8:掃除夫、金級の“通った跡”の掃除を担当する
「さっきまで金級が暴れてた」と聞いていたが――現場を見て、ああ、と納得した。
第二層の広間のひとつ。
普段はそこそこ広いだけの、ただの交差点みたいな場所だが、今は別の意味で“広い”と感じる。
床の石が、あちこちで赤黒く染まっていた。
魔物のも、人のものも、混ざり合っている。
元の形を想像するのが馬鹿らしくなるくらい、肉片と布切れと骨がぐちゃぐちゃに散らばっていた。
壁には、何かが激しくぶつかった跡がある。
石がひしゃげ、魔法か何かで焼かれたように黒く焦げている箇所もあった。
「……派手にやったな」
声に出してみても、返事をする者はいない。
生きている気配は、少なくともこの広間の中にはない。
俺は入口近くに荷物を置いて、まず足場を確かめながら中へ入った。
一歩、二歩。
靴底が、ぐに、と柔らかいものを踏んだ。
見たくはなかったが、見ないで歩けるほど器用でもないので、下を見る。
人間の手だった。
指輪ごと、手首のところで綺麗に切断されている。
「悪いな」
短くそう言ってから、指輪を外す。
血と脂で滑りが悪いが、布で拭きながら根気よく抜く。
指輪は遺品。手のほうは、まとめて他の部位と一緒に袋に入れるしかない。
周囲をぐるりと見回すと、そこかしこに荷物が転がっているのが見えた。
ちぎれた背嚢。
中身をぶちまけた薬瓶。
壊れた木箱からこぼれた乾パン。
そして、人ひとり分には多すぎる布きれと、骨の束。
ポーターたちの荷だろう。
「どこのギルド所属だったかな……」
ぶつぶつと独り言を言いながら、腰をかがめる。
背嚢の残骸から、ポーター用の識別札を探す。
血と煤にまみれた札を見つけては、布で拭き、刻まれた名前と番号を確認する。
ギルド印が刻まれている。
大きいほうのギルドだ。金級を抱えているほうの。
「大きい組織だからって、人の使い方が丁寧とは限らんよな」
誰にともなく言いながら、札を専用の小袋に入れる。
遺品タグに、階層と場所と簡単な状況を書き込む。
戦闘に巻き込まれたであろう他の探索者も数人、広間のあちこちに転がっていた。
腕輪の色も装備もばらばらで、どう見ても同じパーティではない。
たまたま居合わせたところに金級が突っ込んできて、まとめて巻き込まれたのだろう。
「……巻き込まれたほうからすれば、たまったもんじゃないな」
裂けた鎧の下に手を差し入れ、冷たくなった胸からギルドプレートを引き出す。
その一枚一枚に名前が刻まれているが、今日、この広間を通りかかった誰一人として、それを呼ぶことはなかったはずだ。
プレートと指輪や財布を遺品袋にまとめていく。
肉片のほうは、まとめて布に乗せてから、麻袋に収める。
魔物のほうも、同じくらい無残だった。
オーガの頭蓋骨の一部。
狼型魔物の皮だけを裏返しにしたような残骸。
魔術で焼かれたのか、骨だけになっているものもある。
魔石だけは、比較的形を保っていた。
割れた胸骨の隙間や、肉の残骸の間から、小さな光の塊を拾い集める。
「これだけでも、かなりの額になるだろうな」
魔石を袋に入れながら、そんなことを思う。
金級パーティの懐に入ったのか、ギルドの懐に入るのかは知らないが。
俺にとっては、換金額よりも“ここでどれだけ魔素がこぼれたか”のほうが大事だった。
血の海の上に、薄い霧がたなびいている。
いつもの端数の魔素よりも、明らかに濃い。
色も、どこか濃度を増している。
青白いはずの光が、少しだけ、どす黒さを帯びていた。
「……こりゃまた」
思わず眉をしかめる。
広間全体が、見えない煙で満ちているような感覚だった。
呼吸をすると、舌の上に鉄と灰の味がべったりと張り付く。
それでも、吸わないわけにはいかなかった。
こいつらは、放っておけば壁や床に染み込み、変な形で溜まる。
少し前に見た第二層の亀裂みたいなものが、またどこかに増えるかもしれない。
「いただきます」
床に膝をつき、焼け焦げた石の上に手を置く。
ゆっくりと、大きく息を吸った。
喉の奥が焼ける。
冷たいはずの魔素が、今度は熱湯みたいな顔をして流れ込んできた。
胸の中で暴れ、心臓に絡みつき、血管という血管を内側からこすっていく。
「っ……」
膝が、腰が、肩が、順番に熱を帯びる。
古傷のある右膝は、さっきまで鈍い痛みを出していたくせに、急に軽くなった気がした。
代わりに、頭の奥がじんじんする。
これ以上吸えば、さすがにまずい。
そう理屈では分かっているのに、体のどこかは「もっと」と欲しがっている感覚があった。
「……欲張るとロクなことにならん」
昔の自分に言い聞かせるように、わざと声に出す。
ゆっくりと息を吐き出し、立ち上がった。
広間の空気は、さっきよりわずかに軽くなったように思う。
霧の濃さも、ひと呼吸分は減った。
とはいえ、まだまだ足りない。
全てを吸い尽くそうとすれば、俺のほうが先に壊れるだろう。
「こいつは、報告の紙を分厚くしといたほうがいいな」
焼けた壁面や床の状態をざっと確認しながら、ぶつぶつとメモすべき内容を口の中で転がす。
「第二層中央広間、魔物多数・人間多数犠牲。魔素濃度、異常に高い。焦げ跡多数。……金級パーティ通過の形跡あり、と」
広間の隅に積み上がった荷物の残骸に目をやる。
ポーター用の背嚢の数からすると、ここにいたはずの荷運びは三人か四人。
拾った識別札の枚数は……二枚。
「あと、一人か二人、足りないな」
口の中で数をなぞってみて、首をひねる。
逃げおおせたのか。
それとも、別の場所で肉片になっているのか。
あまり深く考えすぎると、頭の中までこの血の匂いが染み込んでしまいそうだったので、ひとまず作業に戻ることにした。
麻袋が、一つ、また一つと重くなっていく。
遺品タグが、何枚も束になっていく。
端数の魔素は、相変わらず空気の中でちらちらと明滅を繰り返し、
そのたびに俺の体は、少しずつ熱と重さを増していった。
金級パーティが通った跡――
表向きは栄光と武勲の足跡なんだろうが、
こうして後ろから眺めていると、どうしても“汚れ”のほうが目についてしまう。
「まったく。派手にやってくれたぶん、こっちの残業代も出ればいいんだがな」
誰も聞いていない文句を、血と石の匂いの中に放り投げる。
広間の片づけが終わる頃には、俺の体の中にも、いつも以上の“何か”が溜まりつつあった。
それがこの先、どういう形で噴き出すのかは――まだ、この時の俺には、分かっていなかった。




