♯04
二人きりになって誰かに呼び止められたのは、初めてじゃなかった。
「最初見たときから、いいなって思ってた」
教室を出て行こうとしたところで声を掛けられた。クラスメイトが切羽詰った顔になっていた。
「急にこんなこと言われて、驚いてるかもしれないけど、……」
私が真顔になってしまったのは、驚いたからじゃない。
相手を思い、同調してしまったからじゃない。
一目惚れなんて、信じないだけ。
うわべだけしか見えてない、私の中の穢れた場所まで見えてない、
知ったら幻滅するだけの木偶が何を言うの。
ディグノシス ♯04
記憶が途切れては繋がることがある。
自分がどうしていたか。自分の身体をどうしたのか。解りにくくなってきていた。
今だって、私は相手に何を言ったのだろう。
どうして私は、乱れた服で、ひとり教室に伏しているのだろう。
「興味深い個体も居るものだな。約定は既に締結してあるというのに。」
人の影はない。おぼろげな意識では、声の主が何処に居るのかも判断できなかった。
ただいつものあの声だけが、混濁した意識の中ではっきりと響いてくる。
「あれも、あんたを見てはいない。誰かしら、何も見ていない。
それでもあんたはまだ信じるのだろう。誤魔化された本質に依存しようとするのだろう。」
此方の性分を分析し、見縊る「彼」の声がぴったりと耳に張り付く。
いつだって後悔しているはずだった。
あの夜、振り返って手を伸ばしたりしなければ。
すべてかなぐり捨ててしまうことを抑えていたら。私は私でいられたかもしれない。
笑うことに疑問を抱いても、無意味で無駄な日々だと気が付いても、
知らないふりを続けて、くだらない会話に相槌を打って、嘘の笑顔を向けていたかもしれない。
「いつでも言い聞かせているだろう。あんたが縋るべきものは、僕だ。」
だけれど、「彼」以外に誰が居るだろう。
醜い感情をひた隠し、幻滅されることを怖れ、欺いている自分を、誰が要るというだろう。
非情な言葉を囁き続け、身も心も八つ裂きにし、
理性が飛ぶほど深く食い込ませてきた彼以外に、私が心からの真実を見せる相手は居ないのだ。
「絶望し、理性を失い、外殻を膿で浸すことを望んだのは、あんたの筈だ。」
彼の名前は何といったか。
此方からの要求に応じてくれたこんな時ですら、私は彼の名を呼べない。
いや、この感情を持ち合わせている私こそ、名乗る価値も無い物なのかも、知れなかった。