IV-03.記憶を語る
「……ええ、心配ございません。偶谷様のお召しになっている制服は洗濯させていただきます。ちょうど偶谷様の体のサイズに合うようなスーツをご用意しております」
俺が制服がひどく汚れていることを男性に伝えると、まるで予測していたかのようにそう言われた。
どうやら夕食と言っても実際は晩さんのようなものらしく、食事をする際は正装に着替えるのが花宮家でのマナーらしい。俺はこれまで見た試しもないほど、高価そうなオーラを漂わせるスーツを用意され、それに着替えた。ちなみにこの時男性からどうぞじいやとお気軽にお呼びください、と言われたので、素直にそうさせてもらうことにした。
「本日は午後八時には旦那様がお帰りになられます。それまでに、ご用意させていただいたお部屋にお入りください」
「分かりました」
「わたくしに対しては敬語でなくとも構いません。むしろ、敬語で話しかけられることの方が、慣れておりませんから」
「……えっと、分かった」
俺よりもいくつ年上か分からないくらいの年齢のじいやに、俺は慣れないながらもぶっきらぼうな口調で返事をした。俺は申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
夕食は端的に言えば、肉だった。ただ俺がこれまで見たこともないほど高そうなもので、油断していれば焼く前の肉に向かって敬礼までしてしまいそうなほどだった。もちろん毎日のようにおいしい食事を食べられること自体が感謝すべきことだが、それだけの高価そうな料理群に対してはさすがの俺も心を踊らせるしかなかった。
「ごちそうさまでした」
俺は美味いものほど我慢してゆっくり食べられないタチで、「旦那様」の帰ってくるだろう時間のずっと前に食べ終わってしまった。しばらくして落ち着くと、今度はじいやに平服を用意され、それに着替えることになった。
「では、偶谷様のお部屋にご案内いたします。時間になればお嬢様が直接、偶谷様のもとへお越しになると思いますので、それまでお待ちくださいませ」
「分かった」
俺が用意された部屋に入ったあと、花宮と「旦那様」、すなわち花宮のお父さんとが食事をする時間になるらしい。俺がこれからこの花宮家でお世話になる、ということは花宮本人しか知らないとは言え、もしもお父さんに分かった時はどんな顔をされるのだろうか、と俺は不安になった。俺が匿われないといけない存在であるとは言え、その前に俺は男で、花宮は女なのだ。
「ここは……」
案内されたのは、恐ろしいことに俺の部屋だった。つまり、俺がつい昨日まで住まわせてもらっていた、義両親の家の俺の部屋。それが花宮家の数多い部屋のうちの一つに、完全再現されていた。窓の向きからベッドの位置やメーカー、勉強机の置き方まで完全一致だった。ただ一つ似ていないところがあるとすれば、勉強机の本棚にあった教科書やその他の本が全て新品だったことくらいだろうか。
「習獅野様のご尽力で実現いたしました。偶谷様が少しでも不安を覚えられないよう、家具のほとんどは移動させていただきました」
「……どうやって?」
むしろこれをあの短時間で実現した、ということの方が俺は不安だった。
「習獅野様は口に出したことをどんなに不可能であっても実現してしまう力をお持ちです。偶谷様が無事生還なさったのも、その力によるものです」
「へえ……」
俺は結局じいやの説明を受けてもいまいちよく分からなかった。どうやらヒナノが俺を生き返らせたり俺の部屋をものの数時間で完全再現したりと、ものすごい力を持っているらしかった。
「偶谷様が外へ出られない生活でも問題ないよう、様々な娯楽を用意しております。不足の際はわたくしにおっしゃっていただければ、ご用意いたしますので」
「……わ、分かった」
そう言い残すと、じいやは再び厨房の方へ戻っていった。俺はそっと部屋のドアを閉めて、改めて俺の部屋にそっくりなその部屋の様子を観察した。よく見ると完全再現されているのに加えて、CDプレーヤーやパソコンにオーディオと、音響機器系も勢揃いだった。特にパソコンはついこの間発売されたばかりの最新型で、その中でもおそらく一番高そうなものだった。インターネットにもつながっていて、俺が手に入れておくべきなのだろう情報も、充分すぎるほど入手できそうだった。そして勉強机に備え付けの椅子に座ってパソコンを開いた時、俺ははたと気付いた。
「俺を堕落させる気かよ……!」
* * *
結局言われたままにパソコンで遊んでいたら負けな気がしたので、俺はうたた寝をしたりぼーっとしたりして、時間を潰していた。
「……いる?」
部屋の外で控えめなノックの音ともにそう声が聞こえたのは、九時半を回った頃だった。俺がドアを開けると、そこにいたのは花宮だった。じいやの言っていた通り、わざわざ訪ねてきてくれたのだ。
「その格好……」
「ああ、ごめん。先にお風呂入っちゃって。ちょっと遅めの時間にはなるけど、じいやたちが入る時間があるから、その時に一緒に入るといいよ」
「……ありがとう」
「気にしなくていいよ、偶谷くんは今日から花宮家の一員だからね。しかも匿われてる身だから、じいやの家事のお手伝いもしなくていいし」
「なんか、そう言われると申し訳ないな」
「ダメだよ。お父さんに見つかったらめんどくさいことになるから。一応じいやかわたしにつながる電話はこの部屋のどこかにあったはずだから、呼ぶときはそれでお願い」
「そうだよな。俺、男だもんな」
「違うよ」
花宮が俺の言葉を遮るようにして言った。
「いや。もちろんそれもあるけど、別に何かまかり間違って偶谷くんがわたしのことを好きになったとしても、それは全く意味のないことだから。わたしはかおるんと一生添い遂げるって、決めてるから」
「へ……?」
「失望した?」
「いや、別にそういうことじゃなく」
「だから、偶谷くんはこれまでのことを気兼ねなく、わたしに全て話せる。わたしもわたしの知っている限り全てのことを偶谷くんに伝えることができる。いい関係でしょ?」
「はあ……」
「さあ」
花宮は俺がさっきまでうたた寝のために寝転んでいたベッドに腰掛けた。早く話してくれと言わんばかりのその口ぶりは、慌てているようで落ち着いたものだった。
「まずは、……覚えてる限りでいいよ。偶谷くん、あなたの身に何があったのか。それから、四半妖獣である偶谷くんが、これまでどうやって生きてきたのかを教えて」
俺はうなずいて、昔の記憶から順に花宮に話していった。
「小さい頃は、俺の両親がいた。たぶん、幼稚園に入るか入らないかくらいまで。母さんは優しかったし、父さんもすこぶる厳しい人じゃなかった。だけど、俺は両親に捨てられた。両親は死んだんじゃない、俺を見捨てた。それははっきりと覚えてる」
「偶谷くんの両親は、人間? それとも四半妖獣?」
「分からない……それに、その四半妖獣って何だ? どう書くかは分かっても、それがどういう意味なのか分からない」
「……それも、知らないんだ」
花宮はしかし、そんなことも知らないのか、という態度は一切示さなかった。ただ、新しいことを教え、教えられる者の目を感動で輝かせる、教師のような存在だった。半妖獣と四半妖獣が生まれた経緯。それから、その二者が袂を分かった理由。俺は本来なら、より強く、現代になってもいまだ人間を喰う存在だったらしい。俺が人間を喰うことを嫌うのは、やはり特別なことだったのだ。
「混ざっているアヤカシの血が一種類なら半妖獣、二種類なら四半妖獣……」
「ほとんどの半妖獣は人間を食べることはしないし、逆に四半妖獣のほとんどは人間を食べなければ生きていけない。それは四半妖獣の脅威から人間を守る、退妖獣使の間では、常識になってる」
「でも、俺はそんなの無理だ。人間を食べることはおろか、血を見ることだって吐き気がしてまともにできない」
「うん。それはよく分かるよ。わたしは妖獣の人を見れば、その人が半妖獣なのか四半妖獣なのか、それからどんなアヤカシの血を持ってるのかが分かる。偶谷くんは狐と狼の血を持つ、四半妖獣だね」
「確かに、そうだ。俺は妖獣について知ってることは少ないけど、そのことだけは知ってる」
「さすがに自分が持ってるアヤカシの血が何なのかを知らない人は少ないからね。もしかしたらそれは本能で感じ取ることなのかも」
それから俺は高校に入るまでの間、ずっと孤児施設で育ったことを話した。そのことで高原という友人も出来たし、面倒を見てくれた施設の人も優しかったから、生活自体に不満を抱くことはなかった。俺はよく目つきが悪いことで性格まで悪いと誤解されがちなので、これまでの生活に別に不満を抱いたことはない、と付け加えておいた。
「あははっ、そんなにむきにならなくても~」
「むきにならざるを得ないだろ。俺だってたまには話し相手や友達が欲しいって思ったんだ。だけどみんな俺の出す雰囲気で遠ざかっていった」
「うん。わたしも最初、びっくりしたもん。偶谷くんのことは前々から聞いてたけど、まさかこんなに感じ悪そうな人だとは思ってなかった」
「やめろ。傷つくだろ」
「ごめんごめん。話も逸れたね。続き、話してくれる?」
改めて誤解を生みたくないので、俺は生まれてこの方、人間を襲ったり、ましてや食べたことなどないと花宮に断言しておいた。それから、高校に入って虎野に脅されるようにして、退妖獣使の仕事の手伝いを始めたことを話した。
「実はそれこそ偶谷くんをだますための嘘だったんだけどね。で、どんな風に敵を倒したの?」
「倒した? 俺はそんなことしてないぞ。俺には妖獣……四半妖獣の気配を感じ取る能力がある、って虎野に言われて、レーダーみたいな役割をしてた。俺が直接戦ったことはない」
「そっか。直接戦ったことはない……けど、感情を高ぶらせて、何か科学では説明できないような力を発揮したことは?」
「何だそれ? 科学では説明できないって……何の話だよ。まさか超能力ってことか? そもそもアヤカシの血が入ってることで十分人智を超えてるのに、さらに超えさせてどうするんだよ」
「それはおかしい」
「……え?」
花宮はさっきまでのへらへらした顔から一転、急に深刻そうな顔をしていた。俺がそんなまさか、と冗談半分に話しているのを、真に受けているような表情だった。それから花宮はいや、やっぱりありえないよ、とごく小さい声でつぶやいた後、俺に言った。
「それだけははっきり言える。わたしがこれまで見てきた妖獣の中で、狩気能を持たない人なんて、一人もいなかったんだよ」




