IV-04.狩気能
狩気能。
それは妖獣、すなわちその体にアヤカシの血が流れている者ならば、半妖獣だろうと四半妖獣だろうと、またそれがどんなに弱くて使い物にならないものであろうと、必ず持ち合わせているものらしい。
「かおるんなら五感のうち聴覚以外の四つを消し去って、感覚を研ぎ澄ませる一感化。ひなのんは言葉にしたことを全て事実にしてしまう、言想化。さやのんは自分や他人の姿を自在に変えて変身できる、幻容化。みんないわゆる超能力に近いものを持ってるの」
「でも聞く限りじゃ、みんな強そうなやつだぞ」
「もちろん使い物にならない……少なくとも、四半妖獣と戦う時には何の役にも立たないような狩気能もあるよ。例えばわたしので言えば、体により効率よく、酸素供給をするのを助ける能力。今のご時世、薬でなんとかなりそうな話だけどね」
俺が驚いた様子で花宮を見ると、そのまま話を続けた。
「わたしは昔から病弱だった。相手の妖獣がどんなアヤカシの血を持ち合わせているのか見破ったり、空を飛ぶための翼そのものに姿を変えられたり。そうした普通の妖獣とは違うことができる代わりに、花宮家の女は先祖代々、病弱だった。それを狩気能で無理やり補ってた。確かに退妖獣使としてはどう考えても使えない狩気能だけど、わたしが生きるためには必要なの」
ちょっと一気にしゃべりすぎちゃったかも、と花宮は少し息切れした様子を見せていた。疲れたあ、とベッドにためらいもなく仰向けに倒れ込む花宮に、俺は大丈夫か、と思わず声をかけた。
「ありがとう。優しいね、偶谷くんは」
「優しい?」
「かおるんも優しいけど、それとはまた違う気がする。親切だね、とか言われたことはない?」
「……あんまりないな。おせっかいだ、とか気にしすぎ、心配しすぎとは何回も言われたことがあるけど」
「心配しすぎ……その割には、よく人のことを信頼してるみたいだけど。ああ、だからこそ優しいのかな」
ヒナノは俺が人をよく信じるそのお人好しな性格も、俺の長所だと言った。しかし俺は必ずしもそうではないのではないか、そう思っていた。なぜなら、俺が虎野を信じたばかりに、一度死んだのだから。俺には死んだという実感はいまだなかったが、逆に植川さんにされたことを考えれば、あれで死ななかったはずはないとも思っていた。
「……でも、気を付けたほうがいいかも。妖獣はお人好しばかりじゃないからね。こうやって、いつ他人のことを騙してるのか、表面を見てるだけじゃ分からない人も、妖獣には特に多いよ」
そう言うと花宮が俺に向かって、スマホを軽く振ってみせた。スリープモードだった画面が明るくなり、通話中であることを示すアイコンが出てきた。
「いつから……!?」
「そんなに前じゃないよ。具体的には、偶谷くんが生い立ちを話し始めてくれた時くらいから」
「それは結構前って言わないか」
「そう? でも心配しないで、相手はひなのんだから」
花宮がスマホを操作し、スピーカーモードに切り替えた。これで向こうの声も耳元にスマホを当てなくても聞こえるようになった。
”話は聞かせてもらった。で? 花宮、オマエはアタシにこの話を聞かせて、どうしたい?”
聞こえてきたのはヒナノの声そのものだった。俺の話をすべて聞いていたのだろうヒナノは、俺ではなく花宮に、その真意を問うた。
「今回のことに関わったひなのんの耳にも、入れておこうと思って」
”別にアタシが進んで関わっているわけではないんだが”
「まあまあ。でも、面白いでしょ? 狩気能がない妖獣なんて」
”それなんだがな。アタシも聞いた試しがない。ありえないと断言できるほどだ”
「いろんな半妖獣や四半妖獣を見てきたひなのんでも?」
”ああ。間違いない”
ヒナノは自信ありげに電話の向こうで断言した。俺は断言したことよりもどちらかというと、半妖獣や四半妖獣を数多く見てきたという事実が気になった。
「ああ、それね。習志野製薬、って言って分かるかな」
「知ってる。っていうか、知らない人はあんまりいないんじゃないか」
「こう言えば察したかもしれないけど、習志野製薬は習獅野家が代々経営してる会社だよ」
「そうなのか?」
「習志野製薬は昔から、表向きは製薬会社として莫大な規模を誇る一方で、妖獣の力を増強する手伝いをしてきた。明治以降四半妖獣と退妖獣使が対立するようになっても、明確に四半妖獣側の味方をしてきたんだよ」
「でも……」
「ただ、当代の習獅野家は違うんだよね。詳しいことは省くけど、ひなのんやさやのんはこれまでの習獅野家の方針に反発してて、むしろ既存の体制を破壊していくような行動をしてる。わたしやかおるんみたいな退妖獣使側に味方するのも、その一環だよ」
花宮の説明を受けて、電話越しに続けて声が聞こえた。
”まあアタシは、人間を喰う四半妖獣の存在が悪だとか、四半妖獣と戦う退妖獣使が正義だとか、そんなことを言うつもりは毛頭ないがな。アタシはこれまでクソ親父が筆頭になって作り上げてきた習獅野の家に嫌悪感を抱いて、それに逆らうような行動をとってるだけだ。とどのつまり、やってることは単に反抗期のガキに過ぎない”
「でも結果として四半妖獣の数は減ってるから。ひなのんが習獅野家の代表になってからそろそろ二年経つけど、あれから協力してくれてるおかげで、三分の二くらいにはなったと思うよ」
四半妖獣が自分も含めていったいどれほどいるのかは知らないが、三分の一を始末したというのならすごいのだろう。
「すごそう、みたいな顔。偶谷くんはしてるけど、実はそうでもないんだよね」
「どういうこと?」
「確かに四半妖獣側が二年前の三分の二くらいになったことは間違いないけど、もちろん退妖獣使側の数も減ってる。あんまり活動してないとか、活動してても大して討伐できてないような退妖獣使の犠牲はもちろんだけど、トップレベルの討伐数を誇る退妖獣使がその二年の間に何人も死んでることの方が問題。一人はかおるんのお母さん。あともう一人挙げるとすれば、虎野佳和」
「虎野?」
その名前を、俺が聞き逃さないわけにはいかなかった。
「偶谷くんが気付いた通り、佳和さんは虎野佳音のお父さん。かつてはかおるんのお母さんと並んで、相当強い退妖獣使として有名だった。けど、かおるんのお母さんと同じタイミングで亡くなった」
”遼賀の母親をウチの親父が殺したことは分かってる。だが虎野の父親に関しては不明なんだ。少なくとも、アタシの父親が殺したという証拠は出ていない。クソ親父のことだから、まとめて殺ってる可能性は十分にあるけどな”
弁明するようにヒナノが言った。どうやらそれが花宮とヒナノの関係を遼賀に言えない理由らしいことは、俺にも分かった。
「今ので偶谷くんも分かってくれたと思うけど、わたしとひなのんの関係は他の人に、特にかおるんには言っちゃダメだよ。いい?」
「……分かった」
殺したのはヒナノの父親だと分かっているはずなのに、法で裁かれてはいない。四半妖獣と退妖獣使の間には時として法律さえ通用しないことがあると、花宮は続けて言った。
「まあひなのんの父親はすでに、法で裁けるような状態じゃないけどね」
「え?」
「ひなのんが妹のさやのんと一緒に、廃人状態にまで追い込んだ。一応死んではないってだけで、もはや会話することもまともに食べ物を摂取することもままならない。四半妖獣元来の頑強さで何とか生きながらえてるってところだね」
「そんな状態にして、どうしてまだ生かしてるんだ」
「それはひなのんに聞かないと分からないよ。わたしもそこまでしたなら、さっさととどめ刺せばいいのになんて思っちゃうんだけど」
それは何でもないことのように出た言葉だったが、俺は思わず身震いした。花宮の雰囲気的に、そんな言葉が飛び出るとはとても思えなかったのだ。
「話を戻そっか。確かに狩気能がないのは、わたしも何となく察してたんだよね」
”それは本当か?”
ヒナノの声は意外だ、と言わんばかりのものだった。
「うん。正確には狩気能がないことが分かったんじゃなくて、狩気を感じないっていう方が正しい」
”狩気を感じない?”
「狩気能を発動するためには、狩気をかなり高いところまで持っていかないといけない。狩気はその名の通り、妖獣としての本能を目覚めさせることだから、狩気を高めれば高めるほど人間としての理性はなくなっていく。でも普段はその狩気がゼロってわけでもないんだよね。アヤカシの血がその体に混ざっている以上、本人の意思とは関係なく狩気は少ないながら発動する。わたしはその狩気や、そこに混ざっている邪悪な意思も感じ取れるんだけど、偶谷くんからは邪悪な雰囲気どころか、狩気をそもそも感じなかった」
花宮は習獅野に電話で説明しつつも、まだまだ俺が妖獣について知らないことが多いのを把握して、俺にも分かるように補足を加えつつ説明した。
”花宮がそう言うなら間違いはないんだろうな。ただ、やはり有り得ないことに変わりはない”
「そうだね」
俺はそこまで言われると自分でも何か言っておきたくなって、口を挟んだ。
「なあ。俺がその、狩気がないっていうのは、そんなに特別なことなのか?」
するとぶんぶんと音がしそうな勢いで花宮が首を縦に振って言った。
「特別だね。狩気はいわば、妖獣の存在意義だから。それがないってことはつまり、普通の人間と何ら変わらないってわけでありまして」
まあでもひなのんみたいに、変則的な四半妖獣もいるくらいだし、例外もいておかしくないのかも、と花宮は問題提起した割にあっさり片付けてしまった。
「偶谷くんを保護するっていうのは、実はひなのんと決めたことのうちの一つでしかないんだよね。他にもわたしたちがやらないといけないことがある。それは退妖獣使の娘であって退妖獣使でない、それどころか四半妖獣であることさえ分かった、虎野佳音を探すことだよ」
そうだ。俺がせっかくヒナノに生き返らせてもらっても、肝心の虎野に会わなければ意味がなかった。虎野が生きている限り、俺を狙うことはやめないだろう。
”偶谷が失踪したとなれば、真っ先に事情を知っていると見られるのは虎野だ。偶谷が実の親の行方が分からない孤児と分かれば、そこから四半妖獣であることを突き止められるまではすぐのはずだ。そうなれば事情を聞かれる前に、虎野も姿をくらませる可能性が高い”
ヒナノの言う通りだった。俺は出来ることがあれば協力する、と花宮とヒナノに向かって言った。
「その心配はないよ。まずその姿で出歩くこと自体が危険だから。まずは、自分がいかに狙われてるかってことを自覚するべきだよ」
「でも、そんなこと言われたって」
「実はね」
俺は食い下がったが、花宮がいたって冷静な声で俺を諭した。小柄なその体からは考えられないほどの気迫が出ていて、俺は思わず口をつぐんでしまった。花宮はその様子を見て、話を続けた。
「気を付けなきゃいけないところが、もう一つあるの。虎野佳音のお父さん、つまり佳和さんは退妖獣使の中でもかなり有名な人だった。その強さを利用して、警察内部の人間と贈収賄の関係にあった、なんて噂もある。だからいくら虎野佳音が四半妖獣かもしれないって言っても、その調査は慎重にやらないといけない。どう考えても虎野佳音は父親の基盤を受け継いでるから、下手に刺激すれば、警察を敵に回すことになる。それだけは、絶対に避けなきゃいけない」
思ったよりも深刻な事態を聞かされ、俺は背筋が凍りつくような感覚に陥った。




