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「……なんだ、鏡か」


 ――――目の前にあったのは、自分とそっくりな顔だった。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



「きゃあ!? ご、ごめんなさい!」


「あ、いや。こっちこそごめん」


 修学旅行で訪れたお寺は、誰もが名前くらいは聞いたことのある有名な場所だけあって、人で溢れていた。普通の観光客も多いが、それより多く見受けられるのは、彼女、六条(ろくじょう)(あい)と同じく修学旅行でここを訪れたと思しき制服姿の生徒たちだ。


 決してぼんやりしていたわけではない。ただ、人ごみに浮かされて注意散漫になっていたのは否めない。愛は人にぶつかり、手に持っていた荷物を落としてしまった。


 慌てて謝り、相手の顔も見ずに膝をかがめて落とした荷物を拾う。すると視界の端に折り曲げられた誰かの膝が映った。どうやら、ぶつかった相手が荷物を拾うのを手伝ってくれているらしい。


「あ、ありがとうございます……!?」


 礼を言いながら顔を上げ、同じく顔を上げた相手と目が合い、そして愛は言葉を失った。


 ――――目の前にあったのは、自分とそっくりな顔だった。


 さすがに全く同じ、というわけではない。特に、髪の毛の長さは一目瞭然に違う。愛はロングだが相手はショートだ。しかし逆を言えば、すぐさま違うといえる箇所はそこぐらいしかない。まるで鏡合わせのように、二人はそっくりだったのである。


「……なんだ、鏡か」


「ええ!? あ、いや、ち、違いますよね!?」


 相手の、まったく動揺が感じられない言葉に、愛はさらに動揺した。ただ、動揺したおかげなのか、ともかく声は出た。


「分かってる。一度言って見たかったんだ」


 ぶつかった相手は苦笑しながらそう言った。そして「ほら落ち着いて」と言って愛を宥める。それから拾った荷物を渡して彼女を立たせた。


 二人は立ち上がると、改めて向かい合う。このときようやく、愛はぶつかった相手が自分と同じ年頃の少女で、どこかの学校の制服を着ていることに気がついた。やはり愛と同じく、彼女も修学旅行でこのお寺に来たのだろう。


(ほんとうに、そっくり……)


 ショートカットにしたらこんなふうになるのだろう、と思っていた顔がまさに目の前にあった。愛は熱に浮かされたように、その顔に魅入る。


「……そんなに見つめられると、さすがに恥ずかしいんだけど……」


 そう言って、少女が僅かに頬を染めながら視線をそらす。その声と仕草で、愛はようやく我に返った。急に恥ずかしくなって慌てて俯き、視線をそらす。「んん」と咳払いをする声が聞こえた。


「ぶつかっちゃったけど、大丈夫? 怪我してない?」


「は、はい! 大丈夫です!」


 愛は顔を上げてそう答える。すると相手の少女は「よかった」と言って微笑んだ。そんな仕草が、やけに大人びて見える。


「じゃ、わたしはこれで」


「ちょっと待って下さい!?」


 何事もなかったかのように去ろうとする少女を、愛は慌てて引き止めた。振る返るバツの悪そうな顔を、「めっ」と睨む。すると少女は「まいったなぁ」と言わんばかりに苦笑を浮かべた。


「待つのはいいけど、どうするの?」


「あ……、え、ええっと……」


 少女の言葉に、愛は慌てた。引き止めた以上、「用事があるのは彼女の側」と思われるのは仕方がない。何か言わなければと思うのだが、咄嗟に言葉が出てこない。


 だがしかし、このそっくりな少女が、自分と無関係な人間であるはずがない。そもそも、愛には心当たりがある。しかし逆に心当たりがあるせいで、何を言えばいいのか分からない。愛が焦ってうーうー唸っていると、少女が「くく……」と笑い声を漏らした。


「じゃあ、ん~とね……」


 言葉が出てこない愛の目の前で、少女は手荷物の中から手帳を取り出し、そこにボールペンを走らせる。そしてそのページを破ると、それを愛に差し出した。


「はいコレ。わたしの名前と通ってる学校の名前。住所とかは個人情報だからカンベンね」


「あ、は、はい。ありがとうございます……」


 差し出されたメモ用紙を、愛は両手で受け取る。そこには「佐藤晶 ○○県立□□中学校三年」と書かれていた。中三であれば同級生である。


「そ、その、携帯番号とかは……!?」


 ただ、これだけではどこに連絡すればいいのかわからない。それで携帯番号を尋ねたのだが、少女は申し訳無さそうにこう答えた。


「あ~、ごめん。わたし、スマホはおろかポケベルも持ってないんだ」


「ポ、ポケベル……?」


 聞きなれない言葉を、思わず聞き返す。すると少女は大仰に嘆いてこう言った。


「通じない……! これがジェネレーションギャップ!」


 同学年なのでジェネレーションギャップではない。


「あ、あの! じゃ、じゃあ、写真撮っていいですか……!?」


 楽しそうに嘆く少女に、愛は躊躇いがちにそう尋ねる。そのアイディアはほとんど閃きだった。少女は少し考えてから、「ネット流出は止めてね」と言ってオッケーしてくれた。


 さっそく、愛は自分のスマホを取り出してカメラを起動する。その様子を、少女が少しだけ羨ましそうに見ていたことに、彼女は気付かなかった。


「じゃあ、撮りますね。はい、ち~ず!」


 愛の合図にあわせ、少女が可愛らしく小首を傾げてピースサインをしてポーズをとる。撮った写真を見せてあげると、少女は「やった、カワイイ」と嬉しそうに笑った。


 写真を撮り終えると、少女は今度こそ「じゃあね」と言って去っていった。愛は渡されたメモを取り出して、スマホと一緒に胸元に抱きながら、やや呆然とその背中を見送る。そしてついさっき知ったばかりの少女の名を呟いた。


佐藤(さとう)……、(しょう)……」


 そして彼女は心のなかでさらに別の名前を呟く。


(六条、(ゆい)……。わたしの、双子の、妹……)


 確証はない。しかし愛はそうだと確信していた。


 ちなみに、「(しょう)」ではなく「(あきら)」と読むことを愛が知るのは、修学旅行が終わってからのことである。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 金も知恵もコネもない人間がこの世の中で生きていくには、人に好かれるしかない。それがこの世界で15年と数ヶ月を生きる、佐藤(さとう)(あきら)の出した人生の答えだった。


 では、「人に好かれる」ためにはどうしたらいいのか。


 この問いに対する模範解答は「魅力ある人間になる」といったところだろうか。ただ、この答えでは抽象的すぎる。才能は生まれ持ったものに大きく左右されるし、容姿を美しく、あるいは可愛くするために注ぎ込むお金はない。お金はもちろんのこと、知識や人生経験も限られている晶にとって、人に好かれるための魅力を身につける術と方向性は限られていた。


 その、限られた選択肢の中で晶が出した答えは、「ユーモア」だった。ユーモアのある人間は人に好かれる。晶はその方向性で行こうと決めた。


 小粋なジョークに気の利いた言葉。相手を本当に不快にさせないように言葉を選びながら、晶は会話をするようになった。


 幸いにも、彼女にとってそういう会話はストレスにはならなかった。それに、自分の言葉で相手が笑ってくれると、嬉しいし楽しい。それで彼女は常々からユーモアを発揮する機会を探すようになった。


 そして、この日もまた、その機会が訪れる。


「きゃあ!? ご、ごめんなさい!」


「あ、いや。こちらこそごめん」


 修学旅行で訪れた先のお寺で、晶はある少女とぶつかった。少女は手荷物を落としてしまったらしく、すぐにしゃがんで散らばったペンやらを拾う。晶もそれを手伝った。


「あ、ありがとうございます……!?」


 礼を言う少女が、目を見開いて固まる。その気持ちは、晶もすごくよく理解できた。


 ――――目の前にあったのは、自分とそっくりな顔だった。


 ほとんど同時に言葉を失った二人だが、先に我に返ったのは晶のほうだった。コレは絶好のチャンス! 喰らえ……、今、必殺の……!


「……なんだ、鏡か」


「ええ!? あ、いや、ち、違いますよね!?」


 目の前の少女がわたわたと慌てる。あらカワイイ。前から使いたいと思っていたネタを披露できて上機嫌な晶は、そう思った。


「分かってる。一度言って見たかったんだ」


 苦笑しながらそう言い、さらに「ほら落ち着いて」と言って相手の少女を宥め、立たせてやる。


 向かい合った少女は、晶と本当によく似ていた。背格好もほぼ同じ。制服を着ているから、恐らくは同級生(タメ)だろう。相手も同じようなことを考えているのか、少女は晶の顔をまじまじと見つめている。


「……そんなに見つめられると、さすがに恥ずかしいんだけど……」


 そう言って晶はすこしだけ視線をそらす。ちょっとイケナイ気分になりそうである。相手の少女は可愛らしい子なので、なおさらだ。


 晶にそう言われ、少女は慌てて視線をそらした。その頬がほんのり桜色に染まる。これは、そそる……! 「んん」と咳払いしてイケナイ気分を追い出すと、晶は改めて少女にこう尋ねた。


「ぶつかっちゃったけど、大丈夫? 怪我してない?」


「は、はい! 大丈夫です!」


 そう言って少女は何度も頷く。それを見て晶は「よかった」と呟いた。本当に大丈夫そうである。


「じゃ、わたしはこれで」


「ちょっと待って下さい!?」


 大丈夫なことが分かったところで“さようなら”しようと思ったのだが、ものすごい勢いで少女に手を掴まれた。振り返ってみると、少女が眉間にシワを寄せて睨んでいる。くそう、カワユイのう!


「待つのはいいけど、どうするの?」


「あ……、え、ええっと……」


 少女が慌てて言葉を探す。しかしなかなか出てこない。その様子を見て、晶は内心で苦笑を漏らした。


 他人の空似で済ませるには、あまりにもそっくりな顔。少女はそこに、大仰な言い方をすれば「運命めいた」ものを感じているのだろう。実のところ、それは晶も同じである。


 しかしだからこそ、晶はさっさとこの場から立ち去ってしまいたかった。面倒事の気配がするのだ。もとより面倒事の多い身の上。すき好んで抱え込みたいとは思わない。


 しかし、可愛らしく睨みつけてくる少女は、手を放してくれそうにない。無理やり振り払おうと思えば振り払えるだろうが、そこまでして強く関わりたくないと思っているわけでもなかった。それにやっぱりこの少女はカワイイ。ここすごく重要。顔かたちより、むしろ雰囲気が。ここものすごく重要。じゃないと同じ顔の自分までカワイイことになってしまう。晶はそこまでナルシストにはなれなかった。


「じゃあ、ん~とね……」


 晶は手帳を取り出すと、そこに自分の名前と通っている学校の名前を書く。おっと県名も忘れずに。今の時代、インターネットという文明の利器があるから、これで学校に連絡するくらいのことはできるだろう。


「はいコレ。わたしの名前と通ってる学校の名前。住所とかは個人情報だからカンベンね」


 書かれている情報は正確だが、個人情報うんぬんは嘘である。単純に、このそっくりな少女に自分の身の上を知られたくなかっただけだ。調べれば分かってしまうのだろうが、それでも自分から教えたくはなかった。


「あ、は、はい。ありがとうございます……」


 少女はそう言って差し出されたメモ用紙を素直に受け取った。だが彼女は必死な様子のままさらにこう尋ねる。


「そ、その、携帯番号とかは……!?」


「あ~、ごめん。わたし、スマホはおろかポケベルも持ってないんだ」


 ここでガラケーと言わないあたりがユーモアである。


「ポ、ポケベル……?」


「通じない……! これがジェネレーションギャップ!」


 もちろん通じないのは織り込み済み。大仰な反応に少女は目を丸くしているが、晶は自分が楽しいので気にしなかった。


「あ、あの! じゃ、じゃあ、写真撮っていいですか……!?」


 楽しく騒いでいると、少女が躊躇いがちにそう尋ねてくる。きっと自分と同じ顔の人間がいたという、証拠にしたいのだろう。親に話をするにしても、証拠があった方が信憑性は増す。


(う~ん、どうするかなぁ……)


 面倒事に巻き込まれたくない、という気持ちはある。ただ、さっきメモを渡した時点で今更とも言えた。それで、晶は冗談目かして「ネット流出は止めてね」と言ってオッケーした。


 それを聞いた少女が、嬉しそうにスマホを取り出す。それを見て、晶は「ああ、やっぱり持ってるものなんだ」と思った。


 同級生のほとんどが、スマホを持っている。クラスのなかで持っていないのは、晶だけだ。今の今までそのことはどうとも思っていなかったが、こうして自分と同じ顔の少女がスマホを当たり前に持っているのを見ると、その差に少しだけ荒んだ気分になった。


「じゃあ、撮りますね。はい、ち~ず!」


 少女の合図に合わせて、晶は一瞬で表情を変えた。可愛らしく小首をかしげて微笑み、ピースサインを添える。うむ、我ながらあざとい。撮った写真を見せてもらうと、狙い通り可愛らしく撮れていた。それを確認してから、晶は「じゃあね」と言って少女と別れた。


(さあて、どうなるかな……)


 楽しみなような、不安なような。


(そういえば、あの子の名前聞くの忘れた……)


 こりゃうっかり。晶はたいそう芝居がかった仕草で自分の頭を小突く。すると、たまたますれ違ったお兄さんに「何してんだコイツ?」という目で見られた。


 晶は気にしない。


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