♯Numberless “君に誓う戯言と囈言”
今宵 手始めにあれを狩ってやろう。
「彼」に差を見せ付けるために。愛しい彼女の願いを叶えるために。
笑いが止まらない。そうだ 今の自分はなんだって 出来てしまう。
「テストが終わって余程嬉しいのか。こっちはこれから採点地獄だよ」
その表情を見ていた部活の顧問は 風情に『似合う』ため息をつく。
知らないのだろう。自分が何故こんな清々しい気持になっているのか。
「こんな日に手伝わせてしまって済まなかった。気をつけて帰りなさい。……九茂」
ディグノシス ♯Numberless “君に誓う戯言と囈言”
目を逸らされるのには慣れていた。
煙草を押し付けられたような瘢痕が 顔の目立つ場所にあるからだ。
地味に生まれた自分が 人の態度に過敏になってしまうのは自然の流れだった。
腫れ物を避けるが如く――穢れた場所を遠ざけるが如く 誰もかも目を逸らす。
それが、どうだろう。彼女は自分に向かってにこりと笑い、抵抗なくこの肌に触れてきたのだ。
包み込むような優しい手が 頬に温もりとして残った。
初めてだった。いとおしかった。
触れることが出来たらどんなにいいだろうと思った。
彼女は 自分と違って 水のように透明で 淀みなどひとつもないから。
「いいや、これは誰よりも救済と言う名の崩壊を渇望している。誰よりも膿んで穢れた個体だ。」
呼び掛けられて思考が止まった。
正気に戻る。自分が組み敷いていたのは…彼女の筈だ……
いつから虚仮にされていたのだろう。
お笑いだった……彼女は顔を赤らめて、だけれど確かににっこりと微笑んでくれて…自然な流れで、そのままふたりとも床に崩れたはずなのに。
彼女は いつもと穏やかな笑みをしながら…瞳孔が開ききったままの眸で此方を見つめている。
思わず呼んだ。それが名前の筈 と言うと「彼」は返した。
「あんたがこれを呼んでいる名になど、興味はない。本当の名は、名乗る価値も無いモノだから。」
……これは…何だろう?
彼女じゃない。途端に冷や汗が吹き出た。手を離してのけぞる。
少なくともこれは彼女じゃない。まったく別の 本能的に危機を感じる 異質なもの……
「醜い物同士が、自らの醜さを露呈することを厭い、相手の醜さに失望する。
慰め合えるのは、相手を自分より下だと悟ってしまった時だけというわけか。」
くくと喉を鳴らす。彼の問いに自分は答えられなかった。
近付いてくる 黒影。へたり込んで動かない此方の前に 手が伸びてくる。
広げた掌が 誘う深淵の如く目に映る――
「ならば希を模倣したものに価値はあるのか。
模倣に示唆された時、傍観者は自分を総てから消去したいと願うのか。
あるいは総てを拒絶し続けるのか。生まれたばかりの僕は知りたい。」
希。
彼女の 希。自分の 希求するもの。
どうすれば彼女が笑ってくれるのか 彼は知っているのだろうか。
自分が彼女でなければ駄目なように……彼女は彼でなければ不可ないのだろうか。
嫌だ。彼女以外は邪魔なのだ。
答えなんて要らない。……要らない。
“その希を叶えたら あの子はわたしに笑ってくれるの。”
自分の希求するもののために あの子の希を叶える。
問うたものが如何に陳腐であるかを知っていた。それゆえに 訊いた。
真っ暗な世界が解けた。
見上げると彼は 唇を曲げて その絶対的な態度を見せ付けていた。