II-12.証明と嘘と愛情表現
「……っ」
私が目線を移した先には、翠条さんがいた。大人しさ以外感じられなかった彼女は今、木製バットを握りしめていた。しかも球を打つためではなく、頭を打つために。さすがの奇襲でまともに食らったか、少なくとも根本は意識を手放したようだった。それと同時に私の足首を握っていた力もすっ、と抜けて、解放される。
「大丈夫、遼賀さん」
「大丈夫……だけど、」
「よかった……」
翠条さんは途端にその場にへなへな、とへたり込んだ。相当勇気を振り絞っていたようだった。私も私の背中にいた香凛も、突然の彼女の登場に驚いていたが、さらに驚いていたのは草壁先輩の方だった。
「遼賀、この子は」
「うちに転校してきたばかりの、翠条さんです」
「転校? うちに転校するのは、不可能だろう?」
「そうなんですけど……」
私は一通り、翠条さんについて草壁先輩に説明した。草壁先輩はふんふん、とうなずいた後、
「で? どうして君がここに?」
と尋ねた。元の姿に戻った香凛に手を貸してもらって立ち上がった後、翠条さんは答えた。
「みんなに、遼賀さんたちが危ないって聞いて。いてもたっても、いられなくなって」
「だが君は見たところ、退妖獣使ではないようだ。どうして助けようと?」
普通に考えれば、むしろ翠条さんが来るのは逆効果だと言えた。よりすぐに襲えそうな翠条さんにターゲットを変えて、翠条さんの方に襲いかかるかもしれない。
「確かに……普通の人なら、ダメだったかもしれません。でも、四半妖獣はどんなに雑食でも、同族の四半妖獣を食べようとはしません。その肉がおいしくないということを、本能的に分かっているからです。……だから、四半妖獣である私が行かなきゃいけないって、思ったんです」
「……四半妖獣?」
草壁先輩が眉をひそめた。香凛はやはりか、とでも言いたげにうなずいていた。
「君が四半妖獣なのか?」
草壁先輩が刀に手をかける。それを見て、翠条さんが腰を抜かしてまたへたり込んだ。そこからは香凛が弁明するように、草壁先輩に説明した。
「違うんです。確かにしおりん……この子は四半妖獣です。ネコとタヌキの四半妖獣、ってことも分かっています。けど、この子からは邪悪さが一切感じられないんです。この根本のような雰囲気は、この子には一切ないんです」
「それは花宮、お前の主観ではないのか?」
草壁先輩はまだ疑っていた。当然だ。この子は悪気のない四半妖獣だ、と言われてはいそうですか、と簡単に納得してしまう退妖獣使はほとんどいないだろう。私もまだ納得しきっていなかった。
「違います。私の見方が外れたことは、今まで一度もありません。この子は、普通の人間と何ら変わらない。ただアヤカシの血が入ってしまっているということだけが、違う点です」
「そこが違えばだいぶ違うだろう。そもそもアヤカシの血は相当に邪悪だ。とても人間本来の純粋さや善良さで打ち消せる種類のものではない」
「それなら」
香凛は草壁先輩にそれだけ言われてもなお、堂々としていた。そしておろおろする翠条さんの腰を支えて立たせて、それから私さえ見たことのないような強い口調でまくしたてた。
「今夜、証明してみせます。しおりんが他の四半妖獣とは違うってことを。わたしは絶対にしおりんのことを信じていますから」
「……!!」
さすがにその勢いに草壁先輩も気圧されたようだった。
「今夜七時、わたしの家で。お待ちしています」
「私が行くのか?」
「もちろんです。草壁先輩に認めてもらえれば、だいぶ違うはずです」
「……分かった」
今日は予定が特にないから、少し早めには行けると思う。
草壁先輩はそう言い残して、換装を解いて屋上を去っていった。屋上のドアから草壁先輩が出て行くのを見て、翠条さんが三度腰を抜かした。
「大丈夫、しおりん」
「怖かった……」
「草壁先輩は怖くないよ。四半妖獣って言葉に、敏感になってるだけで」
「そうだよね……」
私は本当に翠条さんが四半妖獣だったという事実に、驚きを隠せないでいた。
「言ったでしょ? しおりんは四半妖獣だって」
「分かってたの?」
これだけくっついてればね、と香凛が自慢げに翠条さんに言った。
「絶対にバレちゃダメだって思って、誰かに言われない限りは黙っていようと思ってたんだけど。でもこの人を見て、四半妖獣はみんなこんな感じだって思われたらイヤだったから……」
翠条さんはちらっ、と根元の遺体を見る。そういえばまだ地面にはショッキングな光景が広がっていた、と私は思い直し、ストラップの鈴を振って遺体の処理をした。
「香凛が勝手にあんなこと言ったけど、大丈夫?」
「うん。ちゃんと私が悪い人じゃない、って分かってくれるなら、どんなことでもするよ。草壁先輩って、すごい人なんでしょ?」
「まあ、確かに。この街で知らない人は、あんまりいないと思う」
草壁先輩は自身で言っていた通り、戦う時はいつも一人だ。そこが私と一番違うところなのかもしれない。しかも退妖獣使としての経験は数年ながら、実力的にはベテランの仲間入りをしている。それだけに、自分が倒れていては後が続かない、という責任感を背負っているのかもしれない。ここ半年は草壁先輩と一緒に四半妖獣の討伐をすることはなくなったが、聞く限りでは通行中の人が四半妖獣に襲われているのを何度も助けたり、退妖獣使関係以外でも踏切を渡り損ねた人を助けたりと、市民から非常に評判がいいらしい。その手の感謝状などももらったことがあるらしい。私にとってあこがれであり、自慢の先輩だ。
「すごい……。草壁先輩って、生徒会長なんでしょ?」
「そう。去年からほとんど、決まってたようなもんだけどね」
生徒会長選挙も実質、草壁先輩に対する信任投票だった。もちろん、圧倒的な票数差で、草壁先輩が当選した。
「憧れるなあ……」
私たちが教室に戻ろうか、と屋上を出ると、急に翠条さんが何かを思い出したように声を上げた。
「お弁当、途中なの忘れてた……先に戻ってるね」
たったったっ、と軽そうな足音を立てて、翠条さんは教室に走っていった。そう言えば私や香凛も、一切昼食をとらずじまいだった。
「そう言われると、お腹空いたな。香凛も早く……」
私は香凛に同意を求めようと香凛の方を向いたのだが、その顔はまだ神妙なままだった。
「……どうしたの」
「嘘だね」
「……何が」
嘘だと言うからには、先ほどの翠条さんの何かがおかしかったのだろう。しかし私には何がおかしかったのか、全く分からなかった。
「きっと今夜になれば分かるよ。わたしは確信したけど、まだ分からないからね」
また香凛に秘密を作られた気がして、私はまったくもう、とふくれるしかなかった。
* * *
その日は本来バイトはないはずだった。根本の件もあって、祖父に言ってシフトを組み替えてもらったのだ。だが、
「いいじゃん。わたし、しおりんと準備しないといけないし。その間バイトすればいいじゃん」
そんなにみたらし団子食べたいなら食べればいいじゃん、みたいな口ぶりで香凛に言われてしまった。一応祖父の喫茶店には私以外にもバイトさんが二人いるので、あまりシフトをコロコロ変えるのも申し訳ない。とは言え香凛の言う通り時間も中途半端に余っているので、私は祖父に連絡し、急きょバイトをすることになった。
「わぁっ、かおるちゃんだ! ひっさしぶり〜!」
「し、東雲さん……」
そのバイトさんの一人である大学生、東雲さんが今日の担当らしかった。
私の姿を認めるなり、東雲さんは私に抱きついてきた。セミロングのつややかな黒髪が揺れて、ふわっと立ち上った甘い香りが私の鼻をくすぐる。私に対するその手のスキンシップが好きなあたり、香凛と同じ匂いがする。
「元気してた? ずっと会わなかったけど」
「会わなかったって、東雲さんのシフトじゃない日に私が入れてたから、そりゃ会えないでしょ」
「だよね〜」
東雲さんの話し方はだいたいいつもこんなものだ。気さくに話してくれる一方で、こっちの話を聞いてるのか聞いてないのか、いまいちよく分からない返事。話していると安心するが同時に不安になるという、なんとも不思議な人だ。
普段はマスターである祖父ともう一人バイトさんがいる、という二人体制であることがほとんどだから、その時来ていた常連さんも驚いていた。
「今日は二人か。ラッキーだなあ」
「よろしければ今からオムライスでもどうです? ケチャップでお好きな言葉、お書きしますよ?」
「うちはそんなサービスしてません」
「はーい♪」
少し目を離した隙に東雲さんが勝手なことを言い出したので、私は慌てて否定する。
「でもシノちゃんのオムライス美味そうだなあ。もらっていい?」
「分かりました! 少しお待ちくださいね♪」
今日はやたら東雲さんの機嫌がいい。昔一緒のシフトだった時は、時々不機嫌なことがあった。もちろんお客さんにはそんなところは見せないが、だいたい月に一度、月の二週目は奥に来ると決まってむすっとしていた。さすがに同性の私にはどうして東雲さんがそんなに定期的に機嫌が悪いのか、理由が分かっていたので特に何も言わなかったが、機嫌の悪くない時も、ここまで東雲さんがご機嫌なことは少なかった。
「どうかしたんですか?」
「え? 何が?」
「なんだか、すごく嬉しそうで……かわいいです」
「またまたご冗談を〜。かおるちゃんの方がかわいいって」
どういうわけか私は、香凛にかわいい、というのは恥ずかしくてできないのに、東雲さんには口をつくようにかわいい、と言うことができた。香凛がまあね、そりゃそうだよね、みたいな反応しかしないのに対して、同じことを東雲さんに言うと、
「あっりがとう〜!! かわいいかおるちゃんに言われるとすっごく嬉しい!」
とめちゃくちゃオーバーに反応してくれるからだろうか。感謝の言葉を言われると余計に言いたくなるのは人間の性なのかもしれない。
私はまたむぎゅーっ、とハグされながら東雲さんに尋ねた。
「で、何かあったんですか」
「そうそう、彼氏ができたんだ〜。もう、すごいんだよ? 私たち大学入ってからずっと両想いだったんだって! もういっそ卒業したらこのまま結婚しちゃおっかなとか思っちゃったりして!」
「そ、それは……」
東雲さんはもうこれ以上の笑顔は人間に出せないんじゃないか、というくらいの笑顔で要はのろけ話をしてくれた。別にイライラはしない。東雲さんは本当に嬉しそうだったし、私も私で香凛がいるので、嫉妬も何も抱かない。
その彼氏さんもさぞ嬉しいだろう。東雲さんはまさにかわいいを絵に描いたような人で、これまで彼氏がどうとかいう話を聞かなかったことの方が不思議だった。
「それでね、今度のゴールデンウィーク、お泊まりで旅行に行くんだけど……」
「進展早っ!」
「え? 早い?」
「あ、いや、別に人それぞれだとは思うんですけど」
「本当? そこはちょっと心配だったんだよね。友達にも早すぎるって言われたし……」
たぶん親御さんからも反対されただろう。すっかり行く気分になっているところを見ると、説得できたのかもしれない。
しかしそれより重要なことがあった。
「……あれ? ってことは、ゴールデンウィークは」
「そう。シフト入れないから、どうしようかなって思って」
「まだ先の話で私のシフトも未定だから何とも言えないですけど」
「そうだよね~、マスターにも一応言ったんだけど」
私がそうなの? と祖父に合図を送ると、口をへの字にしてみせた。ゴールデンウィークは常連さんだけでなく、いつもより多くのお客さんが来るので、一人ぐらいいなくても何とかなるか、とはならないのだ。
「こーちゃんにも相談しないとね」
「そうですね。もしかしたら、入ってもらえるかもしれないし」
こーちゃんとは鴻池さんというもう一人のバイトさんで、東雲さんより一歳年下の男の人だ。すごく真面目な理系大学生で、授業が忙しいためにシフトにはあまり入れていないようだが、ゴールデンウィーク中なら何とかなるかもしれない。
「私が会ったら、私から話すね。かおるちゃんの方が先に会ったら、言っといて?」
「分かりました」
もともとその日は喫茶店の閉店まで東雲さんのシフトだった。後から急に入ることになった私は用事があるということもあって、先に抜けさせてもらうことになった。
喫茶店の制服から着替えて学校の制服を着ると、私は店を出た。めちゃくちゃシスコンで妹をかわいがるお姉さんみたいに、いつまでも東雲さんはニコニコして手を振っていた。




