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♯08

 住宅街に、乾いた音が響いた。

「……安い正義感やな」 

 眉間みけんに皺を寄せたまま、細い目でにらまれた。はたいた相手の左頬が赤くなっていた。

 手を出したのがしゃくさわったらしい。

 そうだろう、この人は私に対して兄への憎悪を垣間かいま見せてしまったのだから。

 唐突とうとつに顔を叩けば、正義感や正論で一方的に非難された、としか思えない。

 それでも、私は先輩の意識を此方こちらに向けさせる必要があった。

「アニキが今まで仕出かしてきたコト知っとるんか? あの腐れが、何やらかして病院入れられたか分かっとるんか?」 

 ――これは、なげいているのか。今まで両親の目が自分に行き届かなかったことに。

 直感で感じた。叩いたせいで、此方の指先もぴりぴりとしびれが残っている。

 ――そしてこれの兄もまた、うずいているのだとしたら。両親に見放された存在であると信じていたら。

 先輩を取り巻いているうずの名がわかる。内面でくすぶっていた物の名を言える。

 憎悪というには未熟で、だか嫌悪というよりは確かにどす黒く、粘り気を持った静脈血じょうみゃくけつのような存在。

 指先がかすかに震え、電流の痛みが走る。

 どこかで私は先輩のような相手に出会ったことがなかったか。外見では想像できない膿の概観を眺めたことがなかったか。

 幾度いくども――そう、幾度も。

 …例えばある少女は、幼なじみに対して、感謝の意を表したいと願っていた。

 とあるきっかけから少女は幼なじみを失った。

 …ある少年は幼なじみに対して特別な感情を抱いていた。

 とあるきっかけで少年は少女をむさぼった。

 …ある少女は私を好きだと言った。

 とあるきっかけから少女は闇夜をはしる力を得てしまった。

 すべてのきっかけを与えたのが、誰であるのか。

 その場面にいつも傍らとして居たのが、誰であるのか。

 

 どうして忘れていた?

 

 救済と言う名の崩壊を、私は確かに渇望かつぼうしていた。

 空虚からの解放、くらき思考からの脱却、あらがいの先のあるものが知りたかった。

 けれど、私は、他人の日常をあらざるものに変えてまで、知りたくはなかった。

 ついてきたのは私だ。彼のすることを、見てきたのは私だ。

 私だけでいい。うごめき、むしばみ、あの感情を増幅されてしまうのは、私の内面なかだけでいい。 

 「彼」にこれ以上、「あし」の本質をらしめては不可ないのだ。 

 ……居るんでしょう? この人まで暴くのはやめて。 

 街灯の明かりが、虫を喰らってジジと鳴る。

 しかし彼の声は聞こえなかった。

 今まで私のかたわらに居て、あれほどまでに罵倒していたあの声が、ぴたりと止んでいた。

 私はあたりを見回す。黒い外套がいとう、黒い髪、黒い瞳、反して肌の色は血色のない白――

 少年の姿をして此方を冷え切った目で見つめていた、あの姿が消え失せていた。

 言ったはずだ、彼は私とがれないと。すがるべきものは僕だと。主の意見を聞かなければならないと。

 首の傷が疼く。指でなぞった。無意識に爪を立て、回を重ね自傷していた箇所かしょに。

 彼の首にも同じような瑕疵かしが在る筈だ。

 くびろうとしても、結局はいつも力を緩め、手を離し、爪を立てて終わったそのきずが。


「……、なんで…」

 先輩が、イントネーションの違う呟きを漏らした。

「何であんたが泣いとんねん……」

 それから私は気付く――自らの頬を濡らしているものを。

 ………違う。これは、涙などではない。私は先輩のために泣いているのではない。

「何でや……なんで、アニキがあないな目ぇ遭っとるのんにオレはっ……」

 うな垂れる先輩を前に、私は瞳から溢れる体液を止める術など知らなかった。

 ただ 顔を歪めている先輩を見据えることしか出来なかった。

 ――相手にえぐられ、削り取られていたのはどちらだったのか。



 ディグノシス ♯08    



「そうだ、それでいい。僕らを解しては――不可いけない。」



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