「DNA鑑定は、するんですよね?」
土曜日の午後2時過ぎ、晶は葛西先生と一緒に生活している施設を出た。そして最寄り駅の近くのファミレスへ、先生の車で向かう。制服姿の晶は、車内で終始無言だった。
お昼時を過ぎたファミレスの店内は、待っているお客もおらず、幾分落ち着いた雰囲気だった。葛西先生が受付けで名前を告げると、すぐに予約していた個室に通される。約束の時間より早く来たためか、六条家の方々はまだ来ていない。そのことに、晶は少しだけ安堵した。
「何か頼みましょう」
そう言って葛西先生が晶にメニューを渡す。その表紙にある大きなステーキの写真を見て、晶はわざとらしくゴクリと喉を鳴らした。
「……食べたい?」
「いえいえまさかまさかそんなそんな」
晶はすぐに首を振って否定した。強がりではない。そもそも、お昼は食べてきたからお腹はそんなに減っていない。それでグレープジュースを頼んだ。ちなみに葛西先生はブレンドコーヒーである。
頼んだ飲み物はすぐに来た。大量の氷が浮かぶグラスにストローをぶっ挿しジュースを啜る。あら冷たい。ホットドリンクにすればよかったかしら、なんて晶は思った。
「ねえ、先生……」
「なあに?」
「……やっぱりなんでもないです」
晶は言葉を飲み込む。そしてまたジュースを啜った。まるでジュースで押し流して、二度とお腹から出てこないようにするために。やがてグラスは空になり、ストローがズゾゾゾゾ、とお行儀の悪い音を立てた。
ストローでグラスの中の氷をつつきながら、しばし待つ。六条家の方々は電車で来るので、時間は予測しやすい。そして予定時刻までは、まだ少々時間があった。個室の中の沈黙は好きになれないが、かといって騒ぐ気分にもなれない。ブルーだ。ストローでつつく氷がガシャガシャと音を立てる。葛西先生もそれを咎めない。
(おセンチになっちゃって……、キャラじゃないなぁ……)
施設の子供たちの中で、晶は年長の存在だ。年下の子供たちからは、「アキラ姉ちゃん」と呼ばれて慕われている。明るくて騒がしくてユーモアのセンスに溢れ、その上おいしいご飯を作る彼女は子供達の最高権力者なのである。
そんな彼女が、どこか不貞腐れたかのように、グラスの中の氷をストローでつついている。年下の子供たちには、決して見せない姿だった。
(不安、なのかなぁ……)
ちょっと違う気がする、というのが晶の主張だ。だがどう違うのかと言われると、うまく言葉にすることができない。不満があるわけでも、不快に思っているわけでもない。ただなんとなくブルーなのだ。
そうこうしている内に、やがて個室のドアがノックされ、続けて「失礼します。六条です」と声がかけられた。晶は素早く背筋を伸ばしてすまし顔を作る。それを確認してから、葛西先生が「どうぞ」といった。
「失礼しま、す……」
まず個室に入ってきたのは、声の主らしい成人男性だった。彼は立ち上がった葛西先生と、その隣に立つ晶の姿を見て、小さく「結……」と呟く。それが誘拐された娘さんの名前であることを、晶はすでに知っていた。
父親であろう成人男性に続けて、母親であろう成人女性が入ってくる。彼女は晶の姿を認めると、口元を押さえて目に涙を浮かべた。その反応に、晶はなぜか申し訳なさを感じた。
次に入ってきたのは、お寺で遭遇した愛よりも年上の男性だった。きっと彼女のお兄さんなのだろうと晶は思った。彼は晶の姿を認めると、小さく「本当に……」と呟く。やっぱりフクザツなんだな、と晶は妙に納得した。
続けて兄の背中を押すようにして最後の一人、愛が入ってきた。彼女の顔を見ると、今度は葛西先生が驚いたような顔をした。それくらい、二人の顔かたちはそっくりなのだ。
晶と目があると、愛はパッと笑って手を振った。晶も手を振ってそれに応じる。なんだか少しだけ安心した。
六条家の4人と、晶と葛西先生の2人は、それぞれテーブルを挟み向かい合って座った。正面に座った4人と、晶は少々気後れしながら向かい合う。
(みんな、いい服着てるなぁ……)
まず最初に思ったのはそれだった。皆、余所行きの服なのだろう。こう言ってはなんだが、高そうな服を着ていた。同じ中三の愛も、制服ではなく可愛らしいフリルのついたワンピースとジャケット風の上着を合わせて着ている。
(私服、着てこなくて良かったな……)
晶はそう思った。こういう時、制服は便利である。
「まずは、自己紹介からしましょうか?」
話し合いは、まるで間合いを探るようにして始まった。距離感をつかめず、みんなギクシャクした様子だ。それでも何とか、言葉を重ねる。そうすることでしか、ここにいる意味ははかれないのだから。
晶は、ことさら明るく振舞った。質問されればユーモアを交えた答えで笑いを誘う。逆に質問しては相手に喋らせ、いちいち驚いたり感心したりする。30分もする頃には、すっかり打ち解けた雰囲気になっていた。
「そうだ。すっかり忘れていたけど、なにか注文しよう。結……、あ、晶ちゃんは何が食べたい?」
聡がそう言ってメニューを手に取り、デザートのページを開いて晶の前に広げた。その時一瞬だけ、彼女は困ったような顔をする。そして葛西先生のほうを窺う。先生がうなずいて見せると、彼女は安心した様子でメニューに目を通し始めた。
「……それじゃあ、このチョコレートパフェを頼んでもいいですか?」
「もちろん。愛は、何が食べたい?」
「じゃあ、わたしはこっちのフルーツパフェにする。わたしのもあげるから、晶ちゃんのもちょっと食べさせてね?」
「どーぞどーぞ。なんだったら、全部食べてもいいよ?」
「え~、そんなに食べれないよ~」
そんな、“姉妹”の楽しげな会話に、六条家の他の3人は揃って笑みを浮かべた。思い描いていた家族の姿が、ここにあるのだ。香に至っては、目の端の涙を浮かんだ涙を拭っていた。その様子に愛は気づいていないだろう。しかし晶は気付いていた。気付いていて、気づかない振りをした。
やがて注文したデザートや飲み物が運ばれてくる。約束通り、晶は愛と一緒にお互いのパフェを突っついた。「あ~ん」をして、その後すかさず「間接キスだね」と言ったら、狙い通り愛は顔を真っ赤にしてくれた。くそう、やっぱりカワユイ。
「…………ところで、一ついいですか?」
和気藹々としてきたところで、晶は聡の方を向いてそう言った。彼が「なんだい?」と問い返すと、晶は、あえてなのだろう、ここまで誰も言い出さなかった話題を、しかし避けては通れない話題を投下した。
「DNA鑑定は、するんですよね?」
その言葉で、六条家の両親が固まった。すぐさま再起動するが、浮かべる笑みはぎこちない。
DNA鑑定をすれば、晶が誘拐された六条結なのか、それともただのそっくりさんなのか、ほぼ確実に判定することができる。その結果は科学的かつ客観的で、異論を差し挟む余地はない。発展した科学は、この世から曖昧さを駆逐していくのだ。まるでそれが、人の望みだといわんばかりに。
「そ、そうだね。うん、した方がいい、のだろうね……」
「で、でも、もう必要ないんじゃないかしら!? だってこんなにそっくりなんですもの。結に間違いないわ!」
聡と香の言葉は、意外にも否定的だった。いや、彼らとて本心ではDNA鑑定をしたいのだろう。鑑定をして、はっきり白黒付けたい。晶が結だと確証をえたい。そう思っていないはずがないのだ。
しかしそれを言い出せば、晶が結ではないと、疑っていることになる。いや、実際心のどこかでは思っているのだ。「佐藤晶は、自分達の娘の結ではないのかもしれない」と。しかし本人を前にそれを言うのは、いや、そういう雰囲気を見せることさえ憚られた。その時どうすればいいのか分からないからだ。晶には何の責任もないことだし、彼らだってそんなことは少しも望んでなどいない。
「いや~、でもしておいた方がいいと思いますよ。後々のためにも」
そんな二人の内心を見透かしたかのように、晶は愛が頼んだフルーツパフェを突っつきながら、気楽な調子でそう言った。その様子は、ある種悟りの境地に達しているようにさえ、六条家の人々には見えた。
結局、DNA鑑定はすることになった。申込は六条家のほうで行い、施設に連絡がきたら献体を送る、ということにした。
「そ、そうだ! 今日はゆ……、あ、晶ちゃんにプレゼントを買ってきたのよ!」
重くなった空気を変えようとしているのだろう。ことさら明るい声を出して香がそう言った。彼女に促されて、愛がベージュの紙袋を取り出し、それを晶に手渡す。晶が中を覗き込むと、さらに袋がもう一つ、綺麗にラッピングされて入っていた。こういう気配りを見ると、やっぱり上品な人たちだなぁ、と晶は思う。
「ありがとうございます。開けて見ていいですか?」
もちろん、と返事をもらってから晶は慎重にラッピングされた袋を開封する。中に収められていたものを見て、晶は歓声を上げた。
「ワォ、マフラーですか!?」
「気に入ってもらえたかしら?」
「もちろんですよ!」
プレゼントはシンプルなデザインの、クリーム色のマフラーだった。「これからの季節にぴったりですね」と言って晶は喜んだ。
「巻いてみていいですか?」
「あ、わたし巻いたげる」
そう言って愛は晶の傍によると、早速彼女の首にマフラーを巻き始めた。ただ巻くだけではない、ちょっと凝った巻き方だ。晶の知らない巻き方で、思わず愛の女子力の高さに舌を巻く。
(マフラーを巻く……。舌を巻く……。ぐふふ……)
なんだかよく分からないツボにはまったようである。
「できたっ! すっごくカワイイよ、晶ちゃん!」
ほら、と言って愛は手鏡を取り出し、晶に自分の様子を見せる。手鏡まで持っているとはこの子本当に女子力が高い……! と晶は戦慄した、ことにした。
「あ、ホントだ」
晶は思わず笑みを浮かべた。鏡に映る自分の姿がカワイイとは思わないが、しかしいつもよりオシャレであることは間違いない。晶だって女の子。もちろんオシャレに興味はあるし、オシャレにしておくにこしたことはない。そして今の晶はオシャレさんである。むふふ。
「カワイイわ、結」
「ああ、本当に」
「うん、よく似合っているよ」
六条家の他の三人も口々に晶を褒める。褒められれば、晶も悪い気はしない。笑みを浮かべて一礼した。
「ありがとうございます。大切にします」
「喜んでくれて、嬉しいわ」
「うん。いっぱい見比べて選んだかいがあったね」
晶が改めて礼を言うと、香と愛の親子は顔を見合わせて喜んだ。それからの話し合いは、また和やかな雰囲気で進んだ。DNA鑑定をするという、一番大事な話が済んだからでもある。六条家の人たちはどうか知らないが、晶は比較的気楽だった。
やがて電車の時間が来て、六条家の人たちは駅へと向かった。ちなみに、お会計は聡がカードで支払った。葛西先生と晶は、駅まで一緒に行って彼らを見送る。ファミレスの外に出ると夕方になったためか気温が下がっていて、首に巻いたままのマフラーがちょうど良かった。
「またね、晶ちゃん」
「うん。バイバイ、愛ちゃん」
そっくりな二人は、そう言うと手を振って分かれた。
電車を見送ってから、晶と葛西先生はファミレスの駐車場に向かい車に乗り込む。車が動き出して少しすると、晶はぼんやりと外を眺めながらポツリとこう呟く。
「……ねぇ、先生」
「ん? どうしたの?」
「あ~、いや、こ、このマフラーの巻き方、どうやったのか見てました?」
巻いてもらった晶は、愛の手元はよく見えておらず、そのため巻き方はさっぱり分からない。誰かに教えてもらわなければ、このオシャレな巻き方はもうできなくなってしまう。しかし無情にも葛西先生は申し訳無さそうにしながらこう言った。
「ごめんなさい、ちょっと分からないわ」
「おお先生よ、お前もか」
「年上の人に『お前』とか言うんじゃありません」
「はい、ごめんなさい」
晶が素直に謝ると、葛西先生は「よろしい」と言って小さく笑った。それにつられて晶も笑う。
「今日は楽しかった?」
「ええ、結構楽しかったですよ。滅多に食べられないパフェも食べられましたし」
晶がおどけながらそう言うと、葛西先生は「それは良かったわね」と言って苦笑した。もし晶が誘拐された六条結その人であったなら、ほぼ間違いなく彼女は六条家の一員として彼らと一緒に暮らすことになる。初の顔合わせで悪い印象を持たなかったのなら、それは喜ばしいことだろう。
「晶ちゃんは、六条家に行きたい?」
「……よく、分からないです。なんか、いっぱいいっぱいで……」
「そうね。そうよね」
「多分、それが一番いいんだとは思いますけど……」
そう言って晶は窓の外に視線を移す。
(でも……)
窓の外をぼんやり眺めながら、晶は心の中でそう呟く。
(もし違ったら、わたし、どうすればいいんだろう……?)
分からない。でも、もっと分からないことがある。
(あの人たちは、どうするんだろう……?)
晶に、どんな目を向けるのだろうか。誰かに相談したい。だけど、なぜだかそれは躊躇われた。
(わたしは……)
六条結なのだろうか。そうであって欲しいのか、それとも違って欲しいのか。それさえも晶はよく分からなかった。