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妖獣怪奇譚~争われしアヤカシの血~  作者: 奈良ひさぎ
三幕 習獅野 比奈乃(ならしの ひなの)
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III-06.ある姉妹の休息

「沙矢乃?」

「なに」


 ゴールデンウィークは折り返し地点を過ぎようとしていた。アタシは沙矢乃が作ってくれた昼食を食べながら、沙矢乃の名を呼んだ。

 ちなみに昼食と言ったが、別に人の肉ではない。四半妖獣は確かに人間の肉や血を摂取しないと死ぬが、ずっと人間を喰わなければならないわけでもない。むしろ元人間だからか、食事の七割、人によっては八割は人間と全く同じものだ。肉が好きな奴も、魚が好きな奴も、はたまた普段はベジタリアンである四半妖獣まで様々いる。そんな食事スタイルだからこそ、人間との区別がつかなくて討伐が難しい、という事情もあるのだが。

 この日の昼食も、沙矢乃が得意なキノコと山菜の和風スパゲッティだった。アタシも料理はするが、沙矢乃の方がより手が込んでいて、単純に美味い料理を作るのが得意だ。


「……もしかして変な味する?」


 その割にアタシより少々味オンチなところがあるのが、ギャップがあって愛らしい。調味料を間違えていて、アタシが指摘して初めてミスに気付く、なんてこともしばしばある。

 アタシは基本周りのことに興味がないのだが、沙矢乃だけは別だ。今では父親の理不尽で卑劣な暴力を受けた、当時の心の痛みの唯一の理解者。アタシは沙矢乃の事をよく気にかけている。沙矢乃の方も何だかんだで、周りに無頓着なのだろうアタシのことを気遣ってくれている。いっそ正体を隠してまでどこかの家に嫁ぐより、一生沙矢乃と一緒に暮らしていく方がいいのではないか。そんなことも思っていた。


「いや。美味い」

「そっか。よかった。……なら、どうしたの?」

「沙矢乃は宿題は終わったのか?」

「終わって……はないけど、このままいけばちゃんと終わる。何かするの?」


 沙矢乃はアタシと違って、社交的な性格だ。父親の暴力を受けたのがまだ幼い頃だったからかもしれない。アタシはどうやら、下手に記憶が残っている時期にトラウマを持ってしまったらしい。学校そのものがそもそも面倒だし、学校に行っても誰かに話しかけられることが気に障る。対して沙矢乃は友達も多いみたいだし、アタシのように人間を単なるエサとして見ることもないらしい。四半妖獣と人間、という障壁を越えて、心をつなぐことを求めている。アタシはそんな沙矢乃が少し、うらやましくもあった。


「いや。最近二人で出かけてないからな。もし沙矢乃が暇なら、どこか出かけようか」

「本当? 嬉しい」

「どこに行く? 沙矢乃の好きなところでいい」


 以前二人で出かけた時は、アタシが行き先を決めた。普段外に出ないアタシはいい行き先が思いつかずに遊園地を選んだ結果、沙矢乃がすごく退屈そうにしていたのだ。どうやらアタシには、行き先を決めるセンスもないらしい。


「じゃあ、買い物に付き合ってもらってもいい?」

「買い物? 何を買うんだ?」

「いろいろ。姉さんといろんなお店見て回るのって、何だかんだ夢だったの」


 アタシは沙矢乃の言う通りにした。行き先は最寄駅から何駅か行ったところにある、大きなショッピングセンターだった。



* * *



「すごいね、お店がいっぱい。これならいい服もたくさん買えそう」

「……そうだな」


 プライベートで出かけているとはいえ、そのままの姿(・・・・・・)で外出するのはマズい。例のごとくアタシたちは沙矢乃の狩気能を使って、全く別人に変身していた。今回は沙矢乃自身の希望で、最近この街に越してきたばかりの大学生姉妹、という設定になった。アタシは研究室で忙しい中合間を縫って妹のわがままに付き合っている理系の四回生、沙矢乃は大学に入りたてで心を躍らせる文系の一回生。だそうだ。


「嫌だった?」


 沙矢乃がアタシの返事を不機嫌なものと受け取ったのか、急に小声で尋ねてきた。アタシは首を横に振る。


「いや。アタシもこんな賑やかなところには来たことがないから、驚いているだけだ」

「確かに。でも楽しい」

「楽しい?」

「世界にはこんなに、毎日が楽しい人がいるんだ、ってこと。毎日は言い過ぎかもしれないけど、あたしたちは、ほら。きっと苦しくて辛い日々の方が、長かったから」

「別に製薬の経営が嫌なら、正直に言えばいいんだぞ」

「そういうことじゃないよ。それに姉さんに経営を任せたら、あっという間に傾いちゃいそう」


 それはごもっともだった。アタシもその方面の才能がないことは自分でも分かっていて、だからこそ細かいところまで気配りのできる沙矢乃に経営をさせているのだ。


「……そうか。楽しいか」

「うん。ねえ、いつまでいてもいいの?」

「別にいつまででもいいぞ。沙矢乃がいたいなら、閉店までいてもいい」

「本当に? 姉さん、優しすぎない? 何かあったの?」

「いや」


 アタシ自身も今日は、何かが違う気がした。何だか沙矢乃に対して、感傷的になっているらしかった。


「じゃあ姉さん、ちょっとだけ振り回してもいい?」

「振り回す?」

「ほら! こっちこっち!」


 アタシの手を引いて意気揚々と沙矢乃が入っていったのは水着屋だった。落ち着いた色のものから下着と見間違うほど刺激的なもの、果ては男の前どころか女の前でも着られるか怪しいほど派手な色をしたものまで、決して広いとは言えないスペースの店舗内に所狭しと並べられていた。


「アタシは泳げないぞ」

「知ってる。姉さんのは……買ってもいいけど、どうする?」

「だから、泳げないって」

「泳げなくても、水着は要るよ? そうだ、夏休みは海に行かない?」


 興奮しているのか、沙矢乃はいつにも増して饒舌(じょうぜつ)だった。アタシの話を聞いているのかどうかも怪しいくらいだった。


「海……泳がないとしたら、何をすれば?」

「そんなの行ってから考えればいいって! ね? 行こうよ」

「……沙矢乃がそんなに言うなら」

「本当に!? ありがとう姉さん!」


 結局沙矢乃の懇願に押されて返事をしてしまった。

 沙矢乃はずっときらきらした目をして、マネキンの着た水着を見て回っていた。アタシは本当に自分の服に関して無頓着で、下着を買いに来ることさえもまれだったので、嬉しさうんぬんよりも戸惑いの方が勝っていた。


「これ! ほら、姉さんに合うんじゃない?」

「そうか?」


 そして沙矢乃の方が友達付き合いの輪が広いからか、服を選ぶセンスもなかなかあるようだった。アタシが戸惑っているうちにいくつかよさそうな水着を選んできて、アタシに見せてきた。


「それ、今の姿で着ることを想定してるだろ?」

「ああ……あたしたち、いちいち姿変えちゃうもんね」

「次この姿になるとは限らないし」

「固定する? あたしは結構気に入ってるから、これから外に出るときはずっとこの姿でもいいよ」

「沙矢乃がいいなら」

「じゃ、そうしよっか」


 そっちの方が服を買うにも楽かも、と沙矢乃はつぶやいていた。もちろん友達とどこかに遊びに行く時は元の姿のまま出ていくだろうが、アタシと一緒にどこかに行く時は、これから先ずっとこの大学生姉妹の設定になる。

 沙矢乃はそうと決まれば、とアタシを無理やり試着室に連れて行き、いろいろ水着を試着させてはうんうん、とうなずいたり唸ったりしていた。結局五種類くらいの中から二つ選ぶように言われたので、派手すぎず落ち着いた、他にも着ている人が多そうな奴を選んでおいた。


「前に友達に、ここのお店がいいって言われてさ。それでここに行きたい、って言ったんだよね」

「それで、か」


 別にわざわざ電車など乗らなくても、家の近くに服屋などいくらでもあった。わざわざ沙矢乃がここまで来た理由はあったのか、とアタシの中で納得がいった。


「姉さんはここにいてくれる? ちょっと、よさそうなの探してくる」

「ああ」


 沙矢乃はそう言うとアタシに水着を押し付けて、また売り場の方へ戻っていった。


「(まったく、せっかちな奴だな)」


 沙矢乃はおそらくこの後大量に水着を持ってきて、いちいち試着していくつもりなのだろう。いくら時間があっても足りない気がするし、そもそも水着だけ見るのでいいのか、とアタシは思ったが、せっかく沙矢乃の希望で来たんだ、余計な口出しはしないでおこう、と決めた。沙矢乃が帰ってくるまでの間、あたしはスマホを取り出してその中の世界に没頭し始めた。


 その、すぐ後だった。


「……なあ、ちょっとおたく」


 アタシは声をかけられた。正面を見ると、今の姿のアタシと同じくらいの背丈の男が立っていた。アタシは通行の邪魔になっているのかと思い、少し頭を下げた。


「すまない」


 しかし男の次の反応は、予想していたものとは全く異なった。


「ぐっ……!?」


 その男はあろうことかアタシの腹を殴ったのだ。不意打ちを食らったアタシはそのまま、意識が遠のいていくのを感じた。

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