表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

14/15

13:ダンジョン都市と国の事情

 バルドが出ていったあと、組合長イェルンはしばらく扉の方を見つめたまま、ふう、と長い息を吐いた。


 机の上には、現場報告書の束と、もうひと山、別種の紙束が積み上がっている。

 一方は血と泥の匂いのする紙。もう一方は、もっと始末の悪い匂い――上からの命令書だ。


「……やれやれ」


 残った片腕で肩を回し、イェルンは椅子の背もたれに体を預けた。


 窓の外には、ダンジョン都市の屋根が連なっている。

 遠く、広場の中央にぽっかり口を開けたダンジョン入口。その周りには、いつ見ても人の群れが渦を巻いている。


 あそこから上がってくる魔石と素材が、この街どころか、国全体の血流になって久しい。


 魔石は、灯りと暖房と工場と、軍の魔導兵器の核に変わる。

 魔物の皮と骨と臓器は、鎧にも薬にも贅沢品にも姿を変え、王都の貴族どもの食卓を飾る。


 税という形で、金貨が王都へと流れていき、

 その見返りに、紙切れと命令が、この地方都市へと降ってくる。


 イェルンは机の上の、もう一つの紙束に目を落とした。


 上質な羊皮紙に、きっちりとした書体で綴られた文字。

 端には王都の紋章が蝋で封じられている。彼にとっては、あまり嬉しくない“飾り”だ。


『近時、当該都市ダンジョン第一~第三層において、魔素流動の異常報告多し――』


 そこまでは、まだいい。

 問題は、その先だ。


『――深層側における魔素の偏り、階層構造の不安定化の徴候と解される可能性あり』


「階層崩壊、ね……」


 ぽつりと口の中で繰り返す。


 紙の上では、軽い言葉だ。

 だがそれが現実になったとき、どれだけのものが潰れるか、イェルンは知っている。


 昔、まだ彼が前線に立っていた頃、北の小さなダンジョン都市で「小崩れ」が起きた。


 深層で魔素が暴発し、下位の階層が一つ、まるごと潰れた。

 その結果、地上の一角が陥没し、街の半分が消えた。


 魔物が溢れ出すタイプの暴走とは違う。

 階段と通路そのものがねじ切れ、魔石灯が一斉に吹き飛び、空気が変な方向に流れ始める。


 当時の国は、それを「局地的災害」と呼んだ。

 だが、渦中にいた者たちにとっては、立派な「国難」だった。


 魔石の供給が途絶え、軍は武具の運用を絞られ、税収は落ち込み、より重い税が別の街に課された。

 潰れた街の住民のことなど、遠い会議室では誰も数えなかった。


「……二度とごめんだな」


 イェルンは低く呟いた。


 あのとき、彼は片腕を失い、仲間を何人も置いてきた。

 それでも命だけは何とか持ち帰り、気づけば「現場上がりの組合長」などという、中途半端な椅子に縛りつけられている。


 国は、階層崩壊を恐れている。


 だからこそ、ダンジョンを“安定させる”手段を、ずっと探しているのだ。


 魔素を均す装置。

 暴発を抑える祭具。

 古代の遺物。

 呼び名はいろいろあるが、要するに「安全装置」として使えそうなものなら、何でもかんでもかき集めようとしている。


 王都から回ってくる書状の中には、そんな文言も混ざっていた。


『古文書に見られる“階層の楔”と呼ばれる遺物の所在調査を進められたし』

『魔素流路の安定化に寄与する術式、または遺物の噂あらば、速やかに報告のこと』


 机の端には、別の一枚が置かれている。


 封蝋に刻まれた紋章が、先ほどのものとは少し違う。

 王家ではなく、軍務局のものだ。


『近日中に、王都より視察団を派遣する。ダンジョン運用状況、魔素流動の状態、並びに安全確保策につき、報告を受ける所存』


「視察、ねえ」


 イェルンは鼻で笑った。


 視察団が見たいのは、現場の汗や泥ではない。

 整頓された報告書と、うまく隠された傷痕と、「問題は管理下にあります」という言葉だ。


 だが、実際に魔素の揺らぎを嗅ぎ、壁のひびを撫で、広間の空気の重さを肺で確かめているのは、バルドのような掃除夫たちだ。


「……俺の鼻じゃ、もう足りんのさ」


 ぽつりと漏らし、イェルンはバルドの報告書に視線を戻した。


 “魔素の揺らぎ・強”


 その一行は、彼の片目には赤インクで書かれているように見えた。


 国は安全装置を探している。

 王都からの命令書に書かれているのは、立派な言葉だ。


 けれど、イェルンが本当に欲しいのは、もっと切実な、現場向けの何かだ。


 階層が崩れる前に、異常の芽を見つけて叩けるような感覚。

 魔素の流れが変わる瞬間を、嗅ぎ取れる“鼻”。

 あるいは、それを補強してくれるような、誰かの特異体質。


「安全装置なんて、石や器具の形してるとは限らんだろうに」


 頭の片隅に、血と埃にまみれた小さなポーターの顔が浮かぶ。

 死に損ないが一人、しぶとく生き延びている――治療師の報告。


 それを聞いたとき、イェルンは「運がいいガキだ」とだけ思った。

 だが、バルドが拾ってきたものは、運だけで片づけられない匂いをまとっている気もしていた。


 現場の鼻が当てになるなら、現場が拾ってきたものにも、何かしらの意味があるかもしれない。


「上は“楔”だの“祭具”だの探しているが……」


 イェルンは窓の外のダンジョン入口に目を細めた。


「実際に階層を繋いでるのは、こういう街と、そこにぶら下がってる人間どもの方だ」


 魔石がなければ国は痩せる。

 だが、人がいなければ、魔石はただの冷たい石だ。


 階層崩壊が起きたとき、真っ先に潰れるのは、入口に張り付いているこの街だ。

 その後でようやく、王都の机の上にある数字が動き出す。


「……こっちは、机の上だけじゃなく、足元を見てなきゃならん」


 イェルンはペンを取り、バルドの報告書の端に小さく印をつけた。

 国の事情は国の事情として、現場の事情は現場で処理するしかない。


 ダンジョン都市が、魔石と血と税金で回っている限り、

 誰かがその“汚れ”を見張っていなければならない。


 それが、元探索者で片腕を落とした老人と、膝を壊した掃除夫に回ってきた役割だというのなら――


「せいぜい、鼻を利かせてもらうさ」


 誰にともなくそう呟いて、イェルンは王都からの書状の束を脇に避けた。


 机の中央に残ったのは、血と泥の匂いが染みついた報告書の山だけだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ