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妖獣怪奇譚~争われしアヤカシの血~  作者: 奈良ひさぎ
二幕 遼賀 薫瑠(りょうが かおる)
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II-05.母と手紙と、決意

 妖獣の話をする時はいつも、過去にさかのぼらなければならない。それも、私たちや私たちの両親が生まれる、はるか前まで。

 実は半妖獣も四半妖獣も、江戸時代までは人を喰う脅威でしかなかった。持っているアヤカシの血が多いか少ないかというだけで、人を喰う生態そのものは何ら変わらなかった。この時点で半妖獣と四半妖獣とが一緒くたに扱われようと、文句は言えなかったのだ。

 その構図が変わったきっかけは、明治維新だった。それまで鎖国状態にあった日本が急激に迫ってきた列強の脅威に立ち向かうため、富国強兵のための政策が数多く打ち出された。その一環として軍隊に秘密裏に特殊部隊を作り、妖獣たちの『処理』を命じたのである。

 妖獣たちが食糧とするのは、主に生きた人間。病気や老衰で亡くなった人を喰らうのは最後の手段と見なされており、よほどのことがない限り生きている人を襲って、持ち帰って喰うことが常識だった。それが江戸時代まで、人口増加率が芳しくなかった一因になっているのは確かだった。ただ、『処理』する対象は妖獣。半妖獣と四半妖獣の区別はなかった。当然だ。人間からすれば、どちらも自分たちをエサとしているのに変わりはないのだから。

 軍隊による妖獣のせん滅作戦は徹底的で、単にアヤカシの血を持っている者を見つければ、より具体的には飢饉(ききん)でもないのに人間を喰っている者を見つければ即刻殺せという、無差別爆撃であった。

 そこで半妖獣と四半妖獣の関係性に、決定的な亀裂が生じた。それまでも同じ妖獣の中でも力の弱い半妖獣が冷遇されるなど、差別が常習化していたが、これを機に半妖獣側が、人間に協力し四半妖獣に抗い、戦うことを決めたのだ。

 半妖獣は一丸となって血反吐の出るような努力を重ね、人間を喰らわなくとも生きられるようになった。そして人間と交渉し、自分たちの力を使って四半妖獣を討伐する代わりに、人間たちに守ってもらうよう確約させたのである。これが、人間に代わり四半妖獣を討伐する妖獣――退妖獣使の始まりだ。


「……その中でも遼賀家は、特別なのよ」


 その際本当に人間がそんな条件を呑んでくれるのか、と臆していた半妖獣たちをまとめ上げ、先陣を切って交渉に臨んだのが、私の曾祖父だ。軍隊の影響力に押しつぶされるのをもろともせず人間と必死の話し合いを続け、そして見事に協定を結んでみせた。こと退妖獣使を名乗る者においては、遼賀の名前を知らない人はいない、と言われている。


「……退妖獣使が人間に正式に認められて以来、四半妖獣の数は急激に減った。半妖獣たちも自分たちの正体をきっちり明かすようになって、人間と幸せな生活を送る半妖獣が増えた」


 遼賀家は退妖獣使の代表として有名になり、その職務は曾祖父から祖父、祖父から母へと受け継がれた。祖父には男の子が生まれず、婿養子として人間である父を迎えたが、退妖獣使の仕事を継いだのは母だった。

 遼賀家に代々流れる唐獅子の血は、およそ人間の常識を超えた身のこなしをさせるのに充分だった。私の母も清楚で上品、お人好しという近所の評判を得る一方で、当時の退妖獣使の中ではトップクラスの討伐数を誇っていた。それでいて父と家事を分担し、ごく普通の私の母親としての務めもしていたのだから、私にとっては自慢の存在だった。両親と私と、弟である璃浦(あきら)の四人。幸せな生活はずっと続くはずだった。


「……今すぐ帰って来なさい」


 その日私は、香凛の家で遊んでいた。そのまま泊まらせてもらうつもりだったが、夕食を食べ終わった頃になって、父から電話がかかってきた。父の声はいつになく切羽詰まっていて、そして暗かった。

 香凛に見送られ帰路に着いた私がまず最初に見たのは、血だった。玄関の扉に、居間に続く廊下に、べっとりと。


「姉ちゃん!」


 璃浦が私を見て、真っ先に抱きついてきた。璃浦はそれまで見たことがないくらい大泣きしていた。その時の状況を理解していたのかどうかは分からないが、私も何かを察して、居間に向かった。


「……薫瑠」


 そこには普段めったにうちに来ない祖父の姿もあった。家族のほとんどが揃って、一人分の寝床を囲んでいた。


「お母さん!」


 そこには私の母がいた。これまで見せたこともないような青い顔で、呼吸も浅かった。私の声でわずかながらに目を開け、私の姿を認めた。


「薫瑠……」

「お母さん! お母さん!」


 その日母が退妖獣使の仕事をするべく外出していたのは知っていた。四半妖獣に返り討ちに遭い、致命傷を負ったということは明らかだった。おそるおそる布団をめくると、お腹のあたりが真っ赤に染まっていた。父たちの表情が、もう長くは保たないと語っていた。


「……薫瑠」

「……!」

「気を付けなさい……妖獣は」


 母は私の頬をそっと手で包んで、少し微笑んだ。その手はもうどうしようもなく冷たかった。


「妖獣は、おそろしいことが……分かった、でしょう……?」

「え……?」


 それは私にとって衝撃だった。それまで四半妖獣に怯える様子などみじんも見せなかった母が、初めて弱音を吐いた瞬間だった。私の母が。弱音を吐くほど、四半妖獣は恐ろしいものなのか。私の心のどこかにあった、母への憧れは、持ってはいけないものだったのか。


「ごめんね……薫瑠。璃浦……」


 私が帰って来た時点で、もう意識は薄れかけていたらしかった。母の最期の言葉は、私と弟に対する謝罪だった。

 すぐ近くで母が亡くなったのを見ていながら、私はどこかそれが他人事のような気がして、涙が出なかった。

 母のごめんね、という言葉の意味を本当に理解したのは、ずっと先だった。



「……薫瑠。少し、話がある」


 香凛に自分の思いをぶつける、何ヶ月か前のこと。小学校生活最後の年になったある日、私は父に呼ばれた。私は二階にある自分の部屋からリビングとダイニングを通り、その奥にある和室まで向かった。

 和室は普段めったに入ることがなく、アルバムなどが積まれた物置と化していた。そこに呼び出されたことはまして、初めてだったかもしれない。


「なに」

「薫瑠は来年から、中学生だな」


 私たち退妖獣使の家にとって、その言葉は重要な意味を持つ。女性が退妖獣使になることができるのは、中学生から。男性なら高校生から、という成文化こそしていないが、守られてきたルールがある。いずれも体の発達を考慮してのものだ。女性は男性と違って中学生から大人にかけて外見が激変することは少ない、とされてきた。背丈や体重などが大きく変われば、重心のかけ方などの感覚にズレが生じて、うまく戦えなくなる。だから女性が退妖獣使になれる年齢は、少し早めに設定されている。


「……そう、だね」

「これを読んでくれ。母さんが生きていた時から、薫瑠が今の年になったら読ませるように言われていたんだ」


 父はそう言うと、ずっと昔からあるらしい、年季の入ったタンスの引き出しから、便せんを一つ取り出した。そして私にそれを手渡して、和室を出た。


「ここで読んでいいの?」

「そうだ。読み終わったら、そこに置いて、出て来ればいいから」


 私は一人、和室でその便せんを開け、中に入っていた手紙を読み始めた。



* * *



 薫瑠へ


これを読む頃には、あなたはもう退妖獣使の仕事ができる歳が近くなっているでしょう。お父さんにも、その時に読ませてあげてと言っているから。

本来であれば、お母さんの跡は、薫瑠が継ぐことになります。お母さんは本当なら、璃浦に継がせたかった。お母さんは一人っ子で、兄も弟もいなかったから女の子ながら退妖獣使の仕事を継いだけど、あなたに弟がいるなら、その方がいいはずだから。

だけど、それは叶いませんでした。うちのような、代々退妖獣使の仕事をしている家は、退妖獣使に適している子には、それ相応の印が現れます。うちであれば、右の二の腕についた、一生消えない傷。それは璃浦にはつかず、薫瑠についています。うちを守ってくれている神様は、薫瑠を退妖獣使の後継として選んだ。

本当ならお母さんは、薫瑠には継がせたくなかった。薫瑠には凛々しくも可愛らしい女の子に育ってほしかった。退妖獣使は、いつでも四半妖獣に何らかの恨みを持って、憎しみの心をどこかに抱えて戦います。だけど女の子が憎しみや恨みの心を持った時、その子の心や体も、醜くなってしまう。

お母さんも薫瑠たちと一緒にいる時はなるべく、そんなところを見せないように頑張っています。でもお母さんは、だんだん自分が昔の自分より醜くなっているんじゃないかな、と時々思います。

今薫瑠が退妖獣使の仕事をしたいと思っているか、はたまたそうじゃないかは、その時になってみないと分かりません。でももし退妖獣使になりたいと言うのなら、反対はします。反対して、もし薫瑠が退妖獣使にならなければ、この家は退妖獣使の家ではなくなります。薫瑠が結婚して、子どもが生まれたりすれば、やがてアヤカシの血もなくなっていくでしょう。でも、お母さんはそれでも構いません。薫瑠がどう思うか、その思いを尊重します。

でもお母さんは、これだけは言っておきます。薫瑠が退妖獣使をやりたいにしても、やりたくないにしても。薫瑠がどうしてそう思うのか、はっきりとお父さんや、おじいちゃんに言いなさい。お母さんは、何も言いません。薫瑠がちゃんと考えて出した答えなら、黙って受け入れます。

薫瑠がちゃんと、自分の意見をきちんと言える子になれるよう、お父さんと一緒に応援しています。


頑張れ。



* * *



「…………っ」


 手紙はそれほど長くなかった。母らしく、言いたいことを手短に言って、無駄な話はしないその姿勢が、手紙にも出ていた。

 私は読み進めるにつれて、手紙を持つ手の力が、すごく強くなっていることに気付いた。持っているところは握りしめるあまり、紙がしわくちゃになっていた。

 私は手紙を読み終えると、元の通りに折りたたんで、そっと畳の上に置いた。それから少し震えながらも、はっきりとした声で、父を和室に呼んだ。

 頬を伝うことさえせず、目から直接涙が床にこぼれ落ちようとするのを、必死でこらえながら。

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