちに張り付いていました。ブランケットをはねのけて、起き上がって窓の外を私は見ました。


「……あっついなあ」


 住んでいる家は、築何十年かという年季入りのものです。その二階の一室で私は寝ていました。下の階にはエアコンがついていましたが、そこはお父さんとお母さんの寝室になっていて、私たち(・・・)は扇風機こそ夜通しかかっているものの、到底寝苦しさの変わらない場所で寝ることになっていました。


「起きたんだ」


 私の文句を言う声が案外大きかったのか、私と一緒に寝ていたもう一人がもぞもぞ、と起き出しました。汗で張り付いて髪の毛がしっとり寝てしまっていた私とは対照的に、その子の青みがかった髪は湿ってこそいましたが、爆風でも浴びたのか、というくらい跳ね上がっていました。


「みのりの隣、暑苦しいもん。一回目覚めたらおちおち寝てられへんわ」


 私は田んぼと山が席巻する窓の外の景色から目を離すことなく、その子にそう言いました。


「暑苦しいとか言うことないじゃん、せっかく一緒に寝てるのに」

「お母さんがここで一緒に寝て、って言うてるからやんか。こんな暑いのに、わざわざ進んで横並びに寝たりなんかせえへんよ」


 この子の名前は、菱波穂(ひしば・みのり)。私とは名前が似ても似つかない、赤の他人と言えば赤の他人。ある事情から、私の家族と一緒に住んでいます。


「ちぇっ。連れないなあ」

「連れないなあ、ちゃうやろ。みのりは暑なかったん?」

「暑かったよ」

「ほらみてみいな。もう別々に寝よ?」

「えー、それは嫌」

「なんでよ」


 私たちがいるのは、近畿地方の山奥。電車もまともに通っていなくて、「最寄りの駅」という概念自体がないような場所。お買い物に行くとなれば車で数十分、山を一つ越えてやっと一軒見えてくるような、僻地もいいところです。おちおち喉が渇いた、と飲み物を買うこともできません。自動販売機もないからです。そんなところに住んでいるのも進んでではなく、半ば強制的な理由からでした。


「そういえば今日どうするの? 虫捕り行くんでしょ?」

「どうしょうかな。朝からこんな暑いし、ちょっと行きたくないんやけど」

「何言ってるの、一度決めたんだったら行かなきゃ」


 四半妖獣は人間を食糧にするもの、とほぼイコールで結ばれているのは、人間たちだけでなく退妖獣使たちの中でもほとんど常識。けれどそんな四半妖獣の中でも、人間を食べることをしない、あるいはやめたという人はいくらかいました。おそらく昔、半妖獣たちが人間を食べなくても生きられるよう、必死に頑張っていた時に一緒にやっていたのではないか、という説が有力です。四半妖獣がみんながみんな、人間を食べたいと思っているわけではない。中には罪悪感を感じていたり、嫌悪感さえ抱いている人もいます。私のお母さんとお父さんも、そういう人でした。


「えー」

「おかしいな、いつもだったらそうやって嫌がるのはこっちの仕事なのに」

「みのりは暑いの平気なん?」

「平気じゃないけど、別に嫌ってほどでもないかな。ねえ、遊ぼうよー」

「あーもう分かった分かった。でもヘビとか捕まえんのナシな?」


 みのりも私もそんな山奥育ちですから、外に出て虫を捕まえるなど、男の子がよくしそうなことをいつもやっていました。食糧を買いに出るのにも車で山一つ越えなければならないほどなので、ゲームを買いに行くことなどまずできませんでした。それにゲームを買おうとすれば、きっと私たちの存在が知られてしまう、もっとも恐れていた事態になります。


「ヘビは捕まえないよ。前に結構死にかけたし」


 みのりはキツネとテンの四半妖獣。キツネは四半妖獣の中では最もメジャーで、私たちの住んでいるこの集落でもキツネの血を持っている人は多くいます。私のお母さんも、半分はキツネの血です。そもそも古くからキツネとタヌキは人を化かす動物として知られていたこともあって、“化かされた”人間が妖獣になった、という背景もあります。

 対してテンの血は、他に聞いたことのないほど珍しいもの。お父さんに聞いてみても、初めて見るとのことでした。もともとの動物であるテンが捕食されその数を減らしていることもあってか、四半妖獣の方もほとんど見なくなったようです。ただ野蛮さは残っているようで、みのりは物怖じもせずヘビを掴んでブンブン振り回すような子でした。


「……じゃあ、山に行く?」

「そうするー」


 ここでようやくみのりが体を起こしたので、私たちは下に降りて朝ご飯を食べ、それから外へ出ました。



* * *



 山で囲まれた、陸の孤島。

 そう言われても仕方ないような僻地に住んでいる私たち四半妖獣は、どうやって教育を受けているのか。

 初め移り住んだ頃は生き延びるための方法を探すのに精一杯でしたが、やがて年数も経って落ち着くと、こっそりと街の方へ繰り出し、教科書などを入手して、親や近所の人が子どもに教えるという体制ができあがりました。偵察に行く大人は狙われて死ぬかもしれないリスクを背負いますが、子どもたちは学校に行かなくても、十分な教育を受けることができるようになっていました。私もみのりも出身小学校はどこだ、と聞かれれば存在しない、と答えるしかないのです。それだけ大人たちは私たちを“人間と同じように”生きさせることに、必死になってくれました。

 学校に行っていない私たちに、夏休みや冬休みのような長い休みはありません。大人たちの手が空けば教えてもらうし、忙しければその間遊びに出る。そんな生活でした。


「ねえねえ」

「なに?」

「今日はいるかなあ」

「みんなは夏休みやから、おるかもしれんよ。この時期やったら、海派か山派でケンカするって言うし、この辺の山登りする人もおるやろし」


 普通の人はよほどの事情がない限り立ち入れない私たちの集落ですが、近くの山は登山道が整備され、比較的登りやすいことで有名でした。車は運転できないけど街に少し繰り出してみたい、と考えてこの道を使う子どももいました。

 普段から辺りを走り回って慣れている私たちは、ものの数十分で山の中腹近くにやってきました。そこまでの道は木々の隙間から太陽が垣間見えてうだるような暑さでしたが、よりうっそうと草木が生い茂ったエリアに入ったせいか、そこだけ気温が低く、少し涼しく感じるほどでした。そんな小休憩のできそうな木陰に、みのりは駆け寄りました。


「いたよ」


 私はほんの一瞬、少しだけひゅっ、と息を吸い込みましたが、すぐに何でもないような顔に戻って、みのりの喜びできらきら輝く顔を見ました。みのりは構わず首筋に手を当てて、確かめるようにうなずきました。


「……死んでるん?」

「うん。そんなに時間は経ってないみたい。朝の涼しいうちに登ってきたけど、力尽きた……ってとこかな」


 みのりはそれに向かって手を合わせました。その行動に、ためらう様子はありませんでした。それから私の方を振り向いてもう一度うなずいてから、


「いただきます」


 みのりはしなやかに、しかしもはや力がこもっていない腕を持ち上げて、かぶりつきました。

 木陰にもたれるようにしてあったのは、夏だからか少々ラフな格好をした、若い大人の男性の遺体でした。

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