12:組合長に呼び出される
治療院の前を通るたびに、つい足がゆっくりになる。
あれから数日。
仕事の前後に顔を出しては、治療師に「しつこい」と文句を言われつつ、ミナの様子をちらりと見ていた。
肋骨に巻かれた包帯。
添え木で固められた脚。
青白かった顔色は、少しずつ血が通い始めている。
「命は、とりあえず繋がった」
今朝も、治療師は面倒くさそうにそう言った。
「歩けるようになるかどうかは、本人と神様の機嫌次第だ。お前が銀貨足したところで、その辺までは保証しねえ」
「銀貨二枚で神様まで買えたら、俺みたいな安月給は苦労しませんよ」
そんな軽口を叩いて外に出ると、ちょうど組合の使いの若いのが、息を切らして走ってきた。
「バルドさん! 探してました!」
「俺が何か踏み倒しましたか?」
「ちがいますって! 組合長が呼んでます。至急、組合長室へって」
至急、ときた。
大抵ロクな話ではないが、行かないわけにもいかない。
◇
組合長室の扉を叩くと、中からいつものしわがれた声が返ってきた。
「入れ」
「失礼します」
扉を開けると、窓からの光を背にした組合長が、机いっぱいに紙を広げていた。
片腕のない古い軍人みたいな男が、片目で書面を睨みつけている姿は、いつ見ても少し怖い。
机の上には、見覚えのある書類の束が積まれていた。
報告書だ。
俺たち掃除夫が、日々の仕事のついでに書かされている、あの退屈な紙の山。
「呼びましたか」
「ああ」
組合長は手にしていた紙束から目を離さず、顎だけで向かいの椅子を指した。
「座れ。立ってるられると気が散る」
「ソレは申し訳ない」
苦笑しながら腰を下ろす。
座面がきしむ音と一緒に、膝のあたりの重さが少し楽になった。
「で、何か問題でも」
「問題がなきゃ、わざわざ掃除夫一人部屋に呼びつけたりせん」
組合長はそこでようやく顔を上げた。
皺だらけの額に刻まれた溝が、いつもより一本多く見える。
「……お前の書いた報告書だ」
そう言って、机の上の一枚を指先で弾く。
油紙の上に、見覚えのある字が並んでいた。
“第二層西側通路十七番、壁面亀裂状発光。魔素の揺らぎ・強。血および焦げ臭、強。”
「覚えているか」
「ええ。あまり忘れたくない現場ですね」
あの亀裂と、喉を刺す魔素の味と、肌を撫でる嫌な風の感触。
数日前のことだが、もう少し前のことのようにも思える。
組合長は別の紙を引っ張り出して、俺の前に並べた。
「これも、お前のだ。“第二層中央広間、魔素濃度 異常に高い。焦げ跡多数。金級パーティ通過の形跡あり”」
「はい」
「で、最近の他の連中の報告だ」
その後に何枚か重ねられた報告書には、ほかの掃除夫や探索者たちの字で、似たような言葉が散らばっていた。
“第二層 南側通路にて、魔石灯ちらつきあり”
“第三層入口付近、魔物出現パターンに乱れ。魔素濃度 高め?”
“第一層北側、格納庫近くの壁から時折音。原因不明”
どれも、単体で見れば「気のせい」で片づけられそうな小さな異常だ。
だが、こうして一枚の机の上に並べられると、妙な形を結び始める。
「お前の“揺らぎ・強”の報告のあとから、似たような匂いのする報告が増えている」
組合長が低く言った。
「特に第二層。お前が鼻をひっかけた辺りを中心にな」
「俺のせいみたいな言い方ですね」
「俺は“おかげ”と言ったつもりだがな」
片目がじろりと俺を射抜く。
「他の連中の報告は、『なんか変』『気のせいかも』で終わっている。だが、お前だけは場所と状況と、何がどれくらい気持ち悪かったかを、ちゃんと書いてる」
「仕事柄、気持ち悪いものを見つけるのが仕事でして」
「自覚があるのはいいことだ」
組合長は愉快そうでもあり、面倒くさそうでもあり、どうとでも取れる声で言った。
「……お前の“鼻”は、当てになる」
鼻。
血の匂いと、焦げた匂いと、魔素の揺らぎ。
それらが混ざった空気の中から、「いつもと違う」ものを嗅ぎ分ける感覚のことだろう。
「大したもんじゃありませんよ。長く掃除してると、変なカビが生えてる場所だけ分かるようになる。それと似たようなもんです」
「その“カビ”を見逃すと、ダンジョンごと腐ることもある」
組合長は机に片肘をつき、指先で報告書の束をとんとんと整えた。
「正直に言う。最近、上からの問い合わせが増えている。“第二層で何か起きていないか”“魔素の流れは安定しているか”――そういう類のな」
「国のお偉いさんたちが、ですか」
「そうだ。深層の調査を急がせたい連中と、あまりいじりたくねえ連中が、上のほうで喧嘩してるらしい。そのしわ寄せが、こうやって紙になって降りてくる」
組合長の口調には、うんざりとした色が混じっていた。
「俺からすれば、“上の都合は勝手にやれ、その代わり現場にはちゃんと情報を寄越せ”と言いたいところだが……そうもいかん」
「現場に回ってくるのは、汚れ仕事ばかりってやつですね」
「そういうこった」
短く頷いてから、組合長は椅子に深く身を預けた。
「で、その汚れ仕事を誰に押し付けるかって話になるとだな」
「説得力のある前振りですね」
「安心しろ。別にお前一人で深層に行けとは言わん」
片目が細められる。
「ただ、第二層の“匂い”を見る役には、お前が向いている」
逃がさない、と言外に告げる目だった。
「お前の報告は、他の誰より早く“異常”に気づいていた。壁の亀裂も、魔素の濃い広間も。ほかの奴らは、「なんか変だ」で終わらせている」
「臆病なだけです。変なもん見つけると、放っとけない性分で」
「いい臆病さだ。現場ではな」
組合長は報告書の一枚をひらりと持ち上げ、指先でつまんだ。
「昔、お前がまだ探索者だったころの報告書も、少し残っている」
思わず眉を上げる。
「そんな昔の紙、まだ残ってたんですか」
「全部捨ててたまるか。俺の若いころの署名も混じってるんでな」
苦笑混じりに言いながら、組合長は一枚の古びた紙を机の端に滑らせた。
そこには、若いころの俺の字で、こう書かれていた。
“中層第八階層にて、魔素濃度 一時的上昇。討伐後も残滓多し。気持ち悪い。”
「……ああ、そんなことも書きましたっけ」
「あのあと、その階層でしばらく事故が続いた。覚えてるか」
覚えている。
自分の膝が砕けた場所だ。
「お前の“気持ち悪い”は、だいたい当たる」
組合長は断言した。
「だから、今回も当たっていると見て動く」
机の上の紙束が、重たく音を立てた。
「数日ほど、第二層のその周辺を重点的に見てこい。汚れ仕事のついででいい。何かあったら、今まで以上に細かく書け。匂いでも、音でも、魔物の様子でも、なんでもだ」
つまり、「鼻」を最大限使え、ということだ。
「掃除夫の仕事に、嗅ぎ回るのが正式に追加されるわけですね」
「元からやってただろうが」
組合長は鼻で笑った。
「報告の手当ては、少し盛ってやる。……銀貨一枚分とはいかんがな」
「布団はまだ新しくならなそうですね」
「そのぶん、膝を大事にしろ。完全に壊れたら、階段の掃除もままならん」
そう言いながらも、その声には僅かながら気遣いの響きがあった。
「了解しました。鼻を利かせてきます」
椅子から立ち上がりながら答える。
組合長は背もたれに身を預けたまま、最後にひとこと付け足した。
「それと――」
「はい?」
「例のポーターだ。ミナとか言ったか」
「……治療院、もう覗きましたか」
「さっき、治療師から報告があった。“死に損ないが一人、しぶとく生き延びてる”とな」
組合長の口元に、わずかな笑みが浮かぶ。
「お前が銀貨を出したことも、向こうはちゃっかり書いてよこした」
「余計なことを」
「余計かどうかは、これから決まる」
片目が、じっと俺を見る。
「生きて戻ってきた奴には、何かしら仕事を与えねばならん。……まあ、それは少女の容体が固まってからの話だ」
「俺の“鼻”と一緒に、余計な仕事まで増やさないでくださいよ」
「余計な仕事が嫌なら、鼻を詰まらせてこい」
「それができりゃ、とうの昔にしてます」
そう言って頭を下げ、組合長室を出た。
廊下に出ると、窓から差し込む光が、少しだけ暖かく感じられた。
ミナの容体は安定。
第二層では、目に見えない揺らぎが増えつつある。
俺の鼻は、それを嗅ぎ分ける役目を正式に押し付けられた。
「……まあ、いつもの“後始末”と変わらんか」
自分にそう言い聞かせながら、階段を降りる。
血と石と魔素の匂いがするあの場所で、また何かが起きつつある――
そんな予感だけが、膝の奥と鼻の奥で、じわりと燻っていた。




