ⅲ.散花
「……私には、母しかいませんでした」
ゆっくりと、言葉を吐き出す。
「母は洋服屋を営んでいて、私はその手伝いをしていました」
夜の空気が、少し冷たくなった。
「布を切って、糸を通して。言われたとおりに洋服を作って。
『上手にできたね』って褒められたこともありました」
小さく笑う。
「でも」
声が少しだけ震える。
「いつもいつもお店のことばかりで、
私のことなんか見てくれなかった」
話しながら、何かがこみ上げてくる。
「たまにはおでかけしようと言っても、上手にパンが焼けるようになったと言っても、私が街の子にいじめられた時さえも…。何も言ってくれなかった……!」
視界が滲み、頬に涙がつたう。
「だから私は、ずっと一人で寂しかったんです……っ。ちゃんと見てほしくて、一緒にいてほしくて、それだけだったのに」
涙は止まらない。嗚咽さえしている。
「挙句の果てに、過労で…っ」
「ソフィ…」
俯いた私の横で、優しい声がする。
「……だから、私は人形を作っていたんです」
掠れた声で続ける。
「人形……?」
「抱きしめれば、ひとりじゃない気がして…。誰もいないよりは、ずっとよかったんです」
夜は静けさを増し、蝶や鈴虫の鳴き声が聞こえる。
涙を拭う。それでも少しだけ呼吸が乱れている。
「でも」
ゆっくりと顔を上げて、お嬢様を見る。
「ここに来て、気づいたんです」
少しだけ息が詰まる。
「本当は、人形じゃ満たされなくて、誰かと一緒にいたかったんだって」
本心だった。吐いた言葉ももう震えていなかった。
「だから私は、抱きしめた時だけでも、誰かがそばにいてくれている気がするものを作れたらいいなって思ったんです。ひとりじゃないよって、誰かに伝えたいんです…!」
胸の奥から、押し出されるように言葉が溢れた。
「素敵ですわ…」
お嬢様は、静かにそう言った。
「わたくしには分かりますの」
一歩、近づいてくる。
「わたくしもずっとひとりだったから、寂しかったから…」
そうか、この人も私と同じ孤独を抱えていたんだ。
寂しかったから、誰かに構ってほしかったんだ。
孤独を抱えて悪戯するお嬢様と、そんなお嬢様がいなかったら今でも孤独だった私。
――私は。
「ソフィなら、きっと……」
胸の奥が、じんわりと熱くなる。
「いや、必ずその夢を叶えられますわ!」
――私は、このお嬢様のことが。
「好きなんだ……」
しまった。つい、言葉が零れてしまった。
心臓に血が巡り、鼓動がうるさい。
「……!」
お嬢様は目を大きく見開いて、口を手で包み隠した。
その時ぽつり、と一滴の雨が落ちた。
「雨……ですわね」
次第に、雨は強くなる。
その雨に触れた花壇の花が、ほのかに青く光り始めた。
「これは…?」
「リュウセンカですわ。雨に濡れると、こうして光るのですわ」
静かな庭園がゆっくりと色を変えていく。
闇の中に、淡い青が滲むように広がっていく。
激しく打ちつける雨の中。
花はひとつ、またひとつと強く光を宿す。
やがて庭全体が、青白い光に満たされた。
それはまるで、私たち二人を照らし出す舞台のようだった。
「……綺麗ですね」
思わず、言葉が零れる。
「ええ。とても」
お嬢様は嬉しそうに微笑んだ。
その横顔もまた、降りしきる雨と淡い光に照らされている。
「踊りませんか?」
「えっ…?」
差し出された手。
一瞬躊躇うが、その手を拒むことなどできなかった。
「……はい」
指先が触れる。
心臓が大きく跳ね、胸が熱くなる。
その瞬間。
軽やかに身体が引かれる。
激しい雨が打ちつける中、二人の足音が水を弾く。
ぎこちない一歩。
それでも、お嬢様は楽しそうに笑った。
「ゆっくりで大丈夫ですわ」
その声に導かれるように、足を動かす。
一歩。
また一歩。
青く光る竜仙花が、足元で揺れている。
踏み出すたびに、水面のように光が波打つ。
まるで、私たちの動きに呼応するかのように。
雨は容赦なく降り続ける。
髪を、肩を、全身を濡らしていく。
服は重くなり、動きにくくなる。
「ソフィ、楽しいですわね」
「はい……」
赤い瞳が、真っ直ぐにこちらを見ている。
その瞳の中に、自分が映っていることに気づく。
ただ、手を取り合って踊る。
それだけなのに、息をするのが少しだけ苦しくなるくらいに、胸の奥が満ちていく。
やがて雲の隙間からわずかに月光が差し込んだ。
激しい雨に揺れる庭園が白と青の光で歪む。
その中で二人の影が、滲みながら重なった。
土砂降りの雨の中、月明かりに照らされた庭園で開かれた、二人だけの舞踏会だった。
やがて体が冷えきり、私たちは屋敷へ戻った。
「びしょ濡れですわ」
「そうですね」
私たちは小さく微笑み合った。
お嬢様の部屋で体を拭き、着替える。
それでも、どこか落ち着かない。
お嬢様にお寝巻きを着せて寝かせる。
「ソフィ、おやすみなさいませ」
「ええ、おやすみなさいお嬢様」
やがて、お嬢様の寝息が聞こえてくる。
その寝顔を、私はじっと見つめていた。
悪戯に頬に触れる。温かい。
「お嬢様」
小さく名前を呼ぶ。
「さようなら…」
届くことのない声だ。
私は、この屋敷を去ると決めた。
このままではいけない。
この場所に残り続けてしまったら、私はもうお嬢様から離れられなくなる。
それに、使用人がお嬢様に情を抱くことなど許されるはずがない。
当主様に知られればただでは済まない。
お嬢様を巻き込むわけにはいかない。
だから、この屋敷から出て行くしかなかった。
玄関を使えば出入りは当主様に伝わる。
ならば、中庭の抜け穴から屋敷を出る。
誰にも知られずに。
静かに、消えるように。
*
山道下っていく。
ゆっくりと、一歩一歩を踏みしめる。
――その時。
「ソフィ!」
後ろから声が響いた。
私はぴたりと足を止めて振り返る。
そこには、息を切らしたお嬢様が立っていた。
その手には、小さな手縫いの人形。
私が作ったものだ。
「どうして……」
言葉が出ない。
「どうして、何も言わずに行ってしまうのですの……っ!?」
涙が頬を伝っている。
その姿を見た瞬間。
私の胸が強く締め付けられ、目に雫が溜まった。
気づけば私はお嬢様のもとへ走っていた。
「お嬢様……!」
黙って屋敷を去ろうとした私を追いかけてきてくれたことが、この上ないほどに嬉しかった。
そして、そのまま抱きしめた。
強く、深く。
「ごめんなさい……!私……」
声が震える。
それでも。
それでも言えなかった。
理由も。想いも。
だから私は、お嬢様の頬を触り、
――唇を重ねた。
ただ一つ、自分の想いが伝わるように。
小さくて柔らかい唇。
ほんの一瞬。
それでも、確かな温もりがあった。
離れて、見つめ合った。
涙を浮かべながら、それでも笑っていた。
「ソフィ、行ってらっしゃいませ」
お嬢様は私の手を取り、リュウセンカを渡してきた。
「わたくしに人形を渡したように、ソフィにこれを」
その言葉に私は小さく頷いた。
「お嬢様、どうかお元気で」
私は再び暗闇の山道に体を向けて歩き出す。
もう、決めたのだから。
山道を下っていく。
「ソフィー!いつか、必ず貴女の元へ参りますわ――!」
もう遠くになった後ろから、お嬢様の声が聞こえる。
私は、もう振り返らない。
手に握りしめた竜仙花の香りが、私の胸の奥に静かに残った。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
初投稿です。
小説を書くのが初めてで、まずは短いものから書いてみようということでできたのがこのお話です。
なんとか完結できてよかったです。




