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エンディング

「今回の事件。まず、園野坂学園高等部校長の坂下宏造の殺害だ。その事件の奇妙な部分は、つい数分前までいたはずの部屋から一キロ以上離れた場所で発見されたこと」

「メディアでも取り上げられてる、遺体の瞬間移動、ですね」

「ああ。そして、続けて起こったもう一つの事件。園野坂学園理事長、園野坂大二郎と、教員数名の失踪」

「失踪者は、未だ全員見つかっていません。殺された校長と、行方不明になった理事長、先生たちには、共通点があったんですよね」

「それが、二十年前に起こった、連続女子児童失踪事件ーー誘拐事件への関与。昨日の夜、西宮から連絡があって、あの手帳の筆跡が、坂下宏造のものと一致したらしい。このことから、坂下校長を殺したのと、理事長たちを行方不明にした人物が同じであることは推測出来る」

「手帳と言えば、校長室で見つかったものがもう一つ。隠し通路の入り口がありました」

「そうだな。どこに繋がってたか、ちゃんと覚えてるか?」

「もちろんです! 園野坂学園初等部の校舎裏。校長の遺体が発見された場所の、すぐ近くでした」

「校長室に血痕とかが残っていなかったのを見ると、校長が殺害された場所はその通路だろう。犯人はあらかじめ校長室で待ち伏せていて、やってきた校長を薬か殴打か、何かしらの方法で昏倒させた。通路に引きずり込んで、殺害し、そのまま初等部の裏へ運んだ。実際、それらしい血痕も見たしな」

「え! そうだったんですか!? 何で言ってくれなかったんですか!」

「言ったら、ただでさえ俺の帰りが遅くてべそべそ泣いてたお前が怖がると思ったから言わないでおいてやったんだよ」

「泣いてないです!」

「はいはい。校長殺害と、遺体の移動。それから、部屋を荒らした犯人の逃走経路はこの通路だろう」

「……ん? でも、ちょっと待ってください。先生たちが校長室の扉を破ったとき、絨毯は普通でしたよ。犯人があの扉を開けて穴へ入るには、私たちがあの穴を見つけたときみたいに、絨毯をめくらなきゃいけないですよね?」

「そうだ、よく気付いたな。確かに、部屋の真ん中付近に扉があったあの通路を使うには、絨毯が邪魔になる。でも、その問題は、案外簡単に解決できる」

「簡単に? どうやってやるんですか?」

「犯人には、協力者がいた」

「協力者?」

「ああ、まず、校長を殺した犯人と協力者が、通路を通って校長室に来る。このときは校長を運び出した直後だから、そのときのまま絨毯はめくれてるな。そして、犯人の方が大きな音を立てながら部屋をめちゃめちゃに荒らす。しばらくして外に人が寄ってきたタイミングで、まず犯人の方が穴に入って扉をごく小さく開けておくだけにする。そして、協力者に絨毯を元に戻させるんだ。固定用のネジも、数カ所は軽くでいいから戻させる。それが終わったら、協力者は適当な場所から絨毯の下に潜り込み、犯人が押し開けている扉の隙間から、穴に入る」

「……ええ……。確かに出来なくはなさそうですけど、あのとき音がしてから扉が開くまで、そんなに時間長くなかったですよ? 本当に可能なんですか?」

「条件が整って、あとは工夫と練習でどうとでもなる」

「条件? ていうか、工夫は分かりますけど、練習って……」

「おーっと、馬鹿にすることなかれ、だ。この一連の事件が復讐だってこと、忘れたのか? 条件の話……まあ保険をかけて、成功率が上がる条件、としようか。それは、『協力者が小柄であること』だ」

「協力者が、小柄であること……」

「狭い場所でも動くことが出来て、でも、ある程度の重量があるもの……丸めた絨毯なんかを、体重を使って動かすことが出来るくらいの運動能力はある。そうだな、小学校低学年くらいとか」

「……!! ……い、いや、だってそんな。ん? え?」

「……お前の考えてることは何となく想像つくけど、それは違う。いや、でも、当たらずとも遠からず?」

「???」

「お前さ、西宮が事務所に来たとき、女の子……スミレを見なかったかって聞いて、見たって言われてたな」

「は、はい。薄茶のブレザーに、灰色のタータンチェックのスカート。髪の毛を一本の三つ編みにした女の子が、お父さんと一緒にいたって」

「そう言ってたな。あのあと、西宮にちょっと聞いてみたんだ。その子の髪留めがどんなのだったか見たかって。紫色一色のリボンだったと言われた」

「……え? 嘘。だ、だって、あのとき、スミレちゃんのリボン、模擬店で買ったやつに変えましたよね? 青と紫色の、花の形の飾りが付いた髪ゴム。南雲さんが付け替えて……そういえば、あのリボンどうしました?」

「まだ持ってるよ。鞄の中に入れっぱなし」

「じゃ、じゃあ、なんで?」

「お前、覚えてるか? 俺たちが校長室の前にいたときに見て、すぐにどっかに走って行ったスミレ。あいつが付けてたのも、お前が買った髪ゴムじゃなくて、紫色のリボンだった」

「…………」

「西宮と俺たちが見た、紫リボンのスミレに似た女の子が、犯人の協力者だ。あの通路には出入口が複数あった。一番近い場所はおそらくまだ高等部の敷地内だろう。そこから出れば、あの渡り廊下の扉までそれほど遠くないはずだ」

「それなら、私たちとずっと一緒にいたスミレちゃんは、なんなんですか? それに、あのアルバムに写ってた女の子も! だって、みんな全く同じ服装で、顔も背格好もそっくりで……。双子? でも、アルバムは十四年以上前だし……血縁関係ですか? でも、それならどういう?」

「おうおう落ち着け。いいか、俺たちが一緒にいたスミレと、校長室の前に現れた子が別人であるということは分かったな。じゃあ、アルバムに写ってる、二人にそっくりな女の子は誰なのか。……俺は、その答えを知ってる」

「だ、誰ですか!?」

「でも言わない」

「は!?」


 コーヒーを飲み干して、南雲がソファから立ち上がった。机の方に歩いていって、椅子の上に乗っていた鞄を手に取る。

「な、なんでですか!? なんで言ってくれないんですか!?」

「んー。言ってもたぶんお前は信じないから。納得するのはたぶん西宮くらいだな」

「西宮さん?」

「うん。そいじゃ、俺はそろそろ出るから。菓子食い終わったら帰れよ。鍵置いてくから、ポストに頼むわ」

「ちょ、ちょちょちょっ、ちょっと待ってください!」

 事務所の出入り口へ向かおうとする南雲の腕を掴んで止めた。夏樹はしばらく言葉が出てこず、あうあうと口を開けたり閉めたりしていたが、不意に、脳裏にスミレの姿が浮かび、口を引き結ぶ。自分にはなかなかなついてくれず、南雲にばかり付いていたスミレ。それでも、髪ゴムを渡したときに見せてくれた。

「お、お願いします。教えてください」

「…………」

「ここまで関わっておいて、私だけ知らないなんて不公平です! 確かに南雲さんはゲームと現実をごっちゃにしちゃうダメなタイプのオタクで、たまに変なこと言うし、嘘もつくし、なんでもかんでも信じられるかと言われるとそうでもないですけど!」

「ダメオタク云々は自称だけど、言ったなお前」

「でも!! お仕事については真面目だってこと、ちゃんと分かってますから! 伊達に一ヶ月取材してないですから!」

 それに、と続ける。

「スミレちゃんは南雲さんにばっかり懐いてましたけど、私だって、スミレちゃんのお友達だと思ってますから! 髪ゴムあげたんですよ。お揃いの! お友達ですから!」

 ふん、と胸を張ると、南雲は少し目を見開いたあと、ゆっくり笑った。

「……一ヶ月は菓子食いに来てただけだろ」

「うぎっ」

「でも、お友達っていうのは、悪くないかもな。よし、じゃあ、お前にチャンスをやろう」

「チャンス? ……あっ!」

 夏樹が声を上げると、南雲はニヤッと口の端をつり上げて、ジーンズのポケットに手を突っ込んだ。出てきたものを、夏樹は指さし確認する。

「えーっと……ダイス!」

「お、サイコロって言わなくなった」

「覚えましたから! それで、今回は?」

「『信用』。そうだな、技能値も振って決めるか」

 ほい、とサイコロ改めダイスを渡され、とりあえずローテーブルに転がす。

 十の位は五。一の位は九。

「むむ。五十九……」

「低くはないな。高くもねえけど」

「でも、こういうのの方が、振りがいがあります! いきますよ!」

「なんだよ振りがいって」

「ん~~~~っ、といやーーーー!!」

 夏樹が上に向かって投げたダイスは、それほど高くはない事務所の天井に当たりガンッと音を鳴らすと、ほぼ垂直に落下してきた。ローテーブルの上で跳ねたダイスはあっという間に床へ落ち、やがて転がるカラカラという音も止んだ。

「わわわ、割れてません?」

「ビビりすぎだろ。プラスチックだしもろくはないけど、別に一個二百円もしないから気にすんな。さて、どこいったかね」

 二人でしゃがみ込んで、ダイスを探す。先に声を上げたのは夏樹だった。

「あ、青がありました。七だから、一の位は七ですね」

「赤もあったぞ」

「う……。い、いくつでしょうか」

 自然と胸の前で手を合わせ、ぎゅっと目をつむって、夏樹は南雲の答えを待つ。すぐに南雲が鼻で笑う声が聞こえ、

「十の位は四。だから、四十七」

「……やったーー!!」

「盛大に投げた割には普通に成功したな」

「いいじゃないですか普通で! 普通が一番ですよ!」

「そーだね」

 夏樹がまた胸を張ると、南雲も歯を見せて笑った。

「さあ、約束です! スミレちゃんのこと、教えてください」

「了解。アイツは――」



 その日の夜。

「事務所から約四十五分の住宅地からもやや外れたところにある日本家屋か。なかなかおあつらえ向きなシチュエーションでいいな」

「そういうものですか」

「そういうもんだ」

 いつもの鞄から取り出したゴツめの懐中電灯を持って満足げに頷く南雲に首を傾げながら、夏樹は目の前にあるものを見上げた。南雲が言ったとおり、それは一軒の、平屋建ての日本家屋。豪邸というわけではないが、頑丈そうな石の塀に囲まれ、縁側と庭が見える。屋根も瓦がきっちりと並んでおり、二人が立っている場所から玄関までは、石畳の道ものびていた。

「……ボロボロではないけど……。でも、雨戸は閉まってるし、庭は荒れてるし、壁はちょっと黒ずんでるし……。なんか、不気味ですね」

「お前やっぱホラーダメだろ」

「ダメじゃないです!! 南雲さんの方が怖い話苦手じゃなかったんですか!?」

「あれだけ話しておいて、なんで俺が怖いもん苦手になるんだよ。言ったろ、『嫌い』なんだよ。作りもんばっかりのちゃちな心霊番組も、広がりすぎてわけ分かんなくなってる噂話も。馬鹿か」

「うぎぃ……」

「ほれ、さっさと行くぞ。別に外で待っててもいいけど」

「行きます!」

 並んで石畳の上を歩き、玄関の前に立つ。扉の横にあった呼び鈴を南雲が押すと、ピンポーンという少し割れた電子音が外まで響いた。少し待っても、誰も出てこない。

「こ、こんばんはー……」

「なんで挨拶?」

「大事じゃないですか挨拶!」

 しかし、その挨拶にも何かが返ってくることはない。不意に、南雲は玄関の引き戸に近づくと、そこに手をつき、右耳をぴったりくっつけた。

「……音は特に聞こえねえな」

「灯りもついていませんし、誰もいないんでしょうか」

「必ずしもそうとは言えないが……」

 そう言いながら引き戸の取っ手に手を掛ける。そっと横に引くと、扉はカラカラと小さな音をたててなめらかに開いた。

「ここには、誰もいないな。入ったら声落とせよ」

 玄関に入っていく南雲のあとに夏樹も続く。室内は、灯りがひとつも点いていなかった。外にある街灯の光を受け、靴箱の上にある花の生けられた花瓶や廊下に上がったところのスリッパが掛けられたラック。その隣の、紐で縛られた新聞紙の束が浮かび上がる。

 一見しただけでは目立つほこりや汚れはなく、異臭がするようなこともない。外から見たときの印象に反して、中は清潔感と生活感があった。

「ど、土足で上がるんですか?」

「どこに危険なものが落ちてるか分からんからな」

 そう言って、靴をはいたまま上がっていく南雲。夏樹も、玄関に置いてあったマットに靴の裏を擦り付けてから、そろそろと廊下に立つ。

 南雲が懐中電灯を点けると、暗くてよく見えなかった廊下の先が見えるようになった。

 廊下は左側に襖。右側は同じ木の扉が二枚並んでいる。おそらく風呂やトイレだとうと推測するが、詳しくは分からない。奥は扉一枚分のスペースに長い茶色い玉のれんが掛けられており、向こう見えるのは台所らしかった。

 南雲が何も言わずに左の襖に近づき、玄関のときと同じように聞き耳を立てた。何か聞こえたのか、何も聞こえなかったのか、夏樹には分からない。けれど、南雲は襖を開けた。

 ぱっと懐中電灯の灯りに照らされたものを見て、夏樹は思わず南雲の腕にしがみついた。

 部屋は畳敷きの和室だった。二間続きで、真ん中にある仕切の襖は大きく開いている。その、襖のところに、男性が二人立っていた。一人は紺色一色の浴衣を着ていて、髪を後ろで一つに縛っている。もう一人は黒いスーツを着ているが、それはところどころが破け、汚れ、そしてどうもその体には大きすぎるように見えた。立ち方もなんだか変で、両手を横に広げ、体が不規則にガタガタと前後左右に揺れている。

 南雲が少し懐中電灯を動かすと、浴衣の男性が持っているものがちらりと光った。格好からするとひどく不釣り合いに見えるそれは、よく研がれたサバイバルナイフ。

「こんばんは。お待ちしておりました」

「こんばんは、用務員さん」

 南雲が言うと、浴衣の男性は少し困ったように息だけでハハと笑った。その人は、つい昨日、園野坂学園高等部で自分たちに応対した用務員の男性だった。男性は言う。

「北村洋一といいます。もうご存じかもしれませんが」

「そうですね。知ってますよ、あなたの娘さんたちのことも」

 男性――北村が少し顔をしかめた。そして、持っているサバイバルナイフを隣の男性の首に押し当てる。南雲がまた懐中電灯を動かし、今度はスーツの男性の方を照らした。それを見て、夏樹はハッと息を飲む。南雲が腕を動かして、夏樹を自分の後ろ側に隠した。

 南雲が照らした男性の首には、茶色い縄が巻き付けられていた。その輪からピンと一本、上の方にのびていて、先端は鴨居にしっかりと結びつけられている。男性の足は畳にはついておらず、代わりに、カラフルな果物の缶詰の空き缶をガムテープで縦に繋げたものが二つあり、そこに足を乗せている。大部分が欠けた歯を食いしばりバランスをとる男性の顔は、一部は赤く腫れ上がり、一部は青紫色に変色し、かろうじて見える平らな肌は真っ白だった。口元の髭も不格好によれ、目は血走っていた。スーツの破けたり切れた部分の奥は赤黒いものが溜まっている。

 夏樹も南雲も、その姿に見覚えがあった。ひどくボロボロで痩せていたが、園野坂学園理事長の、園野坂大二郎だ。

「行方不明になっている他の教員も、どこかにいるんですよね。生きているんですか?」

「……まずはその目障りな光を消してくれませんか。どうにも光が入ると目が痛んで、いつも手元が狂うんです」

 ナイフの先が、理事長の首へさらに刺さる。南雲はさっと懐中電灯を消した。

 北村が言う。

「他の人たちは地下にいますが、生きているかどうかは分かりません。世話は他の者に任せているので」

「そうですか。俺は頼まれて、あなたがソイツを殺すのを止めにきました。止めといた方がいいんじゃないですかね」

「全く心のこもっていない説得をされると、逆に興味がわいてくるから不思議ですね。誰に頼まれたのでしょう。警察ですか? 子供を五人もいたぶり殺した人間です。どこで死ぬかの話でしょう」

「ん、すみません、言い方を間違えました。誰がどこで死ぬかは問題じゃないんです。俺は、あなたが人を殺さないようにしてほしいと、依頼されました。警察じゃないですよ。でも依頼主のことを、あなたはとてもよく知っています」

「……?」

 北村が怪訝そうに眉を寄せ、探るように一度南雲を上から下まで見た。

「依頼者の名前は、北村菫。あなたの娘さんです」

「……はぁ?」

 北村の顔がひどく無理矢理に笑顔を作っているように歪む。首を傾げて南雲を見る目が、強い嫌悪を示していることが分かった。

「ふざけたことを言うのは止めてください。不愉快です。だいたい、あの子は二十年も前に……前に……」

「殺されましたね。その男に」

「……っ」

 南雲は、目線を理事長の方に移した。背中から顔を出してちらりと見上げたその顔は、不愉快そうに口をへの字に曲げ、軽蔑の色をうつしている。

「二十年前の十月。先生に言いつけられて学校に残っていた北村菫さんは、当時初等部に赴任してきたばかりの教員だった坂下宏造に拉致され、理事長の家に監禁されます。その後、同じように拉致されてきた他の少女たちと共に、性的暴行を受け、のちに死亡。少女たちが失踪した段階で始まっていた警察による捜査と、マスコミによる報道はかなり早い段階で失速し、少女たちの遺体が見つかっても再び加速することはなかった。まあ、ソイツは各界にパイプがあるみたいですしね。平たく言えばもみ消し。クソだなマジで」

 フン、と鼻を鳴らすと、吊られている理事長の口がわずかに動き何かを言おうとした。しかし、口から出てくるものは低い呻き声と荒い息。喉が潰れているのかもしれない。

 北村がナイフを持つ手に力を込めた。

「……そこまで知っていて、加えてそう思っているのならば、何故わたしを止めるのですか」

「言ったじゃないですか。止めてくれと頼まれたんです。菫さんに」

「馬鹿なことを!」

「いたって真面目ですよ」

 北村の言葉を遮るように声を張った南雲は、鞄の外ポケットから何か小さなものを取り出した。目をすがめる北村を見て、南雲が懐中電灯を再び点け、それに当てる。

「これのこと、ご存じですよね」

「……!! 何故それを!!」

 北村の目が見開かれ、ぐらりと揺れる。

 南雲の手の上にあったのは、小さな巾着袋だった。古いものなのか、もとは鮮やかだっただろう赤はだいぶ色褪せ、隅の方は糸がほつれている。巾着についている紐は、輪を作れば首に掛けられそうな長さだったが、残念ながら途中で切れてしまっていた。

「それは、あの子の母親が作ったものです。ずっと見つからなかったのに、どこでそれを……」

「菫さんから、依頼料として頂きました」

 南雲が言う。

「っ……あなたは、いったいどれだけ人を馬鹿にすれば気が済むのかっ……!」

 北村の顔が、いよいよ嫌悪に歪んだ。夏樹は思わずもう一度南雲の後ろに隠れたが、南雲は身じろぎひとつしない。

「言いなさい。本当は誰に頼まれて私を止めに来たのですか。あの子の宝物の偽物まで作って。警察ですか。それとも、まさかとは思いますが……この男ですか」

 そう言うと、北村がナイフの側面で理事長の首を軽く叩いた。南雲がまた鼻を鳴らす。

「それこそ悪い冗談ですよ。何度でも言いましょう。依頼者は北村菫です」

「このっ……!!」

「北村菫は、まだ居ますよ」

 そう言って、南雲は腕を上げるとまっすぐ前を指さした。それはちょうど北村と理事長の間を示していて、夏樹はその場所を見るとハッと息を飲んだ。その様子は北村も見えたのか素早く振り向く。そこには女の子が立っていた。暗がりでよく見えないが、黒く長い髪を一本の三つ編みにしていて、ぼーっとこちらを見ているようだった。

 一瞬、北村の身体が硬直したが、それはすぐに解けて、それから掠れた笑い声が聞こえてくる。

「……なんだ。違います。この子は違いますよ。この子は菫子です」

「菫子……?」

 夏樹が呟くと、再びこちらを向いた北村が目を細め笑って頷いた。

「施設に居たんですが、あの子によく似ているんです。私の言うことをよく聞く、いい子ですよ」

「…………」

「でも菫子。今日はもう部屋に戻りなさいと言ったでしょう。服もそのままで、どうしたのです?」

 そう言う北村の声は、少し叱るようでもあったが、とても優しげで、慈しむようなものだった。

 夏樹は戸惑う。先ほどまであれだけ殺気立っていた人物が、一瞬で温厚な態度へ変わったというのもそうだが、また別の理由でも。一人で内心おろおろしていると、ぽん、と肩に手が乗った。見上げると、南雲が、うむ、と頷いた。ゴーサインが出てしまった。夏樹は出来るだけ力強く頷き返すと、覚悟を決めて北村に話しかける。

「あ、あのっ」

「……なんでしょう?」

 なんとなくそんな気はしていたが、北村の声がすっと冷たくなって、夏樹は怯んだ。しかし、こうなっては仕方がない。見えているものは仕方ないのだ。

「その子が菫子ちゃんだとして……あちらにいる子は、誰なんでしょうか……?」

「は」

 夏樹が指さしたのは、菫子と呼ばれた少女が立っている場所から右にずれた場所。向こうの座敷の右の壁は、外に廊下があるのか襖になっていた。その襖が、少し開いている。さらに、そこで小さい人影が動いているのが見えた。

 南雲が懐中電灯の灯りを向けると、その姿がはっきりと見えるようになる。強い光を受けて眩しそうに目をぎゅっと瞑ったのは、一人の女の子。長い黒髪を一つに束ね、薄紫色の浴衣を着た彼女は、ひどく菫子に似ていた。

「おとう、さん」

 浴衣の少女の声を聞いて、北村が息を飲む。すぐに菫子に目を移したが、そこに、彼女は居なかった。

「こっちですよ」

 南雲の声で、呆然としていた北村が振り返る。夏樹も気が付いた。夏樹とは反対側の南雲の隣に、いつの間にか女の子が一人立っている。薄茶色のブレザーと、灰色のタータンチェックのスカートが、今度ははっきり見えた。

 それから、三つ編みを束ねる、青紫色をした花の飾りが付いた髪ゴムも。

「……スミレちゃん?」

 夏樹が呼ぶと、少女がぱっとこちらを向いた。そして、夏樹と同じように南雲の服の裾を掴むと、ふふふ、と笑う。怪奇かつ切迫した状況を忘れ、夏樹も思わず笑顔になった。

「……菫子、部屋に戻りなさい」

 北村が呟くように言った。その言葉に反応したのは、襖のそばにいる浴衣の少女。彼女は北村の声に驚いたのか、怯えたような表情で小走りにその場を離れた。

 北村はしばらく黙っていた。夏樹がちらりとスミレの方を見ると、彼女はただじっと、父親のことを見ていた。その横顔がとても大人びて見えて、夏樹はなんだか見てはいけないものを見てしまったような気持ちになる。

 ふと、何かが畳の上に落ちる音がした。見ると、ナイフが北村の傍らに落ちている。

「菫」

 北村が呼んだ。スミレが瞬きをする。

「おいで、菫」

「……」

 手を差し出す北村に、スミレは首を横に振った。それから、ん、とある場所を指さす。そこには、もう息も絶え絶えになっている、吊られた理事長がいた。スミレが、ん、と理事長を指さして、また首を横に振る。

 北村は、ひどくショックを受けたような表情をした。どうして、と掠れた声で呟く。それでも、スミレは首を横に振り続ける。

「おトウさん、だメっ」

「!!」

 ザラザラと砂利道で足を引きずったときのような音に混じりながら、スミレの声がした。初めて耳にするスミレの声は、おぞましくも、可愛らしくも聞こえた。

「……駄目、か……?」

「ダめ」

「…………」

「北村サン」

 南雲が声をかけると、北村はゆるゆると南雲の方を向いた。

「俺はぶっちゃけ北村サンと同意見なんだよ。あんなヤツいつでも死ねばいいって思うし、あんたが殺したがるのも当然なんだ。でもコイツの望みは、父親が復讐することじゃなくて、父親がこれ以上道を踏み外さないことなんだよな。俺はコイツにその手助けをして欲しいって言われただけだけど、分かってやってくれよ、その辺さ」

「……菫」

 北村が再びスミレを見ると、スミレは口を引き結んで、うん、と頷く。すると、北村はよろよろと歩き出し、理事長の横に立った。落ちたナイフを拾い上げ、理事長を吊す縄を切る。床に倒れ込んだ理事長はまた何事か呻くと、畳の上をずるずると這いつくばりはじめた。立てはしないようだが、まだ動けるということに夏樹は少し驚く。

 不意に、南雲が夏樹の耳元に顔を寄せた。

「表には西宮たちがいるはずだ。変な動きしないか、見とけ」

「……はい」

 そう話しているうちに、北村が浴衣の懐から何かを取り出し、こちらに投げた。チャリチャリ、と音を立てて、落ちたそれに懐中電灯を向けると、それが古びた鍵だということが分かった。

「……裏庭に、地下の貯蔵庫への扉があります」

 誰の方も見ずに、北村が言う。

「あいよ」

 南雲は鍵を拾い上げてズボンのポケットに仕舞うと、代わりに先ほどの巾着袋を取り出して、隣にいるスミレに差し出した。スミレがきょとんと首を傾げる。

「お前みたいなやつらから貰うのは、結局いつも返すんだ。全部俺が持つには、荷が重いからな」

 そう言って、スミレの手に巾着袋を握らせた。そうして、北村の方を指さす。

「これで、お前が帰れば、きっとお前からの依頼は達成だ」

「ア……う……」

「帰んな、迷子のちびっ子。お父さんは見つかった」

 南雲の声は穏やかで、スミレは少しの間南雲をじっと見たあと、頷いて、北村のもとへ歩き出した。父親のそばにたどり着いたスミレは、彼に巾着袋を差し出す。北村はそれを受け取ると、握り込んで、その拳を自身の額に当てた。

「……姉、さん」

 と、絞り出すように言う。

「お姉さん?」

「…………スミレの母親」

「え?」

 夏樹が見上げた瞬間、南雲が手に持っていた懐中電灯を素早く投げた。グゥッ、という唸り声が、思いのほか近くから聞こえる。と、思ったら南雲に強く引っ張られた。おそるおそる自分が今まで立っていた場所を見ると、ちょうど足下付近に理事長が手を押さえてうずくまっている。懐中電灯は手の甲に当たったらしい。夏樹は反射的にスカートの裾を押さえた。

「ヒッ……」

「ったく、これだけの目に遭っといて、若い女なら見境なしかよ。ホント気色悪いな。いっそ俺が殺してやろうか」

「な、南雲さんっ、それはさすがにマズいですよ!」

「なグもっ、メっ」

「む……」

 二人に止められ、非常に不服そうではあったが、南雲は引き下がった。その代わり、といった様子で理事長の首根っこを掴んで持ち上げる。

「な、南雲さん……大きいものを持ってどちらへ……」

「外に放り投げてくる」

 間髪入れずに答えた南雲は、北村たちを見た。

「……菫の母親に、報告をしたいのですが」

「…………。どうぞ」

 南雲がそう言ったとき、夏樹はふと、言いようのない不安に駆られた。おかしな間があった。南雲と北村を交互に見る。

「好きなようにしろよ」

 南雲が言って、ズルズルと理事長を引きずり歩き始めた。北村たちは、夏樹を見て、どうするか待っているようだ。

「あう、ううう……」

 夏樹は考えた。北村たちを残してここを出て行くのは非常に不安だ。けれど、二人について行ったり、ここで一人待つことを選択したとして、何かあったときどうする?

 それに、自分はここにいて良いのだろうか?

「……南雲さんと、一緒に行きます」

「そう」

 ズルズルズル、という音のあとに続いて、夏樹も歩き始める。部屋を出る直前に振り返ると、北村は少し頭を下げ、スミレが笑って手を振っていた。

 玄関を出ると、南雲が言ったとおり、西宮と、そのほかたくさんの警察官がいた。パトカーも数台停まっている。

「お疲れ。うおっ、何そのボロ雑巾みたいなの」

「二十年前の女児連続誘拐事件の首謀者。首でも何でも振って吐かせろ。それでも口割らなかったり喚くようなら、黒いつなぎ着せてドリームランドにでもほっぽっとけ」

「うわ~、えげつない……。具体的にどう怖いのか分かんないけど確実に怖いのは分かる……」

「あとこれ、たぶん残りの行方不明者が居る場所の鍵。裏庭に扉あるらしいから。あー、よく気を付けるように言って」

「……ん。おーい! 何人か来てー!」

 西宮が呼びかけると、スーツ姿の刑事と制服の警察官が合わせて七人集まった。そのうちの一人に鍵を渡し、裏庭に向かわせる。

「んで、ほかは?」

「まだ中。でもそろそろ――」

 そう言って、南雲が屋敷を見上げたそのとき、辺りに凄まじい爆発音が轟いた。

「ひゃあああああああ!!」

「うっわ!」

 夏樹たちが叫び声を上げると同時に熱を持った突風が吹き付け、その場にいた誰もが反射的に顔を腕で覆う。数秒が経って顔を上げると、見えたのは屋敷の奥からもうもうと立ち上がる煙と、広範囲で揺らめくオレンジ色の光。消防! という声がどこからか聞こえ、一気に辺りが慌ただしくなる。

 西宮が、キッと南雲を睨んだ。

「南雲!」

「……俺は、これがトゥルーエンドだと思ったんだ」

「南雲はいっつもそういうコトする。TRPG脳も行きすぎると良くないよ」

「……悪いとは思ってるよ」

 珍しく、南雲がバツの悪そうな顔で西宮から目を逸らした。その姿を見て、夏樹は慌てて西宮の腕を掴んだ。

「うおっ、夏樹ちゃん?」

「わ、私も、二人を中に置いていくことを選んだんです! だから、あの、南雲さんだけが悪いんじゃなくて……!」

「夏樹」

 その声に夏樹はハッとした。平坦に呼ばれた名前は、とてもゆっくりに聞こえた。なんだかんだで、初めて名前を呼ばれた。南雲は首を横に振る。夏樹は、何も言えなくなった。

「まったく……」

 西宮がため息を吐いて、夏樹と南雲は神妙にそれを受け止める。

 と、そのときだった。

「西宮さん!」

 呼ばれて西宮が振り返ると、そこには先ほど送り出した刑事や警官が、数人の痩せこけた男性たちを連れて来ていた。

「全員無事!?」

「はい、爆発のときは地下にいたので。ただ……」

「?」

 列の一番後ろから若い刑事が一人、前に出てきた。刑事は、薄紫色をした丸っこい何かを抱えている。それが何か分かった瞬間、夏樹は思わずそちらに駆け寄っていた。南雲もあとから続く。

「菫子ちゃん……!」

「裏庭の扉の前で、独りで泣きじゃくってたんです」

 カタカタと震える小さな身体を見て、夏樹は全体がオレンジ色の光に包まれ始めた屋敷をまた見上げた。

 ふと、隣に立って菫子を見ていた南雲が、顔を上げて振り返る。夏樹もつられてそちらを見ると、また新たな人物がそこに立っていた。

「あれ? どうしてここに」

「来たか」

「え?」

 南雲を見上げると、南雲はその人物を見たまま言う。

「もう一人の協力者だよ」

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