IV-05.花宮家での暮らし
虎野と警察の関係が密接なあまり、その調査は慎重に進めなければならない。少なくともまだ妖獣の世界の本当の恐ろしさを知っているとは言えない偶谷くんが、下手に調査に協力するのは望ましくない。
俺は花宮にそう言われた。そこまで言われると遠慮せざるを得なかったが、やはり自分のことなのに関われないという事実は、俺の肩に重くのしかかっていた。人任せにしているようで申し訳なさがあった。
「気にする必要はないよ。本来退妖獣使がやらないといけない仕事だからね。もちろん、何か偶谷くんが思い出したことがあれば、遠慮なく言ってね」
「ああ」
花宮にそう言われても、俺は何もせず花宮の家にいるのは心が落ち着かなかった。平日の昼間は花宮はじめ俺に関わってくれている人たちはみんな学校なのでどうしようもないが、それでも何か有益な情報はないか、部屋に備え付けてあったパソコンで調べつつ思い出そうとしていた。
「偶谷で調べても何も出ない……か」
四半妖獣は人間を喰う存在だが、俺は違う。それほど特別ならもしかして偶谷家そのものが何か特別なんじゃないか、と調べてみたが、妖獣関連でヒットする記事はなかった。あってもどこかの病院のホームページだったり、どこかの市庁舎の職員の名前だったりと、関係なさそうなものばかりだった。
「そういえば花宮の話は聞いてなかったな」
俺はこちらから話をするばかりで、花宮の話を聞いていないことを思い出し、検索した。今度は凄まじい数の記事やホームページがヒットした。花宮はどうやら世界的に有名なホールディングスの社長令嬢で、あの歳にして代表取締役副社長を務めているらしい。敵対しているはずのヒナノと協力関係にあるあたりも含めて、人は見かけによらないことを思い知らされた。
「遼賀は?」
そういえば住まわせてもらっているのも花宮の家で、遼賀にはほとんど関わっていなかった。検索して出てきたのは確かに退妖獣使としての遼賀の功績を表彰した様子だったが、名前は花宮から聞いていた薫瑠、という名前ではなかった。ヒナノの父親に殺されたという遼賀の母親だろうか。
「カフェも経営……」
遼賀の祖父らしき人が経営するカフェのホームページも出てきた。遼賀や花宮がいたことからして、俺がいったんヒナノに連れてこられたのがこのカフェと見て間違いなさそうだった。カフェの外観自体は一昔前の喫茶店そのものだが、ホームページは今風で華やかだった。アクセスのページを見ると、辰川駅の北口を降りてすぐそこのところにある、とのことだった。
「辰川駅……戌ノ宮から何駅かってところか」
普段は反対方向の電車を使って通学していたので、来たことはなかった。ただ戌ノ宮から意外と近いな、ということは考えていた。
ちょうどパソコンから目を離して休憩でもするか、と思ってパソコンを閉じたところで、部屋に備え付けてあった電話が鳴った。じいやが食事の時間になるとそうやって電話で呼んでくれるとのことだったので、電話を取って短く返事をして、俺は部屋を出た。
「お、偶谷くん。遅かったね」
「花宮? 遼賀も?」
ダイニングに向かうと、食事の準備をしてくれていたじいやの他に、花宮と遼賀の姿があった。二人とも朝少しだけ見かけた制服姿ではなく、ラフな私服に着替えていた。俺の姿を認めた瞬間にこにこした花宮と、特に表情を変えなかった遼賀。二人とももとからの顔がいいこともあって素直にかわいいと思ってしまい、顔が熱くなるのを覚えて俺は少し顔を伏せた。
「いやあ、ハーレムだね」
「二対一はハーレムじゃないから」
花宮の軽口に遼賀がすかさずツッコミを入れる。雰囲気からしてそれが普段と変わらない光景らしかった。遼賀の声はちょっと怒っているようなものだったが、二人の手はしっかり恋人つなぎされていた。がっかりした、というわけではないが、やっぱり花宮の言っていたことは本当だったんだ、とは思った。
「そっかあ。でもかおるんがいてくれた方が、にぎやかになって嬉しい」
「家に誰もいないから、お邪魔させてもらってるだけだけどね」
確かに平日の真っ昼間というこの時間には、誰も家にはいないだろう。
「今日は学校じゃなかったのか?」
「明日文化祭だから、その準備で午前までしかなかったの。私たちは特に部活に入ってないけど、手伝いはさせられるから」
俺がなりゆきで尋ねると、遼賀が答えてくれた。やっぱりちょっとむっとしたような、しかしそうでもないようなしゃべり方だったが、意地悪な答え方ではなかった。
「なるほど……明日文化祭なんだ」
「そうそう。偶谷くんは来られないけど」
そりゃそうだ。俺はもう死んだということになっているし、それに普通に学校があるはずの男子高校生が女子校の文化祭に参加するのはいかがなものか。
「別に男だから、みたいな問題はない気がするけど、どっちにしてもまだ虎野がこの辺りをうろついてる可能性はあるから、警戒はしておいた方がいいね」
花宮がそう補足した。やはり俺の存在そのものの方が問題らしい。
昼食は俺が一度食べさせてもらった夕食とは違い、豪勢と言えるものではなかった。だが俺がこれまで食べてきた昼食より高そうなのに間違いはなかった。
「昼ご飯っていつもこんな感じなのか?」
「これ?」
俺たちが頬張っていたのは海鮮丼だった。ふっくら炊き上がった熱々のご飯の上に、これでもかというほどたくさんの海鮮が乗っていた。真ん中を我が物顔で陣取るのは殻つきの肉厚なエビ。その堂々とした姿をあっぱれと称えるようにして脇を固めるのは、サーモンにマグロの刺身とたたき、数の子、イクラ、イカ、ハマチ。そして極めつけは、あたかもエビに頑丈な手があるように飾られた、両脇のカニ。それらを鮮やかに、点々とした醤油が彩っていた。それを花宮も遼賀も、淡々と口に運んでいた。
「そりゃいつもいつも海鮮丼ってわけじゃないけど、でも今日の海鮮丼が特別ってわけでもないかな」
「そうなのか……」
具が多すぎてご飯が足りない、という文句ももちろんあったが、その他にも俺は言いたいことがあった。もちろん俺は海鮮丼と呼ばれるものを何回か食べたことがあるのだが、そのいずれもこんなに豪華ではなかったのだ。毎日昼食にこんなものを食べているのだとしたら、やはり金持ちは違う、という言葉でもぼやくべきなのか。
「ねえ、じいや?」
「ええ、そうでございます。本日のご昼食のみ特別に奮発したということはございません」
そばで俺たち三人が食べるのをニコニコして見ていたじいやがそう言った。いつも花宮の食事を作っているらしいじいやが言うのなら、間違いないのだろう。
「「「ごちそうさまでした」」」
俺は普段料理を美味しいあまりゆっくり時間をかけて食べる、というようなことはしないのだが、この時ばかりは別だった。しかしいくらこの至福の時間が終わってほしくないと願ってのんびり食べても、完食の時間は訪れてしまった。
「じゃあ、いったん私は家に帰るから。また夕方に来るね」
遼賀はもともと花宮の家に泊まる予定だったらしく、そう言って出て行こうとした。聞けば花宮と遼賀のお泊まり会はかなり頻繁に行われているらしい。俺も特に用事がなくなったので、他に妖獣について調べられることはないか、と考えつつ部屋に戻ろうとした。
「待って」
その俺を、まだ当分ダイニングに居座るつもりらしかった花宮が引き止めた。俺はどうして花宮がそんなことをしたのかと頭で考える前に体が動いて、その場でぴたりと動きを止めた。
「感じる。……かおるんとは全然違うタイプの狩気」
花宮がそう言うのとほぼ同時に、俺の背筋を冷たいものが流れていった。
「かおるんは遠ざかっていってる……けど、別のニオイが近付いてきてる。しかも、すごく邪悪な雰囲気を感じる……」
「隠れるぞ」
俺はとっさにそう花宮に言っていた。無駄かもしれなかったが、このままじっとしているよりはマシだ、と俺は自分自身に言い聞かせた。
「うん」
花宮も自分自身だけでは戦えないからか、俺の提案にすぐに賛成してくれた。だだっ広いダイニングをその邪悪な雰囲気が通り過ぎてくれることを祈って、俺と花宮はダイニングテーブルの下に隠れた。
「……ダメ。近付いてくる」
「……!!」
花宮の顔は目に見えて青ざめていった。まるで俺たちの存在を知っていて、その上で近付いてきているようだった。やがてその足音は俺の耳でも拾えるほどになった。
スタッ、スタッ。
靴下と床の擦れる音が響く。向こうに花宮家の暗黙の了解である、屋内で靴を履く習慣は通用しないようだった。
足音の主はぴったりダイニングの入口の前で歩みを止め、ゆっくりとダイニングの中に入ってきた。まるで全て分かっているかのように俺たちの隠れているテーブルの前に立ち、ゆっくりとしゃがんで覗き込んできた。俺はその人と、目が合ってしまった。
「久しぶり。どうして生きてるのかなあ」




