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導入

 午後一時。

 モッコウバラのツタが巻き付く鉄製アーチの前は、色とりどりの風船で飾りたてられていた。アーチには紙で出来た花に囲まれた横長のプレートが下げられており、白地に淡いピンク、オレンジ、水色で『花園祭』と書かれている。パステルカラーの看板は、目立ちこそしないが、品があり美しいデザインだ。

 その向こうに見えるのは、煉瓦模様の壁に黒い屋根。中央に時計塔の見える、左右対称の大きな西洋屋敷のような建物。手前には、巨大な噴水と様々な種類の花が咲く花壇がこれまた左右対称に並べられた前庭が広がっている。どこかにスピーカーがあるのか、華やかなクラシックが流れるそこは行き交う人も多く、制服を着た中高生や、家族連れなど種類も様々だ。

 東雲夏樹はぱかっと口を開けて、目をキラキラと輝かせながらまるで異国へ迷い込んだかのような光景に見入っていた。大きく息を吸って、やっと声を発する。

「ここが、私立園野坂学園高等部!」

「話には聞いていたが、実際に見てみるとすさまじいな」

 興味深そうに辺りを見回しながら行ったのは、夏樹の隣に立つ南雲玲。彼は右肩に下げた黒いショルダーバッグをかけ直すとアーチに向かって歩き出す。夏樹も慌ててそのあとを追った。

「学園祭がこんなに豪華なんて……すっごいですねえ。さすが超名門私立! お金持ち学校!」

 辺りをキョロキョロと見回しながら、南雲に追いついた夏樹は言う。そして不意に声をひそめて、南雲の顔をのぞき込んだ。

「それで、今日はどういうお仕事なんですか? 人探し? それとも別の事件の調査ですか?」

 キラリと目を輝かせた夏樹は、素早く首から下げた手帳を開き、右手にペンを握る。簡単に教えてくれるとは思っていないが、引き下がるつもりもなかった。


 夏樹は高校二年生で、学校では新聞部に所属している。彼女はここ一ヶ月、校内で話題になっているある人物に密着取材を行っていた。それが、今、隣にいる南雲玲という男性だ。何でも屋・御用聞きを自称し、実際その通りに働いている。そして腕も確かだ。夏樹が彼と出会ったのも、彼が今年の入学式直前に壊れた音響機器の修理に来たのがきっかけだった。

 だが、注目すべき彼の業務は、正確な修理や丁寧な掃除。どんな泣く子もぴたりと泣きやむ子守などではない。特筆すべきは、探偵業。

 鋭い観察眼と身につけた様々なスキル、それから直感を使って、大きなものから小さなものまで、様々な事件をたちどころに解決してしまうのだ。実際に夏樹は目の前で見た。

 機械の修理に来た彼が、夏樹のクラスで起こっていたペンケース連続紛失事件を解決するところを。


 記者に大切なのは根気と根性。座右の銘を今一度心に浮かべ、夏樹は南雲の答えを今か今かと待つ。が。そんな彼女を見て、南雲は目を瞬かせたあと、心底呆れたようにため息を吐いた。

「あのなあ。何度も言ってるけど、俺は探偵じゃなくて『なんでも屋』だから。それと、今日は仕事じゃねえよ」

「え……」

「今日はオフ会。ここのボードゲーム部の人とオフセ」

「おふせ……?」

 聞いたことがあるような無いような単語に、夏樹は首を傾げる。すると、南雲は彼女が持っている手帳を指さした。ハッとして、夏樹は手帳の最後の方のページをめくる。目当ての単語は、割とすぐに見つかった。

「オフセ。オフラインセッションの略。パソコンなどに搭載された通話機能やチャット、ネット上のサイトなどを使わず、実際に人と対面してゲームを行うこと」

「うむ。ちゃんとメモっているようで関心関心。次会うときまでには全部覚えてこい」

 じゃ、と言って軽く手を振り、南雲が校舎の昇降口へ向かっていく。夏樹はその後ろ姿をぽかんと見送っていたが、しばらくして我に返ると脱兎のごとく駆け出した。入り口へ続く短い階段に足をかけていた南雲の腕を掴み、思い切り引っ張ると階段脇のスペースへ引っ張る。

「うおっ。あっぶねえな……」

「お、お仕事じゃないんですか!?」

「は? ……うん。てか仕事だったらお前連れてこねえよ」

 いつも外の仕事の時間になったら追い出すだろ。

 言われて、夏樹はここ数ヶ月、彼の事務所に通い詰めた日々を思い返した。確かに、机に向かって書類仕事をしている姿しか記憶にない。例えば何かの修理とか掃除とかの依頼が入ると、適当なお菓子を押しつけながら一緒に事務所を出るように背中を押した。

 そして夏樹は、お菓子を持って家なり学校なりに帰っていた。

「……さ」

「さ」

「先に言ってくださいよ!!」

「言う前にお前が勝手に車に乗り込んできてさっさと出せとかせがむからだろうが。バーーーーカ」

「うえええええええ!!」

 まるで小学生のように涙目で叫ぶ夏樹に、南雲は面倒くさそうに眉間にしわを寄せ、目を細めた。そしてため息をひとつ吐くと、ズボンのポケットを探る。

「お前ちょっとこれ振ってみ?」

「うえ?」

 差し出された拳の下に手を出すと、コロコロと何かが落ちてきた。

「えーっと、これは確か……十面のサイコロ?」

「ああ。赤が十の位で、青が一の位な。1D100で幸運判定だ。さあ振った振った」

 『1D100』や『幸運判定』という言葉たちに首をひねりそうになったものの、急かされたため、夏樹は少し屈むと足下の芝生の上に二つのサイコロを転がす。さして時間もかけずに完全に停止したそれらをのぞき込むと、南雲はギョッと目を見開き、

「うっわ……」

 と、のどの奥から絞り出すような声で言った。

「100ファン」

 100ふぁん? と耳に入ってきた音を繰り返して、夏希はまた首を傾げる。ふぁん……ファン……。

「『ファンブル』!? 100って、一番……いっちばん悪いやつですか!? 致命的中の致命的失敗!?」

「お前……せめて80以下なら情をかけてやろうと思ってたのに……。無いわぁ……。今日は近づくな。帰れ」

「待って待って待ってください南雲さん!! 見捨てないで!」

 地面に転がるサイコロは、どちらも0の字を上に向けていた。一の位も十の位も0ということは、それすなわち数字の100を表す出目であり、とある状況において、『一番悪い結果』を示す数字である。

 そんなサイコロをさっさと回収し、再び昇降口へ歩いていこうとする南雲を追いかけながら、夏樹は半ばパニックで手帳をめくった。

「あ! わ、わかりました! えーっと、『信用』でサイコロを転がすので、チャンスを! ご慈悲を!」

「お前に対する信用は限りなく0に近いんだが」

「ひどい! じゃあえっとえっと……『言いくるめ』? いや、『説得』! 『説得』にします!」

「……しょうがねえな。ただし技能値は50だ。1D100で50以下を出せ」

「うええ……」

 今までの経験上、南雲の言う『50』という数字は、一見100の半分に見えて予想以上に低い数字だということを夏樹は知っていた。手と手を合わせるようにサイコロを持ち、念じながらよく振る。

「50より下、50より下……!」

 パッと手を開いて、サイコロを地面に落とす。いつの間にか強くつむっていた目をおそるおそる開いて、南雲と共に転がったサイコロをのぞき込んだ。

「なっ……!」

 瞬間、南雲が再び大きく目を見開く。十の位を示す赤いサイコロの数字は0。そして、一の位を示す青いサイコロの数字は1。

 顔を青くして絶句する南雲と対照的に、読んでいた手帳から顔を上げた夏樹は目をキラキラと輝かせた。

「南雲さん! これは『クリティカル』というやつですよね!? しかも、1は一番いい数字なんですよね!?」

 ほら! と、開いた手帳を南雲の顔に押しつけるように掲げてみせる。指し示した項目には手書きの丸っこい文字でこう書かれていた。

『クリティカル:スペシャルともいう。成功よりいい、大成功のこと。ファンブルと同じで、ある決められた範囲の数字を出したときに使う。※ゲームによって数字の範囲は違うが、南雲さんがよくやっているものでは1~5。1が一番良いらしい』

「100ファンのあとに1クリとか……荒ぶりすぎだろ。お前やっぱ頭おかしいわ」

「サイコロの出目に頭は関係ないじゃないですか!」

 夏樹が頬を膨らませると、南雲はふんと鼻を鳴らして地面のサイコロを手に取る。

「ま、判定がクリティカルで成功したことは確かだ。さっきのファンブルはチャラにしてやるよ」

「わーい!」

「ただし、俺は俺の予定通りに行動するぞ。人と約束があるんだからなおさらな」

「はい、ご迷惑はおかけしません。おとなしくゲーム……じゃなくて、セッションの見学します!」

「ついて来んのかよ。まあいいけど」

 歩きだした南雲に夏樹も並び、二人で昇降口の扉をくぐる。並んだ下駄箱の向こうに受け付けの机が並んでいるのが見えた。『実行委員』と書かれた腕章を付けた生徒が二人、穏やかな笑顔で来客たちの対応をしている。受付は昇降口から一段上がったところにあったが、マットレスが敷き詰められていて靴を履き替える必要はないらしい。

「そういえば南雲さん。知ってますか? ……この学校、怪奇現象が起こるらしいですよぉ……」

 ワザとらしく声を低くし、口元に手を当てる夏樹。そんな彼女に、南雲は眉間にしわを寄せて怪訝そうに見た。

「……は?」

「理科室の実験器具がひとりでに動き出すとか。教室の机や椅子の位置が一晩で変わるとか。地下室も無いのに足下から人の悲鳴が聞こえてくるとか……でひしっ!」

「あーはいはい、分かった分かった」

「なんで叩くんですか! ……あっ、まさか南雲さん。怖い話が苦手、とか?」

 ニヤッと笑って夏樹が言うと、南雲は不機嫌そうに口をへの字にしたあと、ひょいと肩を竦める。

「苦手なんじゃなくて嫌いなんだよ。怪談話なんてロクなもんじゃねえ」

「へえ~~~~」

「ニタニタすんな」

 いいことを聞いた、と夏樹はクツクツ笑った。手帳を開き、得たばかりの情報を書き留める。

『南雲さんは、怖い話が苦手』

 書き込まれた文字を満足そうに眺めて、ぴょんぴょんと跳ねるように受付へ向かった。その隣で、南雲は面倒くさそうにため息を吐いている。


 受け付けで渡されたパンフレットを見ながら、夏樹と南雲は校舎内を進んでいく。今は三階にやってきていた。

「あそこだな」

 そう言って、南雲は廊下の少し先を指さす。二人のいる場所からでは横になって見えなかったが、扉の隣に白い看板が立てかけてある教室が見えた。近づいて見てみると、確かに看板には『ボードゲーム部』と書かれていた。

 道中、可愛らしい装飾をほどこした雑貨屋さんや、いい香りのするカフェ、楽しそうな声が廊下まで響くゲームコーナーなどに変身した教室がたくさんあったが、その教室は、なんというか普通だった。申し訳程度につり下げられた出入り口の紙テープが風にそよいでいる。 

 失礼だけれど、ちょっとつまらない。夏樹は唇をとがらせたが、南雲はまったく気にしていない様子で紙テープを押して中をのぞき込んだ。夏樹も彼の後ろから教室を伺う。

 教室の中には想像以上に人がいた。三つから五つの机をひとまとまりにくっつけて小島が作られていたが、それらがほぼ満席なのだ。

 スタンダードなものならオセロやチェス、将棋に囲碁。すごろくやトランプが見える。だが、見たことのないボードやカードが広げられている机もたくさんあった。

 隣に立つ南雲を見上げると、彼は教室内を一通り見渡したあと、ためらいなく教室へ入っていった。ズカズカと進んでいく南雲を夏樹も追う。ものの十数歩で、南雲と夏樹はあるテーブルにたどり着いた。そこには人が二人いて、片方は園野坂学園の制服である学ランを着た男子生徒。もう片方は、黒いシャツに黒のジーパンという出で立ちの男性だった。

 先に男子生徒の方が顔を上げ、吊られて男性の方も南雲を見る。

 先に反応したのは、意外にも私服の男性の方だった。クリッと丸く大きな目をさらに丸くして、嬉しそうに口をふやふやと開けて笑う。黒ずくめの格好にしては、顔立ちはずいぶんと幼い。

「あ~! 南雲だぁ~」

「よう。早いな」

 ニコニコと笑う男性。南雲の友人? 呼び捨てだし、同級生だろうか? と夏樹は考える。その割にはずいぶん幼く見えるけれど。と、夏樹と同じように南雲と男性を見ていた男子生徒がハッと顔を上げた。ガタガタと立ち上がる。

「もしかして、零さんですか?」

「ええ。本名、南雲玲って言います。マインさんで合ってます?」

「はい! 佐渡心です。お会いできて嬉しいです」

 こちらこそ、と言って、南雲と男子生徒は握手を交わした。焦げ茶色の髪の毛をしていて、笑顔が爽やかななかなかのイケメンだ。

 ふと、そんな彼と目があった。

「そちらの方は、妹さん……じゃないですよね。双子っておっしゃってましたし」

「コントロールスキン? ふえしっ!」

「ZAPZAPZAP」

 南雲が容赦なく男性の頭を三回叩く。

「ギャッ! それ別のゲームだよ~!」

 涙目になって叩かれた場所を押さえる男性を無視して、南雲は腕を組んだ。

「んー。穏便に済ませるなら、なんて言ったらいいかな……」

「穏便ってなんですか!」

「……この間のマッサンのPCみたいな?」

「……面倒くさい妹分みたいな?」

「それ」

「ちょっと!」

 夏樹の抗議の声を聞き流すと、南雲は男性二人を交互に指し示した。

「一応紹介しておくわ。こっちの黒ずくめの童顔は西宮和宏。ハンドルネームはカズ。TRPG初心者の頃から面倒見てる」

「はじめまして~。よろしくねぇ」

 西宮と呼ばれた男性はゆるっと敬礼をする。

「こっちがマインさんこと、佐渡くん。もうオンセは五回くらいしてるかな」

「そうですね。はじめまして、園野坂学園高等部、二年の佐渡心です。よろしくお願いします」

 どうやらこの二人が、今日の『オフ会』のメンバーらしかった。

「ほら、お前も自己紹介」

 ぽんと南雲に背中を押され、夏樹は頷く。

「私、真木部高校二年の東雲夏樹と申します。新聞部所属で、今は南雲さんに密着取材させてもらってます。よろしくお願いします!」

 勢いよく頭を下げると、佐渡と雨宮はぱちぱちと拍手をした。

「じゃあ佐渡くんと同い年なんだねぇ」

「そうですね。東雲さんも、TRPGやられるんですか?」

 佐渡の言葉に、夏樹はぐっと言葉に詰まった。


 『TRPG』とは、『テーブルロールプレイングゲーム』の略称だ。

 据え置き・携帯型のゲーム機、もしくはパソコンといった電子機器やプログラムを使わないゲームのことで、必要なものはゲームの詳細な設定や世界観、決まり事が書かれた本である『ルールブック』。ゲームをプレイする人物の分身であるキャラクターの設定が書かれた『キャラクターシート』。ゲームの筋書きである『シナリオ』。判定のために使うサイコロ、『ダイス』。あとは、メモ用紙とペン。それくらいだろうか。

 南雲は、このTRPGの愛好家なのだ。オタクと言ってもいい。休日に事務所を訪ねると、よくヘッドセットを付けてパソコンに向き合っている。通信機器を使って、どこかの誰かと『オンラインセッション』をしているのだ。

 また、南雲は日常の生活や会話の中でも様々なTRPGの用語や動作を使う。分かる人にしか分からない話を分からない人にもする。「仮想と現実を混同するタイプの駄目なオタク」だ。

 たちが悪いのは、南雲はそれを分かってやっていて、駄目オタクうんぬんも“自称”であるところ。

 夏樹の手帳の後ろの方には、南雲が使うTRPGやそれに関連する用語が書き留められている。

 そんな南雲にくっついて歩いている夏樹だが、実はまだ一度もTRPGをプレイしたことがなかった。

 

 佐渡の質問に夏樹が答える前に、南雲が首を横に振る。

「いや、用語いくつか知ってるだけで、全然やったことねえ。教える時間もないし。今日、セッション見せつつ教えようかと思ったけど……」

 途中で言葉を切り、南雲が目の前の机に視線を落とす。そこにはカラーコピーされた何かの表と、白紙の紙、ボールペン、しおりの挟まれた分厚く暗い色の本が置かれていた。

 南雲の言いたいことを察したのか、西宮がちょっと困ったように笑った。

「ごめ~ん。僕が時間まちがって早く来ちゃってさぁ。簡単なの一回だけ先にやろうかって始めちゃったんだぁ」

「もう半分以上終わってるんですけど、謎解きで苦戦してて」

「馬鹿だもんな、お前。馬鹿だもんな」

「なんで二回も言うの!!」

 西宮は南雲を叩こうと拳を振り上げるが、あっさり掴まれて逆にひねり上げられる。『あ』に濁点を付けたような悲鳴が上がるなか、南雲はあいた方の手でスマホを取り出し、時間を確認した。

「まあいいや。外で適当に時間つぶしてくるから、終わったら呼んで。佐渡くん、テイクアウトできる模擬店とか知ってる? せっかくだし、なんかつまみながらやろうよ」

「本当ですか? じゃあ、お願いします。えーっと確か……」

 佐渡がパンフレットに載っているいくつかの店の名前に丸を付ける。それを受け取って、雨宮の腕からも手を離すと、南雲と夏樹は一度二人に別れを告げた。


「南雲さん、妹さんがいたんですね」

 廊下に出ると、夏樹が言った。

「あ? ……ああ、そういやお前会ったことないか。結構事務所にも来てるんだけどな」

「本当ですか? お会いできれば、南雲さんのお話がいろいろ聞けますね!」

「……面倒なこと教えたか」

 廊下は、来たときより人通りが増えている気がした。廊下は広いが、気を抜いていると肩や腕がぶつかってしまいそうだ。

「昼飯が終わった人らが外に出てきたんだな。はぐれたらさっきの教室な」

「そこははぐれないように手を繋ぐっていう……ふぎゃ!」

「そのシチュエーションは市民のクリアランスには開示されていない情報のはずですが市民~?」

「ちょ、ちょっと待ってください! 手帳で言葉を調べるので顔を掴むをやめて!!」

 バタバタと手を振って抵抗すると、やっと手が離れる。ほっと息を吐いて手帳を見ようとしたとき、突然、南雲が立ち止まった。後ろを歩いていた夏樹は南雲の背中にぶつかり、またぎゃっと声を上げる。

「危ねえな」

「それはこっちのセリフです! ……って、あれ?」

 夏樹は、南雲の向こう側に誰かが立っていることに気が付いた。よく見ると、そこには小学校低学年くらいの小さな女の子がいた。真新しい薄茶色のブレザーとタータンチェックのスカートを着ている。黒く豊かな髪を後ろで一本の三つ編みにしており、薄紫色のリボンで結んでいた。

「わっ、どうしたんですか? その子。この学校の子……じゃないですよね。セーラー服じゃないですし」

「そうだな」

 南雲がしゃがみ込むと、少女はビクッと小さく肩を跳ねさせた。夏樹も膝を折ってかがみ、首を傾げる。

「こんなところでどうしたの? 一人?」

 尋ねると、女の子はゆっくりと頷いた。

「お父さんとかお母さんは?」

 首を横に振る。

「迷子ですかねえ」

「みたいだな」

 南雲が頷いたとき、不意に少女が南雲の服の袖を掴んだ。ぱっちりとした大きな目が、まっすぐに彼を見つめる。

「おおー、モテモテですね南雲さん!」

「は~? これにモテてもなあ……」

「女の子を“これ”とか言っちゃいけません!! もう……。大丈夫だよ~。私たちがお父さんたちを探してあげるからね! お名前なんて言うの?」

「お前勝手に……」

 南雲が言いかけたとき、少女が口を開いた。

「え?」

 だがその声は、南雲の声と、周囲のざわめきによって夏樹の耳には届かなかった。聞き返そうともう少し屈むと、対照的に南雲が立ち上がる。

「聞こえなかったのか? スミレだってよ」

「スミレちゃんですか? リボンの色と同じだ! 南雲さん、耳いいんですね」

「まあ、お前より顔も近かったからな」

 そう言うと、南雲は大きく伸びをしてからはあと息を吐いた。

「しゃあねえなあ……。校内まわってみて、見あたらなかったら受付にでも行こうぜ」

「はい! スミレちゃん、行こう」

 夏樹が手を差し出すと、スミレは少し驚いたような顔をしてから、夏樹の横を通り過ぎて南雲の手を掴んだ。

「むむ~」

「フラれてやんの」

 せせら笑いながら歩き出す南雲に、夏樹はますます頬を膨らませた。



「南雲さーん、こっちとこっち、どっちがいいですか?」

「あー……左」

 ハンドメイドの雑貨を販売しているクラスの教室。夏樹は、UVレジンの花かざりがついた髪ゴムを二つ持って南雲に差し出した。が、南雲はいかにも手描きらしい絵柄のマグカップを凝視していて見向きもしない。ビビットなピンク色のウサギが、なんとも言えない顔で微笑んでいる柄だ。その下には『HAPPY and LUCKY』の文字。ここ数ヶ月で思ったが、南雲のセンスは時々よく分からない。

 ふと、スミレが南雲の服の裾を引っ張った。マグカップを置いて南雲がしゃがむと、スミレがなにか話しかける。相変わらず、彼女の小さな声は立っている夏樹には上手く聞き取れない。

「トイレ行きたいって言うから連れてくわ。なんかあれば携帯鳴らせ」

「あ、女子トイレなら私が行きますよ」

 髪ゴムを置いて夏樹が言うと、しかしスミレがふるふると首を横に振った。夏樹はまた、む、と口をへの字にする。

「ご指名だから。お前は髪ゴム選んどいて」

「はーい……。じゃあせめて右と左どっちがいいか教えてください」

 そう言って、もう一度髪ゴムを手にとって南雲に見せた。南雲は少し考えたあと、やっぱり左、と言う。細かいラメの入った、青にも紫にも見える花が付いていた。


 髪ゴムを含め、アクセサリーを数点購入したとき、ちょうど南雲とスミレが帰ってきた。

「おかえりなさい。はい、これスミレちゃんの髪ゴム。私も色違いにしたんだ~」

 スミレに渡したのは、南雲が選んだ青紫色の花の髪ゴムだ。ちょっと悲しいが、スミレは夏樹より南雲になついているから、南雲が選んだものの方がすんなり貰ってくれると考えた。

 その代わりと言ってはなんだが、夏樹が自分用に選んだ髪ゴムは黄色と黄緑色をした花飾りの髪ゴムだった。じゃじゃーん、と紙袋からスミレの分と自分の分を取り出す。

 内心ドキドキでスミレの様子をうかがう。スミレは差し出された髪ゴムを小さな手に受け取ると、少しの間かたまり、そしてぽっと頬を染めて口元をゆるめた。顔を上げて夏樹を見ると、目を細めてにっこり笑う。

 『花が咲くよう』とはまさにこういうことなのかと思った。名前の通りだ。

「わわわわ~……!!」

「よかったネ」

「はい!!」

 半分哀れむような声にも気付かず、夏樹はへへへ~と気の抜けた声で笑い、南雲はそっと肩を竦める。スミレのリボンは南雲が髪ゴムに付け替えた。

 その後、三人は模擬店で買い物をしたり、簡単なゲームで遊んだりしながら校内を一通り回った。しかし、スミレの両親らしき人物はいっこうに見つからなかった。迷子を捜しているという旨の放送が聞こえてくることがあっても、呼ばれるのはいつもスミレの名前ではない。

 夏樹が、今は軽快な音楽を流しているスピーカーを見上げた。

「やっぱり、すれ違っちゃってるんでしょうか」

「まあ、これだけ敷地も広いし、人も多いからな。可能性は大いにある」

「ぬ~ん……」

 口をとがらせて唸ると、南雲が苦笑する。と、思ったら、彼は不意に足を止めた。ハッとして前を見ると、そこにはガラスがはまった両開きの扉がある。ガラス越しにコンクリート敷きの渡り廊下が見え、その先には目の前のものと同じような扉があった。

「行き止まりか?」

「えーっと……いえ、違いますね。向こうの建物、美術室とか調理実習室とかの特別教室が入ってる棟で、文化部の作品展示をやってるみたいです。図書室も開放してるみたいですよ」

 パンフレットを見ながら夏樹が言う。

「ふーん。展示がある割には目立たねえな。呼び出しがあったときに遠くなるし、別に行かなくても……」

 南雲が言いかけたとき、スミレが南雲の服の裾を引っ張った。ん、ん、と目の前の扉を、ひいては向こうの棟を指さしている。

「スミレちゃん、あっちに行きたいの?」

 うん、とスミレが頷く。

「行きましょうよ、南雲さん。もしかしたら、向こうにスミレちゃんのお父さんお母さんがいるかもしれませんし!」

「その可能性はかなり低い気がするが……まあいいか。歩き回って疲れたし、図書室にでも行けば休めるかもな」

 当別教室棟は、先ほどまでいた校舎と違ってずいぶんと静かだった。装飾も少なく、扉を入ってすぐのところにある階段のそばに、誘導のための看板が立っている。夏樹はその向こうにあるプラスチックのチェーンと、ぶら下がった札を手に取った。『この先関係者以外立ち入り禁止』。

「一階は職員室とか事務室があるみたいだな。奥のドアは校長室か。探索者は立ち入り禁止の区域にも入っていいことになってるが……まあ今はいいだろ」

「それは南雲さん達が勝手に入っていくだけじゃないですか! 今もこの先もダメです!」

 上に行きましょう! と夏樹は南雲の手を掴んで立ち入り禁止の札から引き離した。

 二階に上がっても、やはり辺りは静かだった。廊下のぱっと見える範囲には人がおらず、近くの美術室をのぞき込んでも、係員の女子生徒と、美術部の展示を見る年輩の来校者が数名いるだけ。

 特別教室棟も通常の校舎と同じ三階建てだったが、三階の教室も軒並み同じような状況だった。どの教室にもイマイチ入っていく気にもなれない三人は、二階に戻って図書室に腰を落ち着けた。ここも、司書教諭らしき女性がいる以外は誰もいなかった。

 スミレに付き合って児童書のコーナーをぶらぶらと歩きながら、南雲は声を抑えて隣の夏樹に話しかけた。

「いくらなんでもおかしくないか。建物は確かに古いものだが、近づきがたいほどじゃない。展示の内容だって少し見ただけでもレベルが高いと分かる。なのに、学校見学に来てる中学生すらいないなんて。普通部活展示とか見に行くだろ?」

「え、えーっと、まあ、そうですかね。確かに、この人の少なさは異常な気がします」

 言ったとき、夏樹はあることに思い至ってハッとした。

「もしかしたら、あの噂のせいかもしれません」

「噂?」

「入り口で話したじゃないですか。怪奇現象ですよ、怪奇現象!」

「…………ああ」

「うわ、すっごい嫌そうな顔してる。でもでも、本当に怪奇現象の噂は、この特別教室棟のものが多いんです! 理科室のポルターガイストもそうですが、美術室の石膏像に赤い絵の具が塗りたくられていたりとか、誰もいない家庭科室からミシンの音が聞こえてくるとか! 主にネットで広がった話なので嘘だらけな可能性は否定できませんが、若い子が寄りつかない理由としては、アリだと思いませんか?」

「……まあ、全くないとは言い切れない感じはある」

「でしょう!? もしかしたらこの図書館の本だって今に宙に浮いて……ビャッ!!」

 バサバサッ! となにかが床に落ちる音がした。夏樹と南雲が音のした方に顔を向けると、スミレが驚いたような表情で固まっている。それを見た瞬間、夏樹は大きく息を吐き出した。

「な~んだスミレちゃんかあ。びっくりしたぁ……。落としちゃったんだね~」

「怖い話苦手なのはお前じゃねえか」

「急に大きい音が鳴ったからびっくりしただけです! 怖い話は大好きですから!」

「あっそ」

 夏樹がしゃがみ込んで、スミレが落とした本を拾い上げようと手を伸ばす。

 そのとき、バタン! と大きな音が聞こえて、足下が微かに振動を感じ取った。その音と振動は立て続けに起こり、見上げると南雲も警戒するように辺りを見回している。

「……! スミレちゃん!?」

 突然、スミレが脱兎のごとく駆け出した。夏樹が慌ててあとを追おうと立ち上がる。

「危ねえ!」

「えっ」

 南雲の声がしたのと同時に、ふっと視界が暗くなった。そして、先ほど聞いたばかりのバサバサという音がすぐ近くで聞こえる。ハッとすると、数冊の本が足下に散らばっていた。背後にある背の高い本棚から降ってきたのだろう。そう考えて振り向くと、至近距離で南雲と目があった。驚いて一瞬固まったが、考えてみれば本が降ってきたのに自分は痛みを全く感じていない。

「な、南雲さん!」

「なんとか『庇う』成功か」

「成功ですけど、南雲さん、腕……!」

 夏樹が指さした南雲の腕には、数カ所かすり傷が出来ていた。それほど深い傷ではないようだが、微かに血が滲んでるのが分かる。

「ダメージ1くらいだろ。あとで『応急処置』すれば十分だ。それよりスミレは?」

「あーっと、えーっと……あっ! 今、外に出ましたよ!」

「行くぞ!」

「はい!」

 スミレを追いかけて走っていくと、やがて二人は一階に着いた。そこは入ってきたときとは打って変わって多くの足音が聞こえ、ざわざわと騒がしく空気が揺れている。

「校長先生! どうなさいましたか! 校長先生!」

 立ち入り禁止のチェーンの向こうにある大きな扉を叩きながら、中年の女性が声を張り上げていた。鍵がかかっているのか、ドアノブを回すガチャガチャという音も聞こえる。周囲には教員と思われる男女が数名集まって、その様子を伺っていた。

「南雲さん、スミレちゃんいませんよ!」

「ちょっと待ってろ」

 南雲はなんの躊躇いもなくチェーンを外すと、教員たちの方に駆け足で近づいていった。夏樹も慌ててあとを追う。

「すみません、こちらに小さな女の子は来ませんでしたか。従妹なんですけど、大きな音に驚いて、どこかに行ってしまって」

 そう、若い女性教員に話しかけた。女性は突然声を掛けられビクッと肩を跳ねさせたが、視線を左右に彷徨わせつつ答える。

「えっ? あ、いえ、私は見ていませんけど……」

「そうですか……。あの……いったいなにがあったんですか? 二階まで音が響いてましたけど」

 うつむき気味な顔をのぞき込むようにして南雲が尋ねると、女性は胸の前でせわしなく指先を絡ませたり解いたりした。夏樹は女性の頬がほんのりと赤くなっているのを見て、そっと手帳を開く。

『APPの数値の高さ(=容姿の良さ)を利用して異性(まれに同姓)から有益な情報を聞き出す行為。判定は基本的にAPPの数値×5(APPについてはAPPの項目を参照!)』

「これが『APPロール』? ……ぐえっ」

 目にも止まらぬ早さで額を叩かれる。もちろん南雲にだ。しかし、女性は気が付かなかったのか、扉の方に目を向けて口を開く。

「突然、校長室から大きな音が聞こえてきたんです。中には校長先生しかいらっしゃらないはずなのに。副校長先生が先ほどから声をかけているんですが……」

「なるほど」

 ひときわ大きく扉を叩く音が聞こえた。男性教員数名が扉への体当たりを始めたらしい。規則的な衝撃音が十回近く響いた頃だった。

「どうした! なにかあったのかね!」

「理事長!」

 夏樹たち横を、でっぷりと太った一人の中年男性が通り過ぎる。黒く立派な口ひげが目を引くが、頭はLEDの光を受けてぴかりと光っていた。副校長らしい女性が理事長と呼ばれた男性に駆け寄り、身振り手振りでことの次第を説明しているようだ。やがて、木の板が軋む音が聞こえたかと思うと校長室の扉が壊れた。副校長と理事長がすぐさま中に入る。

 南雲と夏樹は素早く教員たちの群に潜り込むと、校長室の前に顔を出した。

「こ、これは。ひどいですね……」

 夏樹は思わず呟いた。呟かずにはいられないほど、校長室の中は滅茶苦茶だったのだ。

 倒れたキャビネットや本棚。抜かれた引き出しとその中身が部屋の床に散乱し、割れた花瓶からこぼれた水が絨毯にシミを作っていた。トロフィーや賞状の入った額縁も落ちて壊れ、執務机の向こうのものや応接用の革張りの椅子、それからカーテンはズタズタに引き裂かれている。

 部屋をぐるりと見渡して、夏樹はあることに気が付いた。

「でも、あれ? 校長先生は……?」

「見あたらないな」

 南雲が呟くと同時に、立ちすくんでいた副校長が声を張り上げて校長を呼ぶ。しかし返事はなく、人の気配すらない。理事長がそこらじゅうのものを避けながら執務机や倒れた棚類の裏に回ったが、すぐに首を横に振った。

「居ない? え、どういうことですか?」

「…………」

 口元に手を当てて南雲が考え込む。鍵の掛かった部屋に一人で居たはずの校長が、荒らされた部屋を残して消えた? 夏樹は南雲をちらりと見上げる。と、そのとき、また大きな音がした。今度もなにかがガタガタと倒れるような音だ。

 夏樹と南雲がそちらに目を向けると、理事長が部屋の真ん中あたりで尻餅をついていた。音はどうやら転んだ際に落ちていた引き出しを蹴飛ばした音らしい。理事長は大きく目を見開き、夏樹たちの方、正確に言えばその向こう側を一心に凝視している。夏樹と南雲は揃ってその視線を追い、振り返った。

 夏樹が、あっと声を上げる。

 夏樹や集まっていた教員たちの後ろに立っていたのは、薄茶のブレザーにグレーのタータンチェックのスカートを履いた少女だった。黒い髪を、後ろで一本の三つ編みにしている。駆け出してあっというまに姿をくらましてしまっていたスミレだ。彼女は一人ぽつんと立ち、こちらをじっと見ている。

「スミレちゃん!」

「ヒッ!?」

 夏樹が呼びかけると、背後からひきつった高い声が聞こえてくる。また振り返りそうになったとき、スミレがくるりと踵を返して駆け出した。長い三つ編みが揺れて、少女は開いたままの扉から渡り廊下へと出て行く。

「待って! スミレちゃん……」

「た、大変です!!」

 夏樹がスミレを追おうと一歩踏み出したちょうどそのとき、校長室の隣の部屋から男性が一人飛び出してきた。男性の顔は一目見ただけでも分かるほどに青ざめ、身体全体が小刻みに震えている。額が光ってみえるのは汗だろうか。

「あ、こ、校長先生が……初等部で……!!」

 園野坂学園高等部校長、坂下宏造の変死体が、高等部から一キロ以上離れた初等部の校舎裏で発見された。

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