III-01.最強の四半妖獣
桜の花びらが舞っていた。
それは春の訪れを告げるもので、きっと日本独特の光景なのだろう。アメリカの首都・ワシントンD.C.の日本から送られた桜がわざわざニュースで取り上げられるのだから、こうも毎年毎年桜の花見を楽しめるのは、日本だけのはずだ。
「(……飽きた)」
アタシはそんな光景に飽きていた。確かに普通の人が見れば毎年毎年咲く桜はきれいなのかもしれないが、あいにくアタシはそんな繊細な感性を持ち合わせていないようだった。
アタシの今いる教室を見回しても、変なこじらせ方をした香水を身体中に撒き散らした女ばかり。話している内容も、全て下世話なものばかりだ。下らない。アタシはため息をつくしかなかった。
「(……帰るか)」
ちょうどホームルームが終わったようだった。アタシは授業も話半分にしか聞いたことがないし、ましてホームルームなど聞こうともしない。耳障りだからだ。この春から中学三年生になったが、二年生の時の担任は甲高い声でまくし立てる女で、こいつの肉もさぞ不味かろうな、ぐらいしか感想を抱かなかった。今年の担任は少し低めの声をした中肉中背の男だった。こういう男がいい。魅力の話ではない。適度に脂ののっていて、しかも新鮮な肉だ。アタシは基本的に、周りの人間をそういう目線で見ていた。
「ナラシノさん」
アタシは校門を出る寸前、クラスメイトの女に話しかけられた。
「これ……二年の時の、みんなで作ったDVD。みんなに渡してるから、受け取って?」
「ああ。サンキュ」
去年思い出を形にしよう、とかそんな雰囲気になって、行事の時の写真や動画をDVDにまとめたものだった。アタシは仏頂面を少しも変えることなく、礼だけは言った。
「……思い出」
アタシに去年の思い出も何もなかった。強いて言えば、クラスのボス的存在だった偉そうなクソ女。アイツがアタシに面倒なことをしてきたから、その日の夜にアイツの家を潰して、家族もろとも喰った。その程度の記憶しかない。しかも、あまりにも日常の一部過ぎて、その記憶さえ薄れかけていた。
「まあ、スペースの邪魔になるほどではないか」
アタシは大人しく受け取っておくことにした。カバンを開き、そのDVDを中に放り込む。チャックを閉める間際、カバンの内側に走り書きしたアタシの名前がちらっと見えた。
習獅野比奈乃。
これがアタシの名前だ。名前の由来ははっきりしている。アタシの先祖はその昔、千葉県の習志野市で絶大な強さを誇っていた、獅子の四半妖獣だ。普通四半妖獣は二種類のアヤカシの血が混ざっているからそう呼ばれるが、アタシの家は例外だ。凶暴で好戦的な雄の獅子と、芯の通った強さを持つ雌の獅子。アヤカシにとっては雌雄の区別は種の区別の一種らしく、結果として二種類の獅子の血がアタシの一族に宿ることになった。
今では全国的にその名前を知られている。理由の一つは強大な力を誇る四半妖獣の中でも、さらに輪をかけてアタシの一族が強かったから。昔は退妖獣使とも何度か戦ったことがあるようだが、いずれも返り討ちにしている。今では力を恐れて退妖獣使が近付いてくることもない。
もう一つは明治維新以後、アタシの一族が製薬業を営み始め、全国的に有名な企業にまで成長したからだ。おかげで金には不自由していないし、アタシは有名な私立の中高一貫の女子校に通えている。家もいわゆる豪邸というヤツだ。世界的な大ホールディングスに成長した花宮家の屋敷にはさすがに劣るが、上空から見て目立つくらいの大きさではある。
「ゲーセンでも行くか」
当然それほど有名だから、アタシを知っている人は多い。ただ、アタシは敢えて近寄れないような雰囲気を出すようにしている。アタシの家がいい金づるになると踏んでたかってくる輩がほとんどだからだ。そうやって簡単に他人に媚びるような奴の肉はとても喰えたもんじゃない。アタシにとって人間はいい餌でしかないから、そこがアタシの基準になる。
アタシはつまらない人間のニオイしかしない学校を出た。そのまま家に帰るのでもよかったが、せっかく時間があるからと、近くのゲームセンターに寄ることにした。
アタシの通う学校は私立の中高一貫校だ。いわゆるお嬢様学校、というヤツで、節度ある礼儀正しい女性を育てる、とか何とかいう理由で校則が厳しい。下校途中にゲームセンターに寄るなどもってのほかだ。寄ってほしくないなら最初から近くにこれ見よがしにゲームセンターなんか作るなと言いたいが、何か事情があるのだろう。
「……ふう」
だが校則なんて正直どうでもいい。破ったところでどうせとやかく喚くのは人間風情だ。あんまりねちっこく言ってくるようなら煮るなり焼くなりして喰ってしまえば済む。と言っても煮たり焼いたりした人間の肉ほど不味いものはないが。
アタシはゲームセンターの中に入ると、手頃なメダルゲームの筐体の前にしゃがみこみ、下の隙間を覗き込む。制服の濃い茶色をしたスカートがめくれようがお構いなし。
「あった」
アタシはほどなくしてその隙間から、一枚のメダルを見つけ出した。この手の筐体の下には大抵、メダルが落ちている。そうやって誰かが落としていったメダルを使って遊ぶのだ。別にそこまでしなくとも、普通に金を払えばいいのだが、あいにくそんな気分ではなかった。それに、
「大当たりが三回」
アタシが言葉にしたものは、全て現実になる。言葉通りに、アタシのいじっていた筐体はめったに出ないはずの大当たりを三回連続で出し、大量のメダルを吐き出した。
狩気能、というヤツだ。四半妖獣に限らず妖獣なら誰しも持っている力。種類には様々あってとても使う価値のないものまで存在するが、アタシの場合は違った。さすが四半妖獣の名家の末裔だけある。言想化というのが、アタシの狩気能の名前。
容器二つを用意してもまだ溢れそうになっているメダルを抱えつつ、アタシはメダル落としの方に向かった。最初に一枚拾った時点からメダル落としの方に行ってもよかったのだが、メダル一枚で大量にメダルを手に入れたとなると、筐体を揺らしたと周りの客に言われるかもしれないのが面倒だった。
「……ん」
なんだかんだ言って、メダル落としがアタシを一番落ち着かせた。アタシ自身はただ心底面白くなさそうな顔をして、適当にメダルをつぎ込んでいるだけだが、時々「十枚落ちる」とか「ラッキーチャンス」と気まぐれのように口にすればその通りになって、また手持ちのメダルの枚数も元に戻る。メダル落としのチカチカする照明が、狩気能を常に働かせて真っ赤になっているアタシの瞳に映り込んでいた。
「ちょっとお姉ちゃん。そこ、どいてくれん?」
「……あ?」
その束の間の心の静寂を邪魔する奴が現れた。背後を振り返ると、いかにも素行の悪そうな不良が三人、アタシを見てニヤついていた。
「あ? じゃねえんだよな。姉ちゃん、その制服あれやん。あそこの金持ちの学校のとこちゃうの」
「……それが?」
「確かあそこって、帰りにゲーセンなんか寄っとったらあかんよな? なあ?」
「校則のこと言ってんのか? あんなのアタシには関係ない」
「関係あんだろうがよオイ」
ここのゲームセンターにはよくいる。一度絡まれたらどうあがいても面倒なことになる。周りの人間たちも気にしていないふりをしつつ、チラチラとこちらを見ていた。
アタシはせっかくの落ち着きを邪魔されたことに苛立ちつつ、メダルゲームの方に向き直った。するとアタシが無視したと受け取ったのか、
「おい姉ちゃん。何か言えや」
女のくせに生意気な。そういう考えが透けるように分かる語調だった。だがあいにく、それはアタシが一番嫌う言葉だ。
アタシの首根っこをつかもうとした不良の手を察知した。アタシはプッシャーに押されてコロコロと落ちてゆくメダルから目を離さないままつぶやいた。
「すり抜ける。骨折」
すると不良の手はアタシの首元の直前ではたと動きを止め、関節の曲がらない方向に勢いよくねじ曲げられた。そのままバキンッ、と小気味いい音が辺りに響く。いい音だ。ちょうど人間の硬い筋肉を折り曲げるとこんな音がする。
「うおあぁぁぁぁぁぁぁっっっ」
しばらく何が起きたのか理解できていない様子だったが、アドレナリンが切れると骨折による猛烈な痛みが襲う。首根っこを掴もうとしたその不良は奇声を上げ始めた。
「てめクソガキ!」
他の二人がそれを見てアタシの腕を掴もうとする。そんな汚らわしい手で触れるな。
「アタシには指一本触れられない。複雑骨折」
「がああぁぁぁぁっ」
ぐしゃあっ、ととても骨折とは言えないような音がして、不良たちの手は一斉にぶらん、と垂れ下がった。
「……めんどくさ」
気付けばアタシは、ゲームセンターにいる人全ての視線を集めていた。これ以上居座るのは無理だと判断して、アタシはもだえ苦しむ不良を放置してゲームセンターを出た。
「つまんない」
別にアタシに宿った力を楽しんでいるつもりはない。悪意を持ってアタシに近付くからああなるのだ。その場で喰い荒らさなかっただけマシだろう。
「……ん」
ゲームセンターを出て、しばらく歩く。適当に着崩した制服のジャケットの中で、スマホが音を鳴らしているのが聞こえた。妹の沙矢乃からの電話だった。
「なに」
「早く帰ってきて~」
「……ああ。はいはい」
沙矢乃はアタシの二歳下の妹だ。この春から沙矢乃もアタシと同じ学校に通うことになったが、今日は始業式で沙矢乃は休みだった。電話越しのテンションからアタシは今家で起きているだろう出来事を察して、少しため息をついた。
沙矢乃はアタシと違って、雄獅子と豹の四半妖獣だ。父親も母親もともに四半妖獣で、アタシが母親から雌獅子の血を引いたのに対して、沙矢乃は同じ母親から豹の血を引いた。そのせいかアタシと違って、沙矢乃は頭に来た時それが態度に出ることがほとんどない。突然怒りを爆発させることもしばしばで、アタシよりも厄介かもしれない。ただ、さっきの電話越しの声は機嫌がよさそうだった。
学校から家まではそれほど遠くない。むしろゲームセンターに寄ったことで遠回りになっていた。まだまだ日の沈む気配がない空を少し見遣って、アタシは玄関の扉を開けた。
「お帰り、姉さん。待ってるよ」
沙矢乃が待ち構えていた。アタシは沙矢乃と一緒に奥に進む。
「んんっ……! んむむむ……!!」
特別広い部屋に入ると、出迎えたのは口をテープで塞がれ、手足を椅子に縛られた若い女。およそ二十代半ばというところか。アタシの姿を認めて、こちらを睨んで唸りだした。
「やっぱり。よくこんな女、捕まえてきたな」




