「わたしの、双子の妹なのに……!」
(この子は、本当に……?)
修学旅行で訪れた有名なお寺で自分と瓜二つの少女、佐藤晶とぶつかった次の日、六条愛は移動のバスの中で撮らせてもらった彼女の写真を眺めていた。
彼女のことは、まだ家族には話していない。話すべきだとは、思っている。ただ、どう話すべきなのか、愛の中でまだ結論が出ていなかった。
なにより家族は双子の妹、六条結の存在を愛が知らないと思っている。話をするならば、そこからしなければならないだろう。それが彼女を躊躇わせていた。少なくとも、電話でするような話ではないように思う。
「……あれ、愛ちゃんって髪ショートにしたことあったっけ?」
「これ、わたしじゃないよ。昨日のお寺でね……」
愛のスマホを覗き込んできた、隣の席に座る友達に事情を説明する。するとその友達は目を丸くして驚いた。
「うわ、じゃあ、ホントに別人なんだ……。生き別れた双子だったりして」
その言葉に、愛の心臓は「ドクン」と大きな音を立てる。それを悟らせないように苦笑しながら、彼女はこう答えた。
「そういう話は、聞いたことないかなぁ……」
嘘ではない。誰も教えてはくれなかったから、聞いた事はない。
「う~ん、まあ、世の中には同じ顔の人間が三人はいるって言うしね。だけど赤の他人でこんなにそっくりだなんて、ちょっと気味悪いね」
「うん、そうだね……」
確かに、晶が本当に赤の他人なら、「気味悪い」で済ませてもいいだろう。けれども、赤の他人でないのなら……?
(わたしは、どうしたらいいんだろう……?)
写真の少女は楽しげに笑っている。けれども愛が同じように笑うことはできそうになかった。
「あ、愛ちゃん。そろそろ降りるみたいだよ」
「あ、うん。ありがとう」
慌ててスマホをしまう。結局、愛がこの少女、佐藤晶について家族に話したのは、修学旅行が終わり家に帰ってからのことだった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
帰りのバスが学校に到着すると、そこにはすでに車で迎えに来た生徒たちの保護者らが揃っていた。その中には、愛の母である六条香の姿もある。香はかわいい娘の無事な姿を認めると、安堵して胸を撫で下ろす。
――――無事に帰ってきてくれた。
その思いは、ここにいる保護者全員が持っているだろう。しかし香の思いはその中でも最も大きく、そして深刻だった。
「お母さん、ただいま」
「おかえりなさい。さ、家に帰りましょう」
二人で荷物を積み込み、車に乗る。発車して少ししてから、香は娘にこう尋ねた。
「修学旅行、どうだった?」
「うん、楽しかったよ」
娘のその答えに、香は引っ掛かるものを覚えた。「楽しかった」と言うわりには、声の調子が暗い。どうしたのかと思い口を開きかけ、しかしそれより前に愛の方がこう尋ねた。
「今日、お父さんとお兄ちゃんは?」
「司は家にいるわよ。お父さんは仕事だけど……」
六条司は地元の大学に通う、愛の五つ年上の兄だ。今年で二十歳になる。父親の名前は六条聡といい、職業は経営者、ようするに社長だ。
「話したいことがあるの。帰ってきてもらえるように、お父さんに頼めないかな……?」
愛のその必死な様子に、香は何かあったのだと確信する。不安で心がざわつくが、しかし何とか堪えてそれを表には出さず、平静を保ちながらこう答えた。
「……家に帰ったら、会社の方に電話してみるわ。それでいい?」
「うん、お願い」
それっきり、親子の会話は途切れた。愛は深刻げな顔をしながら俯いて、一言も話そうとしない。香は何があったのか問いたくて仕方がなかったが、しかしここで強引に聞いても娘は話してくれないだろう。幸いにも、彼女は「話したいことがある」と言ってくれている。ならば今は我慢して自分から話してくれるのを待とう。香は自分にそう言い聞かせた。
家に帰ると、香はすぐさま聡の会社に電話をした。まずは秘書の方が出たので、取次ぎを頼む。夫が電話に出ると、香は愛が「話がある」と言っていること、そして娘の様子が随分深刻であったことを伝える。
「……分かった。すぐに帰る」
要件を伝えると、聡はすぐにそう答えた。それを聞いて、香は少しだけ安堵した。
「ええ、お願いします。あの子に何かあったのかと思うと、私、もう心配で……」
「何かあったのなら、学校の方から連絡が来ているはずだ。大丈夫、あの子は無事だよ」
そう言って聡は取り乱す妻を宥めた。そして子供の前では普段どおりに接するよう言い聞かせてから、電話を置いた。
「すまないが、急用ができた。今日はこれで上がらせてもらう」
電話を切ると、聡はすぐ秘書にそう言った。言いながら荷物を鞄に片付け、脱いでいた背広を羽織る。仕事は終わっていないが、幸い急な仕事もない。明日また残業をすることになるだろうが、しかしそれよりも今は子供の話の方が重要だった。
「わ、分かりました。後片付けはしておきますので、どうぞお早く」
「うむ、すまない」
秘書にそういい残すと、聡は足早に会社を出て駐車場に止めてある自家用車に乗り込んだ。会社から家までは、おおよそ30分。ちなみに運転手などという大層なものはいないので、毎日自分で運転している。
六条家は、いわゆる旧家だ。ただ、力があるのかと言われればそうでもない。親戚に政治家はいるが、それにしても地方県議。しかも他県であるため、あまり当てにはならない。会社を経営しているとはいえ、地元では多少名が通っているというだけで、全国区でみれば無名と言っていい。
ただ、歴史だけはそれなりにある。六条家は、溯ればどこぞのお殿様に行き着くという、“由緒正しい”家柄。会社も、オイルショックにバブルの崩壊、近頃ではリーマンショックも何とか切り抜けてしぶとく生き残ってきた。
そんな旧家であるから、柵も多く存在する。顕著な例を挙げるならば、跡継ぎだろう。妻の香と結婚した当時、聡はあまり気にしていなかったのだが、周りの人間は早く跡継ぎ、つまり男の子を生めと異口同音に圧力をかけた。
子供の性別など、人の一存で決められるはずもない。それなのに周りの人間は、特に六条の家の親戚などは「女の子ではなく男の子を」というのだ。馬鹿馬鹿しい。どうしろと言うのだ。仮に女の子であれば、その子には価値がないとでも言うのか。そう思うと、聡は腸の煮えくり返る思いだった。
さて、そんなプレッシャーの中、香はできた嫁で立派に男の子を産んでくれた。長男の司である。そして五年後、再び香に妊娠が発覚する。今度は性別に拘るような空気もなく、聡と香は「今度は女の子がいいね」なんて気軽に話していた。
そして何と、今度は本当に女の子であった。しかも双子であるという。その時は家族みんなで喜んだ。
名前は愛と結にした。姉が〈愛〉で、妹が〈結〉だ。双子なのだから姉だの妹だのは、あまり意味がないだろう。それでもまあ、そういうふうに決めた。
胎児の成育は順調だった。出産も無事に終わり、聡は生まれたばかりの双子の赤ちゃんを腕に抱いた。必ず幸せにする。陳腐な決意だが、しかし彼はこの時たしかにそう決意したのである。
しかしその決意は、残酷なほど早く、暗転を迎える。
双子の片割れが、誘拐されたのだ。
誘拐されたのは、妹の結。すぐさま警察に通報して捜索してもらったが、彼女は見つからなかった。犯人からの要求や接触は皆無。私的に懸賞金をかけたものの、解決に結びつく有益な情報は得られず、そのまま現在に至っている。
(……あれから、もう15年か……)
車を運転しながら、聡は15年を振り返る。
最初は酷かった。産んだばかりの赤ん坊を誘拐された香は、一時はうつ状態にまでなった。当時まだ幼かった司も、重大な、そして良くないことが起こったのは空気で分かったのだろう。笑顔が消え、口数は少なくなった。聡自身の落ち込みも激しく、家の中の空気は荒んだ。
そんな中、救いとなったのは愛の存在だった。この子を荒んだ家庭で育てるわけにはいかない。結だって、必ずいつか帰ってくる。自分にそう言い聞かせ、聡と香はほとんど無理やりに気持ちを立て直した。
とはいえ子供が、結が誘拐されたという事実に変わりはない。そのせいか聡も香も、残された愛のことが心配で仕方がなかった。
『この子まで、誘拐されてしまうのではないか』
そんな想いが、まるで強迫観念のように二人に付きまとった。そのせいもあり、二人は愛を大切に育てた。
決して、甘やかしたわけではない、と思っている。むしろこの15年は、甘やかさないようにと自戒する日々だった。幸い、教育方針は間違っていなかったらしく、素直な優しい子に育ってくれた。親の贔屓目もあるのだろうが、容姿だって人並み以上に整っている。
だからこそ、と言うべきなのか。娘に対する思い入れは、ますます強くなっている。
(話、か……)
その娘が、話があるという。このタイミングだ。修学旅行中に何かあったと見て間違いないだろう。妻には大丈夫だといったが、実際のところ聡とて不安が心の奥底にこびりついてはがれない。
(……っ!)
思わず、ハンドルを力任せに握る。
何かしらの事件に巻き込まれた、ということはあるまい。そうなら、まずは学校と警察から連絡が来ているはずだ。妻を宥めたのと同じ理論で、聡は自分の焦りを落ち着かせた。
家に着くと、駐車スペースに車を頭から突っ込む。バックで入れる時間も惜しかったのだ。そして車から降り、足早に玄関へ向かう。
「……ただいま」
扉を開ける前に一呼吸。なるべくいつも通りの声で帰宅を告げる。すぐに奥からパタパタというスリッパの音がして、香が玄関に出てきた。
「おかえりなさい、あなた」
「愛の様子は?」
「ご飯は食べてくれたけど、口数が少なくて……。話も、『お父さんが帰ってきてから』としか言わないの」
「そうか……」
短く情報交換をしてから、聡はリビングへ向う。リビングに入ると、テレビの音がした。そちらに視線を向けると、私服の愛がソファーに座り、テレビをぼんやりと眺めている。その表情は虚ろで、間違っても楽しそうではない。近くに座る兄の司も、そんな妹の様子に心配そうにしていた。
「……ただいま、愛。修学旅行は楽しかった?」
「あ、お父さん。おかえりなさい」
声をかけられた愛の顔が、聡の方を向く。確かに思いつめた表情をしてはいるが、しかし悲壮な陰があるわけでもない。そのことに、彼は少しだけ胸を撫で下ろした。
「それで、話というのは?」
「……ご飯、食べないの?」
「愛の話の方が大切だよ」
聡がそう言うと、愛は安心したように小さく笑みを浮かべた。彼女は「それじゃあ」と言ってテレビを消す。ガラステーブルを囲むように置かれたソファーのそれぞれの定位置に家族四人が座ると、愛はおもむろに口を開いた。
「……実は、見て欲しいものが、あるの」
そう言って彼女はスマホを取り出し、その画面に一枚の写真を表示した。奈良のお寺でぶつかった少女、佐藤晶の写真だ。そしてその写真を写したスマホをガラステーブルの上に置く。聡と香と司の三人が、そのスマホを覗き込んだ。
「……これはっ!?」
すぐさま、三人の顔色が変わった。そしてスマホの画面と愛の顔を何度も見比べる。何度見比べても、彼女とそっくりな顔だった。
「……奈良のお寺で、偶然ぶつかったの」
ポツリ、ポツリと愛は事情を説明した。そして晶から渡されたメモもテーブルの上に載せる。そのメモに、聡が震える手を伸ばす。そしてまるでヒビの入った割れ物でもあるかのように、恐るおそるといった手つきで触れた。
愛とそっくりな少女。しかも、年齢も同じ。心当たりは一人しかいない。15年前のあの日に誘拐されたもう一人の娘、結――――。ずっと探していた娘に繋がる手がかりが、今目の前にあった。
「……なんですぐに連絡しなかったんだ!?」
思わず、聡は叱りつけるような口調でそう叫んだ。そんな彼を、隣に座る妻の香が必死に宥める。しかし愛は臆することなく、こう言い返した。
「じゃあなんで結ちゃんのこと教えてくれなかったの!? わたしの、双子の妹なのに……!」
とうとう、愛は泣き出した。それを見て、聡の頭が急速に冷える。そして夫が浮かせていた腰を落としたのを見て、香は愛のところへ行きその肩を抱いた。
「……怒鳴って、すまなかった。愛は、結のことを知っていたのか……?」
「…………むかし、お母さんのタンスで、母子手帳を見つけたの。……二人分の」
鼻声になりながら、愛がそう答える。それを聞いて、聡は「そうか」と小さく呟いた。そして彼は話し始める。あの日から、今日までのことを。
「結は、生まれてすぐに誘拐されたんだ」
その言葉を聞いて、愛は息を呑んだ。予想はしていた。今の時代、双子だからと片方を養子に出すような真似はしないだろうし、死んだのであれば遺影の一つぐらい飾ってありそうなものだ。しかし、家の中には結の存在をうかがわせる様なものは何一つとしてない。それが逆に、触れざる残酷な事実を強調していた。
「じゃ、じゃあ……、もしかしたら……」
「……ああ。一つ違えばお前の方が、あるいはお前も一緒に、誘拐されていたかもしれない」
父親のその言葉を聞いて、愛が真っ先に感じたのは恐怖だった。誘拐され、大好きな家族と一緒にいられない。それは想像しただけで、彼女に大変な恐怖を与えた。
(だけど結ちゃんは……)
生まれてからずっと、その状態だったのだ。それを思うと、今度は罪悪感で押しつぶされそうだった。
愛自身、大切にされていると感じている。厳しくも優しい家族が大好きだ。照れくさい言葉だが、「幸せ」なのだ。
だけど結は、この暖かな家庭で一緒に育つはずだった双子の妹は、その「幸せ」を知らない。二人分の愛情を、愛は独占してしまった。それはもちろん、彼女のせいではない。だが彼女がそう考えてしまうことも、ある意味で仕方のないことだった。
「……結のことを話さなかったのは、悪かったと思う。だけど、父さんも母さんも、愛のことが心配だったんだ」
「うん、分かってる」
ありがとう、と愛は涙声で応じる。そんな娘を見て、聡は何度も頷いた。
「…………それで、父さん。そのメモは?」
場の空気が落ち着いたのを見計らい、長男の司が話をメモの方に向けた。聡は一つ頷いてから、テーブルの上に置かれたメモを手に取る。そこには「佐藤晶 ○○県立□□中学校三年」と書かれていた。
「このメモを、結が?」
「う、うん。今は晶ちゃんって言うみたいだけど……。あ、あとスマホも、ポ、ペケベル? も持ってないから、その番号はなしだって」
なぜポケベルなどという単語が今の時代に出てくるのか一瞬疑問に思ったが、そんなことよりも娘が重大な勘違いをしていることに聡は気付く。
「愛、この字は多分、『しょう』ではなく『あきら』と読むのだと思うよ」
「え、そ、そうなの?」
勘違いを教えられた愛は、目を見開きつぎに恥ずかしげに俯いた。その様子に、一同は生暖かい笑みを浮かべる。話題が話題だけに緊張していた空気が、一気に弛緩した。
「で、その晶ちゃんが通う○○県立□□中学校は、っと……。あったよ、父さん」
司が自分のスマホで検索した結果を父親の聡に見せる。メモに書かれていた○○県立□□中学校は確かに実在する中学校だった。学校のホームページには住所と電話番号も記されている。
「あなた、早速電話してみてください」
「ああ、そうだな。そうしよう」
香の張り裂けんばかりの期待を含んだ声と、同じく真剣な司と愛の視線に催促され、聡は電話の受話器を取った。そして件の中学校の電話番号にかける。電話は、すぐに繋がった。しかし……。
「…………出ないな。先生方はもう帰られたのかもしれない」
聡がそう言って受話器を置くと、三人の口からはため息が漏れた。それぞれの顔に浮かぶのは失望である。
「明日、また電話してみよう。……なに、焦らなくたって大丈夫さ」
聡が努めて明るい声でそう言うと、その言葉に同調するように香は「そうね、そうよね」と言って何度も頷いた。彼女の顔は、希望に縋る者の顔だった。
さて、後日談についても記しておこう。
聡は翌日、言葉通りにもう一度件の中学校に電話をかけた。今度は無事につながり、彼は三年生に佐藤晶という女子生徒が在籍していることを確かめると、彼女の連絡先を教えてくれるように頼んだ。しかし学校側の返答はつれない。
曰く、「生徒の個人情報を教えるわけにはいかない」
聡は尤もな話だと思ったが、しかしここで退くわけにもいかない。彼は懸命に事情を説明した。すると、学校側は次のような条件を提示した。
曰く、「生徒の個人情報を教えるわけにはいかないが、学校側から彼女の保護者に連絡し、そちら側の事情を説明することはできる。それでもよいか?」
聡はすぐにその話を承諾し、さらに自分達の連絡先として自宅の電話番号を伝えた。
佐藤晶の保護者を名乗る女性から連絡があったのは、その日の夜のことだった。
「もしもし、葛西法子と申します。六条さんのお宅でしょうか?」
「はい、そうですが……」
「□□中学から連絡を頂きました。佐藤晶ちゃんの保護者でございます」
「そうでしたか! ……いや、しかし葛西さん、ですか……?」
佐藤とは、姓名が違う。そのことに聡は引っ掛かりを覚えた。
葛西法子と名乗った女性はしばらく言葉を返さなかった。沈黙が数秒続き、やがて受話器の奥から小さなため息が漏れた。
「…………ご存知では、なかったのですね」
「何を、ですか?」
「晶ちゃんがいるのは、児童福祉施設。……あまりこういういい方はしたくありませんが、要するに孤児院です」
聡は呆然とする。「孤児院」。その言葉は、どこか絶望的な響きを持っていた。