II-09.手がかりをもとに
「行くよ、香凛。だいぶ、答えに近付いた」
「答え? 何か分かったの?」
香凛には周囲の妖獣の気配を感じ取る力があるが、翼になった状態で目視することはできない。仮に翼の状態で目視できたとしても、私の狩気能のような視力は得られない。
「始末した四半妖獣の姿を見て、慌てて逃げていった人の姿が見えた。全然確定じゃないけど、香凛に見せてもらった写真に写ってた奴に、だいぶ雰囲気が似てた気がする」
「そんなことまで分かるの? あれ、わたしが言うのもなんだけど、だいぶぼやけてたよ。誰が誰だか分からないくらいには」
監視カメラなのに仕事してないね、と香凛はぼやいた。
「とりあえず、様子を見に行く。香凛には、ニオイを覚えてもらおうと思うから」
「ニオイ?」
私はニーソックスを脱いだ香凛の生足がケガしないよう気を遣いながら、四半妖獣の遺体がある場所へ向かった。
「うん……このニオイね。覚えたよ。いいニオイじゃないから、早く忘れたいんだけど」
「それは困る。明日中は、覚えててくれないと」
「えー……」
これがいちごくらい甘い匂いだったらよかったんだけど、とまたぼやく香凛を尻目に、私は以前のように軽くストラップの鈴を振って四半妖獣たちの遺体の後始末をした。
「どう? 明日中は覚えていられそう?」
「うん……頑張る。でも、どうして? これじゃ答えに近くなったとは言えない気がするんだけど」
「確かに顔自体はぼんやりとしか見えなかった。それこそざっくりとした特徴が分かるか分からないか、ぐらいしかね。けど、向こうはうちの制服を着てた」
うちの他にも、いわゆるお嬢様学校は数多く存在する。だが制服のブラウスにネクタイを締める学校は、この周辺ではうちだけだ。スカートの柄やブレザーの色が分からなかったものの、制服でしかもネクタイを締めているという時点で、うちの学校の生徒であるということは確実だった。
「そうなんだ……もう帰ろう?」
香凛にとってはそのことより、嫌なニオイを嗅ぎ続けなければならないことの方が気になるらしかった。
* * *
「うちの学校に四半妖獣がいる?」
「そうです。確実ではありませんけど、可能性は高いです」
次の日。放課後になって、私と香凛は職員室に赴き、事情を話した。生徒であることが確実なため学校全体に明かせる情報ではないが、先生たちには伝えておく必要がある、と香凛が判断したためだった。
「退妖獣使の遼賀さんがいるうちの学校に四半妖獣がまぎれているなんて……挑発に近いですね」
担任の先生の言葉ももっともだった。うちの学校の生徒の中で、私が退妖獣使であることを知っている人は意外と多い。
「しかし……一学年に三百人ですよ? 全校生徒が対象になるとすれば、千八百人を一人一人調べるつもりですか?」
「大丈夫です。策はあります」
私は先生にそう言って、少し調べてきますので、と断って香凛と職員室を出た。
「かおるん! 『少し』じゃないよ! これから全クラス回ってニオイ嗅いでけってことでしょ?」
「そういうこと」
「もう! いくらかおるんがニオイを感じ取れないからって……」
「逆に同じニオイのする教室を当てられた時点で、終了だから。嫌なニオイも忘れていいし」
「でも逆に、一番最後の教室になっちゃう可能性もあるんでしょ?」
「もちろん」
「うーっ」
私の思いついた方法はこうだ。前日に見た人型の四半妖獣と、私が始末した獣型の四半妖獣は恐らく仲間と見ていいだろう。普段は狛山トンネル近くの山に住んでいる妖獣を呼び寄せ、どこかへ襲撃に行く途中だったのかもしれない。つまり前日に香凛に覚えさせたニオイと一致するニオイが、どこかの教室からはするはずだ。そこからクラスを特定して、あとは私の記憶から一致しそうな顔を探し、マークする。妖獣のニオイは独特で、香水や制汗剤の匂いに紛れてしまうようなものでは決してない。と言っても私は感じ取ることさえできず、香凛に頼りっぱなしになってしまうのだが。
「……これぐらいわたしにさせるんだから、パフェおごってよね」
「分かった。でもいちご増量はしないよ」
「えーっ」
「当たり前でしょ。知ってる? パフェって香凛みたいに毎日うちの店に来ては食べるようなものじゃないからね」
やはりお嬢様特有と言うべきか、私のような庶民とは違って香凛の金銭感覚はところどころ壊れている。私や祖父にとっては香凛はお得意様もお得意様なので、むげには扱えないのだが。
「おいしいからいいの。かおるんが作ってくれたパフェは一段とおいしいし。……分かった。いちご増量は我慢する」
「よろしい」
私と香凛はそんな約束をしつつ、職員室から最も近い位置にある教室――高校三年一組の教室に向かった。
「……うん。特にそれっぽいニオイはしない。っていうより、すごい制汗剤のニオイ」
「確かに。六限体育だったのかな」
普通はあり得ないはずだが、制汗剤をこれでもかと体に振りかければ、四半妖獣特有のニオイが消える、という可能性もあるのかもしれない。一度職員室に戻って先生に尋ねたところ、六限が体育だったクラスはこの高三の一だけということで、私はいったんこのクラスを保留にした。
「うげー。やっぱりこれやってみて改めて分かったよ。すっごく大変」
うちの学校は全国でも有数のお嬢様学校。その中でも特に規模の大きい学校として知られる。一学年の人数は約三百人。一クラス三十人の、十クラス編成だ。それが中学一年から高校三年まであるので、最悪この作業をあと五十九回繰り返さないといけないかもしれない。さすがに香凛がかわいそうだ、と思ったその時だった。
「可能性の高い学年なら分かるよ。……中一と高一」
香凛が何を言いたいかはすぐに分かった。襲撃事件がうちの学校で起きたのは今回が初めて。普通に考えれば、私達の学校に夜中潜伏し、近くを通りかかった人を襲うのは非効率的だ。確かにそこそこ人通りのある商店街がごく近くにあるため獲物は見繕いやすいが、その分目撃者も多くなってしまう。しかしそれにもかかわらず、事件現場はうちの学校の構内だった。ということは、
「最近この街に引っ越してきたとか。前にいたところで正体がバレて、逃げるようにしてここに流れ着いたとか……」
「その可能性はあるね。じゃあ、ここから近い高一の教室に行ってみよっか」
その考え方でいけば翠条さんも同じ経緯でここに来たということになるが、その話には香凛は触れなかった。
校舎は上から見ると、翼を広げた鳥のような形をしている。真ん中に事務室や職員室があり、片側に高校生の校舎、もう片側に中学生の校舎がある。どちらも下から三年生、二年生、一年生の教室が並んでいる。だから高校一年生の教室に行くためには、最上階まで階段を上る必要があった。
「当たりだね」
「え?」
「まだ放課後になってそれほど時間が経ってないから、ニオイが残ってる。高一なことは間違いなさそう」
それにしても変なニオイばっかり、と私は愚痴った。人がたくさんいる時にするニオイが、どの教室の前からもした。
「かおるん一人だとそんなニオイしないんだけどね。たくさんいるとするよね」
「どうして私を出した」
「かおるんはいつでも柑橘系の匂いがするから」
「まあ、使ってるのは間違いないんだけど」
使ってるどころの話ではない。シャンプーだけではなく、ボディーソープにも柑橘系。別に私だけというわけでもない。お風呂から上がったばかりの弟も、父も使っている。
「ん。ここだけ濃いね……って、別に昨日のあのニオイ、覚えなくてもよかったんじゃないの?」
「いや、私や翠条さんからもニオイはするから、妖獣のニオイで一括りにするのはまずかった」
一段と濃いニオイがする、と香凛が立ち止まったのは、高校一年三組の教室の前だった。さらに香凛は教室の中に入って一通り歩き回り、確信するようにうなずいた。
「決まりだね。この教室に例の四半妖獣はいる」
「ありがとう、香凛。ここからは私に任せて」
「……って言っても戦う時にどちみち、わたしに頼るじゃん」
「まあね」
その日はいったん下校し、私はそのまま祖父の経営する喫茶店へ向かった。
* * *
「薫瑠。どうしたんだ、今日は仕事じゃないだろう」
祖父の反応はそれが自然だった。これまで私が自ら祖父の喫茶店を訪れたのは、バイトの時だけだ。しかしこの日、バイトはなかった。
「おじいちゃん。話があるから、ちょっと裏で」
喫茶店には何人か常連のお客さんがいたので、私は小さい声で祖父に話しかけ、奥にある祖父の家に入った。
「……正気か」
「うちの学校に四半妖獣がいるって分かった以上、見過ごせないから。危険ではあるけど、おびき出す」
「他の子たちに迷惑がかかるだろう。お前と花宮さんだけの問題ならまだしも」
「分かってる。でも、絶対にケガはさせない。それに、退妖獣使としての仕事は務める」
「……失敗すれば、お前や花宮さんだけの問題ではなくなる。そこを分かっているか」
「はい」
祖父の経営するこの喫茶店は、単なる地元の人たちの憩いの場、とは別の意味も持つ。それはこの店に裏口があり、そこから訪れるお客さんがいるということが、何よりの証拠になっている。
祖父は私のやろうとしていることを承諾してくれたらしく、私についてくるように言った。再び祖父の家を出て、今度は店に戻ることなく、不自然に設置された地下に続く階段を下ってゆく。行きついた先は倉庫のようになっていて、業務用の大きな冷蔵庫がいくつも並んでいる。そのうちの一つの扉を開け、中にあったうちの一つを丁寧に紙袋に入れ、さらに近くに備えてあったスーパーの袋に入れて私に渡した。
私が中身を見ることはない。まして、香凛が見ることも。私は祖父に礼を言い、喫茶店の外で待っていた香凛と落ち合い、再び学校へと向かう。
「その中。入ってる、ってことだよね」
「そう。香凛は見ない方がいいよ」
「かおるんもでしょ」
「それに私たちは表口から出てきてる。中身を他の人に見られるのはマズい」
私の持つ袋の中身。外から見えないよう、厳重にくるまれたそれは、人間の肉だ。
そして祖父が私を連れて入った地下の倉庫にある、大きな冷蔵庫。そこには大量の人間の肉が小分けにされ、保存されている。それを必要とする人たちのために。




