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妖獣怪奇譚~争われしアヤカシの血~  作者: 奈良ひさぎ
三幕 習獅野 比奈乃(ならしの ひなの)
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III-03.習獅野の掟

 習獅野家は有名な一族だ。それは紛れもない事実で、今では全国規模の話だが、昔の時代でも関東地方の大名一家だったそうだ。

 四半妖獣の家でそこまで昔から有名だった家はほとんどない。その頃は妖獣であればすなわち人を喰う、ということは前提としてあり、逆に人を喰わずに妖獣が生き延びることはできないとされてきたし、妖獣たち自身もできないと思っていた。だから人間の前で台頭することそれ自体ができなかった。そんな中で、獅子のアヤカシの血を引き、絶対的な力をものにしていた習獅野家は、その強さを武器にたちまち名家となった。権力にこびへつらう人間どもととても人には言えないような裏取引をして、巨万の富も得ていった。


『習獅野家に女など要らん。女は跡継ぎを産む役割を持つだけで十分すぎるほどだ』


 大名として名を馳せ始めた頃から、習獅野家は血統を何よりも重要視していた。子どもが生まれないから外部から養子を迎え入れるなどもっての外とされてきた。正統的に跡を継いだ習獅野家の男が作った子どもを次の当主に任命することが大原則であり、その目的を達成するために、習獅野家内では近親結婚が横行していたという。いとこ同士どころの話ではない。兄妹同士の結婚が何代も続いた時があったという話もある。

 中でも凶悪だったのは、習獅野家に代々受け継がれる大原則。


『子どもは男だけでよい。女が生まれればそれはすなわち悪。物心がつく前に、一刻も早く始末しろ』


 あまりにも残酷で、問題にならなかったのかという指摘は多い。しかし閉鎖的な習獅野家という空間では、全くもって問題にならなかった。むしろ積極的に、その原則が守られていた。

 習獅野家に迎え入れられた女は跡継ぎの男を産み育てると、成人したその人に殺されるという風習さえあった。本来は禁忌であるはずの近親結婚の事実を隠ぺいするため、兄妹の女の方は子どもを産めば即殺されていた。それだけ習獅野家の中では、女が軽視されていた。

 そこから派生した暗黙のルールが、その考え方を最も端的に表していた。


『結婚後生まれた子どもは、男しか許されない。ただし一人目が女の場合は、二人目に男が産まれるのを待て』


 つまり一人目として産まれた女の子は中途半端に生かされ、二人目に男が産まれるのを待たされる。もしその男が妻をめとり、跡継ぎの男が産まれれば、その時点で一人目の女は公開処刑される。跡継ぎが産まれなければ二人目と近親結婚が進められ、跡継ぎを産むためだけに生かされる。全て、習獅野の強大な力を維持するための計画だった。


「習獅野の血はアタシたちで消え失せる。どうせなくなるんだ、アタシたちの好き勝手にやらせろ」


 もし一人目が女で、二人目も女だったら。過去に三人目が産まれた事例はなかった。二人とも女が産まれたらその時点でその家は終わりで、あとは滅亡を待つのみだった。一人目が男、あるいは一人目が女でも二人目が男ならその代は安泰とされ、できうる限りの子どもが作られた。その際にできた習獅野の分家も、皆そのルールに、恐ろしいほど忠実に従っていた。そしてその多くが、二人の娘を授かった後に滅んでいった。


「分家だろうが本家だろうが、関係ないもんね。習獅野の力が宿っていることに変わりはない」

「そうだ。アタシたちが、そのことにもっと早く気付けていれば」


 滅亡の仕方は様々だった。ただ馬鹿正直に大量の食料に囲まれながら餓死した家もあれば、思い詰めるあまり発狂して近隣の人たちを手当たり次第殺し、最後に一家心中した家もある。そうやって分家ができては潰れてゆくうち、いつしか習獅野の家は、アタシたち本家だけになった。本家に男が産まれるかどうかが、習獅野家の今後を左右していた。

 しかし一人目は女だった。つまりアタシのことだ。それでも希望を捨てなかったアタシの父親は、二人目を作った。習獅野家は産まれる前に性別を見るなどということはしない。産まれた時に初めてその性別が分かる。そうやって習獅野家の全員が見守る中産まれたのが、沙矢乃。本家の滅亡が決定した瞬間だった。

 アタシの父親以外全員が、掟を破ることにはなるが、三人目を作ってはどうかと勧めた。しかし父親は頑なに断った。習獅野家を奥の手を使ってでも存続させることより、掟を貫き通すことを選んだ。


「……しかし、愚かだよな」

「でももし三人目が男だったら、きっとあたしも姉さんも殺されてた。『例の掟』を変則的に適用する、とでも言って」


 結果的にはよかったかもしれない。実際過去の習獅野家の者たちの卑劣さを考えれば、沙矢乃の言うことは充分筋が通る話だった。滅亡を選んで正解だった。


「しかしあれ以上(・・・・)は無理だ。アタシが耐えられない」

「姉さんが耐えられなくなるより先に、アイツの方が壊れる」

「そうやって何年この状態が続いた? 今日母さんの墓参りに行った。あれからもうそろそろ、二年だ」

「……確かに」


 だがアタシたちの父親は、滅亡を選んだ代わりに自暴自棄になった。毎日浴びるほどの酒を飲むようになった。男が生まれなかった責任を全て母親に押しつけ、とても直視できないほど残酷な暴力を加えた。父親はどこまでも習獅野家の一員で、どこまでも卑劣極まりないクソ野郎だった。偶然、男を産むことができなかっただけで、もう少し思い直していれば習獅野家に嫁ぐこともなかっただろう、哀れな一般人に過ぎなかった母親。母親が心労から病床に伏すようになってもまだ、父親の非情な暴力や暴言は続いた。母親だけでなく、アタシたちにもその矛先は向いた。母親は結局回復の兆しを見せないまま、アタシたちを置いて先に逝った。


「……帰るぞ。またあの獣が、唸ってる」

「もう帰るの?」


 母親が亡くなった時、沙矢乃はまだ物心がついているかどうかも怪しい年頃だった。そんな小さい子どもが母親を亡くした記憶は、強烈なトラウマとして残る。例え、人間らしい感情など冷め切っている習獅野の女でも。


「……一人で帰って来れるか?」

「大丈夫。道はさすがに覚えてる」

「分かった。好きなタイミングで帰ってこい。どうせその姿なら、誰にも悟られないだろうし」


 相変わらず沙矢乃は黒髪の女性の姿のままだった。いつまでその姿でいるのかは知らないが、そんな女が墓場にいても特に怪しまれることもないだろう。アタシはしばらく死んだ母親の墓の前にいたい、と言った沙矢乃を置いて、先に家に戻ることにした。


「……四半妖獣」


 習獅野家でさえなければいい。他の四半妖獣の家でもいい。もしアタシが、他の家の娘として生まれていたら。それはこの二年間、幾度となくアタシの中で繰り返されてきた問いだった。そしてその答えは、簡単に出る。もし他の家に生まれていたら確実に、アタシは今よりも幸せだった。父親に理由もなくあざをつけられることもなかった。忌み子と嫌われることもなかった。母親が早くに死ぬこともなかった。

 そして同時に、アタシはこの二年間、全ての憎しみと恨みを当事者にぶつけてきた。二度と四半妖獣として、まして人として立ち直ることのできないように。時にこれまでアタシがされたこと以上の仕返しを、アイツにはしてきた。その痕跡とブツは、今もアタシたちの家の地下にある。


「……疲れた」


 アタシは何もかもに疲れていた。正直学校に通う意味もない気がした。どうせいるのは下らない人間ばかりだ。アタシが少し気を緩めれば目障りなことしかしない。アタシが油断していたら学校の人間全員、喰い殺しているだろう。油断しないように気を尖らせなければならないことに疲れていた。

 だが学校をやめるのも、それはそれでアタシの中でストップがかかっていた。生前の母親はせめて頭がよくなってほしいとアタシたちに願った。今通っている学校も、母親がアタシたちに勧めたところだ。学校をやめることはアタシの中で、死の淵にありながらもアタシたちのことを気遣っていた母親を、裏切ることを意味していた。アタシはその裏切りだけは、できなかった。そして沙矢乃にも同じ学校に入って来ることを勧めた。それで母親の未練がなくなる気がしたのだ。


「……」


 アタシは家に入ると、真っ直ぐに奥の部屋に入る。以前女を拘束して、血を採った部屋だ。その部屋の端にある床下収納を開けた。タンパク質の腐ったような、それでいてわずかに混じった生き物の臭いが漂う。アタシは思わず顔をしかめながら、近くの床に設置してあった蛇口を思い切りひねる。たちまちその床下収納のスペースに、勢いよく水が放出される。


「アアア」


 その水の噴射を自分を呼んだ合図と勘違いしたのか、中から男が這ってアタシにその顔を見せた。血とフケまみれの服を着ていて、自身もフケまみれ。顔も醜悪そのもので、アタシは反射的にその男に唾をかけそうになった。その衝動を抑え込んで、アタシは極めて平静を装って口を開いた。


「どうした? 出してほしいか? けど残念だ、お前の罪をそそぐためには、二年では到底足りない」


 アタシはそれだけ言って、床下収納の扉を閉めた。わずかに水の噴出する音だけが、そこに響いていた。

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