世界
犬は、蹴られても主人の後をついていく。
なんて立派なんだろう!。
木はへし折られても次にはすぐ芽を出す。
なんて立派なんだろう!
+ + +
世界は言葉で出来ている。
言葉がなければ世界はない。
石は言葉を放つが、誰がそれを聞く?
水は言葉を放つが、誰がそれを聞く?
光は走る、が、何かと衝突しなければ
己が光であることを知ることはない。
地球は存在し、美しい歌を歌いもしようが、
その歌を聞き、たたえる者がいなくてはやはり無だ。
言葉が世界をつくる。
世界は言葉のうえに立つ。
宇宙は言葉を放っている、往古の時より。
それを受け止め、応答する者を待っていた。
太陽も言葉を放っている、今もまた同じく。
月も、空も、森も、海も、言葉を放っている。
しかし、人間は、同じ人間の言葉すら聞けないので
その重荷を担うには数千年の努力が必要だ。
なにしろ、この世に生まれて一つの聞こえない言葉を聞き、
この世を去るときに、その答えを一言返すくらいなのだ。
人の交わす言葉は世界。
だが、真の言葉は一つのみ。
+ + +
軒下の石ころは諸行無常を念じている。
杯中の水はさわやかなあいさつをする。
山岳の樹木は秘密のささやきを伝える。
森の大樹は長き時の掟を語る。
雨をもたらす雲は喜びをほとばしらせ、
晴れを彩る雲塊は芸術の講話を行う。
庭に咲き乱れるバラまたボタンは不平をつぶやき合い、
野原に遊ぶたんぽぽは盲目の詩を吟ずる。
山海を結ぶ河川は終わることなく笛を吹き、
囚われの湖は時折、寝言をもらす。
電信柱に群れ集うカラスは軍歌を叫び、
屋根に巣をつくるツバメからは子守歌、
姿を見せないウグイスは春夏を祝う楽士、
群れなす小さなスズメは朝を言祝ぐ。
夏のヒグラシは夕餉を涙でぬらし、
真面目なアリは国会討論に忙しい。
勇ましい熊は山の物語を子孫に語り伝え、
忠実な犬は仲間とともに夜の礼拝に参列する。
暇な猫は鬼ごっこが最高の楽しみで、
狐は物事の嘘と偽りを暴露する。
時を焼き尽くす太陽はいかめしく家を律し、
命短きヒマワリは一心に彼を崇拝する。
夜毎装いこらす月は地上を惑わし
寂しき狼はその思いを叫びに託す。
酒に酔った台風はくるい騒いで酔いつぶれ、
たくましい杉の木も雷鳴にゆるしを乞う。
雄々しい大地もすねを痛めると泣き言を言い、
王者風のライオンも子作りともなれば恋文に夢中。
地球はサファイアのドレスをまといオペラを歌う、
その子を可愛がるあまり、七つの海は小言をやめない。
赤ん坊は泣く、うれしくても悲しくても。それは無知による。
裁判官は悲しむ人をよく見る。彼の心は自分の職のために泣いている。
哲学者は蜘蛛の処世に感嘆する。人間の見栄坊と比べて。
宿なし人は絶望してうめく。それでも、彼の生命は絶望しない。
魅力的な女は数多い。真の魅力は、関係性から生じる。
男ほど愚かな存在はない。男は愛することしかできない。
戦士よ、あなたの歌は、生命の価値を高める。
幸福な幼児と不幸な幼児。されど、どちらも笑う時はいっしょ。
死を前にして感謝をするか、呪いを吐くか、
その人の生涯を決するのは最後の言葉。
+ + +
王様は、「右か、左か」とご質問された。
その場にいた将軍は即答した。
「私は断固、右につきます。
この国を愛し、土を愛し、民を愛し、
何より国王様を愛しております。
私の愛するものを脅かす奴ばらには
大砲をぶっぱなしてやりますよ」
すると、その隣にいた文学者が手を挙げた。
「思案の結果、私は左につきます。
人が独りでは生きられないように、国もまた
一個の力では立ち行きません。
諸外国と協力関係を結びますならば
この国はさらに繁栄するでありましょう」
今度は、厳めしい顔立ちの聖職者が進み出た。
「陛下、私は右でも左でもなく、上につきます
真理と天国の祝福がただしく国を支配するならば
その国は複雑な政策や外交、また戦争によらずとも
高き民も低き民もともども幸せになれるでしょう。
国民は王を『賢き王』とたたえ、国々は『知恵ある民』と
おどろき、唱えるでありましょう」
最後に、聖職者の弟子である百姓が飛び出した。
「王様、先生が上ならば、おれは下です。
おれは土を耕して、野菜をつくり、国に納めています。
牛や、豚や、鶏は家族も同然でして、鳥、花、草
山や森、川に海、風に空、みんなおれの友達だ。
この大地があれば、何にも怖くねえ」
これらを聞いた王様は、立ち上がるなり叫んだ。
「おまえたちこそ、まさしく国だ!」
+ + +
王様の家来の中に
ひとりの頭の足りない男がいて
王様は彼を愛していました。
その日も、彼は大胆に語ります。
「毎日、お忙しいあなた様。
今日も今日とて、兵はご要り用で、
国民は、居酒屋で税金をさかなに
あなた様の名を酒の泡と共に吐きだし、
人殺し、せっ盗、不倫、土地争奪の
案件で役人はてんてこ舞い。
隣の国には輸入額をふっかけられ
かの大国のご機嫌をうかがい、
あの小国の生意気をがまんし、
側近たちの小競り合いをなだめ、
広告蛙たちの相手をしなければなりません。
ところで、私めの訴えを申しますなら、
ただあなた様が朝起きたのと
同じ床に夜には戻られ、
息子、娘、父母、叔父叔母、おいっ子、祖父母、
そして、あなた様の隣の家の者と仲よくし、
通りすがりの男に会釈なされ、
見知らぬ女性に道をおゆずりになり、
外国の人々を寛大にもてなされ、
右左わきまえぬ子どもらを守られ、
年寄りたちの前では帽子をお脱ぎになり、
貧しき者と病者を慈しむこと。
これのみにございます。わが君よ」
+ + +
車を出れば、一面広がる星の海。
夜空を飾る星々の、語り伝えを聴こう。
ひとりの赤子が生まれた、
濃い煙が渦巻く中に。
高く上がった産声に
喜びつつ集まった精霊たちは、
赤子をだきしめ、溶け合った。
赤子は大きくなると、ほかの子供たちと遊んだ。
子どもたちは笑っていたが、時にはケンカもした。
そうやって、また子どもは大きくなり、
いつしか光を放つようになった。
彼の腕の力も、足の力も増し、
周囲には多くの者が集まってきた。
彼はもはや子どもではない、たくましい若者なのだ。
彼は自分の知らない見えざる意思により、
命じられた仕事があったが、
時満ちてそれを始めた。
巧みな技により、岩と岩をぶつけ、
氷にはめ込み、火であぶり、
彗星のガスをまぶした。
やがて彼の手になる幾多の作品ができたが、
そのうちの一つを彼は特に愛した。
彼がそれに眼を注でいると、見よ、
神の力がそれを覆った。
すると、それは生き、青くみずみずしい乙女となった。
彼は歓喜し、灼熱の息吹を発した。
彼は一家の長として威厳を持ち、
自分の庭園を管理した。
船の者どもはみな喜んだ。
彼らの大事な勇士なる息子と喜びをともにして。
夜空を彩る星々の語り伝えを聴こう。
銀河をなす無数の光体のうち、
どれひとつとして太陽にまさるものはない。
太陽は銀河の端、辺境に居をかまえているが、
地球と婚姻した幸せ者だ。
巨大なる銀河も何になろう、もしそこに生命が宿らないなら。
だから、銀河は待ち望んでいたのだ、
そう、星々は待っていたのだ、
太陽と地球の婚姻を。
銀河は宇宙を旅する大船舶、
人間はこんなにもたくさんの光に包まれて、
見守られているのだ。
(誰がこれをなした?)
(誰がこれをなした?)
完全や完璧という言葉はよく聞くが、
それは一体、何だろう。
この宇宙の成り立ちこそ、完璧といえるのではないか。
この失敗だらけのように見える宇宙の営みこそが真の完璧なのだ。
人間の想像や理想など、この営みの前では無に等しい。
(誰がこれをなした?)
星々の声を聴こう。
私らの心に問いかけよう。
答えはあるだろう、しかし
おそらく言葉はないであろう、
あたかも、虚空に向かい、全力で叫んだところで、
返ってくるのが果てしのない沈黙であるかのように。
そしてその言葉なき返答こそ、
まさしく僕らの問いを
聞き上げてくださったという
保障にちがいない。
+ + +
問いは己の中にある 答えもまた己の中にある
自分という一冊の本をつくっていこう
+ + +
鳥が枝にとまっていると
突然、背中に芋虫が落ちてきた。
おどろいた鳥が体をはげしく振っても
芋虫は離れなかった。
そして、芋虫が何やらブツブツ呟いているのが聞こえた。
「おお、可哀そうな鳥。可哀そうな鳥」
その鳥は、なぜオレが可哀そうなのか、と聞いた。
芋虫は答えた。
「銃声が聴こえたのです。
見上げてみると、ちょうど
あなたのような鳥が人間に撃ち落されて、
落下してきました。
私は全てを見ていたのですが、
人間は、地上に伸びていた鳥を取ると、
丸焼きにして食べてしまいました。
私はもう悲しくて、悲しくて、
どうしようもありませんでした。
そして、あなたを見かけると、
いたたまれず、抱きしめたいと思い、
そうせずにはいられなかったのです」
その鳥は、わけがわからなかったので、
首をめぐらすと、芋虫をひとのみにしてしまった。
少したった頃、
鳥は、仲間の群れと共に、とある戦場に来た。
そこには、たくさんの人間の死体があり、
鳥たちは思うさま啄んでいた。
その時、あの鳥は、芋虫のことを不意に思い出した。
鳥はだんだんと体が震えてきて、
ひとり、仲間からはぐれると
岩の上に飛び乗り、大きな声で鳴いた。
すると、そこへ戦車に乗った人間たちが戻ってきた。
群れはいっせいに逃げ去ったが、
その鳥は動こうともしなかった。
車から降りてきた人間たちの姿を見ると
鳥は激しい勢いで飛びたち、
人間たちの方へと飛んで行った。
驚いた彼らは、
持っていた銃で鳥を撃ち殺してしまった。
鳥は、あの芋虫と同じようになった。
+ + +
善を為す。人は善を為す。
人の生まれた意味はこれだから。
力及ばないことは、はなから承知。持つものは何もない。
それでも人は、善を為す。
誰の役にも立てはしない。自分の無能さを痛感する。
それでも人は、善を為す。
この世から見捨てられた者がある。天涯孤独の者がある。
それでも人は、善を為す。
若くして病み衰えることがある。突然、余命宣告を受けることがある。
それでも人は、善を為す。
悪が襲い掛かって自分を失うことがある。悪が我が内にあることがある。
それでも人は、善を捨てられない。
どのような生業に従事しているか、
どのような場所に生まれ、住み、
どのような年齢、どのような性別、
人格、知能、地位、能力、見た目、思想、
その他、いかなる個別性の持ち主だとしても、
そのようなことは一切合切、まったく関係なく、
人はひたすら善を為す。善を求める。
事の大小に関係なく、事の優劣も関係なく、
善は、手元に、足元にひっそりと置いてある。
今すぐ手に取り、その音色をひびかせることができる。
もし己に善があるならば、誰かのもつ善に引け目を感じることはない。
生あること。すでにまさしくそれが、善なのだから。
善の定めた生命は、善を求めてやまない。
悪は怖れるべきでない。ましてや、うらやむな!
私たちを創ったのが誰なのか、考えてみよう。
私たちのまわりに咲く花が、私たちのためにどのように装い、
私たちのまわりを飛ぶ虫が、私たちのためにどのように踊り、
私たちのまわりを吹く風が、私たちのためにどのように香り、
私たちのまわりにいる鳥が、私たちのためにどのように歌うか。
父が、母が、兄が、姉が、弟が、妹が、祖父が、祖母が、
友が、恋人が、同僚が、先輩が、後輩が、隣人が、同行者が、
森が、空が、海が、川が、大地が、星が、太陽が、月が、
世界が、宇宙が、霊界が、天界が、地獄が、物質が、精神が、
眼球が、毛髪が、手足が、胴体が、臓器が、筋肉が、骨格が、せきずいが、
私たちのために用意され、創られた。
そして、すべての物事を貫き通るのは、善!
私たちはこれほどまでに満々たる善の中で生きている。
だから、善は為るのだ。事の大小、優劣、速い遅いに関係なく。
それが、私たちが生きていられる証拠であるのだから。
+ + +
私が死ぬ時、共にいて下さる方がいる。
その方は、一度死に、再び生きて、
世々に渡って私たちと一緒にいて下さる方だ。
その方は、私の人生のどんな時、どんな場面でもそばにいて、
私を在るべき所へと引いていって下さる。
私のもつちっぽけな力、ちっぽけな財産、
本当にちっぽけで取るに足りない自分自身、
そんなものよりずっと価値のある方だ。
だが、目には見えない、信じるしかない、
その方が、毎日毎秒、私のかたわらにおられることを。
どうか、この世で最後の息を吸うときにも、そうでありますように。
それが、苦病のため、痛みに満ちたものであり、
自分の手を握ってくれる親しい手が一つもなく、
吹きすさぶ寒い風と、不吉なカラスが鳴きわめき、
目の前には旋回する蝿と白い天井、
言葉のひとつも満足に発することができなくなったとしても、
その方を信じ、その方の御言葉と御姿とを思い出し、
まったく委ねることができることを、ただ、こいねがう。