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翌日。やはり由美子は学校へ訪れた。昨日同様、びとーが理事長室に案内する。
「…あなたは、光輝さんのお兄さまでいらっしゃるそうですね。」
消え入りそうな声で、視線を合わさずに由美子が言った。
話し掛けられると思っていなかったびとーは、驚きながらも、それを押し隠して頷く。
「そうです。」
「光輝さんはあなたのことを、人間性に優れた自慢のお兄さまだと、
とても嬉しそうに話していらっしゃいました…。」
「そんなことを言っておりましたか。」
俺には無断で檸檬と香恋を契約させておいて、か?!と内心では思う。
だがそれ以上に、頷くだけで他には何も言わない由美子の
意図するところを掴みかねていた。
理事長室に辿り着き、由美子を光輝に引き渡した後も、
寂しそうだった彼女の、あの言葉の真意を図りかねて、びとーは首を捻った。
「昨日は、本当に申し訳ありませんでした。」
由美子が訪れたのを見て、光輝はまず、昨日置き去りにしてしまったことを謝罪した。
由美子は軽く首を振って、寂しそうに微笑んだ。
「昨日の光輝さんは、本当に素敵だと思いました。
子供達に向ける笑顔も、あんな事態になっても落ち着いて素早く対応なさっている姿も…。正直に言いますと、一人の男性として、とても心惹かれました。
でも、それと同時に判ってしまいました。光輝さんの横に立つのは私では駄目だと…。」
「…え…?」
光輝が首を傾げると、由美子は瞳を伏せた。
「体育館で、最初に女の子が走ってきましたよね?!
あの女の子に向けた優しい瞳…。
大きな愛情で包み込むような、あんな瞳で私のことは見て下さらない…。
だから、きっと学校の子供達以上に光輝さんの心を占めることは、
私にはできないのだろうと気が付いてしまったのです…。」
肯定も否定もできず無言になる光輝。
そんな光輝の様子に、由美子は更に寂しそうな表情を浮かべて続けた。
「それに、私、昨日は本当に怖かった…。
障害があるようには見えない、それどころか、あんなにしっかりしているように見えた、整った顔立ちの男の子が、人相が変わるほどの苦しみ方をしていて…。
伯父様に伺いましたら、
子供達の何割かはあの男の子と同じような発作と闘っていると…。」
光輝は何も言わず、ただ頷いた。
「あんな発作を目の前で繰り返される日常に、私は耐えていく自信がありません…。
怖いんです…。一緒に闘っていこうと思える程には、私は強くなれなくて…。」
だが、こういう子供達の家族は、発作に苦しむ我が子を見据え、
支えながら生きているのだ。その子を愛し、守りたいという一心で。
それでも、彼女にそれを言う気にはなれない。
彼女に限らず、自分が結婚したいと思う相手以外には。
だから光輝は微かに頷くしかなかった。
「…ですから、今回のお話は、無かったことに…。」
そう言って、由美子は涙を溢れさせた。でも、それを拭おうともせず、続ける。
「…いつか、私がそういう子供達と一緒に歩けるくらいに、精神的な強さを身につけて…、その時に光輝さんがまだお独りでいらっしゃったら、もう一度会いに参ります。」
光輝は頷いた。
「伯父様には、私の方からお話しします。」
「判りました。お願いします。」
そうして光輝は、扉を開ける小さな背中を見送った。
「…本当に良かったのか?」
夜になり、塔で酒を味わいながら、使い魔が光輝に尋ねた。ちなみに今日は『菊姫』だ。壮の今一番気に入っている地酒である。
「って壮が聞くってことは、やっぱり良い方だったのね。」
香恋が言うと、壮は呟くように答えた。
「光輝を、条件でなく人柄で見ていた。」
「…そう…。」
だが、光輝は笑顔で頷いた。
「確かに素敵な女性だったよ。
もし今の生活に入る前、孤独に苦しんでいた時期だったら、多分結婚を決めていたと思う。…だけど、縁にはタイミングもあると思うんだ。
彼女とは、そのタイミングが合わなかった。ただそれだけだよ。」
光輝の笑顔も口調さえも爽やかで、玲も精霊達も安堵した。
縁談というのは、上手くいく場合は良いが、
破談となる時は、断っても断られても心に小さな棘を残すような、
後味の悪いものだからだ。
「やっぱり僕には、ここに集まるみんなが一番大切で、学校の子供達も大事で、
今はこのままが良いんだ。この関係を壊さずに済んだことが本当に嬉しいよ。
彼女には申し訳なかったけれど。」
「揺らいだりしないのね、光輝。」
「うん?」
「結婚する気が無いとなったら、たとえ相手が素敵な女性でも。」
香恋に言われて、光輝は首を傾げた。
「本当にその相手に恋をすれば、その時は判らないけどね。」
「光輝を夢中にさせることができるのは、一体どういう女性かしら?」
びとーがニヤリと笑って言った。
「判った!間違いない!桃だ!」
光輝は吹き出した。
「確かにね!桃ちゃんは大好きだよ!」