11:組合での報告とミナの処遇
ミナを抱えたまま地上に戻ると、日の光がやけに白く感じた。
ダンジョン入口前の広場は、いつもどおりの喧噪だ。
新しく潜る連中と、帰ってきて酒場に流れ込む連中。
その間を縫うように、血や泥をまとった救護隊が走っていく。
「おい、そこの。負傷者か?」
門番が声を掛けてきたが、俺の組合証と作業着を見るなり、すぐに頷いた。
「組合のほうに回すのか」
「ええ。記録だけ通して、治療院に運びます」
「了解。通せ」
通行を遮る槍が脇にどけられる。
ミナの体を抱き直して、俺はダンジョン組合の建物へ向かった。
◇
「また担いで帰ってきたのか、お前は」
組合の受付で顔を出した事務員が、呆れたような声を出した。
「仕事柄、拾い癖がついてるもので」
「死体袋に入れてくるぶんには文句言わねえんだがな」
そう言いながらも、事務員はてきぱきと帳面をめくる。
負傷者搬入の欄に、簡単な記入をしていく。
「名前は?」
「ミナ。姓なし。北側の農村出身だそうです」
「ギルド所属のポーター?」
「はい。大きいほうのギルドです」
事務員が小さく舌打ちしたのが分かった。
「……あそこは、ポーターの扱いが荒いからな」
ぶつぶつ言いながら、記入を終えた帳面を閉じる。
「治療院にはうちから連絡入れとく。連れていけるか?」
「膝はまだ動きますよ」
軽い冗談を口にして、俺は再びミナを抱え上げた。
◇
組合と提携している治療院は、通りを一本挟んだ先にある。
外見はただの古い石造りの家だが、中に入ると、乾いた薬草と酒精の匂いが、鼻の奥を刺す。
「またか」
受付の机の向こうから顔を上げた治療師が、俺とミナを見て眉をひそめた。
痩せぎすで、いつも眠そうな目をしている男だが、手つきだけはやたらと正確だ。
「今日は派手なのが多いですね」
「さっきも手足が足りねえのを二人運び込んだところだ。……そいつは?」
「第二層中央広間で拾いました。ポーターです。肋骨と脚、あとは内臓がどこまで持ってるか」
「ポーターか……」
その一言に、重たい溜息が混じる。
「ギルドは治療費、出さねえだろうな」
知っている口ぶりだった。
俺も、知っている。
探索者はギルドの「商品」だから、ある程度の治療費は出る。
だが、ポーターは荷物だ。割れたら買い直せばいい。
そう考えている場所も少なくない。
「とりあえず診る。応急処置は?」
「止血と、簡易ポーション半分。それから――」
言いかけて、少しだけ言葉を濁した。
端数の魔素を少し流し込んだ、なんて説明をしても、ろくな質問は返ってこないだろう。
「まあ、できる範囲で」
「ふん、いつもどおりか」
治療師はそれ以上追及せず、手招きした。
「そこに寝かせろ」
指示された台の上に、そっとミナを下ろす。
軋む木の音と一緒に、ミナの喉から「ん……」と小さな声が漏れた。
「意識は?」
「さっきまでは少しだけ。今は落ちかけてますね」
「落ちるなら、こっちで管理してからにしろ。中途半端なほうが厄介だ」
治療師はぶつぶつ言いながら、肋骨のあたりを軽く押して状態を確かめる。
ミナの顔が苦痛で歪みかけるが、もう声を出す余裕はなさそうだ。
「うーん……まあ、運がよけりゃ助かる。運が悪けりゃ――」
「その先は、あんたの腕次第ってことにしときます」
割り込んで言うと、治療師がじろりと俺を見た。
そして、鼻で笑う。
「言ってくれるじゃねえか。……で、金は?」
「やっぱり、そこですよね」
苦笑しながら、腰袋に手を入れた。
中にある銀貨の重さを指先で確かめる。
今月の給金は、まだ全額は手元にない。
それでも、ここで「ない」と言ってしまえば、この子は本当にただの“荷物”になってしまう。
「前金として、銀貨一枚。足りなきゃ、あと一枚までは何とかします」
机の上に、銀貨を一枚置いた。
鈍い光を放つ円盤が、木の上でころりと転がって止まる。
治療師はそれをちらりと見て、肩をすくめる。
「……ポーターにしちゃ、恵まれてんな」
「たまたま通りがかっただけですよ」
「たまたま通りがかって、銀貨出す掃除夫がどこにいる」
「ここに一人、いますね」
冗談めかして言うと、治療師は口の端をわずかに上げた。
「ま、ありがたくもらっとく。あとはギルドから絞れるだけ絞るさ」
「期待してます」
銀貨一枚――長屋の家賃に近い額だ。
あと一枚出せば、今月の布団の補修は諦めることになる。
それでも、この子をこのまま血の匂いの中に置いておくよりは、よほど気が楽だった。
「じゃあ、俺はこれで――」
踵を返そうとしたとき、台の上から掠れた声が聞こえた。
「……あ、りがと……う、ございま……」
寝言のような、小さな、ちぎれた言葉。
ミナの目は閉じたままだった。
意識が戻ったわけではない。
それでも、その唇は、確かに礼の形を作っていた。
思わず足を止める。
振り返ると、治療師も手を動かしながら「ほう」と小さく感心したように言った。
「聞こえてんのか聞こえてねえのか、ギリギリのとこだな。まあ、“ありがとう”が言えるうちは、まだ運は尽きてねえさ」
「そうだといいですね」
俺はミナの顔をもう一度見た。
血と埃に汚れてはいるが、俺がこの街に来たばかりのころと、大して違わない年頃だ。
俺も、昔は似たような台の上に転がされていたことがある。
誰かの背中に担がれて、視界の端だけしか覚えていない治療院。
そのとき、治療費を出してくれたのは、今はもういない誰かだった。
名前も、顔も、ぼやけてしまっている。
ただ、その時の「救われた」感覚だけは、体のどこかに残っていて、今も時々疼く。
「……俺も昔、似たような立場だったからな」
自分に言い聞かせるように、小声で呟いた。
ミナに聞こえたかどうかは、分からない。
治療師は聞いていたらしく、ふん、と鼻を鳴らした。
「じゃあ、その借りを、少しは返したってことだな」
「借りを返すほど立派な人間じゃないですよ。ただ……」
言いかけて、言葉を探す。
「後片づけばっかりやってると、たまには“元に戻せる”ほうの仕事もしてみたくなるんです」
「は。掃除夫のくせに、欲張りだな」
「ええ。若いころ、欲張って膝を砕いてるもんで」
軽く自嘲してから、今度こそ治療院の扉に向き直った。
「こっちはこっちで片づけておく。お前はお前の汚れ仕事、続けろ」
治療師の声が背中に飛んでくる。
「死にそうになったら、また担いでこい。そのときも銀貨、忘れるなよ」
「そのときは、せめて銅貨に負けてくれると助かりますね」
そう返して、外に出た。
夕方に近づきつつある街の光が、さっきより少しだけ柔らかく見えた。
ミナがどこまで持ち直すかは、まだ分からない。
ただ一つ、確かなのは――
あの台の上の姿が、昔の自分と重なって見えてしまった以上、
もう完全な他人事としては、扱えなくなってしまった、ということだった。




