4:若手探索者に馬鹿にされる
第一層西側通路は、いつ来ても騒がしい。
さっき片づけたばかりの血の跡の先から、今度は別の声と足音が近づいてきた。
笑い声と金属の鳴る音。甲冑と装備がぶつかり合う、やたら元気な音だ。
「じゃ、次の部屋もサクッと終わらせるぞー!」
「おー!」
狭い通路の向こうから現れたのは、四人組の若手パーティだった。
鉄級の腕輪が一人、銅級が三人。まだ新しい革鎧と、磨かれすぎて光っている剣。
いかにも「始めたてです」と言いたげな匂いをぷんぷんさせている。
俺は通路の片側に退いて、刷毛を止めた。
ちょうど今、床に乾きかけた血をこすっていたところだ。
「おー、おっさん、そこ掃除中? 悪いなー」
先頭のリーダー格が、気さくそうな笑みを貼りつけて声を掛けてきた。
口調は丁寧だが、目の奥では俺の腰袋と汚れた作業着を値踏みしている。
「いえいえ。終わったところです。通りますか?」
俺が道を空けると、若いのが三人、わらわらと通路を抜けていく。
すれ違いざま、誰かが小声で「っち、くせぇな」と笑った。
リーダーは立ち止まり、俺の手元に視線を落とす。
床のまだ湿った跡と、血を吸った布。
それから、布で包まれたまま通路端に寝かせてある遺体の麻袋。
「いやー、掃除夫さん、お疲れ様っす。俺らが魔物、ちゃんと倒してやるからさ。後片付け、頼むわ」
軽く顎をしゃくって、そんなことを言う。
“倒してやる”。
何に対しての“やる”なのかは、本人も深く考えてないだろう。
「助かります。こっちは片づけるだけなんでね」
俺は笑って頭を下げた。
道具袋が腰で揺れる。刷毛についた血が、ぽたり、と床に落ちた。
「なあなあ、掃除夫って、冒険者になれなかったらやる仕事ってマジなんすか?」
後ろの銅級が、わざとらしく声を上げた。
どうやら俺に聞かせるつもりで言っている。
「おい、やめとけって。そういうのマジにするおっさんもいるから」
別の奴が笑いながら肘で小突く。
しかし口元からは、同じ種類の悪ふざけの匂いが消えない。
「いやいや、だってさあ。ギルドの先輩が言ってたぜ? “冒険者で食っていけなかった奴が、最後にしがみつくのが掃除夫とポーターだ”って。なあ、実際どうなんすか?」
俺は、ほんの一瞬だけ返事に詰まった。
……間違ってはいない、と思う。
この通路で死んだ鉄級と、ボロ切れみたいになったゴブリンの間に、俺はしゃがみこんでいる。
腰には、剣ではなく刷毛と布。
若い頃に夢見た“格好いい自分”の絵姿からは、だいぶ離れてしまった。
「まあ」
それでも、何とか口を動かす。
「間違っているとも言い切れませんね。俺も若いころは、もうちょっと前に出る仕事をしてましたし」
「やっぱそうなんだ!」
銅級が、やたら嬉しそうに笑った。
仲間の肩を叩きながら、「ほら見ろよ」と言わんばかりだ。
「いやー、やっぱり俺は掃除やだなあ。前に出てバリバリ稼ぎたいっすもんね、俺ら」
「そうだなー。冒険者になれなかったら、おっさんみたいな仕事しか残んないって、マジだったな」
おっさんみたいな仕事。
それは、あの頃の俺が好んで使っていた言葉でもあった。
――落ちぶれたくなかったら、ちゃんと稼げるうちに稼がねえと。
――ああいう地味な仕事には、絶対なりたくねえ。
中層で、盾持ちの先輩の背中に隠れながら、
同じように掃除夫の背中を見ていたときの、自分の声だ。
あのとき笑っていた相手と、今の俺は、立場が入れ替わっただけ。
「そうならないように、頑張ってください」
喉の奥に引っかかる何かを、冗談混じりの一言に丸めて吐き出す。
それが喉を通ってくれるかどうかは、神頼みだ。
「おっ、励まされた。よし、今日もガンガン行くぞ!」
リーダーが剣の柄を叩いて、前を向く。
他の三人がわっと声を上げて、それぞれ武器を構えた。
彼らの背中は、今の俺から見れば、少し眩しすぎる。
膝の奥が、じくりと疼いた。
古傷が、昔の無茶を思い出したのかもしれない。
「じゃ、掃除夫さん、頑張ってくださいよ。俺らが魔物まとめて倒してくるからさ」
「通路を壊さない程度にお願いします。後で直すのも、だいたいこっちの仕事なんで」
肩をすくめて返すと、若いのが一人、「うへぇ」と顔をしかめた。
その表情が妙に可笑しくて、少しだけ胸の奥の棘が和らぐ。
パーティはそのまま、通路の奥へと消えていった。
やがて、少し離れた部屋のほうから、金属と金属がぶつかる音、魔物の咆哮、誰かの笑い声が響き始める。
俺はしばらく、その音を背中で聞いていた。
ああいう掛け声を、自分も出していた時期が確かにあった。
同じように掃除夫を馬鹿にしながら、「俺はああはならねえ」と胸を張っていた。
結局、こうしてモップを握っているのは、俺のほうだ。
「……ま、悪くもないがな」
誰にともなく呟いて、床に視線を戻す。
血の筋が、まだ細く残っていた。
さっきまでそこに寝ていた鉄級の男が、どんな顔でここに倒れたのかを想像しないようにしながら、刷毛を当てる。
こすった瞬間、また、うっすらと光の霧が立ち上った。
若いころは、こんなものが見えていることすら意識していなかった。
ただ泥臭く、前に出るばかりだった。
「いただきます」
さっきと同じように小声で言って、息を吸い込む。
喉の奥がぴり、と痺れる。
通路の奥から、若者たちの何かを倒した歓声が聞こえた。
それに背中を向けたまま、俺は自分の持ち場の“汚れ仕事”に戻ることにした。




