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記憶ログ 1 検閲済み

※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



【検閲】逸脱報告


 代償は必ず支払わなければならない。

 不平等の格差。

 矛盾。

 人々をだまし続けた責任を。

 自浄作用を。

 

「気づかなかったのか? 散々、警告はされていたぞ」



※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



「クソ! ぶっ殺してやる」


 かつて、俺はすべてを手に入れた。この世の財という財を。命も憎悪も永遠も。


「……クソ! ぶっ殺してやる」


 ひび割れたアスファルトの表面を砕く。削る。破片を除去。運搬。ガイガーカウンターでの測定。数値報告。土を削り取り、除去。草むしり。そして、再度の測定。重機を扱えない者は、全てが手作業だ。……暑い。薄っぺらいマスクが、呼吸の邪魔をする。思考はどんよりと濁り、停滞し、同じところをひたすら巡回する。


「クソ! クソ!」


 同胞たちから遠く離れた放水区域で、その日の俺は除染作業に従事していた。午前のノルマをほぼ終えて、忌々しい太陽から隠れる。さぼるなら、誰も来ないところに限るのだ。そうして、こっそり持っていた医療大麻で10分間休憩をしていたときだった。

 チロリン♪ ブブブッ……ブブブッ……ブブブッ!

 普段は鳴らないケータイが音を立てて振動し始めた。チロチロチロリ。そして非通知の文字。


「……もしもし」


 貴重な医療大麻を水平に保ちつつ受信する。


「オレオレ、俺だよ! 今ちょっと事故っちゃって大変なんだ」


 雑音まじりの声。音量が少し小さいなと思いつつ、俺は記憶を探った。暑さで思考は停止し何も思い出せない。が、口は無意識に動いていた。


「ノーネームか」


 クスッと可愛らしい雑音。雑音混じりの声が次第にクリアに澄んで行く。


「ノープランですよ。将軍」


 その幼い少女の声で、俺の脳を支配していた霧が晴れる。

 記憶が、再構成される。


 我が国、新自由主義国家イースタシアは数年前よりユーラシアと交戦状態にある。大戦は急速な格差拡大を生み出し、朝鮮諸島を挟んで《持たざる者の革命》を勃発させた。度重なる反乱の末、イースタシア首都・東京は革命軍により陥落。追い詰められたイースタシア暫定政府は、革命の鎮圧および首都奪還のために東京へ中性子爆弾を投下した。これにより、すでに《立ち入り禁止区域》を挟んで居住区を2分割していたイースタシアは、更なる人的資源の減少に陥った。事態を重く見たイースタシア暫定政府は非常事態宣言を発令。イースタシア市民街の治安維持を名目として《思考警察》の強制導入へと踏み切った。その後、《大断絶》が発生し人類は記録の大部分を失った。


「現在は3級除染士ですか。熱中症には気をつけてくださいね」


 真っ白な除染服の存在を感じ取ったのかノープランは心配そうな声で言った。まったく、ずいぶんと人間臭くなったものだ。私は、指で医療大麻の火をもみ消した。


「さて、《友愛》について聞こうじゃないか」



※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



【検閲】補足事項


《持たざる者の革命》

 大戦後期に世界中で同時多発的に発生した富の再分配を求めた革命運動の総称。イースタシアでは氷河期世代が中心となって蜂起している。


《立ち入り禁止区域》

 イースタシア本土東部に位置する放射能汚染地帯。公共事業として除染作業が行われている。


《大断絶》

 大戦の末期に発生した地球規模での電子機器障害。地球上の全電子データの9割以上が消滅し、ほぼ全ての電子機器が破壊された。結果、国家間での戦争継続が困難となったため、大戦は終結へと向かい始める。



※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



 熱中症スレスレの暑さで放心状態になりながらも、私は除染作業を再開した。コンクリートを砕く。破片を除去する。運搬する。土を削る。草を毟る。運搬する。疲労と暑さでクタクタになる。力を使い果たし、スコップも持てない。休憩時に体についた泥を水で洗い流す。汚水はもちろん、汚水タンクに集める。


「この石鹸だけは☆5だな……」


 病的なまでにピンク色で長方形の石鹸は、除染作業に必須の非売品である。放射性セシウムを吸着し油汚れを強力に洗浄するだけでなく、保水力が高いのか、その溶解した水溶液は真夏の日中だというのに水で洗い流すまでいつまでたっても蒸発しない。そして、人体にも有効だ。お肌がプルプルになるとかアンチエイジング効果だとかで、本物を見抜ける者たちは、こぞってこの非売品を手に入れたがるらしい。


「おい3級」


 背後からの音声に振り向くと、宇宙服のような防護服を着用した巨人が立っていた。電磁警棒の柄を両手に持ち、杖のように地面に突いている。放水区域の除染を統括する隊長でだった。真夏の最中だというのに、顔はガスマスクで覆われており目のレンズ部分は漆黒に塗りつぶされている。肌の露出もまったくない。こんなのを着て暑くないのだろうか? 1度も顔を見たことがない。当然、除染作業はせずに見ているだけだ。


「聞こえたぞ。"殺す"は禁止ワードだ。およそ60分前に2回言ってたな? "クソ"は4回。こちらは禁止ワードではないが、感心しないな」


 私は頭2つ分ほど高い位置にあるガスマスクを黙って見つめた。そこには真っ黒いレンズがあるだけで、表情を窺い知ることは出来ない。防護服の胸部スピーカーから音声が引き続き流れる。


「ふん。コミュニケーション能力ゼロか。とにかく、余計なことを言って仕事を増やすんじゃない。お前の代わりは、いくらでもいるんだからな」


 たしか隊長は1級除染士の正規公務員だったはずだ。地方採用だろうか?いずれにせよ、非正規の私とは権限が違うのだった。逆らっても無駄だ。どんなことがあっても、イースタシア法は私の味方にはならない。


「それから、建屋のバブルは特に念を入れて一滴も残さずに洗い流せ。ピンク色が見えなくなるまでな。……まったく俺の担当区で《思考警察》なんざ呼ばれちゃたまらんぜ」


 電磁警棒を肩に掲げ、捨て台詞とともに隊長は去っていった。



※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



【検閲】補足事項


《思考警察》

 イースタシア暫定政府が《大断絶》以前に導入した治安維持組織。主に思考犯罪を取り締まる密告制度の形態を取るとされるが、その実態は明らかにされていない。



※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



【検閲】逸脱報告


「最も合理的な解決手段は、原因を抹殺することだ」


 いったい誰の言葉だったか……。

 ……大麻に破壊された脳細胞は、記憶が常に不明瞭だ。

 確か、黒かった。

 黒くて、アイスクリームが好きな権力者だった。

 全くの期待はずれだったけれど。



※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



 日が暮れると除染作業は終わり、同胞たちとともにシャトルバスで《立ち入り禁止区域》内の特別居住区へと帰還した。この時間になると、いつもお腹はぐうぐう鳴っている。順番待ちでシャワーを浴びた後は、《豊富棟》の1階ロビーで各自バラバラに夕食を摂る。今夜のメニューは肉のスープと白米のご飯だ。私は食器用のアルミニウム合金のボウルを持ち列に並んだ。

 ここにはシンプルなルールが有る。


 ルール:3級は無資格に優越し、2級は3級に優越する。

 

 3級除染士は首にかけたIDカードの紐が赤色だ。2級は青色。無資格にはIDカードすら無い。

 さっそく権限を行使し、早い順番でボウルに夕食を配給してもらう。ボウルに米飯をよそり肉のスープをかける。付け合せはキュウリ丸ごと1本と味噌15グラム。全ての素材が《立ち入り禁止区域》内で栽培し育てられた新鮮なものだ。

 ロビー横の3級除染士に与えられた3畳ほどの個人区画にエアマットを敷いて座り、疲労困憊の体が求めるままに夕食をガツガツとむさぼっていると、ケータイに連絡が入った。


 《友愛》王権。そして、正義に対して武装せよ。


 実にノープランの好みそうな言い回しである。うーむ。思わず顔をしかめつつ口元をきつく結んでいると、不審に思われたのか


「よぉ、兄ちゃん。いったい何を見ているのかね?」


 と、隣の個人区画の爺さんが珍しいことに声をかけてきた。たしか「長老」という渾名で周りから呼ばれていたはずだ。


「あ、はい。えーっと、ケータイの履歴です」


「ケータイだと? ちょっと見せてみろ」


 言いながらも、横から長老はヒョイッとケータイを奪い取る。


「なんだこれは……壊れてるじゃないか。液晶も割れているし、これではガラクタじゃのー」


 手に取ったケータイを眺めながら長老はしげしげと評価する。なかなか失礼な人である。


「これは《大断絶》前の機種なんです」


「ほーぅ、まさか《大断絶》前のデータが生きているのかね?」


 長老は興味深そうに聞いてきた。


「いえ。データはもう破壊されて無いんですが、でも、振動させることが出来たり、メモ帳代わりに使えるので重宝していますよ」

 

 私の言葉に、長老は残念そうな目を向けてきた。


「ふーむ、そうか。一応、動くことは動く、か。……貴重な遺産じゃの」


 長老は丁寧な仕草で俺にケータイを手渡すと、ロビー中央のテレスクリーンへと移動していった。長老の腕には、白髪と皺だらけの外見にも関わらず、しっかりとした筋肉が付いていた。



※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



【検閲】逸脱報告


 俺には武器が2つある。

 1つはノープランの存在、俺の知恵袋であり相棒だ。

 なんでも知っている凄い奴だが、残念なことにノープランは動けない。

 そこで、俺の出番となる。

 俺がノープランの手足となって行動をするのだ。

 そして、そこにもう1つの武器が生まれる。

 すなわち、技術的《友愛》である。



※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



 ガラクタと評されたケータイを手に取り《豊富棟》のロビーから屋外に出ると、満天の星空が俺を出迎えた。ほぼ完全に人的世界から隔絶された《立ち入り禁止区域》である。特別居住区から最寄りの市街地までは100km以上ある。周囲は人の手が行き届いておらず、夜には野生動物が徘徊する。そのため、出歩くものはほとんどいない。当然のように、私だけの空間がそこに広がっていた。


 深呼吸をして、技術的《友愛》の準備を始めた。ペン型シリンジ製剤、《ジギトツズマブ》。体中に悪性腫瘍が転移している私は、週に1度これを自己投与している。この薬剤、ジギトツズマブには全身の腫瘍細胞の増殖を特異的に一定期間完全に停止する効果がある。こいつを技術的《友愛》のターゲットに投与する。


 巧妙に隠されている暗視カメラの前に立ち、医療大麻のケースからジギトツズマブ2本を取り出す。暗闇の中で光を当てながら、目視で充填量と気泡および異物の有無、そして最後に針の破損の異常を確認した。問題なし。


 ターゲットのいる《平和棟》は、《立ち入り禁止区域》内を統括している。そこには電力会社や大手建設会社を中心に様々な法人や団体の支部が入居している。除染業者も、私を雇用している人材派遣会社も入っている。建屋は核爆発にも耐えられる分厚い防護壁で覆われており、およそ200人のイースタシア国防陸軍が駐留し、その防衛を担当している。入退室管理もバイオメトリクス認証として眼球の虹彩から指紋・静脈・顔と幅広く、最も安全の保証された施設である。そのため、要人は《平和棟》に寝泊まりをするのだ。


 私のような3級除染士はテレスクリーンでしか《立ち入り禁止区域》を支配する要人の顔を拝めない。もっとも顔を見たところで興味もない。せいぜいその瞬間だけ肩書と名前が分かるくらいだ。当然、そいつらが生きてようが死のうが、除染作業そのものは変わるまい。

 しかし。

 ■■■■■付■■■■■■■■■■■■代■■■■■■■で■■■

 

 《平和棟》玄関の前に立つと自動でドアが開いた。今はIDカードすら必要ない。誰にも咎められず、止められもせず、堂々と侵入する。停止していた要人専用エレベーターに光が灯り、扉が開いた。



※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



【検閲】補足事項


《友愛》

 共和国としてのフランスの理念を表した標語「自由、平等、友愛」内の1つで、フランス語の「fraternite」(フラテルニテ)に由来する。なお、標語の由来はフランス革命に遡る。


技術的《友愛》

 標的となる対象の肉体および全ての記録を抹消することで、対象を転生させる救済措置。宗教的な価値観に基づく行為。蒸発と表現することもある。


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