♯11
知り合いに似ている気がした と「月」は言う。
けれど 似ていたのは表面に見る明朗さで、本質は全く似ていない とも 月は言う。
「偽善や詭弁ってのがオレは嫌いじゃないすよ。暴く愉しみがあるじゃないっすか」
紫煙の糸が 真夜中の工事現場の金網から、すうと昇っていった。
火の粉が花火のように散って消えていく。私は金網の反対側からそれを眺め、雨が上がった後の夜風を受けた。
「抽象論や哲学だって嫌いじゃない。嘘を堂々と正当化出来るじゃないっすか」
卑猥な女性の絵がプリントされている紫色の背中が、やけに目に入った。
緑色の箱から取り出される銘柄の煙草も、腰に巻かれたチェーンも、饒舌なカタリも、ローティーンの学生にはそぐわない。
「真理は詭弁で塗り固められ、嘘は崩され核に近付く。……永劫繰り返すんすよ、ヒトの希が有る限りね」
ディグノシス ♯11 LAST≒LUST≠TRUST
Dig out, Dig out facts from parker.
Dig deep, They dig deep into the ground.
His remark must be a dig at me.
--Miss. Parker
手元にあるカードを再度見る。あの時 手渡された代物だった。
市販の招待状ほどの大きさの紙に印字されていたのは、言葉遊びのような数行の英文。
「ああ、ソレを手渡した理由? 『先生』に朋生クンの大切さってものを痛感してほしかっただけっすよ。
オレの悦びは先生とともにあるんで。ちょこっと困らせてやりたいオトメゴコロ?」
金網に背中を預けて、軽口を叩いている。
バックプリントの裸の女性の絵が 全身に網を纏わりつかせているように見えた。
「…ま、ソチラさんに興味があったってのもありますけど」
いわく、此処はオネエサマを呼び出すにはお誂え向きの場所なのだという。
わざわざ金網を上って入ったのだろうか――地層工事現場の中で 煙草をふかしている「月」を見つけ出すのは簡単だった。
「どうやったらそういうペルソナが被れんすか。明朗快活で人望も厚い健全スポーツ少女さん」
火の粉が真夜中に光り、一瞬で溶けて消えていく。
「教えて欲しいんすよ。『どうやったら ヒトならざるものを呼び寄せて、篭絡出来るんですか』ってね」
神経を逆撫でされていると解っていた。挑発に乗る意味もないが、眉を顰めずにはいられなかった。
……いいや私は呼び寄せたわけではない。彼の声に感化したのが私だったのだ。
此方が返事をしないことを予測していたのだろう。何も言わないでも声は聞こえてきた。
「――ついでにオレも篭絡させてあげましょうか?」
かしゃん、と金網が揺らいだ。相手が振り返り、指を引っ掛けて顔を近づけていたからだった。
突然の言葉に反応が遅くなる。金網の向こうの顔は、勝ち誇った笑みを浮かべていた。
「ヒトハダ、そろそろ恋しいでしょ。オレとの利害は完全に一致してると思うんすけど」
もし金網越しでないのなら、背伸びにしか見えないその横面を叩いてもよかった。
扱いに慣れているのかおちょくっているのか 年下なのに受け流すその余裕が気に入らなかった。
――違う。誰かを彷彿とさせるからだ。
年下の外観で、威厳と余裕を見せ付ける誰かの面影が、重なってしまうからだ。
似ているはずがない。そう思いつつも、心のどこかで疼く自分が居る。
「赦してくれて、裏切らない存在 ってのが欲しかったんじゃあないですか……?」
面と向かって不純物を吐き出された。身体に纏わりついてきたのは、重厚で深みのあるスモーク。
目を瞑る。赦されることを望んでいた自分。断獄されることを望んでいた自分。
そして、「彼」の犯した行動すべてを雪いでくれる存在を、切望した自分。
……「僕は、君とまた会いたい。」
思い出す。あの夜、彼が此方を『君』と呼び、望みを伝えてきたあの言葉を。
私は それが彼なりの辞去だったと理解している。
彼は帰ったのだ。還るべき処へ。戻るべき者の懐へ。
他の仔らの待つ場所へと戻り、内面の蓋を塞いでしまった今、私の中には 虚無しかない。
いつかまた この虚無も穢れた膿へ変わるだろうか。
生き続ける限り、あの暗くて淀んだ思考を内面から滲ませるようになるのだろうか。
壁を作り、人を欺き、他人とどこかで線を引くようになろうとも、
あるいは衝動を抑え切れなくて何らかの行動に出ることになろうとも、恐らく二度と「彼」の声を聞くことは出来ないというのに。
「さあ、言ってくださいよ。タテマエ、本音、詭弁や抽象論でもいい。
オレが抉って――取り繕って――何もかも『忘れなく』しますから」
それでも私は呼び続ける。
誰かと過ごし、誰かに抱かれ、誰かと共に果てても、彼の名前を呼び続ける。
――アンノウン。『名乗る価値もないもの』。
それは誰しもが存在を解し、誰しもが最後まで呼べずに居た矛盾の名前。
私に存在価値を与え、また私が名乗る価値を与えた、人非ざる誰何の――希。