いただきます
草灯と別れた日から、五日。逢架はその間一度も一歩も家の外へ出ていない。何もせず、ただ居るだけ。そして時折思い出したかのように少し涙を流す。
そんな逢架を母は何か言いたげに何度か見つめてきたが、結局一言も何かを言うことなく過ごしていた。そして六日目の、夕飯時。いつもならそれぞれめいめいが食べたい時間に勝手に食べたいものを用意して食べるのだが、その日逢架は二人分の食事を用意して外出していた母の帰りを待っていた。
「逢架?」
「一緒に食べたいわ」
「……でも」
「お願い」
突然の申し出に困惑していたようである母はしかし、逢架の目から何かを読み取ったのかもしれない。首を縦に振って、ちゃぶ台の逢架に向かい合う位置に座った。
「いただきます」
言って手を合わせた逢架に、母は思わず言葉を発した。
「なんで、知ってるの?」
「え?」
「いただきます。……あなたのお父さんがいつも言っていたの、食べる前に。頂く命に感謝するんだって言って」
「そう。教えてもらったの。知り合いに」
「そうだったのね」
魚から器用に骨を取って母はぱくりと口に入れる。「美味しい。逢架、料理上手だったのね」
「まあ、毎晩作ってればそれなりになるわ」
「そうよね……」
ねえ、と逢架が呟くと、母は顔を上げる。なあに、とその瞳が問うていた。少し息を吸い込んで、ためらいを吹き飛ばすように訊いた。ともすれば、母を傷つけるこの問いの答えが、逢架にはどうしても必要だった。
「父さんは、母さんを化け物とは呼ばなかったの?」
「な、に……言ってるの?」
「ごめん母さん、でも教えて。お願い」
感情を殺すようにそう言い募る逢架を見て、母は深い憂いを含んだため息を吐いた。
「言われたことは無いわ。一度もね。そもそも、お父さんの方から愛を語り始めたのよ。初めて会った日に、あの人お腹すかせて道でへばっててね、偶然持ち合わせてたお握りあげたらうまいだなんだって大騒ぎ。挙句に、こんなうまいもん作れんなら結婚しろーって。馬鹿みたいでしょ?」
くすりと幸せそうに母は笑った。
「何度も何度も家まで訪ねてきてしつこくて。でもね、人間と妖じゃうまくいきっこない、いやだって言ったらなんて言ったと思う?」
「……なんて」
「『俺の幸せは俺が決めるし、あんたのことは俺が命かけて幸せにする。あんたの寿命と俺のじゃ比べもんになんねえことは分かってる。だから、俺が死んだらあんたは自由だ。でも生きてる間は俺があんたを護る。だから俺をあんたの男にしろ』」
「……」
「覚えてるわ、一字一句違わず。嬉しかったもの。ねえ逢架。あなたのお父さんはそういう人だったのよ。あなたに父親らしいことしてあげられなかったって最後まで悔いてたわ」
最後まで? 不意に、腑に落ちない言葉が聞こえて復唱する。「どういうこと? 父さんは崖からの転落で即死でしょう? 最後って、最後も何もないじゃないの」
母の顔がゆがんだ。苦痛に耐えるかのような、自分が犯した失態を悔やむかのようなどっちともつかない顔をして、俯く。
「どういうこと? 母さん」
「ごめんね、逢架」
そして、母は今日初めてその言葉を言った。逢架が大嫌いだった、謝罪の言葉を。
「あなたにずっと、隠していたことがあるの。出来れば一生、言わないままにしてあげたかったんだけれどそうもいかない。ごめんね、こればっかりは言っても赦してもらえないとは思うけど、お願い。聞いてちょうだい」
箸をおいて姿勢を正した母は、顔面蒼白のまま音を紡ぐ。その唇が震えていたことに、逢架は気づいていなかった。