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清姫の草灯

 からんと書簡が転がる音がして、草灯は閉じかけていた目を開いた。暗がりの中、頼りなく揺れる蝋燭の光が彼の緑の目に映る。気づかぬ間に眠気に負けて舟を漕いでいたらしい。手から滑り落ちたものを見て、億劫そうに拾い上げた。美しい女の字で紡がれた愛の言葉の手紙。これに返事をするのが自分の義務だと思うと腹立たしい。自分に宛てられたものではないというのに。

 「お、草灯。お前寝てたのか? しかも仕事中じゃねーか。いっけねーんだ」

 にやにやと六本の尾を揺らした年若い妖が、草灯をからかうように言いながら彼の手元を覗き込む。

 「なんだ、まだ書いてねえの?」

 拍子抜けしたように呟いて、そのまま妖は草灯のわきに腰掛けた。

 「なあなあ、なんて書くんだよ草灯。ちゃんと断ってくれよ?」

 「……ええ、もとよりそのつもりです。大我様には玻璃様がいらっしゃいますから。何と書くかは決めていませんが、そもそも自分に来た恋文くらい自分で返事を出してほしいものです。部下に押し付けないでいただけますか?」

 「だって前に俺が書いたの出そうとしたら草灯、怒ったじゃねーかよ」

 「当たり前です、そもそも他家のお嬢さまに出すものにあんな内容かつ蚯蚓がのた打ち回っているような字で書かれたものをお返しするわけにはいきませんので」

 「……蛇のくせに」

 「申し訳ありませんが清姫様の血と蚯蚓を一緒にしないでくださいますか。怒ります」

 「俺に勝てると思ってんの?」

 「いいえ、微塵も。妖の中でも特に高位と言われる狐の、そのうち六本も尾をもつ大我様に勝る妖力の者はそうそう居りませんでしょう。九尾の旦那様ならいざ知らず、私が太刀打ちできる相手ではありません、あなたは。怒るだけです」

 溜息を押し殺しながら、大我を見遣り口の中で呟く。「――若い」まだ五十年かそこらしか生きていない彼は本当に若い。見た目は人間でいう十六、十七で妖の精神は――特に人型を保つような高位のものほど――ほとんど外見に依ると言っても過言ではないため、若くて生意気で無鉄砲。八十年を生き、人間でいえば二十歳を超えるかくらいの風貌の草灯からすれば苛立つことばかりだ。とはいえ八十とて、草灯の雇い主であり大我の父親でもある九尾からすれば赤子のようなものなのだろうけれど。

 「まあ、いいけど。んでさ、俺には玻璃がいるけど草灯は結婚しねえの?」

 「さあ、どうでしょうね。今のところは相手も予定もありませんが」

 「え? 草灯恋人いねえの? そんなに綺麗な顔してんのに。なんで? 女に興味ねえとか?」

 「……いい加減にしていただけますか。誰かさんの恋文の代筆まで請け負ったせいでそんな浮ついたことをしている時間も暇もないんです。これ以上邪魔をするなら出て行って下さいますか。正直迷惑ですので」

 「んだよ、つまんねーの」

 ぶつぶつと文句を言いながらも欠伸をしながら襖を閉めて、大我は部屋を出て行く。行くなら行くで最初っから文句を言わずにさっさと出てけばいいのにと思うのはきっと疲労のせいの苛立ちだ。草灯とて大我を身内のように思いこそすれ嫌う訳はないのだから。

 はあ、と夏の暑さにうんざりと息を吐く。体温調節が自力でできない蛇の草灯は、外気の影響を受けやすい。妖の為、影響を受けたからどうと言う訳ではないがどうにも冬と夏は好きになれないのだ。

紙を広げて筆を執り、墨汁に浸し頭の中で考えた文章を、したためる。

 「前略、美原の芙蓉様――」

 悪いが婚約者を愛しているのであなたの誘いは受けられない。これだけの内容を美辞麗句を重ね重ね使い何倍もの長さに膨らます。大我に恋文を贈ってきた者全員が、この丁寧な断りの文言を受けそのまま何もなく引いてくれているが、これが本人ではなくその父親に仕える者が代筆したものだと知ったらどう思うのだろう、とふと思った。

 泣くのだろうか、それとも嘘吐きとなじるのだろうか。

 「嘘吐き、か」

 他のどんなことで嘘吐きと詰られようと構わないが、恋愛においてその称号を被るのは不本意も甚だしい。はるか彼方の先祖に顔向けができない。

 愛を裏切られ失意の底で妖へと身を落とし、蛇となって心中を遂げた女――人から妖に なった唯一の存在、清姫。彼女の血を継いでいるものが恋愛で不誠実を働くことなどあってはならないのだ。

 だが、代筆と言うのは確かに不誠実でも暴言が汚い字で書きなぐってある手紙で傷つけたり返事を出さずにいる方がよっぽど不誠実であると、草灯は思う。少なくとも、婚約者を愛しているということ、そして相手の愛を受け入れられないという真実を伝えているのだから。

書き終わった手紙の墨が乾くのを待ち封筒に入れて封をする。それを文机の上に置き、目覚ましついでにと立ち上がった。

 夜も、そろそろ深くなる。ひたひたと小さな音を立てながら廊下を歩き、九尾の妖孤が所持する屋敷の門を潜り抜け、外へ。夏の蒸し暑さも夜ともなれば多少はましになる。僅かにだが長く伸びた草灯の髪を揺らす風は生暖かいものの気持ちが良かった。

 「……なんだ、あれは」

 不意に目の端を眇めた銀の光の噴出。一瞬で消え失せたが、確かに見た。人工的な光には見えないということはきっと何かしらの妖が原因。気にかかってそちらへ少し、足を進める。

 「女?」

 角度を変えるたびに緑や白銀、灰色や黄色にまでのさまざまな煌めきを見せる、蛇の鱗を彷彿とさせる草灯の瞳は鋭く細められる。草灯の目線の先には黒の髪を靡かせた女――正確に言うならば少女。齢は大我と同じ頃だろう。

 彼女は草灯を振り返ってその目に姿を捉えると、胸を押さえて蹲った。一言、「助けて」と呟いて。



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