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♯07

 ぱん、と相手の頬を張り倒していた。

 怒りに任せての感情でもなく、安っぽい正義感を振りかざしたわけでもない。

 私は、助けた。

 あの目から逃れられるよう、相手の意識をうながしたのだ。

「――それでいさめとるつもりか」

 駄目だめだ。これ以上、言わないで。

「まさか、自分の兄 軽んじるなとか、そう言うんか」

 あれが見ている。もろい有機体であるひとを、知ろうとしている。

 核を護るために笑い、踏み込まれないためにカラを張る個体を、知り尽くそうとしている。

 ほんとうは知ってほしくて、さらけ出したくて、心の中で叫んでいる私たちを、嘲笑あざわらっている。

 おとしめようとする。どうとでも出来るから。自らの意思を確かめたいから。

 意志を持とうとしているから。

 なんのために?

 理由など、問う必要があるだろうか。

 ――彼らを解しては、不可いけない。



 ディグノシス  ♯07



 赤黒い夕焼けが闇へ移り変わっていく様を、久しぶりに見た気がした。

 朝焼けと夕焼けを同じくらい見ていたはずなのに、夕方の太陽は印象に残っていない。

 今までの私は、空が赤黒く変色していくのが耐えられなかっただけなのだろう。

 侵食してしまう闇を、心から忌みていたのだ。

「……あんたも今帰りなん」

 此方の地方では聞きなれないアクセントで声を掛けられ、振り返る。

 堂々とジャージで帰ろうとしている男子テニス部の先輩が居た。

 転校して随分経つらしいのに、周りに同化するのが嫌なのか故郷の訛語なまりを貫き通している人だ。

 後ろから突然低く声を掛けられたせいもあって、私は少し驚いた顔になってしまった。

 人気のない放課後、校門の前でひとり空を見上げている此方を訝しく思ったのだろうか。

「警戒せんでもええやろが」

 顔を見上げると、ふいと目線を外される。そのまま何も言わずに歩き出してしまった。

 一方的に会話を打ち切られたことに慌て、小走りになって追いかける。

 この先輩は、女子テニス部でもクールで関白だとか思慮深い先輩だとかで有名だった。

 ……物は言いよう、とはよく言ったものだ。

 気紛れに声を掛け、自分で会話を打ち切って、臍を曲げてさっさと帰る。

 気分屋で思考がつかめない人間だと解ったのは、女子部と男子部の折衝せっしょうで顔を合わせるようになった ここ最近のことだ。

 だから 住宅街に差し掛かったとき、向こうが足を止めて此方こちらを見たのは意外だった。

「オレん家の話でも、女子部で回ったんか」

 答えにきゅうしてしまった。こうもあっけらかんに言われてしまうと、なんと返せばよいのか解らなくなる。

 そして思い当たった。先ほど校門で此方が驚いた理由だと勘違いされているのではないか。

 私があんな反応をしたのは、突然声を掛けられたことにあったのだが――

 本人にして見ればそのことで引かれてしまったと考えたのだろう。

 逡巡したが、噂が回ってきたことは事実だったので、頷いた。

「ふゥん」細い目で一瞥され、またお構いなしに歩き出されてしまう。

「――別に大したモンでもないで。昨日一昨日 家族総出で大わらわになっただけや」

 その眠たそうな目が、どこかかげりを含んでいるように見えたのは気のせいだろうか。

「電話が深夜に掛かって 慌てて病院行ったら、アニキが搬送されて(担ぎ込まれて)たん」 

 大袈裟に頭をかしかしとかいて、すたすたと歩く。

 歩幅を合わせようとしないから、此方が早歩きになるしかなかった。

 女子部の先輩がこぞって言うクールな関白ではない。恐らく何も考えていないのだろう。

ももの肉がえぐれとった」

 何も考えていないから、こんなさばさばと口から出てくるのだ。

「ナイフ振り回して自分で刺したらしくてな。本人はドッペルナントカの本体見たとかぬかしとる」

 ――ドッペル……ゲンガー?

 引っ掛かるものを感じた。この間の昼休み、クラスメイトが話していたからだろうか。

「けったいな女に『鍵』掛けれるとか妄言うわごと繰りかやして……安定剤ばっか打たれとる状態ねや」

 眠そうな目が、遠くを見ていた。速度を合わせる此方に向けようともしなかった。

「ホンマ、あないな愚図グズどないしようもない」

 ぞわりと――鳥肌が立った。

「犯罪スレスレのことやらかして親困らかせとったくせに、今度はヒッキーになって親困らせやがて」

 先輩が苦虫を噛みつぶしたような顔になっていた。

 憎悪の感情。積もり積もった内面のほこり。隠そうともしなかった。

 知っている。この感覚。内側からねっとりとまとわりついてくる、この悪寒。

 核を護る。殻を張る。それなのに内側から壊され、けがされていく。

 それが本来の己の意思かのように、打ち消されていく。

 もろい。本当にくずれやすい有機体だ。少しじ曲げてしまえば、簡単に糸を断ち切ってしまう個体だ。

 だからこそ ひとは、足掻いて、もがいて、『その意識』から逃れようとしているのに。

「……あないな社会のゴミ、いっそのこと 本体だか変な女だかにヤられたらよかったんや」

 私だけでいい。 あれがうごめくのは、私の内面なかだけでいい。 

 だから、これ以上(そそのか)すようなことを言わないで。 

 「彼」は、近くに居る。

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