III-09.虎野、という退妖獣使
”……ひなのん?”
「出たか」
アタシが電話をかけたのは花宮だった。以前ショッピングモールのトイレで電話をかけた時と同じく、眠たそうな声だった。
「……どうしてそんなにいつも眠たそうなんだ」
”今は別に眠たくないよ? 寝ようとはしてたけど”
「それはすまなかった」
”これでどうでもいい話だったら怒るよ? せっかくかおるんとイチャイチャしてたのに……”
「知るか。それにアタシがどうでもいい話をオマエにしたことはないだろ」
”そう言われればそうかも。で? 何の話?”
「オマエならこの辺りの退妖獣使、把握してるよな?」
”それ前も言ったけど、全員じゃないよ。もちろん取りこぼしはあるし”
「問題ない。アタシの見立てが正しければ、取りこぼしようのない奴だ」
花宮は寝ようとしていたところを邪魔されたにも関わらず、適当に済ませようとはしなかった。
”……へえ”
「虎野佳音……この名前、聞いたことあるか」
”……”
アタシも花宮も口を開かない、沈黙の時間がしばし続いた。それからおそるおそる、といった調子で、花宮が先に話しだした。
”佳和さん……じゃ、ないよね”
「違うな。……違う」
”そうだよね。佳和さんは、死んだよね。三年前に”
「そうだ。退妖獣使にありがちな、四半妖獣に致命傷を負わされたことによる死亡だ」
退妖獣使の仕事は、四半妖獣をなるべく感情を殺して狩ること。その性質から、仲間を殺された、と恨みを抱かれる退妖獣使は多い。それが退妖獣使の死因として最も多い。花宮の相棒の退妖獣使の母親もたしかそのはずだ。数多くの四半妖獣を退治したことから目をつけられ、最終的にアタシの父親が代表して瀕死の重傷を負わせた。
虎野佳和という男も、そうやって死んだ退妖獣使の一人だ。死に方としては、珍しくはない。
”佳和さんには会ったことあるよ。その時、娘さんがいるって話は、聞いたことがある”
「やっぱりか」
名前からして、虎野佳音という女は、佳和の娘と見て間違いなさそうだった。花宮の話がそれを裏付ける形になった。
”でも、退妖獣使って基本的に家ごとに代々継承していくものだから、佳和さんが死んだ後に継ぐっていうのには何も不思議はないと思うんだけど”
「その話だけ聞けばな。ただ、違和感が残るんだ」
”違和感?”
「今さっき、鷹取って女が尋ねてきた。そんでアタシにわざわざ警告してきたんだ。虎野佳音、っていうヤバい退妖獣使がいる、ってな。最近片っ端から四半妖獣を殺してて、いつかアタシも狙われるかもしれないってことらしい」
”ちょっと待って。ひなのんが襲われる? そんなまさか。ひなのんの狩気能を知らないとかじゃない限り、そんなことは”
「だろ? だからこそ、だ。虎野佳音について、調べてくれないか」
”めんどくさいなー……一週間くらいもらっていい?”
「どうしてそんなにかかるんだよ」
”この間ちょっと、辰川署の人と揉めちゃって。辰川署に連絡とりづらいんだよね”
「知るか。というより警察と揉めるってどういうことだ」
”ごめんごめん。できるだけ早く返事できるようにはするから”
それで電話は切れた。アタシはスマホを適当にベッドの方へ投げた。スプリングで跳ね返って柔らかくスマホが着地した。沙矢乃はそんなアタシの様子をじっと見ていた。
「……虎野」
「ん?」
その沙矢乃が、何かを明らかにするふうに話しだした。
「あたし、見たことあるかもしれない」
「何だと!?」
* * *
花宮からの折り返しの電話は、それからたっぷり三日経った後だった。
”びっくりするようなこと、言っていい?”
花宮の電話越しの第一声はそれだった。
「いいから早く言え」
”虎野佳音は、退妖獣使じゃないよ”
「なに?」
”正確には、退妖獣使のリストに名前がなかった、ってことだね。これは辰川署の偉い人にも立ち会ってもらって調べたから、間違いないよ”
現在では退妖獣使による妖獣退治なのか、あるいは普通の殺人なのかを区別しやすくするため、退妖獣使は基本的に警察の管轄下にある組織に所属していることになっている。ことになっている、というのは、実際にその組織が機能しているかは怪しいところだからだ。基本的に退妖獣使の妖獣退治の仕事は各々の判断に任されている。退妖獣使が妖獣を殺し、しかもその妖獣が人間を襲ったことがある、という明確な証拠がなかったとしても、よほどのことがない限り罪に問われることはないのだ。完全にそれぞれの退妖獣使の良心に任されている、とも言える。
「……ありえないな。警察の資料を調べたとなれば、当然載っているはずなんだが」
”……もう一回調べろって?”
「いや、さすがにそれは。花宮の勘でも、警察の資料でも駄目なのか」
”ダメだったね。おかしいね、お父さんが退妖獣使だったなら、引き継いだ時に警察に登録し直すって作業を、忘れるとは思えないんだけど”
「だろうな。何かあるとしか思えない」
”登録しなかった……あるいは、できなかった事情がね”
アタシはそこまで話して、そう言えば、と沙矢乃がぽつりと言ったことを思い出した。
「……見たそうだ」
”え? 何を?”
「その虎野って女を、沙矢乃が見ていたらしい。学校の帰りに、電車の中で男女二人が話してるのを見たらしい。んで、男の方が女のことを虎野、って呼んでいたんだと」
”虎野って苗字は、佳和さんのところしかないんだよ。もともとあそこは狐の半妖獣の家なんだけど、退妖獣使の家として発展していくことと、強さを自分のものにする願掛けを込めて、ご先祖様が苗字をそう決めたって、昔佳和さんが言ってた”
「ならそいつが、件の虎野佳音で間違いないわけか」
”その子が虎野って名前を偽名として使ってない限りはね。その子がどんな制服だったか、覚えてる?”
「ちょっと待て。沙矢乃に聞いてみる」
アタシは一度電話を切り、勉強していた沙矢乃をいったんアタシの部屋に呼んで、話をした。沙矢乃ははっきりとは覚えてないんだけど、と言いつつ、記憶の限りでその虎野の制服姿と顔を狩気能で再現した。アタシがそれをスマホで写真に収め、そのまま花宮に送った。それから十分もしないうちに、もう一度花宮から電話がかかってきた。
”さやのんにありがとう、って言っといて。実際の制服とはちょっと違ったけど、特徴は捉えられてて特定はしやすかった”
「どこだったんだ」
”戌ノ宮”
「近いな」
近所ではないとは言え、アタシたちの家から車や電車で一時間ほどかかるかかからないか、くらいの距離だった。
”この界隈は案外狭いからね。四半妖獣の家の隣に退妖獣使の家、なんてこともざらだよ”
いくら隣同士敵であろうと、バレなければ問題はない。あるいは、敵として殺すことができなくなるくらい、親密になるか。しかし四半妖獣と退妖獣使との対立関係は、想像以上に根深い。そこに親密さが邪魔をするような余地は、ないのかもしれない。
”ひなのん。とりあえず、ひなのんはさやのんと一緒に、四半妖獣側がどう動くかだけ見守っておいて。特にその警告に来た鷹取とか、他の四半妖獣も。わたしは偵察部隊を出して、虎野の素性を探ってみる”
「分かった。よろしく頼む」
アタシが言い終わらないうちに、また花宮の方から電話が切られた。花宮にはすでに聞こえないことを確認して、アタシはため息をついた。
「……沙矢乃」
そして隣でアタシと花宮の会話を聞いていた沙矢乃を呼んだ。
「本当にいいんだな? もうすでに面倒だぞ。本来なら退妖獣使であるはずの虎野がそうはなっていない。その時点で、もう怪しい臭いがする」
「……大丈夫」
沙矢乃は少しだけ間を空けて、しかし簡潔に一言だけそう言った。
いよいよアタシたちも無関係ではいられなくなったのは、それからさらに数日後、花宮から電話があった時だった。
”……最悪だね。虎野は黒装束だったよ”
それは確かに、アタシが想定していた説のうちの一つだった。しかしその説の中でも、最悪のパターンであることは確かだった。




