IV-07.何も知らない
「遼賀! 花宮……!!」
俺の声に気付いたか、遼賀が俺の方を向いた。
「よく頑張ったわ。あとは私に任せて」
遼賀が俺にかけた言葉は短かった。しかし、どんな言葉よりも俺は頼もしく感じた。
「……なるほど。お仲間を呼んでたのね」
鷹取は遼賀と距離をとり、思い切り高く飛び上がった。メリメリッ、と音がしそうな勢いで鷹取の背中から羽根が生えたのを見る限り、鷹取は何か鳥の四半妖獣らしかった。
遼賀も花宮の翼で飛び上がり、空中でにらみ合い始めた。木に阻まれて全く見えなかったので、俺は開けたところに出た。
「……あれ?」
遼賀が鷹取に向かって思い切り突っ込むのが見えてからようやく、俺は違和感に気付いた。今の今まで拘束されていたのに、なぜ今動けるのか。
「やっぱりあれは、狩気能ってやつだったのか」
人には見えないもので相手の動きを拘束するのが鷹取の狩気能なのか、という結論に俺は至った。遼賀が鷹取の目の前に現れたことで、一瞬鷹取の狩気能が途切れたのだろう。
遼賀も鷹取も、自分が飛べるという利点を最大限に活用して、俺が目で追えないほどのスピードでぶつかり合っていた。俺は遼賀の方だけを見ると決めて、その姿を探すので必死だった。
「……あっ!」
しかしそのことに必死になるのも、それほど長い時間続かなかった。遼賀はこれまで何度も妖獣を退治してきた退妖獣使なのに対して、鷹取はせいぜい無力な人間を狩ることしかしていない。戦いになった時に勝敗がすぐにつくのは明らかといえば明らかだった。
「ああっ……!!」
遼賀の武器は刀身の赤い短刀二本、鷹取はピストルにナイフがついたものだった。鷹取の撃った銃弾の軌道が最初から分かっているかのように遼賀はすべてかわしてみせ、鷹取が素早い反応で銃についたナイフで切りつけようとしたが、それも軽く遼賀の短刀で弾かれた。その勢いを殺さないまま遼賀が鷹取の背中から生えた翼の片方に深い傷をつけた。鷹取はバランスを崩し、持ち直すのもかなわず落ちていった。
「くっ」
それに追い打ちをかけるように遼賀はスピードを上げて急降下し、鷹取の体を地面に叩きつけた。
「あ……が」
「狩気能を使って私を拘束して、その勢いでなぶり殺そうとした……そこまでは読めた。けど、それでうまくいくとでも?」
「……ふっ」
「なに」
鷹取は地面に伏せさせられただけではなかった。遼賀の両手で額を押さえ、花宮が姿を変えた翼で両脇から腹を押さえ込んでいた。一切身動きの取れないその状況で、少し鷹取は笑みを浮かべてみせた。
「……何も知らないのね、あなたは」
「何も知らない?」
「ええ、そうよ。どうして植川さんが偶谷くんを殺そうとしたのか。どうして虎野さんがそれを指示していたのか」
「やっぱり虎野の指示だったんだ」
「もちろん。感じたんでしょう、偶谷くん? 植川さんから、虎野さんのニオイを」
俺は突然話を向けられて、反射的にうなずいてしまった。しかしうなずいて間違いはなかった。
「今はどう? 私からも、虎野さんのニオイがするはずよ。虎野さんに関わった人はみんな、同じニオイがするの」
俺は押さえつけられている鷹取の近くまで行った。鷹取との距離が短くなるにつれて、確かに意識を失う間際、植川さんからしたのと同じニオイが漂ってきた。それは虎野のニオイで間違いなかった。
「する……」
「植川が偶谷くんを殺したのはなぜ?」
遼賀が鷹取に問いただした。鷹取は再びにたり、と笑って、口を開いた。
「なぜだと思う?」
「人間を襲わないのは四半妖獣として邪魔だから……そういうことじゃないの」
俺が人間を襲うなんて恐ろしくてとてもできない、ということは遼賀も花宮も知っていた。俺もそれが理由で四半妖獣の世界から追放されようとしていることは植川さんから聞いていた。
「本当にそれだけで、同族殺しなんてしようと思う?」
「……」
鷹取の紡ぐ言葉の続きを予想できなかったらしく、遼賀も黙ってしまった。
「ただ、今それは言えない……言葉による偽薬効果は時として、恐ろしい結果を生む……そう言われているわ」
「……言えよ」
黙ったままの遼賀を差し置いて、俺は鷹取に向かって吐き捨てた。このまま理不尽に殺されかけたことにされて、納得などできるものか。
「あら? すごく必死じゃない。でも、もう無理じゃないかしら。ほら……さっき羽根をもがれたから、だいぶ血が出てきてる」
鷹取の言葉の通り、その背中からはおびただしい量の血が流れ出ていた。その血はどろりと周囲の地面に広がり、辺りの草木を濡らしていた。太陽の光を反射して、ぬめりがよりいっそうはっきり見えていた。その様子を見て焦りを覚えた遼賀が、鷹取の肩を揺さぶった。傷口が開いたようで一瞬だけ、鷹取が意識を飛ばしてしまった。
「教えろ! 偶谷くんを殺そうとした本当の理由は何なの! 偶谷くんのいったい、何がいけなかったの!?」
遼賀が叫んで鷹取に問うた。鷹取は何やら口を動かしていたが、声はかすれて聞こえず、口元からも何を言っているのかは読み取れなかった。
「偶谷、くん……は」
先ほどまでの威勢はたちまちどこかへ行き、鷹取の目はみるみる虚ろになっていった。
目を半開きにさせながら、鷹取が何かを言った。俺はその口元を読み取って、何とか言葉にすることができた。
――これ以上偶谷くんを、戦いに巻き込まないで。
鷹取は確かに、そう言っていた。その言葉が醸し出す雰囲気は、とても俺を拘束し、殺そうとした鷹取の言葉とは思えなかった。しかしその言葉を発した後、あたかもそれで全て満足してしまったかのように、鷹取は目を閉じた。言葉を失っていた遼賀が慌てて首筋に触れたが、やがて俺に向けてそっと首を横に振った。その冷たさは触っていない俺でも、ぞっとするような感覚として伝わってきた。
早くも流れ出した大量の血が、暗い色に変色して固まり始めていた。
* * *
ちりん、ちりん。
遼賀がそっと鷹取から離れると、換装を解いて元の姿に戻り、携帯のストラップとしてついている鈴を振った。黒い装束を着ていた鷹取はたちまちその姿を消し、辺りに流れていた血も同時に蒸発するようにして消えた。
「……どうなんだろうね」
遼賀が換装を解いたのと同時に、花宮が翼から元の姿に戻って、俺の隣に立った。そして特に前触れもなく、俺にそう語りかけた。
「俺が、殺された理由」
結局鷹取本人の口から聞くことはできなかった。鷹取はあの口ぶりからして、俺が殺されなければならなかった本当の理由を知っているらしかった。
殺されなければならなかった。それがどれだけおかしい話かは、自分でも分かっているつもりだ。だが俺はどうやら一度死んだことで、自分が死ぬことに対してどこか他人目線というか、客観的に見ることができるようになったらしい。俺にはそれがいいことなのか、悪いことなのかの判断はつかなかった。
「まず間違いなく偶谷くんが狩気能を持ってないこととか、狩気さえもないことに関係あるとは、思うんだよね。鷹取の言う通り、四半妖獣でありながら人間を食べないってところは、多分関係ないと思う」
「そんなに珍しいことなのか?」
「珍しいね」
花宮は速攻で断言した。
「実は逆はたくさんいるんだよ。つまり、半妖獣だけど人間を食べなきゃ生きていけない人たち。前も話したけど、半妖獣ももともと人間を食べていたから、人間を食べないように努力する流れについていけなかった人がいるのは当然のこと。だけど四半妖獣で人間を食べないっていうのは、むしろおかしい部類に入るの。なぜなら、四半妖獣は昔も今も、人間を食べて生き延びてきた存在だから」
おかしい、とまで言われて俺は少し顔をしかめたが、花宮は気にすることなく続けた。
「半妖獣が今人間を食べずに生きているのは、みんなで協力して食べなくてもいいように自分の体と相談しながら研究してきたから。それは半妖獣のほとんど全員が一致団結して取り組んだから実現したのであって、四半妖獣が一人や二人、多くても部活で集まる人数くらいで同じことをしても、まずできない」
「……確かに」
食欲は人間だろうと妖獣だろうと、大きな欲求の一つであることに間違いはないはずだ。それを抑制するのには、相当な頑強さがないとダメだろうということは俺にも分かった。
「ただ、物事には常に例外があると思った方がいいのは事実。四半妖獣の中にも、人間を食べない人がいてもそれはあくまで例外の一つでしかないのは、確かだと思う。実はもう一人、偶谷くんみたいな人を知ってるんだよね」
「でも、俺とその人の二人だけなんだろ」
「まあね。正確には、その人のお父さんとお母さんもそうらしいけど」
花宮は花宮なりに、俺の境遇について考えてくれているようだった。しかしどれだけ考えてもほとんど初めて見た以上、どうしようもないのもまた確からしかった。遼賀は遼賀で、処理をした鷹取の体のあったところでしゃがみ込んだままだった。
「どうしたの、かおるん」」
「ん、何でもない」
俺が遼賀の手元を覗くと、その手には何やらメモが一枚握られていた。
「それは?」
「鷹取が持ってたみたい。どこかの住所だと思うんだけど」
確かにそのメモに書かれていたのは、住所で間違いなかった。しかも遼賀たちの住む辰川から近くのようだった。それを見て、花宮があ、と声を出した。
「かおるん覚えてないの?」
「何が?」
「それ、あれだよ。しおりんの住んでるところ」
「え?」
「メゾン・アルフォール申ヶ岩」
それはさっき花宮の話に出てきた、俺と同じく人間を喰わない四半妖獣が住んでいるマンションだ、ということだった。
一度その人に会ってみたい。俺はそう思いつつ、より開けた場所に出た。そこは俺がよく見知った場所、戌ノ宮高校の裏山だった。




