大我と草灯
「私は〝居る〟だけで、逢架を殺す……?」
気づかぬうちに喉から漏れた声をかき消すかのように、草灯は目をぎゅっと瞑る。一昨日の晩、彼女が南都という人間の男に連れて行かれてから呆然とそこに立ちつくし、夜が明けるころになってようやく九尾の屋敷へ帰ってきた。
執務に差し支えるから、ほんの少しでも眠ろうかと布団に足を向けたはいいが、南都の言葉といきなりの状況に、頭は余計冴えるばかりで一向に眠れなかった。自分の、物事をよく考える癖と気になったことは追及しないと気が済まない性格を恨んだのはこれがはじめてだ。以来、二日一睡もできていない。
「……逢いたい」
とは、思う。でも、もし南都の言うことが本当だったとして、傍に寄ることが逢架を殺すことになってしまったら。そう考えたら、恐ろしくて逢いたくない。それに、昨日の様子では逢架も何も知らなかったようではある。とはいえ、なんで妖のはずの逢架と妖を嫌悪しているような南都が、友好関係を築いているのか。
分からないことだらけで、頭の中がぐるぐる回って気持ちが悪い。今まで生きてきた中でこんなこと、無かったというのに。
「草灯!」
「……大我様」
勢いよく襖を開け放って草灯の執務室にいつものことながら入り込んできた大我は、楽しそうに笑いながら定位置の座布団に座る。
「どうだった? 一昨日」
「一昨日……? なんかありましたっけ」
「なんかじゃねえってば、逢ったんだろ。友達と。饅頭あげたじゃねーか」
ああ、と相槌。大我とその話をしたのがはるか昔のことのように感じる。
「どうと言われても。別に、何も」
淡々と答えた草灯に、大我は少し首を傾げてその顔を覗き込む。妖孤の尻尾がふわりと動いた。
「どうした、なんかあったか?」
「……ですから、何も」
「何もって顔、してねえけど。ま、いいって。言いたくないんだろ? 言いたくないことは言わねえのが一番」
己の頭の後ろに手をまわしながら気のない様子で大我は言う。草灯は彼が動くたびに揺れ動く尻尾を見つめていた。あと百年くらいしたらもう一本、生えるのだろうか。そもそも五十年でこの数と言うのはすごいな、などと現実逃避じみたことを考えた。
「あとさあ、なんか合ったんだろうけど、だからって他のことに気が回らなくなんのは草灯らしくねえよ?」
「何の話です、ちゃんと執務はこなしていますが」
「そういうの以前の問題だっつの。朝飯、食った? 髪、束ね忘れてる。着物、合わせ反対。あと、ここ」
大我は草灯の目の下をなぞる。
「隈、できてる」
「そう、ですか」
言われて髪を触る。確かにいつもは纏めているのが、今日は長い艶やかな髪は広がっていた。だから邪魔だったのかと得心。着物も、言われて見れば逆。死人、と呟きかけ『死』と言う言葉に南都を思い出して俯いた。
「済みません、見苦しいものを」
「いいって、俺は好きだぜ」
「はい?」
「かっちりして、上と下みたいに弁えてちゃんとする草灯も好きだけどさ。やっぱちょっと落ち込んだり失敗したりするような、普通の草灯も好きだってこと。ま、いっつもこれだったら俺の世話焼いてくれる奴が居なくなって困るけどな」
愉しげに笑う大我に、敵わないなと草灯は苦笑する。
「……そうですね。大我様」
「んー?」
「私も、あなたが好きですよ」
驚きを露わにして目を見開いた大我は顔をくしゃくしゃにして笑って、言う。
「おう」
ああ、自分は幸せ者だと実感する。こうしてはいられない、ぱんと軽く自分で頬を打って立ち上がり、髪を束ねる紐を探し始めた。
その晩は、何故か不思議なくらいよく眠れた。