半妖というもの
「隠していた、こと?」
「ええ。どうか、最後まで聞いてちょうだい」
そう前置いて、母は沈痛な顔で言葉を紡いだ。
「あのね、逢架。お父さんは事故で死んだんじゃないの」
え、と思わず漏れる声にならない音。どういう、と問い詰めようとして、けれどもその前に母は続けた。
「お父さんは、瘴気に侵されて身体を内部から壊されていた。確かに死んだのは崖から落ちたからよ。でもね、落ちた理由は不注意なんかじゃない。身体がもう、耐えられなかったの。絶えず、傍で発され続けていた瘴気に」
「瘴気……?」
「妖、の瘴気。妖はね、逢架。絶えずその身から瘴気を発しているのよ。力が強ければ強いほど、血が濃ければ濃いほどその瘴気は禍々しさを増す。その瘴気に、お父さんは殺されたの」
「……母さんの瘴気に、当たったって言うこと?」
「……そうだったら、よかったのに」
「父さんを愛していたんでしょう! ならなんで自分が殺したんだったら良かったとか言っているの⁈ そんなの、変じゃない!」
思わず――恐らく先ほど母の口から愛しげな響きで父のこととなれ初めそ聞いたせいだろうが、以前なら「ああ、そう」という程度で済ませていた彼の死がとても悼ましいものに感じて、食ってかかる。逢架のその言葉にひどく悲しげな顔をした母は、「こんなことを、あなたに言うのは酷かもしれないけれど」と呟いた。
「妖の瘴気では人間は死なない」
「……え?」
「人間は――純粋な人間は。その血液内に抗体を持っているの。妖の瘴気に耐えることができる抗体。すべての人間はそれを持っているわ」
「じゃあ、なんで……」
「……半妖、の瘴気」
頭が真っ白になった。母の続ける声が聞こえる。が、遠くで鳴っているだけで何一つ頭に入ってこない。
「人間の持つ抗体は妖の瘴気からしか己を護ってはくれない。半妖の瘴気は、半分人間が混ざっているせいで不安定、常にその性質を変えているの。だから、人間が半妖の近くにいることは即ち、その命を削ること」
「……じゃ、あ。父さんを殺したのは私、なの」
「ええ。そうよ。でもあなたじゃないわ、あなたの瘴気」
「そんなの、同じ……」
呆然と呟いた逢架を尻目に、母は言う。「まだ、終わってないわ。これからが、一番大切な話」
まだ、あるのか。父親を殺していたのは自分で。人間の傍に居れば人間を殺す。これ以上、あとどんな制約を背負えばいい。
「逢架。あなたの身体の、妖の瘴気に対する抗体は不完全なの。要するに、妖に近づいたら死ぬわ。多少なら問題ない、いえ、問題はあるけれども即座に影響が出るわけではない。でもね、妖の唾液を体内に入れては駄目。触れるのも、駄目。血液もよ。だから、いい? お願いだから、妖には近づかないで。貴方は、殺されるわ」
――ああ、そう言うことか。
妙に冷めた頭でそう思った。きっと南都は、これを知っていた。だから逢架に、頑なに妖に近づくな、妖は化け物だと言い続けたのだろう。でないと彼女が死ぬから。そんな彼に、自分は何を言った? 「どうせあなたも私を化け物だと思っているのでしょう」だと? なんて、酷な。最低だ。
「母さん、母さんが私に寄りたがらなかったのは……」
「あなたを殺してしまうからよ」
「父さんは……」
「一瞬でも長く、生きられるうちにあなたの姿を見ておきたいと言っていたわ」
逢架、と名前を呼ばれた気がした。なに、そう返事をしようとして気がつく。現実時やない。これは記憶だ。逢架。もう一度呼ばれる。
なに、父さん。
確かこれは、そうだ。父が死ぬ、前の晩だ。
一日早いけど、誕生日おめでとうな。生まれて来てくれてありがとう。逢架と、逢架が生きた今までの時間を共にできたことを嬉しく思うよ。
そう笑った父は、逢架の頭を撫で抱きしめる。嫌がって身を捩った彼女にくすりと笑うと言った。
そろそろ寝る時間だろう。……お休み逢架。幸せにな。
それが父が逢架に向けた最後の言葉だった。その時は、珍しいくらいにしか思っていなかった。ほとんど近寄ろうとしなかった父の、誕生日ゆえの小さな気まぐれのようなものなのだと思っていた。なのに、今なら分かる。あれは多分、最後の別れの挨拶だった。
「……逢架」
今度の呼びかけは現実だ。目の前にいるはずの母の姿が見えない――否、揺らいで歪む。つぅ、と揺れた視界が収まったと思ったら今度は頬を伝う雫。その雫は唇に触れ、塩辛さを残して次から次へと流れてゆく。泣いている。そう気がついたときにはもう、収まりがつかなくなっていた。
「逢架。辛い思いをさせてごめんなさい。でも、産んだことは謝らない。それだけは後悔していないから」
「な……んで、私を」
「お父さんと私の血を、半分ずつ分け合ったあなたは私たちの愛が存在した証なの。だからこそお父さんは命を削ってあなたを愛したし、私もあなたを愛している。それだけは分かって頂戴」
ごめんなさい、父さん。あなたのこと私は何にも分かっていなかった。ごめんなさい、母さん。あなたが抱え込んでいたものに気づかず責めていた。
「愛、して……?」
「愛してるわ。私も、あの人も」
今更、遅いかもしれないけれど。
逢架はやっと、父を父と思えるようになった気がした。