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妖獣怪奇譚~争われしアヤカシの血~  作者: 奈良ひさぎ
三幕 習獅野 比奈乃(ならしの ひなの)
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III-08.四半妖獣の王として

 四半妖獣の思考は案外単純だ。おそらく今存在している生物の中で最も知性のある人間を狩る四半妖獣は、時に人間よりも頭を働かせなければならない。ターゲットにしている人間がどんな行動をするか、事前に予測して先回りすることが必要だ。かくいうアタシも、そうやって油断している人間を狩ってきた。


「沙矢乃」

「なに、姉さん?」

「戸締りはしたか?」

「してる。大丈夫」


 だが人間が時々気を緩めるのと同様に、四半妖獣も気を抜くことがある。いくら見つかれば退妖獣使に殺されてしまう運命であるとは言え、ずっと気を張っていれば神経の方がもたない。四半妖獣は時として、退妖獣使に出くわしてしまった時も、自分を落ち着かせるために気を抜くことがある。


「張っとくか」

「結界?」

「今日は面倒なことになる予感がする」

「そうなの?」


 しかし落ち着いたがゆえに、通常では考えられないような行動をしてしまうこともよくある。四半妖獣の中でも最も知名度があり、家が目立っていて関係のない人間でもその多くが知っているアタシたちは、よくその格好の的になる。退妖獣使に襲われ瀕死になった四半妖獣が、最終手段とばかりにアタシたちの家に駆け込んでくる。……アタシが退妖獣使側の四半妖獣だとは思いもせずに。

 ただ助けてもらえる、と安心しきっている四半妖獣にとどめを刺し、家の一角を血まみれにするのはアタシも沙矢乃も望んでいない。だからと言って要望通り怪我の処理をして逃がしてやるのもそれはそれでしゃくなので、アタシは普段から狩気能を使い、家全体に結界のようなものを張り巡らしていた。やり方は簡単だ。「ウチに四半妖獣が近付けば、結界にぶち当たって死ぬ」――そうつぶやけばいい。ただ、その結界を有効にしておくためには、アタシが起きている間ずっと狩気を百パーセントにしておかなければならない。

 狩気を百パーセントにしたまま維持することがどれだけ危険か。それは過去のいくつもの事件からすぐに分かる。狩気を増幅させれば、それだけ理性が飛ぶ。狩気の調整を誤り、理性を完全に飛ばした結果、暴走して獣以下の怪物となってしまったという報告がいくつも上がっている。特に力だけ継承して、アヤカシ本来の性質が薄れた現代の妖獣であればなおさら狩気の調整は困難を極める。少し油断すればすぐに狩気が暴発する。

 そんな中、狩気を百パーセントにしたまま過ごしても平気でいられるアタシたちは貴重な存在だ。貴重どころか、おそらくアタシたちだけだろう。アタシたちの持つ狩気能が、継続使用を前提としたものだからかもしれない。


「今日は怪しい気配がする……もちろん、外れる可能性もあるけどな」

「姉さんがそう言った時は、いつも当たってる気がする」

「……沙矢乃は奥にいろ。あれはオマエが見るべきものじゃない」

「うん……」


 いつしか五月も後半になって、桜の木も完全に花びらを落とし、葉だけを生い茂らせたその姿を堂々と見せていた。さらに梅雨が近いのか、ジメジメと湿った、それでいて生ぬるい風が外には吹いていた。アタシがもっと積極的に人を襲う四半妖獣だったら、こんな気色悪いコンディションの日は大人しく家にこもるんだが、と思いつつ、落ち着かない様子でアタシは家中をウロウロしていた。


「……来ないね」

「そうだな」


 いつもなら誰かしら、小賢しい四半妖獣がアタシの作った結界をすり抜けて家の中に侵入してくる。おそらく何らかの方法でアタシの張った結界を剥がしたり、無効化できる狩気能を持ち合わせていた奴なのだろう。その証拠にうまく家の中に飛び込んでくる四半妖獣もいれば、家の前で結界に弾かれて素直に息絶えた四半妖獣もいる。朝起きた時に発見し、沙矢乃がアタシを呼んで黙々と後処理をする、なんてこともざらだ。

 だが今夜は誰も、そんな野暮な奴がいなかった。おそらくアタシがうまいこと情報調整をしているので、四半妖獣同士でアタシの家が実は安全地帯ではない、という情報が広がっているということはないと思うのだが、もしかするとどこかからバレたのかもしれない。別にバレたところで、敵は同族の四半妖獣だ。狩気能でも戦闘力でも、アタシに勝てる輩はいない。

 時刻は夜九時を回っていた。別に四半妖獣はロボットでも何でもないので、時刻で動くことはない。人間を喰いたくなったら襲いに出かけるし、そういう気分でなければ外に出ることもない。だが日が沈んでから何時間か経つこの時間帯が、どういうわけか四半妖獣による襲撃報告が最も多い。


「もしかしたら、気のせいなのかも。姉さんの予感、珍しく外れたね」

「……そうだな」


 もちろん、外れる方が望ましくはあるのだが。アタシは沙矢乃とともに電気を消し、上の階にある自分たちの部屋に行こうとした。その時だった。


「待って。姉さん……靴の音が、聞こえる」


 沙矢乃がアタシを呼び止め、静かにするようにジェスチャーを送ってきた。その通りにすると、確かにコツッ、コツッ、と靴が地面を叩く音が聞こえた。聞き流すように聞けば何でもない、ハイヒールあたりならどんなものでも出そうな音だったが、よく聞くとそうではなかった。靴の音に、不気味さが絡みついたような感じだった。アタシはその靴音が次にどうなるのか、そのまま耳を澄ませた。


「いるのよね、習獅野さん」


 それはアタシでさえ、心穏やかでなくなるような光景だった。あろうことかその靴音の主は、まるでそこが自分の家であるかのように玄関のドアを開け、中に入ってきたのである。結界どうこうという話ではなかった。結界に弾かれることもなければ、瀕死の状態で殴り込むようにアタシたちの家に入ってくることもない。最初から訪問するつもりで、あくまで余裕を見せつけて、女が入ってきた。


「少し、話があって。応接室に、通してくれないかしら」


 自分から応接室に通してくれ、と言うことが、どれだけ傲慢か。侵入するように入ってきておきながらその態度は何だ、とアタシは苛立ちを覚えたが、向こうがこちらの存在をすぐ近くに感じている以上、今さら隠れるのもバカバカしく感じた。


「いいだろう」


 アタシはあくまで、沙矢乃に何事もなかったかのように部屋にいるように言った。沙矢乃は黙ってうなずいて、階下へ下りる階段とは反対の方向に向かった。アタシは逆に階段を下りて、玄関にいる女の顔を見た。


「あなたが習獅野さん? 見る限り、お姉さんの方ね」

「そうだ。アタシは比奈乃だが」

「あなたとは、お話しておきたいことが色々とあって。……もちろん、四半妖獣の王として」


 アタシはその女の素性を知るべく、注意深く、舐めるように女の顔を見た。しかし女は表情一つ変えず、アタシの方を見返す。本当は心の内でその女が何を考えているのか、表情から読み取ることはできなかった。


「茶は出せない。余っている菓子しか出せないが」

「充分よ。出してもらえるだけありがたいわ」


 もちろんそれが客に対する態度としてはあまりにも失礼だ、ということはよく分かっている。素性が知れない相手に、アタシはあえてそうしていた。菓子をいくつか口に入れた女を見つつ、アタシはその女と応接室のテーブルを挟んで向かい側になるよう、ソファに腰掛けた。


「……で? 誰だオマエは」

「私は鷹取(たかとり)。鷹取、彩葉(いろは)。あなたと同じ、四半妖獣。でも、知らないでしょう」

「ああ。全くな」


 残念ながら同族の四半妖獣の名前をすべて記憶しているほど、アタシは暇ではないし馬鹿でもない。


「私は高校一年生。学年だけ(・・)で言えば、あなたの一歳年上だわ」

「そうなるな。力がどうかは知らないが」

「力の話をするなら、私はあなたには全然劣る。きっとあなたの足元にも及ばないほど」

「なるほどな。そんな奴がここを訪れて、何が目的だ? 退妖獣使に襲われて命乞いをしに来たのならともかく、今のオマエは、とてもそんな風には見えない」

「ええ。命乞いではないわ。もちろん四半妖獣である私が、こんな夜遅い時間に外を出歩くことがどれだけリスキーかは、分かっているつもり。その上で、四半妖獣の中でも最強のあなたに一つ、警告しておきたいことがあって」

「警告? 笑わせるな、誰に向かって口を利いてる?」


 まさか今のアタシの立場、しかも四半妖獣としての立場で警告をされるとは、夢にも思わなかった。アタシは半ば嘲るような笑いを浮かべながら、鷹取と名乗ったその女に聞き返した。


「もちろん、おこがましいことも分かっているわ。でも、今度の話は本当に危険だから。……最近、妙に活発的な退妖獣使がいるのを知ってる?」

「いや。知らないな」


 活発と言ってもどこからを活発とするかは、その人によるだろう。しかし妙に、という言葉がついているところからして、普通の活発さとは違うことは明白だった。


「そいつが最近になって、ますます活動を活発化させているの。あくまで局地的に、ではあるけど、どんどん四半妖獣の人口が減っていってる」

「ほう? それは弱い連中が、か?」

「もちろん弱い四半妖獣も。でも、これまで強いとされてきて、人間を狩った数もかなり多いような四半妖獣が、次々に殺されてる」

「それはマズい状況だな。その退妖獣使に触発されて、他の弱い退妖獣使までもが奮起して、さらに四半妖獣側の犠牲者が増えることは、容易に予測できる」

「そう。そしてその四半妖獣は戦略的でもあるの。ただやみくもに強いだけじゃない。自分より実力が上の四半妖獣に当たっても、負けそうになったらうまいタイミングで戦線離脱して、作戦を丁寧に練り直す。そして試行錯誤を繰り返しながらも、一度定めたターゲットは必ず仕留める」

「ずいぶん用意周到な退妖獣使だな。今時そんな丁寧な仕事をする奴も、珍しいんじゃないのか」

「ええ。だからこそ、よ。いずれ強いとうたわれる四半妖獣たちを倒して、あなたのもとに来るかもしれない。もしかするとそんな退妖獣使の存在を知らないかもしれない、そう思って今日は警告に来たの」


 アタシは正直に知らなかったな、と答えた。ついでに感謝の言葉も述べておいた。


「いえ。いいの、これは四半妖獣のみんなで、共有すべき問題だと思うから」

「なら、オマエ。最後に一つ聞きたいことがある。もう来客には充分遅い時間だし、それで帰るのがちょうどいいだろう」

「ええ、そうね。少し忙しくてこんな時間になってしまったのだけれど、私を気遣ってくれて嬉しいわ。光栄です」

「その退妖獣使が四半妖獣にとって、非常に脅威であることはよく分かった。だがアタシはその名前を聞けていない。アタシが聞くタイミングを見失ってしまったから面目ないが、その名前を教えてくれないか」

「ええ、そうね。名前を言うのを忘れていた。その退妖獣使の名前は、虎野佳音(とらの・よしね)よ。名前で分かるとは思うけど、女性」

「なるほど。参考になった。気を付けておく」


 その言葉で鷹取は立ち上がり、もと来た扉から出て行った。それで家の中に何となく張りつめていた、緊張感のようなものが途切れた。


「……終わったぞ」

「うん。知ってる」


 アタシが再び二階に上がると、階段のすぐ近くに沙矢乃がいた。どうやらアタシと鷹取のやり取りを、一生懸命聞こうとしていたらしい。そして終わったということだけは少なくとも分かったようだった。

 アタシは沙矢乃を特にとがめることはしなかった。自分だけ仲間外れにされて大人しくしてろ、と言われても、我慢できるわけがない。その代わり、アタシは沙矢乃に別のことを言った。


「ちょっと調べることができた。沙矢乃は先に寝てくれるか」

「……また仲間外れにするつもり?」

「……アタシの予測では、面倒なことになるぞ」

「うん。知ってる……姉さんの目が、そう言ってたのは分かる。でも」

「沙矢乃が四半妖獣のことにこれ以上関わるのを、アタシは止めたい。習獅野や四半妖獣のしがらみに、これ以上惑わされてほしくないんだ。そうやって囚われの身になるのは、アタシだけで充分だ」

「……」

「もし沙矢乃がどうしてもと言うなら、別に構わない。だがさっきも言った通り、アタシの予想が当たれば、相当面倒なことになる。アタシたちも無関係ではいられない。当たらないことを祈るばかりだが……もしも最悪の事態になった時、沙矢乃だけが逃げることはできないぞ。それを覚悟しているか」

「……大丈夫」


 結局アタシは沙矢乃から、その返事を聞きたかっただけなのかもしれない。アタシはすぐに部屋に戻り、沙矢乃にも部屋に入ってくるよう言った。それから、アタシの協力者に、電話をかける。いつも通りコールが長めに鳴った後、スマホのスピーカーから声が聞こえた。


"……ひなのん?"

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