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妖獣怪奇譚~争われしアヤカシの血~  作者: 奈良ひさぎ
三幕 習獅野 比奈乃(ならしの ひなの)
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III-05.二人の裏協定

 アタシがアタッシュケースを開くと、花宮が早速中身の錠剤を手に取った。


「それは従来型の奴だ。どうしても人を喰わなければいけない半妖獣、だったか? そいつらに渡すといい」

「うん。ありがとう」


 アタシと花宮が取引をし始めた頃に扱っていたのは、この従来型だけだった。つまり極力人間の血液以外に余計なものは入れず、血液を摂取することで人間を喰う衝動を抑える目的のためだけに作られている。花宮はある程度の金額で風邪薬と何ら変わらない見た目をしたこの薬を買い取っていく。人を喰わなければならないが生きている人を喰うのはできない、と言う半妖獣はアタシの敵ではない。生きた人間の血を摂取してそれで済むなら提供しよう、というのがアタシと花宮の共通認識だった。


「それ。金をとってないという話を聞いたが、本当か?」

「うん。わたしのもとに来た半妖獣にはあげるようにしてる。無料だよ」


 花宮は普段、遼賀という退妖獣使と行動を共にしているらしい。花宮自身は戦うことができずサポートに徹しているが、一方で遼賀の知らないところでこういうビジネスをしている。その遼賀とは幼稚園の頃からの付き合いだというから、あなどれない女だ。


「確かにひなのんにお金を払っておきながらわたしはお金を取ってないから、大損だけどね。結局他の事業で結構な黒字出してるから、大丈夫」


 アタシには想像がつかないほど、花宮ホールディングスは大きな企業だ。習志野製薬も長らく一族が経営する大企業だが、そのレベルの企業を何十個も抱えてその上に立つのが花宮ホールディングス。この薬の取引で出す赤字程度なら、微々たるものなのかもしれない。


「それで? 問題は、こっちだよね」


 花宮はまだアタッシュケースに入っていた錠剤の方を取り出した。さっきの錠剤が他の薬と大して見分けがつかないような白い、米粒ほどの大きさの物だったのに対し、今度の錠剤は大きさこそ変わらないものの、オレンジ色の糖衣で覆われていた。


「以前の状態から改善はしたが、あまり変わっていないというのが正直なところだ」

「うん……あとは確実に対象を死亡させることと、ちゃんと溶けるべき場所で溶けるかだからね」

「物騒な言い方をするな」

「でも実際そうでしょ? 四半妖獣の殺し方は四半妖獣が一番分かってると思って、ひなのんに任せてるんだから」


 SC型、と名付けられたその薬の基本的な成分は、従来型と変わらない。違う点は、四半妖獣にとっての劇薬であるということ。四半妖獣の持つ独特の細胞を穏やかに、かつ確実に死に至らしめる成分を入れてある。これは全て、四半妖獣を効率的に処理(・・)してゆくために、花宮の方から提案があった話だ。

 今回の改善は、体内でその成分のコーティングが溶けだし、効能を発揮するまでの時間の延長。四半妖獣の死亡後に捜査が入り、劇薬となる成分が解剖で発見されれば、この薬の存在が明るみに出てしまう。その事態に備え事前に花宮の方が警察とある程度のつながりを持っているという話だが、それでもなるべくそのような事故(・・)は避けたい。あくまで自然死したかのように、見せかける必要があるのだ。


「水溶性は?」

「かなり改善している。ウチの会社がやった結果通りに行けば、小腸で吸収される段階になって最大効力を発揮する」


 花宮のやり方は手が込んでいた。アタシがこうやってウチの会社で開発した薬を持って行き、花宮本人と打ち合わせをする。そして実用化が見込まれたり、実際に花宮側の方で発売することが決まれば、まとまった金としてウチやウチの会社に入ってくる。それも直接ではなく、花宮ホールディングスの傘下に存在していることになっている企業を経由して、だ。その企業は架空の物に近く、実体はほとんどない。花宮ホールディングスから習志野製薬に大量の送金が何度もあった、という証拠を握られないための作戦だ。アタシの目から見ても黒い。ここまで腹黒い中学生を、アタシは見たことがない。


「小腸かあ。いいね。神調整」

「……」


 花宮は腹黒い大人の顔になったり、かと思えば無邪気な中学生の顔に戻ったり、様々な表情を見せていた。


「ありがとう。あとはこっちでいろいろ検討してみるよ。ちょうど肉のサンプルも集まってきたところだしね」


 ここから花宮が受け取った薬を使い、臨床実験をする。これまで花宮の相棒が殺してきた四半妖獣の肉を切り取って使い、実際の効能を調べる。新鮮な状態の肉、すなわちまだ死んだばかりの肉から、ある程度放置した肉まで様々な状態の肉を使うらしい。


「そっちの退妖獣使は順調か?」

「うん。うちの近辺はずっと四半妖獣による襲撃報告が出てるんだけど、最近は少なくなってきたと思うよ。それでもまだ退妖獣使の仕事がなくなるほどではないけどね」


 ちょっとめんどくさいのは出てきたけどね、と花宮は付け加えた。


「面倒な奴? どういうことだ」

「四半妖獣でも人を食べないってスタンスの子が、うちの学校に転校してきてさ」

「お前の目の前にいるのも、人を喰わないが?」

「ひなのんは違うでしょ。父親の影響で人の肉こそ食べないけど、血くらいは吸わないといけない。けどその子は違う。外見も内面も全部、人間と何も変わらない。ちょっと四半妖獣独特のニオイがするだけで」

「そいつが本当に人間を喰わないという確たる証拠でも?」


 四半妖獣が人間の肉を喰わない、血も飲まないというだけで、すなわち人間を襲わない、ということにはならない。人間が食べ物に様々な嗜好を持つのと同じように、四半妖獣にも肉ばかり喰う奴もいれば、血を吸う吸血鬼タイプ、それから臓器しか好まないホルモン好きに全身丸ごと食べないと喰ったと言わない、と言い切る大食漢まで様々だ。同じ習獅野家内でもそんな嗜好の違いがあったくらいなのだ。ちなみに以前のアタシは喰えればそれでいい、くらいの雑なスタンスだった。特にここが美味い、みたいなこだわりはなかった。


「確たる証拠……は確かにないけど、少なくともわたしは不穏なニオイを感じなかったんだよね」

「例のニオイを感じ取るアレか」


 花宮は現代の妖獣では珍しく、同族である妖獣のニオイを感じ取ることができる。珍しいというのは、妖獣が子孫を残し続けるにつれて力ばかりを継承し、それに付随していた本能は薄れていったからだ。かく言うアタシも、妖獣のニオイ全てを感じ取ることはできない。四半妖獣の性か、退妖獣使やその周辺人物のニオイははっきりと分かるが、同族の者となると少し厳しい。四半妖獣とは争う必要がないからか。


「そう。ひなのんとも、また少し違うニオイ」


 加えて花宮の場合、その妖獣が邪悪かどうかを判断できるニオイも感じ取れるらしい。こればかりは花宮もどうしてそんなニオイがするのかは分からないそうだが、予想では人間を喰っているかいないか、というところらしい。アタシは昔人間を喰っていたが、今は喰っていない。その意味でその辺りの四半妖獣とも異なるニオイがするのかもしれない。


「お前が言うなら本当かもしれないな。今時そこまでニオイに敏感な奴はいないだろうから、相棒の退妖獣使もさぞ重宝していることだろう」

「うん。まあ念のために、ひなのんに確認を取ってる、なんてことは口が裂けても言えないけどね。あの子、お母さんを四半妖獣に殺されてるから」

「まどろっこしい言い方をするな。殺したのはアタシの父親だろう」


 アタシの父親は真っ黒だ。生前獣のように人間を襲って喰っていた一方で、そうして当時有力だった退妖獣使の始末もしていた。その娘が今度は退妖獣使に協力しているというのだから、不思議な話だ。


「それなんだよね。……父親は元気(・・)?」

「その流れで聞くことか、それ」

「違う?」

「違うだろ。まあいい。奴は今も生きてる。変わり果てた姿でな」

「生かし続けることに何の意味があるの? 早く殺せばいいのに」


 花宮の口からは時々、とんでもない言葉が飛び出る。アタシも父親を半殺しの状態にして二年が経った今、もしかしてさっさと殺した方がよかったのではないか、と心のどこかでは思っていた。


「……いや。あれでいいんだ。四半妖獣としても、人間としても尊厳を失った状態で、延々と生きながらえさせる。その方がより戒めになる」

「だって、もうまともに会話もできないんでしょ?」

「できないな。アタシが時々様子を見ても、喉の奥から絞り出すように声を出すのがやっとだ」

「ふうん……まあ、気が変わったらわたしに教えて。うちのかおるんが鮮やかに、始末してくれると思うから」

「分かっている。……気が変われば、な」


 そこまで話したところで、今度は花宮の方が書類を取り出し、アタシに手渡した。


「いつものお願い。根本の事件以来だいぶ仕事が減ったから、今回は少なめなんだけど」

「根本……アイツか」


 根本の名前は四半妖獣たちの中では有名だった。普通の四半妖獣なら嫌がる退妖獣使の肉でさえ喜んで喰うという、悪食に雑食と言えばまず根本の名前が挙がった。また普通の四半妖獣に備わっている痛覚をはじめとする感覚も全部いかれていて、相手を刺し殺すことと自分が刺されることに快感を覚える変態だ、という話も聞いたことがある。


「そう。あれで警戒したのか、うちの街で襲撃事件が起きることはほとんどなくなったし、目撃情報も相当減った。でもそれで、退妖獣使の仕事が終わったわけじゃないから」

「熱心な奴だな」

「まあね」


 花宮がアタシに渡してきたのは、四半妖獣の疑いがある連中のリストだ。花宮が相棒の退妖獣使と行動をともにしている間、独特の嗅覚をもとに四半妖獣かもしれない奴らをリストアップする。ただの四半妖獣で人間を喰うだけなら花宮が一人で見つけ出せるが、問題は問題は四半妖獣であるにも関わらず退妖獣使と偽り、何食わぬ顔をしている連中だ。過去にその例はあまりないとは言え、警戒はしておく必要があった。


「……そうだな。こいつらは全員、四半妖獣と見て間違いない」

「ありがと。助かる」


 アタシは言葉にすればそれが全て現実になる、という恐ろしい狩気能を持っているが、決して万能ではない。効果範囲は自分や親族に関係のあることや、他人の生き死にに関係することくらいか。他人のどうでもいいことには興味がないし、そもそもアタシが何かすることもできないので興味の持ちようがない、と言うべきか。

 花宮はアタシから書類を受け取ると、持ってきていたカバンの中にしまい、立ち上がった。


「帰ろっか」


 アタシは顔も知らない花宮の相棒のことを思って、少し気の毒になった。こんな自由奔放を絵に描いたような奴と毎日顔を合わせているなんて、ご苦労な話だ。



「お二人とも、お疲れ様でございます」


 アタシと花宮がともにエレベーターで降り、使用人の男の車の前まで行くと、来た時のように荷物をトランクに積み、ドアを開けてくれた。


「じいや。ひなのんの家の前までは行っちゃダメだよ」

「承知しております。習獅野様も、先ほどわたくしが車を止めていた場所でよろしいですか」

「ああ。それでいい」


 最近流行りだというエンジン音の静かなリムジンは、アタシたちを乗せて動き出した。花宮は男やアタシに話しかけるでもなく、ただうっすらと笑みを浮かべていた。その笑顔は無邪気な喜びから来るものか、それとも計画がうまく進んでいることに対するほくそ笑みか。

 花宮と取引を始めてそれほど時間の経っていないアタシには分からなかった。分かろうとするのも野暮な気がした。

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