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妖獣怪奇譚~争われしアヤカシの血~  作者: 奈良ひさぎ
四幕 偶谷 七馬(たまや ななま)-II
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IV-08.ヒスイの四半妖獣

 翠条真織(すいじょう・しおり)

 それが件の女子の名前らしい。予想通りだったが、特に知っている名前ではなかった。どちらかといえば、俺以外にも人間を喰わない四半妖獣もいるんだ、という驚きの気持ちの方が俺を支配していた。

 そして、鷹取が持っていたらしいメモに記されていた住所は、翠条の住んでいるところそのものということだった。


「しおりんも狙われてるのかも」

「でも、その翠条に関係するようなことは、何も言ってなかったんだろ?」

「うん、でも可能性はそれくらいしか考えられない」


 花宮の話によれば、妖獣のニオイそれ自体を感じ取れる妖獣は珍しいが、人間を喰っているか喰っていないかの判別は案外できる、ということだった。特に普段から人間を喰っている虎野や鷹取からすれば、人間を喰わない俺や翠条のニオイはかなり目立って記憶に残るらしい。


「それで偶谷くんが狙われた可能性もある。同じ理由でしおりんも、ターゲットに入ってるのかも。もっとも、鷹取によればもっと別の理由があるみたいだけど」

「行くよ。翠条さんのところに行ってみて、話を聞こう」


 俺が何か言う前に、遼賀が花宮にそう返事した。俺もどのみちそうなるだろう、ということは分かっていたので、特に何も言わずついていくことにした。



* * *



 メゾン・アルフォール申ヶ岩。

 申ヶ岩という地名に聞き覚えがあったので遼賀たちと一緒に電車に乗る時に確認してみたが、俺が普段家に帰る方とは反対方向の電車だった。しかし距離自体はそれほど遠くなかった。むしろ二駅だけで済んだので、俺が認識される、という心配もどうやらしなくてよさそうだった。


「ま、大丈夫でしょ。大半の人は偶谷くんが死んだって事実はおろか、そもそも偶谷くんのことを知らないだろうし」

「それは、確かにそうだけど」


 さすがの俺も、いろんな人に知られていると思うほどうぬぼれてはいなかった。特に俺が目立ったことをしていたわけでもないのだ。しかもなるべく他の同級生とは関わらないように自ら避けていたこともあったし、知名度は余計に低いだろう。


「それに偶谷くんに実際関わってた人も、分からないと思うよ」

「どういうことだよ」

「少なくとも偶谷くんを育ててくれてた家族の人の記憶には、何らかの干渉がされてると思う。あとは、学校で関わった人もね」

「高原……」


 花宮の話を聞いて俺がまず思い浮かべたのは、高原だった。正直に言えば、義母や義父よりも高原の方に思い入れがあった。一緒にいた年数からして全然違う。俺の面倒を見てくれていたのは確かに義母(かあ)さんたちだが、お互いのことを知って一緒に暮らすようになったのはこの春から。対して高原は、もう十年近くも一緒にいる。


「その高原くんって人は、友達?」

「ああ。俺があんまり物を言わなくても、俺の気持ちを見透かすように言い当てるような奴だった。時々うっとうしくはあったけど、でも今だから何となく、いい奴だったんだな、ってことは分かる」

「それ、何だか向こうが死んだみたいな言い方だね」

「でも義母さんたちの記憶から俺の存在が消えてるかもしれないってことは、高原もだろ?」

「そうだね。そんなに仲良くしてた友達の記憶は残すなんてことは、考えられないと思う。虎野がその高原くんを認識してないのならともかく」

「じゃあ、逆もしかり、ってやつじゃないか。高原が俺のことをきれいさっぱり忘れたんじゃ、俺が向こうのことをいつまでも覚えていたって虚しいだけな気がする」


 義母さんたちはまだいい。もちろん俺が義母さんたちの家に引き取られることになる前には何度も実際に会って、お互いの意思を確認した。義母さんたちは俺が新しい家族になることに積極的だったし、俺もこんなに優しい人たちなら、と了承していた。その時はどういうわけか、高原と離れても問題ないと思っていた。また会うことになると分かっていたのかもしれない。


「そんなことはないよ」


 花宮が断言して、俺の言葉を否定した。俺が少し驚いてしゃべらないでいると、花宮がそのまま続けた。


「例え向こうが忘れたとしても、こっちが覚えてる意味がないわけじゃない。だって、忘れても何かのきっかけで思い出すことがあるかもしれない。今回は特に、虎野に記憶を改変されてるかもしれないから。もしそうやって思い出した時、偶谷くんが覚えてなかったら意味ないでしょ?」

「……高原」

「仮定の話だから、何とも言えないけどね。今虎野がどこで何をしてるのか、本当のところは何も分からないし」


 だからこそ、今しおりんの家に向かってるんだけどね。

 花宮は浅いため息混じりにそう言って、顔を上げた。俺たちの目の前には駅前にシンボルのようにそびえ立つ、十数階建てのオートロックマンションがあった。


「……ここ、なのか」

「心配しなくても大丈夫。高級そうには見えるかもしれないけど、価格設定はごく普通になってるから。しかも駅からすぐってことを考えれば安い方だと思うよ。最上階とか場所の関係で広めの部屋とかはさすがにお高めだけどね」


 聞けばこのマンションは花宮がオーナーらしい。花宮家ではなく、今俺の目の前にいる花宮自身だ。俺よりも年下の子がそうやってマンションを持っていること自体驚きだが、だんだん花宮家そのもののレベルが高すぎて、俺の感覚はまひしてもいた。

 エレベーターで七階に上がり、角部屋の中でも広くない方であるという部屋のインターホンを花宮が押した。中にあるモニターからこちらの様子はうかがえるらしく、「ちょっと待ってね」と短い返事がしてプツン、と受話器を置く音がした。


「はい……」


 おそるおそる、といった風にドアが開いて出てきたのは、花宮よりさらに華奢な体つきをした女子だった。女子、と呼ぶより女の子と呼ばなければならないような、か弱さが俺でもすぐに感じ取れるほどだった。基本は黒だが光の加減で緑色が混じっているのだと分かる髪は前髪の一部がぴょこん、と跳ねており、それを気にするかのようにドアの取っ手を持っていない方の手で髪をいじっていた。花宮たちと同じく早めに家に帰ってリラックスできる服に着替えたらしく、一番上に着ていたのはだぶだぶのカーディガンで袖が余っていた。


「遼賀さんと、花宮さん。それと……」

「この人は偶谷くん。事情があってこの人も入れて、少ししおりんとお話がしたいんだけど。いい?」


 花宮がまるで最初からそう決まっていたかのように言った。翠条は警戒した表情を変えなかった。それは”全く知らない人”である俺を連れてきた遼賀や花宮にではなく、俺そのものに向けられたものだった。


「どういう関係……?」


 それは当然の疑問だろう。俺は俺自身でそう思っていた。すると花宮が他に聞こえないように口を翠条の耳元に近付けて言った。その言葉は、俺の他に遼賀には聞こえたらしかった。


「偶谷くんは、四半妖獣だよ。それもしおりんと同じ、人間を食べない、ね」


 それを聞いた瞬間明らかに、翠条の顔つきが変わった。不安そうな表情は消えたが、相変わらずまじまじと俺を見つめていた。俺はそこまでジロジロ見られると何だかきまりが悪くなって、翠条から目を逸らしてしまった。


「あ、あの」


 その翠条が、俺に向かって口を開いた。


「……お話、聞かせていただきます。遼賀さんと花宮さんも一緒に。中に、どうぞ」


 翠条はドアをより大きく開いて、俺たちを迎え入れてくれた。



「わんわんっ!」


 部屋に入ると一番に、三匹の犬が俺に尻尾を振って近寄ってきた。俺は犬や猫にこれまで触れたことはあまりなかったが、あまりに人懐っこく近付いてきたので、俺は反射的に頭や体をなでたりしてやった。


「この子たちは、私の飼っている妖獣です。三匹合わせてケルベロスです」

「ケルベロス?」


 俺はその名前に驚いた声を上げつつも、頭の中では別のことを考えていた。妖獣に飼っている、という概念があるのか。そのことだった。すると、


「半妖獣はそのほとんどが退妖獣使になったこともあって、同族である妖獣を飼う、なんてことはなくなった。元は同じ存在だった妖獣を飼い従える意味がなくなったからね。今ではほとんどいないと思うよ。それに対して、四半妖獣は今でもこうして、人間としての姿を失った妖獣を飼っている人が多い。ケモノの姿になったことで狩猟本能みたいなのが増してるから、人間の姿を維持できてた時よりも人間を狩りやすいんだよね。だから自分の分の食糧も調達してもらうって意味で、飼ってる人がほとんど」


 と、花宮が補足した。


「でもこの子たちは、人間のお肉は嫌いなんです。むしろ人間に近寄ることさえ怖がるような子たちで……」

「でも少なくともこの三匹って、昔は人間を狩ってた、ってことだよな」

「違います。もしかしたらこの子たちの何代も上のご先祖様なら、そうだったかもしれませんけど……」

「ああ、そっか。人間の姿を失った……ら、寿命も縮まるってことか?」

「たぶん、そうだと思います。この子たちもオス二匹とメス一匹なので、私が大人になる前に世代交代はすると思います」


 そう言いつつ翠条が三匹の頭をわしわし、となでた。いつもなでてもらっている手で安心したというふうに、くぅん、と甘える声を出した。


「この子たちが偶谷さんに懐いたということは、偶谷さんが悪い四半妖獣じゃない、というのを意味してるんだと思います」

「確かに俺は、悪い四半妖獣、ってやつではないのかもしれない。俺は少し、気にはなってるんだよ。俺は他の妖獣についてはほとんど何も聞かずに育ってきたから、当然俺みたいな妖獣もたくさんいるんだと思ってた。だけど花宮や遼賀に話を聞いて、どうやらそうではないらしいってことが分かった。でもその中で、俺の他にその珍しい存在がもう一人いるって話も聞いた。だからどうやって今まで生きてきたのか……っていうとぶしつけだけど、四半妖獣だって事実をどうやって隠してきたのか。今、どうしてるのか。そんな話をしたい」


 俺が一通りそう言うと、翠条がゆっくりとうなずいた。それから、花宮がおもむろにメモ用紙を翠条にもらい、三人分の名前を書き連ねて翠条に見せた。


「それから、しおりんの部屋に入れてもらったのは、もう一つ聞きたいことがあるからなんだよね。もしかするとこっちの方がメインかも」


 花宮がそう言ってずいっ、と翠条に差し出したメモには、鷹取、虎野、植川さんの名前が書かれていた。虎野だけは下の名前付きだ。その名前を翠条は反射的に、くりっとした大きなエメラルドグリーンの瞳で見つめた。


「これは?」

「ちょっといろんな事情があって、この三人を探してるんだよね。って言ってもうち一人は死んでるんだけど……この中に誰か、知ってる人がいたりしないかな、って」

「うん。いるよ」

「それは?」

「植川さん。花宮さんの考えてる植川さんと合ってるなら、植川了さんだよね」


 どうなの? と花宮が俺に返事を求めてきたので、俺はうなずいた。確か下の名前はそれだったはずだ。


「植川とはどうやって知り合ったの?」


 すかさず花宮が尋ねる。それに対する翠条の返答は、驚きを通り越して少しぞっとさせられるようなものだった。


「植川さん、ここのマンションの人だよ? 何階かまでは知らないけど、いつもゴミ出しの時に会うの」

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