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♯ 0 rather than numberless

 辟易へきえきしていた。

 茶化された問い掛けに優しく返しながら、舌()めずりしている自分に。

 屈託くったくなく話しかけてくる彼女たちに向かって、一人ずつ査定さていしている獣に。

 ――愛しい。彼女たちは、とても愛らしい。

 既に大人だと勘違いをしている少女。他と差別化しようと背伸びをする少女。

 自分に魅力がないと思い込み 地味でひかえめに生きている少女。

 実らない恋に奔走ほんそうする少女。此方こちらを安心しきって、温かい家庭の話を始める少女。

 声を掛け、一度体温を重ねるだけで仕草しぐさは大きく変わる。

 サナギから蝶へ変わるがごとく、変貌へんぼうげていく様を何度観たことだろう。

 だからこそ 胸の内が苦しくなる。愛しいゆえに。壊してしまいたくなるがゆえに。



 ……これは彼女たちに対する思慕しぼなのか憧憬しょうけいなのか己の煩悩なのか欲情なのか

 



   ディグノシス  ♯ 0 rather than numberless



 私が出会ったその男は、出で立ちからして奇妙だった。

 暗い暖色系の照明の下、白い外套がいとうを羽織り、カウンターに座っていた先客。

 場にそぐわぬ格好に 此方が凝視ぎょうししていると、向こうから話しかけてきたのだ。

「ああ、コレか? 白衣だよ。帰りで急いでたんでな」

 返答にきゅうしてしまった。

 白い外套に見えたのは白衣だった。場違いな格好であるのに、誰も気に留めなかったらしい。

 男いわく、『仕事』を終えてそのまま着てきたのだという。

 恐らくは医学系、もしくは研究に携わる人間なのだろう。それにしても普通、白衣などでは来るまい。

 …数秒の嫌な沈黙を、店の奥から起こった拍手が救ってくれたことに感謝した。

 ささやかな拍手から一呼吸置いて、流れるような調べが鍵盤から咲く。

 ここより離れたラウンジの壇上で、スポットライトを浴びながら、ピアニストの卵が弾いていた。

 軽やかな右手のメロディに、重厚な左手の伴奏ばんそう――客受けしそうな、よく耳にする曲だ。

 そういえば同僚の数学教師はこんな洗練された音楽が好きだった。

「“meiner Seelen Wonne”――」

 手持ちのジントニックを一口呑んで、男が何か呟いた。英語、いや、独逸ドイツ語。

「バッハの“主よ、人の望みの喜びよ”ねェ。ウラを返しゃあ ヒトの望みなんて全部欲望だってのに」

 氷入りのグラスを回しつつ、軽口を叩く。透き通った音が響いた。

「けど 生きてこれてんのは…その欲望が『意思』になるからかもな」

 男の 眼鏡の奥の釣り目が、曲がる。

 何の考えもなしに言ったのだろう。一見して、この奇怪おかしな男が皮肉や抽象を言うとは思えない。

 苦笑いした。どうしてか胸が痛んだ。

 目の前の白衣が聖職者のように映ったからか。

 欲望――白衣を着てても軽そうに見える相手に、かの意味の深さを知らしめてやりたかったからか。

 それとも 二つと光る釣り目の双眸が、眼鏡を通して、強く射抜いているように思えたからか。

 洗いざらい言ってしまえたら、どんなにか楽だろう。

 自分の望みは、生徒の幸せ。彼女たちを導くこと。

 私を信頼し、演劇のことや悩みを打ち明けてくれる生徒の指針となり、手助けすること。

 それなのに、気が付くと別の扉を開けてしまっている自分がいるのだ。

 この子は、果てる時どんな言葉をつむぐのか。

 この子は、無理やりに貫いたらどんな風に泣き叫ぶのか。

 四六時中、そんな思考が渦巻うずまき、舐め回すように見てしまう。

 欲望と望みを 都合の良いように置き換えている。

 穢れている。まったく矮小で賎しい畜生ちくしょうだ。

「…だから人外如きが……意思を持つ意味なんざ無ェんだよ」

 男の声で場に引き寄せられた。

 …鋭い物言いが、此方の耳を刺してきたと思ったのだが。

「それはそうと――」

 いきなり声のトーンを落とすと、男は私を上から下までジロジロ観察し出した。

「そんなカオしてっと、どうだかな」

 なんのことかと目を瞬かせてしまう。男は悪びれずに付け足した。

「今のあんた、悪魔にでもかれちまいそうな そそられるカオしてたからよ」

 思わず羞恥心しゅうちしんからかっとなった。此方が抱える「人畜無害顔・童顔」のコンプレックスなどお構いなしだ。こういう場所にはやはりそれなりの嗜好しこうの持ち主が現れるのだろうか――

「冗談。オレの好みは、タフな女と か弱い少年なもんで」

 対処に困っていると、男はぱっと明るくともったような顔で、笑い飛ばす。

「湿っぽいツラは止めとけよ。 こういった酒の席は 何もかも忘れて、ただ飲むのがいい」


 ――――『お前は他の子の所へ帰るがいい。そして、私等は何もかも忘れようじゃないか。』


「……?」 

 いぶかしむ男の顔があった。

 どうやら私は、自分の頭の中に浮かんだ一節を ぼそぼそと声に出してしまっていたらしい。

 酒を飲むと思考と口が直結になってしまうのは酔った証拠だ。

 気恥ずかしくなりながら 私は、悪魔 と聞いて海外文学の一節を思い出した、と弁明する。

 善悪の只中に居る少年に囁く声。はえの王と名乗った異質の存在は、会話したことは忘れろといって少年を送り出す。

 ―― Baelzebut。悪魔の中でも王に近しい悪魔。

 簡潔に説明すると、男はこんな感想を漏らした。

「バアル・ゼブル、ベルゼブブの別名ってワケか。なるほど、悪魔は――唆す人外、ね」

 白衣だけ着てあって、博識な面もあるらしい。話に乗ってきたのは意外だった。

「そういや 神話だっけ、人間でも悪魔を逆に引き込んだっつーハナシを前にどっかで聞いたな。

 ゲームのラスボスだか召喚獣みたいな名前で。 ああ、響きが良かったけど もう忘れちまった」

 男はまたグラスを回す。氷の解ける 涼やかな音色が染み渡る。

「ま、酒の席には 無ぇっつってんだろ。――名乗る価値も、独白する意味もな」

 此方を見透かしているような いないような、なんとも奇妙な言い分だった。

 目の前の白衣が目に映る。咎人を浄化するような、その真っ白い蛍光塗料の、羽。

 薄暗い照明に慣れた時、ふと男の額についた斑点を見つけた。

 ――終わりを予感させる夕闇のように、赤黒く、滴ってきそうな、色彩。

 だが此方は其れに敢えて触れなかった。

 汗でも拭き取るかのような仕草をした男の手の甲に、其れは乾いた砂となって、ぱらぱらと――散っていった。




 ……その名は決して語られることがない。 

 断続的に述べられるのは、瑣末さまつで一端にあたる物語。

 嫌味の通告、威厳ある死、無価値な尊厳、皮肉めいた虚無、探し当てたのは限り無く続くつまらないもの。

 Dig Notice/Die-gnosis.

 Dig For infinity Nothingness.

 Dignify Nothingness. 

 存在理由の模索は続き、憧憬は果てる事無く、破棄はき追憶ついおくと解放をのぞ誰何すいかの為に其れはうごめく。 

 そう――かいしては不可いけない。


 

 ―――ディグノシス  了

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