第1章 夏への扉 1
草を毟る。コンクリートを削る。破片を除去する。運搬する。ガイガーカウンターで測定する。土を削る。運搬する。ガイガーカウンターで測定する。問題なし。草を毟る。コンクリートを削る。……延々と繰り返す除染作業。重機を扱えない者はすべてが手作業だ。マスクと白い除染服は汗でびっしょり。単調な作業である。だが、誰かがやらなければならない作業である。俺は誇りを持ってやっている。そのために資格まで取ったのだ。
「よ、ケータイの兄ちゃんも精が出るのぉ」
長老だ。汗で濡れた白い除染服の下には筋骨隆々した体が隠れている。肩には除染後に撒く土が詰まった麻袋を持っていた。「これはケータイの兄ちゃんの分」と言いながら、ヨッという掛け声とともに袋を下ろす。
「あの話、聞いたか?」
ついでに世間話。これはさぼりではない。
「何ですか、あの話って? イースタシア兵士の失踪事件なら、何でも前線で緊急事態が発生して、秘密裏に一晩で移動していたらしいですね」
何だかよく分からないので、朝のニュースの話題を言ってみる。
「いや……。どうやら、知らないみたいだな」
長老は首と肩を回しストレッチをしながら言った。
「その失踪事件の起きた日に、蒸発があったらしい」
蒸発、というのは穏やかではない。ヒトが忽然と消える話だ。神隠しとも言われるものだが、蒸発には個人情報が伴う。本人だけでなくマイナンバーやDNA登録情報を含め全ての個人情報がイースタシア国家データベースから抹消されるのだ。つまり、存在していなかったことになる。
「いったい誰が……と言っても分からないですよね」
蒸発した者の存在を証明するものは、ヒトの記憶だけだ。愛用のマグカップも何もかも物的証拠が次々と消えてゆくのだから。都市伝説とも言われているが、実際に身近で聞くと背筋の凍る物がある。
「ああ、記録も残らないからな。だが、《立ち入り禁止区域》でも相当上層部の幹部で除染事業にも深く関わっていたらしい。イースタシア兵士の失踪事件は、それを誤魔化すためのニュースとの見方もある。《思考警察》も動いているかもしれん」
《思考警察》は恐怖の象徴たる諜報機関であり治安維持組織だ。最もイースタシアで合理性を追求した密告制度を採用しているとも言われているが、真の実態を知るものはいない。
「気をつけろ。それが理由かは本人に聞かないと分からないが、今日の隊長は相当に気が立っているぞ」
なるほど、長老はそれを伝えに来たのだ。そっと隊長の方を覗いてみると、確かに、相当イライラしているのが分かる。あの宇宙服を来ていてもだ。触らぬ神に祟りなし。今日もなるべく遠くで作業をしよう。
午後。灼熱の太陽は情け容赦なく照りつけ、地表は地獄と化していた。あまりの熱でアスファルトが歪むのではないかと思えたほどだ。そんなときに事件は発生した。
除染作業はいくつかのグループに分かれてそれぞれ指定区域で作業をする。グループ間はそれぞれ結構な距離があり、除染作業は日中の間ずっと行うため、グループごとに給水ポイントが1箇所設置されている。その給水ポイントでは、体に付着した汚れを落としたりシャワーを浴びたり、飲料水を補給したりして休憩を取る。
その給水ポイントに、汚泥を運搬するトラックが突っ込んだのだ。
ブレーキとアクセルを踏み間違えたらしく、盛大に給水ポイントに突っ込んだトラックは、給水タンクは愚か、汚水タンクまで転がしてしまった。疲れた体に水分を補給できないという身体的なダメージ。それに加えて、汚水タンクから回収した放射性物質の廃液が、地面に流れ出てしまった。やり直しだ! グループに与えた精神的なダメージは計り知れない。
「何をやっている!」
烈火のごとく隊長は激怒した。大変な始末書ものである。作業の遅延にもなる。なによりも、喉の渇きと水を補給できない状況が、その怒りに拍車をかけていた。
「申し訳ございません!」
皆が集まりその惨状に脱力をしている中、トラックから降りてきた高齢の運転手は除染帽を脱ぎ、頭を地面につけて深く土下座をした。正直な所、飲料水を補給できないのは痛い。加えて、既に終えた箇所を再び除染するのは精神的に苦痛だ。だが、作業の遅延は実のところ日給で雇われている身ではそう問題ではない。むしろ、作業日数が延びることで喜ぶ労働者も居ることだろう。
しかし、隊長は違った。
「余計な仕事を増やしやがって……ぶっ殺してやる!」
隊長は運転手に向けて、電磁警棒を振り上げた。グリズリーをも気絶させるという代物だ。反乱が起きたときの拠点制圧に使われる武器である。防護服無しで、あんなので殴られたら一溜まりもない。
「やめろ!」
そのとき、長老が間に割って入った。バチバチ音を立てた電磁警棒が、長老の背中に向けて振り下ろされる。
バチィイイイ! ガゴガガガガッ!!!
その瞬間、殴られた衝撃とともに青白い放電の雷が発生し、激しい光を放った。長老は声を出す間もなく、吹き飛んでいた。白の除染服は肩から背中にかけて焼き尽くされており、その肉体には赤く焼け焦げた傷が大きく走っていた。マスクは外れ、長老は口を開け、白目を向き、吹き飛ばされ、仰向けになり気絶していた。失禁で股間に染みができていた。
「逆らいやがったな。キサマもぶっ殺してやる!!」
倒れている長老に近づく隊長。誰か止めるものはいないのか? クソ! 誰か止めろ!! 電磁警棒を大きく振り上げ、動かない長老に向けて振り下ろす。衝撃とともに激しい音と光が発生する。
バシィイイッ! ゴガガガゴゴッ!
「おい、このままじゃ死んじまうぞ……」
誰かが言葉を発するも、誰も動かない。2発、3発。その打撃は光と轟音を放つたびに確実に長老の命を奪っていった。その時である。
コツンッ
「誰だ!?」
誰かの投げた石ころが、隊長に当たった。