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妖獣怪奇譚~争われしアヤカシの血~  作者: 奈良ひさぎ
四幕 偶谷 七馬(たまや ななま)-II

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IV-01.止まない雨をしのいで

 ふわり、と、匂いを感じ取った気がした。

 いわゆる悪臭などではない。いい匂いだ。おいしそうな匂いでもなかった。最初に感じ取った匂いで意識が少しはっきりしたのを利用して、よりその匂いが何なのかを確かめようとした。

 花のような匂いだった。しかし、どうやら本物の花ではなさそうだった。造花でもない。そこで気付いた。柔軟剤の匂いだった。そこまで理解して、ようやく自分が誰かに背負われているのだと俺は気付いた。


「……っ」

「気付いたか?」


 目を開けると、目の前に金髪の女性がいた。正確には髪を見ただけでは女性と分からなかったが、俺にかけられた声の高さで明らかだった。

 それから俺は、雨の音がするのに自分が一切濡れていないのに気付いた。俺はレインコートをいつの間にか着せられて、それからおぶわれていた。


「風邪を引くだろうと思ってな。アタシはそんなもの、着ても着なくても同じだから、オマエに貸してやることにした」

「あなたは……」

「おいおい、随分礼儀正しいな。本心からアタシに敬意を払う奴なんて珍しい。アタシの名前は……そうだな。ヒナノ、でいいや。それで呼んでくれ」

「ヒナノさん……は、どうして俺を助けてくれたんですか」


 俺は鮮烈に、つい先ほど起きたことなのだろう出来事を思い出した。駅のホームで記憶が途切れたこと。気付いたら学校の前庭に寝転がされていて、優しい人だとばかり思っていた教育実習生の植川さんに、腹を殴られ意識を失ったこと。


「……聞きたいか」

「聞いちゃダメなやつなんですか」

「いや。まあ、ショッキングなことには間違いないだろうけどな」

「……聞きます」

「そうか。……結論から言えば、オマエはあの四半妖獣に殺された。それからアタシが生き返らせた」

「生き返らせた……?」


 俺は自分が死んだという事実よりも、俺をおぶっている女性が死んだ人を生き返らせられる、ということに驚いた。


「アタシは四半妖獣の中でも、特別な存在だ。アタシがオマエの動かない体に『生き返れ』と語りかければ、それでオマエは生き返るんだ」

「……どうしてそんなことが」

「詳しくは後でたっぷり、説明してもらえ。今から向かうところでな」

「向かうところ……」


 ヒナノさんは俺を背負ったまま、確かにどこかへ向かっているようだった。どこへ行くわけでもなくさまよっているわけではない。しっかりとどこか目的地を意識して、歩いているようだった。


「ああ。ちなみにオマエの口調が気になるから言うが、アタシはこう見えてまだ中学三年のクソガキだ。オマエより年下だよ」

「……年下」

「案外に世間は狭い。オマエの他にもいくらでも、四半妖獣や半妖獣はいる。もちろんいろんな考え方をする、妖獣がな」

「……俺」


 俺は植川さんに殴られたこと、それからもう一つ、意識を失う直前に感じたことをヒナノに伝えた。


「知ってる」


 しかしヒナノはほとんど即答で、俺にそう言った。まるで、


「全部言わなくたって知ってる。アタシは全部見てたんだ」


 一部始終を、全部見ていたかのように。


「見ていた……なら、どうして」

「正確にはオマエが駅のホームで意識を失って、連れ去られるところから見てた。だけどアタシは手を出すどころか、口出しもできなかった。アタシはオマエが前庭に転がされて、男がお前を殴るところまで、全部見てた。けど、アタシには手出しできなかった事情があったんだ。それは、仕方なかった」


 そこまで言うとヒナノは俺の足を掴む手を片方離してポケットを探り、スマホを取り出した。それから誰しもが使っているようなメッセージアプリを開いて、誰かにメッセージを送った。送り先は「花宮」という人らしかった。


「偶谷を保護した。今からそっちに向かう」

「ありがと。とりあえずわたしの家に向かって? じいやも事情は知ってるから、案内してくれるはず」

「分かった」


 ヒナノはそんなやり取りをその花宮という人とした後、スマホをポケットにしまった。


「……さて」

「俺、」

「どうせ自分で歩けるとかだろ? やめとけ。せっかくアタシがおぶってやってるんだ、大人しく甘えてろ。アタシがこんなことをするなんて、滅多にないんだからな」

「……」


 俺はしばらく黙って、雨の音を聞いた。ヒナノの靴が地面と擦れる音と、その雨の音だけになった。すると、急に俺は時間がゆっくりになったような感覚に陥った。


「……オマエはもう少し、妖獣の世界ってのを知るべきだ」

「妖獣の、世界」

「さっきのさっきまで、まさか裏切られたとは思わなかっただろ?」

「……確かに」


 俺の鼻の奥には、まだそのニオイが残っていた。俺が植川さんに殴られて、意識を失う直前に漂ったニオイ。その時はそれが何の香りなのか分からなかったが、しかしヒナノいわく、俺が一度死んで、生き返った後もそのニオイは記憶にしっかり残っていた。


虎野の、ニオイ(・・・・・・・)


 それは虎野と話している時に、時々ふわっと漂う香りだった。俺は特に虎野のことをそういう目線で認識したことはなかったが、記憶に残ってはいた。俺がニオイが移るほど虎野と接触をしたことはこれまで一度もないから、そのニオイは植川さんから漂ってきた、ということになる。


「あの植川、って奴が実際どうなのかは知らないが、少なくとも虎野はクロだ。あいつは退妖獣使でもないし、半妖獣でもない。オマエに話していただろうことのほとんどは、嘘だ」

「……」

「本当はアタシは、オマエを助けるつもりなんてなかったんだ。今日だって虎野の話を聞いて、ちょっと様子を見に行く程度で帰るつもりだった。ただ、アタシは目の前で騙されて絶望の淵に突き落とされた奴を見て、放っておけないタチらしい。気がついたらアタシは息を潜めて、オマエが死ぬのを陰から見てた。それからこうやってオマエを背負って、オマエが生き返ったという事実を、隠そうとしてる」

「……ありがとう」

「アタシにはいろいろ隠してることがある。オマエにも言えないようなことを、たくさんな。その秘密が公になればきっと、パワーバランスも崩壊する。いわば大勢の連中を騙しに騙してる。だけどな、アタシはオマエみたいに、騙されるくらい他人を信じられる奴も嫌いじゃない。どうしてそんなに他人を信じられるのか。羨ましいくらいだ」

「……!!」


 俺はほとんど何も言わず、ヒナノの話を聞いているしかなかった。確かに、俺は信じていたのだ。俺が四半妖獣ということを知っていて、近付いてきた虎野。虎野の妖獣退治に付き合いさえすれば、自分が殺されることはない。そう言われて、特に何も考えることなく俺は信じてしまった。それを疑って、断ればよかったのか。いや、無理だったはずだ。受け入れたら死なないし、受け入れなかったら死んでいただろうあの状況下で、疑うという選択肢は、俺にはなかった。それは今真実を悟った俺でも、断言できることだった。


「……飛ぶぞ」

「え?」

「あまり公衆の目に触れるのはオマエにとっても、アタシにとっても問題なんだ。特にアタシの今の姿じゃあな」


 そう言うとヒナノは俺の返事を聞くことなく何やら唱えて、それから思い切り飛び上がった。俺の見える景色はあっという間に豹変して、視界の半分以上を暗くなり始めた空が占めた。


「……それから」

「ん?」


 高度が上がって風が強くなり、耳に触れる音でヒナノの声は聞こえにくくなっていた。そんな中でヒナノが俺を呼んだ。


「アタシのことは他の奴には言わないほうがいいぞ。アタシが困るってのもあるが、何よりオマエが窮地に陥る」

「……分かった」


 そうしてヒナノが降り立った先は、見たこともないような規模のお屋敷だった。その構内にずかずかとヒナノは入り込んでいき、さらに玄関のチャイムを鳴らした。


「お嬢様より、お話はうかがっております。どうぞ、こちらへ」

「すまないな」


 ヒナノは俺を背負ったまま、出迎えた初老の男性の後をついていった。やがて構内の端の方にある物置に入ると、そこにあった地下へ続く階段を下りていった。


「……くれぐれも、薫瑠様には勘付かれぬよう、お願いいたします」


 その男の人はそうヒナノに言い残して、階段を隠すための扉を閉めた。俺はヒナノに背負われているから不自由はなかったが、ヒナノの視界は極端に悪くなっているはずだった。しかしヒナノの足に迷いが出ることはなかった。


「……寝てろ」

「え?」

「これから三十分ほどはこんな道が続く。途中で地上に出るが、それでも暗くて何も見えないことに変わりはない。アタシは見えるようになってるが、あいにくオマエの分の視界まで明るくしてやれる余裕はない。アタシも足元に気を付けないといけないから、話すこともない。忙しくならないうちに寝ていたほうがいい」

「……分かった」


 何がどう忙しくなるのか、やはり俺には分からなかった。だが俺はヒナノの言葉に甘えて、その背中に体を預けて眠ることにした。雨に濡れて冷えた体が背中で暖められて、俺は安心しきったようにして眠りについた。

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