III-02.喰わない四半妖獣
アタシはその女の顔をねっとりと見つめながら、棚から引っ張り出した拳銃の先を女のこめかみに押し当てた。拳銃が本物だと分かったか、目に見えて女の顔が引きつり、血の気が引いていった。もうダメだ、と顔が言っていた。
「安心しろ。今から口のテープをはがす。けど騒ぐなよ? ここで叫びでもすれば、オマエの脳天は吹き飛ぶ。回収が面倒だからできれば避けたいんだが」
こくこく、と女の頭が縦に動いたのを見て、アタシはテープをゆっくりとはがした。女はアタシが警告した通り、か細い声でアタシに問いかけた。
「何を……何を、するつもりなの」
「心配するな。殺しはしない」
ひゅっ、と女が息を吸い込んだ音が聞こえた。殺しはしない、という言葉に少しだけ安心したのか。だとすれば、四半妖獣に捕まったということを理解しているのかもしれない。とアタシが思った直後、
「ここは、習獅野家ですよね」
と女が言った。
「……知ってるか。そういう仕事か?」
「新聞記者をしてます」
どこの新聞か聞くと、そこそこ有名な新聞社だった。この街の地方欄の担当だと女は言った。
「だから、四半妖獣のことも知っています。もちろん、この街は習獅野家が支配していることも」
「支配してるってほどでもない。見ての通り、この家はアタシと妹の沙矢乃、二人で暮らしてる。使用人もいないしな」
「習志野製薬。あれは、あなたたちの企業ではないんですか」
「もちろん。よく知ってるな」
普通の人間なら驚くだろう。習志野製薬はそこそこの大企業だし、外部からの評判もいい。だがその経営者はアタシと沙矢乃の二人だ。ほとんどの社員は、アタシたちがトップだということなど知る由もない。
アタシは拳銃を沙矢乃に渡して、別の引き出しから今度は注射器を取り出した。女がまじまじとアタシの方を見つめていた。
「……私を食べるんじゃ、ないんですか」
「喰ってほしいなら喰うけど」
「……やめてください」
「さっきから大人しくしてりゃ殺しはしない、って言ってるだろ。安心しろ、少し血を分けてもらうだけだ。質の悪い献血屋にでも捕まったと思ってくれればいい」
「その注射器で、血を?」
医者ならともかく、女よりずっと年下のアタシが手に持つ注射器で血を採ることを、不安に思ったらしかった。
「アタシがこれまで、どれだけ人を喰ってきたと思ってる。人間の腕の静脈の位置くらいすぐに分かる」
「やっぱり、食べてるんじゃないですか」
「昔の話だ。最近はとても肉まで喰う気になれない」
アタシは要領よく、女の腕に注射針を刺し、血を吸い上げてゆく。時間をかけて、五十ミリリットルのシリンジ六本分の血を採る。終わった後アタシは消毒されたガーゼを、注射針を刺した場所に押し当てた。
「見ただろ? 注射針は全部新品だ。特に変なことはしていない。単に血を採っただけだ」
「じゃあ……結局、何が目的なんですか」
女がそう尋ねるのも無理はなかった。四半妖獣に捕まれば大抵、その先に待つのは死である。生きたまま喰われるか、殺されてから喰われるかはその四半妖獣の嗜好によるので分からないが、命を絶たれることに変わりはない。
「もちろんアタシたちが飲む分もある。肉は嫌いだが、血を飲むくらいはしないとアタシたちが死んでしまうからな。だが残りは、仕事に使う」
「仕事?」
「そうだ。血液製剤、というのを知ってるか」
「ええ。……手術の時や病気の患者さんに投与して、血を作り出すための薬、ですよね」
「それの応用と思ってもらえればいい。人間の血液から作るから、その成分が摂取できる。四半妖獣の中にはこの薬を使っているおかげで、人を喰わずに不自由なく生活できている連中がいる」
薬を使って、人を食べずに……?
その意味を理解しようと、女が反復して言った。
「分かりやすく言えば、お前たち人間からすれば犠牲者が減る。お前が今ここで捕まって、血を抜かれたおかげで、救われるだろう命があるわけだ」
意味は理解したのだろうが、女はまだ呆然としてアタシの方を見ていた。
「ああ。忘れていた。この話は口外するなよ? あくまでこれは習志野製薬の裏の仕事だ。アタシが最近始めたばかりのな。お前、新聞記者だと言ったが、もしこのことを書くようなら、」
その時はズタズタにして殺すからな。
アタシが脅すと、再び女の顔から血の気が引いた。女はこくこく、とうなずいて、逃げるように家を出ようとした。
「ちょっと待て」
やっぱ気が変わった。殺してやる。
とでもアタシが言うと思ったのか、今度こそ終わった、というような顔をして、女が振り向いた。
「そんな絶望的な顔するなよ。最初に言っただろ、殺しはしないって」
アタシはいったん別の部屋に行って、青い宝石がはまったネックレスをいくつか取って来て、女に渡した。
「これは……?」
「四半妖獣は瑠璃――ラピスラズリの輝きを嫌う。アタシくらいのレベルになれば、ラピスラズリを見せられたところで何も感じないが、その辺りをうろついてる雑魚どもはそれが月の明かりに照らされた瞬間、尻尾巻いて逃げ出す。理由はあまり分かってないけどな。いくつかあるから自分用と、親しい奴何人かに渡しておくといい。常に身につけていれば、まず四半妖獣に喰い殺されることはない」
「どうしてこれを……四半妖獣であるあなたが?」
当然その質問が来ることは予測していた。普通に考えればおかしな話だ。アタシはその質問に対して納得はいっていないが、一つ理由を持っていた。
「どうしてだろうな。アタシ自身がそうしたいからか。……まあ、お前がラッキーであることに間違いはない」
あと、とアタシは付け加えて言った。女がもう一度振り返って、質素なイヤリングが少し揺れた。
「もう一度言うが、今日の話は口外するなよ。誰かに言えば言うほど、お前だけではなくお前の親族の命まで狙われる。四半妖獣は同族に関わった人間のニオイにも敏感だ」
「……分かりました」
「この女の自宅まで」
アタシの狩気能が発動して、女が戸惑ううちにその姿は消えた。それを見届けて、アタシは残ったネックレスと拳銃をしまい、注射器は針を抜いて代わりに栓をし、別のケースにしまった。
「いいの、あれで」
「何が」
そのタイミングを見計らうようにして、沙矢乃がアタシに話しかけた。
「喰わなくてよかったの」
「じゃあ何のためにアタシを呼んだ?」
「それは……」
「言っただろ。アタシはもう、人間の肉を食うのには飽きたんだ。欲望がないわけじゃない。四半妖獣にとって人間を喰うのは、生きるために必要不可欠な行為だ。けどそうやって欲望に負けて人間を手当たり次第喰い殺しているようじゃ、あのクソ親父の二の舞だ」
「……」
沙矢乃はその言葉で納得したか、黙り込んだ。ケンカになれば沙矢乃がアタシに勝てないことは明白なので、そうしたのだろう。
「沙矢乃」
「なに」
「さっきの血、冷蔵庫に入れておいてくれ。アタシは疲れたから、寝る」
「分かった」
不機嫌なのかそれとも別の理由か、沙矢乃の返事は短かった。実際アタシは学校で散々下らない人間の話を聞いていて疲れていた。血抜き部屋、とネーミングセンスのかけらもない名付け方をしたその部屋を出て、アタシは自分の寝室に向かった。
* * *
「沙矢乃」
それから一週間ほど経った後の週末。アタシはそう言えば、と思い立って、ゴロゴロと寝転がっていたベッドから起き上がった。気付けばそろそろ昼になるか、という頃だった。アタシはすでに起きて、隣の部屋で勉強しているであろう沙矢乃を呼んだ。
「なに」
「今暇?」
「もうすぐ終わる。終わったらそっち行く」
休日なのにご苦労様だ。アタシは起きる気にも、まして勉強する気にもなれなかった。ならいっそ、と行くべき場所があるのを思い出したのだ。
「どうしたの」
十分ほどすると、返事の通り沙矢乃がアタシの部屋に入ってきた。アタシがまだベッドにいるのを見て一瞬だけ顔をしかめたが、それも一瞬だけだった。
「墓参り。行こうと思うんだけど。沙矢乃はどうする?」
「墓参り……行く」
沙矢乃の返事は早かった。一般人や人間に見つかると厄介なので、アタシは適当に変装をして、沙矢乃は全く別の女性に姿を変えて家を出た。
「……それ、誰」
「知らない。適当に思い浮かべたのに変身したら、こうなった」
姉妹だからと言って、狩気能まで同じになるとは限らない。特に習獅野家の場合は突然変異の要領で、狩気能が違うものになったことが多々あるらしい。アタシは習獅野家が代々持つ狩気能である言想化を持っているが、沙矢乃は違う。沙矢乃の狩気能は幻容化。思い浮かべたイメージそのものに変身できる。今回も服を目立たないものにしたり、帽子を目深にかぶったりするのが面倒に感じたのか、沙矢乃は変身していた。よく見てみると大きな胸元が強調された服を着た、黒髪の三十代手前に見える女性だった。アタシたちはもともと金髪だから、文字通り全くの別人。それなりに正体がばれないよう、どう変装するか考えたアタシの努力をあざ笑うかのような変貌の仕方だった。
「まあいいか。沙矢乃がそういう女になりたいことはよく分かった」
アタシはそういう、自分の体の豊満さをこれ見よがしにアピールするような女も嫌いだった。想像するだけで吐き気がする。その一番のアピールポイントである胸だけでも食いちぎってやろうか、と思うほどだ。それを分かっていて沙矢乃はやっているのか。
「違うって。この方がバレにくいから」
「バレにくくてもアタシが嫌いな体つき思い浮かべるのはどうなんだ」
「姉さんも狩気能で変身できるじゃん」
「あれは言葉に出さないといけない。そのために口を開くのが面倒」
「姉さんったら……」
アタシは近くの墓地にやってきた。都会的な街並みの中にある路地を少し入ればあるところで、急に静寂が辺りに漂う。墓と墓の間にある通路を進んでいき、かなり奥の方にある墓の前に、アタシたちは立った。『習獅野家之墓』と、文字が書いてあるのが読める。
「……母さん」
アタシたちはさすがに墓の前ではしおらしくなって、二人そろって墓に水をかけ、花瓶の水を替えて、墓に向かって黙とうをささげた。




