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「わたし、やっぱり六条さんの家に行くの、止めます」


「お久しぶりです、葛西さん。晶ちゃんも、元気にしていたかい?」


「お久しぶりです、六条さん」


「はい、元気100倍ですよ!」


 晶と六条家の人々の二度目の面会は、年が明け、三が日が過ぎてからになった。今回は前回のようなファミレスではなく、六条家の人々が泊まっているホテルで会う予定になっている。それで晶と葛西先生は電車で最寄り駅まで向かい、そして今ちょうどそこで六条聡と合流したところだった。


「そのマフラー、使ってくれて嬉しいよ。きっと愛も喜ぶ」


 聡が晶の首に巻かれたクリーム色のマフラーを見て目を細める。そのマフラーは前回の面会の際に彼女にプレゼントしたものだ。


「あったかくて、気に入っています」


 晶も笑顔を浮かべながらそう応じた。寒くなってからというもの、このマフラーは通学などの際に大活躍だった。ちなみにあのオシャレな結び方はついに再現できず、結局二つ折りにする簡単なやり方で使っている。晶は自分の女子力の低さに落ち込んだものだ。3秒くらい。


「さ、行きましょう。タクシーを待たせています」


 そう言って聡は二人を促し、駅の外に出た。そして待たせていたタクシーに乗り込む。ちなみに晶はこれがタクシー初体験である。二人を後ろに乗せ、聡自身は助手席に乗り込むと、彼は「○○ホテルまで」と運転手に行き先を告げた。


「……実は、愛も出迎えに来たがったんだけどねぇ……」


 タクシーがゆっくりと動き出してから少しすると、聡が苦笑交じりの声でそんな事を言い出した。


「だけどほら、そうすると五人になっちゃうでしょ?」


 タクシーに乗れないことはないのかもしれないが、窮屈ではあろう。だから言って愛を一人で行かせるわけにもいかない。それで「どうせホテルで会えるのだから」と言って娘を宥め、聡は一人で来たのだという。


「ずいぶん拗ねていたよ。後でフォローをお願いしてもいいかな、晶ちゃん?」


「ラジャです。子供の相手は得意なんですよ、わたし」


 晶がドヤ顔でそう言うと、聡と葛西先生が揃って「ククク……」と小さく笑い声を漏らした。二人が笑ってくれて、晶としては大満足である。


 やがてタクシーは聡が指定したホテルに到着する。そこはいわゆるビジネスホテルではない、泊まる事それ自体が目的になるような、そんな立派なホテルだった。


 回転ドアを通り抜け(これまた晶は初体験である)、豪華だが落ち着いた雰囲気のラウンジに入る。足もとの感覚がフカフカで晶は驚いた。下に目をやると、そこには柔らかそうな絨毯が。施設に敷いてある安物とは、見た目からして雲泥の差である。周りを見渡せば、ソファーや調度品も高そうなものばかり。そしてそこにいる人々もまたしかり。晶はなんだか、場違いなところへ来てしまったような気分になった。


「こっちです。行きましょう」


 そう言って聡はフロントの前を横切りエレベーターへと向かう。葛西先生もそれに続き、晶は慌てて二人の後を追った。


 エレベーターに乗ると、聡が階を選択する。数字はよく見えなかったが、結構上の階だ。ちなみに、晶はこれがエレベーター初体験、ではない。


 エレベーターは一度も止まることなく指定された階まで昇った。チン、という音がして扉が開くと、そこはもうラウンジとは風景が一変していた。


「わぉ!」


 エレベーター乗り場の前はガラス張りになっていた。上の階まで昇ったこともあって、眺めがとてもいい。その眺めに、晶は思わず歓声を上げた。ふはは、見よ、人がゴミのようだ。


「晶ちゃん、こっちだよ」


「あ、はーい」


 晶は手招きをする聡に小走りで駆け寄り、その背中に付いていく。十秒ほども歩いただろうか。やがて聡はある部屋の前で立ち止まり、その扉をノックした。そこが泊まっている部屋なのだろうが、どうやら外からは開かない仕組みになっているらしい。


 はーい、と部屋の中から声がして扉が開く。顔を出したのは聡の妻の香だった。彼女はまず夫の顔を確認し、次に晶の顔を見てパッと笑みを浮かべた。


「ようこそ、晶ちゃん。さ、早く中に入って。愛も待っているわ」


「ありがとうございます。失礼します」


 晶は折り目正しく一礼してから、香が開けてくれている扉をくぐって室内に入る。中に入るとすぐに、黒い髪を伸ばしたそっくりな顔の女の子、愛と目が合う。彼女は満面の笑みを浮かべて晶に駆け寄り、そのまま勢いよく抱きついた。


「久しぶり、晶ちゃん! 元気だった?」


「久しぶり、愛ちゃん。元気だったよ」


 愛を受け止め、抱きしめられた分抱きしめながら、晶はそう答えた。愛は背中に手を回したまま顔を離すと、晶が首に巻いているマフラーに気付きまた歓声を上げる。


「あ、そのマフラー、使ってくれてるんだ。嬉しい!」


「うん。大活躍だよ、コレ。プレゼントしてくれて、ありがとね」


 晶がそう礼を言うと、愛はまた彼女に抱きついた。そんな彼女に母親の香が微笑ましげにしながら声をかける。


「ほらほら、二人とも。入り口に立ってないで、早く中に入りなさい。葛西さんも、どうぞソファーにお座りください」


「ありがとうございます」


「ほら、晶ちゃん。こっちこっち!」


 愛が晶の手を取って部屋の中に連れて行く。部屋の中は十分に温かかったので、晶は上に着ていたダウンジャケットとマフラーを脱いでハンガーにかける。ちなみに彼女は今日も私服は着て来ておらず制服姿だった。


 上着を脱いだ晶を、愛は三人掛けのソファーの、自分の隣に座らせる。高そうなテーブルを挟んで向かいに座っているのは、六条家の長男である司だ。


「久しぶり、晶ちゃん。風邪とかひいてない?」


「お久しぶりです、司さん。風邪をひくこともなく、元気にやってますよ」


 晶が元気一杯にそう答えると、司は「それは良かった」と言って微笑んだ。


「飲み物は何がいい?」


「あ、別になんでも……」


「じゃあ、紅茶にしようか」


 そう言うと、司は早速準備を始めた。テーブルの上にはおいしそうな洋菓子が用意されていて、それに合わせてくれたのかもしれない。


「それにしても……、広い部屋ですね……」


 部屋の中を見渡しながら、晶はそう言った。用意されているベッドは二つだから、きっとツインの部屋なのだろう。だが、今部屋の中には六人いるのだが、少しも狭苦しく感じない。ソファーも大きなテーブルを囲むように八人分用意されているし、テレビなんて家電量販店でしか見たことのないサイズだ。


「ん? ああ、父さんが奮発したらしくてね」


 司は意味ありげな笑みを浮かべながらそう言った。「奮発した」というのは事実だが、法外に高いわけでもない。新婚旅行でホテル代を奮発するのとだいたい同じくらいの金額である。もっとも、だから決して安いわけでもない。


 それは、聡の懐事情にとっても同じである。それでも今回こうして奮発したのは、間違いなく晶のためだった。


「も~、お父さんってばヒドイんだよ? わたしだって晶ちゃんのこと迎えに行きたかったのに……」


 聡の話が出たからか、愛が可愛らしく唇を尖らせる。タクシーの中で聡が言っていたように、どうやら拗ねているらしい。ここは約束通り、しっかりとフォローしておくべきであろう。


「でもあたし着膨れてからさ。きっとタクシーの後ろに三人も乗ったら狭かったよ」


「そ、そんなことないよ!? 晶ちゃん、スマートだもん!」


 愛が慌てたようにそう言う。その姿はやっぱりカワユイ。


「え、そう? ありがとう!」


 晶はそう言って愛に抱きついた。腕の中からは彼女の困惑した様子が伝わってくるが、かまわずそのままウリウリと抱きしめる。やがて愛は諦めたように身体の力を抜いた。うっしゃ、丸め込み成功! ちょうど聡が一人掛けのソファーに座るのが目に入ったのでウィンクしてみせると、彼は少し呆れたように苦笑した。


「今さっき葛西さんにも見てもらったんだけど、晶ちゃんも見てみてもらえるかな」


 そう言って聡は一通の封筒を差し出した。それが何であるかはすぐに分かった。DNA鑑定の報告書だ。受け取ってみると、なかなか重い。晶は一瞬、それが自分の運命の重さであるかのように感じた。


(……だとしたら、とんでもなく軽い運命だ)


 なんだか泣きたくなるのをどうにか堪え、晶は封筒から書類を取り出して目を走らせる。難しいことがたくさん書いてあったが、本当に重要なのはたった一行。そこには「佐藤晶は99.9%の確率で六条聡と六条香の子供である」との旨が書かれていた。


(わたしは本当に……、六条結なんだ……)


 その結果を、知ってはいた。しかしこうして味気ないパソコンの文字でそれを突きつけられると、全ての逃げ道をふさがれて追い詰められた気分になる。


「……本当に、晶ちゃんが結でよかった……!」


 俯きながら、聡がそう声を絞り出す。彼は組んだ手を強く握り締めている。


「本当に……! これでようやく、あなたを家に連れて帰れるわ……」


 涙を流しながらそう言ったのは香だった。


「これからはずっと一緒だよ」


 そう嬉しそうに言って、愛は晶に抱きつく。


「その……、今までは色々大変だったろう? これから、大丈夫だから」


 どこか気恥ずかしげにそういうのは司。


 ふと晶はテーブルを挟んで聡の向かいに座る葛西先生に視線を向ける。彼女もまた、目の端に涙を浮かべていた。その涙を拭いながら、彼女は穏やかに微笑みながら晶に一つ頷く。ふと、彼女に言われた言葉がリフレインした。


『幸せになって、晶ちゃん。お願い』


 幸せって、一体何なんだろう? 晶はふとそんなことを思った。


「今まで見つけてあげられなくて、本当にごめん。でも、もう大丈夫だからね」


「そうよ。もう大丈夫よ。もう、なにも心配してくていいのよ」


「これからいろんなことをしようよ。今までの分も、さ」


 愛は抱きついたままだが、六条家の他の三人は口々にそう言った。彼らの言葉に悪気は感じない。しかしなぜか、晶は彼らの言葉に違和感を覚えていた。それが彼女の笑みを曖昧なものにする。


「そうだな。晶ちゃんも今まで色々と大変だっただろうし、その分も埋め合わせていこう」


「ねえ、あなた。近いうちに家族旅行に行かない?」


「いいね。何だったら、海外に行こうよ。グワムとか、ハワイとか」


 三人の様子は楽しげだ。それが、晶の違和感を大きくする。彼女はなんだか無性に「やめて!」と叫びたくなった。


「晶ちゃん……?」


 愛が晶の様子に気づく。しかし他の三人は気付かない。楽しそうに、今後の“幸せな”計画を練っている。


「……本当に、可哀想に……」


 それが決定的な言葉だった。居た堪れなくなって、晶は立ち上がる。視線が、彼女に集中した。


「わたし、やっぱり六条さんの家に行くの、止めます」


 晶が俯いたまま震える声でそう言うと、虚をつかれた様子の聡が「一体、どうして……?」と戸惑いの声を上げた。晶はそれに答えず、乱暴に頭を下げるとそのまま逃げるように部屋の外に出て行った。


「晶ちゃん!」


 妹の名前を呼びながら、その後を愛が追う。他の三人もそれに続こうとしたが、葛西先生がそれを止めた。


「今は、愛ちゃんに任せましょう」


「……葛西さん。私たちは、何か晶ちゃんの気に障るようなことを言ったでしょうか……?」


 聡が顔に困惑を浮かべながら葛西先生にそう尋ねる。その横では、香がたいそう不安げな顔をして彼にすがり付いていた。


「私にも、よく分かりません。ただ……」


 葛西先生が何かを言いかけたその時、聡のスマホが着信音を鳴らした。取り出してディスプレイを確認すると、相手は今さっき晶を追いかけていった愛だ。聡はすぐに電話に出た。


「もしもし、愛か? 晶ちゃんは……」


 返事はない。代わりに、スマホからはこんな声が聞こえてきた。


『……どうしたの、晶ちゃん……』



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 晶の後を追ってホテルの部屋を飛び出した愛は、すぐに左右を見渡して妹の姿を探した。そして部屋の前の通路の左手の奥で、さらに通路を右に曲がる彼女の姿を発見する。愛はすぐにその後を追った。


 晶が曲がった通路の先は、外に通じる扉になっていた。彼女の姿は見当たらないので、恐らく外に出たのだろう。愛もまた晶を追って外に出ようとして、ふと思い出したようにスマホを取り出し父親に電話をかける。


 相手が出たことを確認すると、彼女はスマホをポケットにしまい、それから扉を開けて外に出た。外は非常階段になっていて、その階段をちょっと上ったところに晶は腰掛けていた。


「どうしたの、晶ちゃん?」


「いや、アハハハ……。なんか、ゴメン……」


 そう言って晶は弱々しく笑った。その笑い方はなんだか泣くのを必死に堪えているように愛には見えた。


「うん。それはいいけど……。どうしたの?」


 もう一度そう尋ねながら、愛は晶の隣に座った。二人とも上着を忘れてきたが、ちょうど日差しが当る場所だったおかげでそれほど寒くはない。愛はじっと、晶の言葉を待った。


「…………なんか、『可哀想』って言われたら、我慢できなくなっちゃって」


「うん」


「そりゃあ、さ、イヤな事も一杯あったけどさ。寂しいって、思ったこともあるよ? 施設の子供ってだけでヘンな目で見られるし、ヤな事も言われるし。何かあったらすぐにわたしたちのせいにされるし。八つ当たりされるし。


 ……それにね、何か、『お父さんとお母さんはどこにいるんだろう?』とか『いつ迎えに来てくれるんだろう?』とか『何でわたし、捨てられちゃったんだろう?』とか、そんなことクドクド考えたこともあるよ?


 ……でもさ、それだけじゃないんだよ。わたしの人生。友達だってできたし、楽しいことだって一杯あったんだよ。だからさ、何ていうのかな……。つまり、ね。たった15年ちょっとのわたしの人生だけどさ、それをさ、『可哀想』の一言で、済ませないでよ……」


「うん」


 鼻を啜りながらそう言うと、愛は晶の頭を胸に抱え込んだ。そして鼻を啜りながら妹の頭を撫でる。晶はされるがままだ。


『なんで愛ちゃんが泣くのよ?』


『うん。何でだろうね』


『へんなの』


『うん。へんだね』


 その会話を最後に、聡はスピーカーモードにしていた電話を切った。口を開く者はだれもおらず、部屋の中は重苦しい沈黙に包まれる。その沈黙の中、聡は葛西先生に言われた言葉を思い出していた。


『晶ちゃんは、“佐藤晶”としてこの15年を生きてきたんです。どうか、それも理解してあげてください』


 その言葉の本当の意味を、彼らはまったく理解していなかった。晶はこの15年間を確かに、そして懸命に生きてきたのだ。それを分かった気になって、その実ぜんぜん分かっていなかった。そのあげく、無思慮な言葉で晶を傷つけてしまった。


「……なんだか、嬉しいですね」


 ふと、葛西先生がそんな事を言った。その言葉の意味を図りかね、三人の視線が彼女に集中する。彼女は苦笑を浮かべながら手を振り、「失礼しました」と言って、さらにこう言葉を続けた。


「『可哀想の一言で済ませないで』。そう言ってもらえて、私たちの仕事が報われたような気がしたものですから」


 葛西先生は穏やかな声でそう言った。


「そう、ですね……」


 葛西先生の話を聞いて、聡は「ふう」と息を吐いた。そしておもむろに立ち上がると、彼女に対して折り目正しく一礼する。


「晶ちゃんを、娘をただの可哀想な子供にしないでくださり、まことにありがとうございました」


「よ、よしてください、そんな事!」


 葛西先生は恐縮して慌てて立ち上がるが、聡が頭を上げる気配はない。それどころか、香と司まで諭しに倣う。


「……晶ちゃんのこと、よろしくお願いします」


 そう言って葛西先生もまた頭を下げた。


「ですが……」


「大丈夫ですよ、きっと」


 不安げな顔をする六条家の三人を安心させるように葛西先生はそう言った。


 愛が晶を伴って部屋に戻ってきたのは、それからおよそ10分後のことだった。


「さっきはごめんなさい。わたし、六条家に行きます」


 どこかスッキリとした顔で、晶はそう言った。


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