記憶ログ 2 検閲済み
倒れている護衛を横目にベッドルームへのドアを開いた。すると、気を利かせたノープランが非常灯で暗闇を照らし出す。そこには、先ほどまで暗闇の中で電磁銃と格闘していたであろう男……ターゲットとなる要人がいた。私はドアを開けたまま、静かに男を観察した。中年、男性、小太り、中背。そして、色白。生まれてから1度も肉体労働をしたことがない……そんな男が手足を震わせて、血走った目をこちらに向けていた。無言で見ていると、男は口を開いた。
「……お前は《思考警察》か? いや……」
何も言わずに私は男の顔を見つめ続けた。男は交渉できると勘違いしたのか、時間稼ぎなのか、声を絞り出す。
「見たところ、除染士のようだが……とにか、ひぃイッ!」
何やら話しだそうとした男の足を払い、転倒させた。倒れた男の腹に2回蹴りを入れて仰向けにし、気絶している護衛のベルトで男の手を拘束する。4人の護衛が壊滅して戦意が喪失したのか抵抗なく進んだ。
「どうも、お前には自覚が無いようだ」
男に見せつけるようにして、ジギトツズマブを2本取り出す。
「ここに2本のシリンジ製剤がある」
これから始めるゲームのルールを説明する。
「1本には猛毒が、もう1本にはビタミン剤が入っている。どちらか1本を選べ。選んだシリンジ製剤をお前に打つ。お前が選ばなかった方を、そこで気絶している奴に打つ。つまり、50%の確率でお前には生き残るチャンスがある」
ひと呼吸を置いて聞く。
「やるか? それとも、2本ともお前が打って、この役立たずを助けるか?」
首を左右に振る男。
「やるか?」
大きく首を縦に振って頷く。……やるようだ。
私は左右の手にそれぞれジギトツズマブを持ちながら聞いた。
「お前はどちらを打つ?」
男は脂汗を垂らしながら押し黙った。長考が続く。
「時間制限を儲けようか。5,4,3……」
「……右だ!」
男から見て右、つまり、私の左手のジギトツズマブを掲げて確認を取る。男は頷くのみ。
「では、まず役立たずの方から試してみるとしよう」
気絶している護衛を男の目の前まで引きずり放り投げる。首の内頚動脈にペン型シリンジを当て投与。充填されたジギトツズマブが動脈から脳へと到達する……。静寂、そして、「グッグッッ」と異音が漏れ出してきた。
「グッグ……グ……グギィイ! グググ……グギィィ……」
口…いや、喉から異音を発しながら護衛の体がエビ反りで脈打つ。ドスンドスンと暴れだしたかと思うと、体中の筋肉が弛緩したかのようにグッタリと沈黙をした。
「ふむ、当たりだな。それでは次はお前の番だ」
もう1本のジギトツズマブを投与するため近づこうとすると、男は噛み付くように食い下がった。
「……待て。まずは除染士、貴様が打ってみろ! 安全ならば、お前も打てるはずだ」
いよいよ全くもって自分の置かれた状況というものが分かっていないらしい。なるほど、技術的《友愛》のターゲットに選ばれるのも実に納得できる。
「良いだろう。まずは私が半分打とう。その残りをお前に投与する」
自分の首にもう1本のペン型シリンジを当て、中心静脈をめがけて自己投与する。充填されたジギトツズマブが、全身を巡り脳へと広がっていく……。とても爽やかで、頭のなかにあった霧が晴れる、そんな気分だ。半分ほど打ってシリンジを停止し、静脈から抜き出す。唾を付けて止血。首の運動を兼ねて、頭を回す。なんともない。
「ほら、首筋を晒せ……」
それを見て、男は黙りながらも首筋を無防備に晒した。そして、私はその無防備な首筋の内頚動脈に血のついたままのペン型シリンジを突き刺して残りのジギトツズマブを投与した。充填量は通常の半分以下で、男の脳へと薬剤が広がっていく。変化は即座に現れた。
「ァァァアアアアッ……! キ……サマァァ…… ぅウウウァアアアア!!」
目が充血し、口から涎が垂れる。
「ダ……マシタ……ナ……! ニジュ……ウシコォ……シャ……メ!!」
薬効が表れて、徐々に口のろれつも回らなくなる。
「お前らがいつもやってきたことだ。自業自得。自己責任。そもそも交渉の余地なんて、既にあるわけがない」
このクソヤロウを実に多くの人が手にかけたかったことだろう。
「ググッゥゥゥ……ギィィヌゥ……べ!」
何か言いたいことがあるようだが、もはや言葉にもならない。何だ、この程度か。こいつに苦しめられた人のことを考えると、一連の流れを動画にとって公開してやりたいところだ。
のたうち回る男の傍らで、既に沈黙している護衛を見る
「こいつも、お前の決断一つで、投与されずに済んだ…つまり、殺したのはお前だ。お前には自覚はないだろうがな」
自覚のないことこそが、論外の罪なのだ。私はそう思う。技術的《友愛》を決断したのは私ではないが、執行したのは私だ。真の執行要因はクライアントの決断であり、更に突き詰めれば、本人に理由があるからだ。私はそれを適正に処理する。それが技術的《友愛》だ。正義の再配分といえば、聞こえは良いだろうか?仕事の依頼がある限り、手を汚し続けるつもりだ。
しばらく苦しんだ後で男は完全に沈黙した。そのまま2人をカートに乗せてダストシュートへぶち込む。これにて《友愛》は完了した。
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「お疲れ様でした、将軍」
ひと仕事を終えると、ノープランから連絡が入った。ブレイン・インプラント・チップを介しての意思疎通は、私の体力の消耗が激しいため普段はケータイで連絡を取る。ごく一部の生き残った通話機能だけが使えるのだ。
「お疲れ。今度は何を増設しようか。処理速度の向上のためにメモリの増設とか良いと思うんだけど」
報酬の使い道を聞いてみる。
「将軍に残念なお知らせがあります」
ふむ。嫌な予感。
「陽動のために集結させていたイースタシア国防陸軍兵士200名ですが、武装解除後にコンテナにまとめて保管していた所、回収が間に合わず、先ほどそのまま前線に向けて出向しました」
「えっと……」
「この件でクライアントより事態沈静化の要求が入っております。沈静化の対処にかかる費用は依頼料から差し引くとのことですので、本案件の最終益は3000satoriとなります」
ふむ。私は考えるのを停止した。
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【検閲】補足事項
《ばっちこいん》
仮想通貨。各国が自由に通貨として発行できない仕組みを持つ。そのため、未来の国際通貨として大きな期待が寄せられていたが、イースタシアを除くほぼ全ての国家が通貨と認めず取引を停止したため、その価値が大幅に下落した。また、イースタシア農村部などの人口過疎地でも全く価値を持たないため、通貨価値の下落に歯止めがかかっていない。なお、イースタシアにおける公共事業では、給与として《ばっちこいん》が使用される。最小単位はsatori。
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翌朝。イースタシア国防陸軍兵士200名の失踪は、ニュースとなり《豊富棟》ロビーの中央テレスクリーンでも流れた。
「いったい何が起きたんだ」
事態沈静化の報告を受けた俺はノープランに尋ねた。
「そうですね。かいつまんで説明しますと、陽動後の建屋に電磁妨害シールドを張り巡らせたのです」
うんうん。なんかそんなことを言っていたな。
「外部からのアクセスを遮断する目的ですが、これで私も建屋にアクセスできなくなり、コンテナの施錠解除が遅れてしまいました」
なるほど、分からん。いや、なんとなくは分かる気はするけど。
「ターゲットの全記録は抹消しました。イースタシア暫定政府も気づいた形跡はありません。むしろ、兵士200名の失踪の方に注力しているようです」
失踪事件の方に忙しくて、《友愛》のデータ改変に気づいていないのなら、まぁ好都合だ。
「それにしても、200人も無力化される軍隊ってのも何だかな……」
ディストピアの管理システムの裏をかいたのにしても弱すぎるのではないか。
「文民統制の誤った解釈のおかげです、将軍」
人工知能は勝因を分析した。
「出向した官僚たちによる監視のための余分なルールと手続き。そして、決定権の移譲。軍隊に求められる迅速性と合理性を放棄しています」
余りにも非常事態に対して回復が遅かった。個々の動きがバラバラで連携が取れていなかったのだ。
「もし、本来の文民統制…オセアニアやユーラシアのように最高権力者のみがトップに君臨するというシステムであったならば、私でもシステムへの侵入は不可能でしょう。重要拠点はスタンドアロンに独自のシステムを開発して防御するでしょうから」
新自由主義国家イースタシアは文官が軍人を監視する。そこに他国にはない利権が生まれる。
「戦略レベルではエスタブリッシュメントによって壊滅的に機能していませんが、戦術レベルでならイースタシア国防軍は世界でも屈指の練度と技術力を誇ります」
ご安心ください、との人工知能ノープラン様のお言葉だった。まさかの人工知能によるフォロー。そうであって欲しい。
それにしても、報酬は3000satoriか…。医療大麻とシリンジ製剤の残りが心もとないが、これでは何も買えない。居住区域から出ると生活もままならないだろう。3級除染士の日給は300satori。コンビニでの菓子パン購入価格とだいたい同じだ。なお、医療大麻は国民健康保険70%負担で1本2100satoriである。
「将軍、《思考警察》への対応として記憶を一次消去しますか?」
記憶の一次消去とは、ブレイン・インプラント・チップを介して行う催眠術のようなものである。ノープランの音声をトリガーとして記憶が復活するシステムだ。《思考警察》に摘発されたときの保険のようなっものだが、自分からノープランに連絡を取れないというのは不安になる。まぁ、ノープランそのものを一時的に忘れてしまうのだけど。
「よろしく頼むよ。次の目覚めは、もう少し大人のお姉さんの声がいいな」
こうして俺は、痴呆の笑いを漏らすのだった。