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10:金級リーダーとの対立

 ミナを抱えて通路を戻ると、膝の古傷がすぐに文句を言い始めた。


 体そのものは軽い。

 だが、第二層の石段を一段上がるたびに、右膝の奥でじくじくとした痛みが顔を出す。


「揺れるぞ。気持ち悪くなったら、遠慮なく吐いていい」


 腕の中のミナにそう声をかけると、彼女はかすかに首を振った。


「……汚れ……増やしちゃ……」

「汚れを増やすのが仕事みたいな連中もいるんでね。こっちは片づける側だ」


 そんな他愛もないやりとりを交わしながら、俺は第二層から第一層へと続く通路を目指した。


 広間の喧噪はもう遠く、今いる通路は一見静かだ。

 だが、血と焦げの匂いはまだ残っている。

 壁のあちこちに、魔法が擦ったような跡が黒く残り、床には削れた石の粉が散っていた。


 角をひとつ曲がった、そのときだった。


「――ん?」


 前方から、複数の足音と笑い声が近づいてきた。


 鉄靴が石を叩く音。

 鎧どうしがぶつかる、硬い響き。

 そして、聞き覚えのある、少し鼻にかかった男の声。


「だからよ、あそこで引き返してたら、あのオーガの魔石は全部無駄になってたっつーの。わかるか?」

「はいはい、隊長さんの大英断ってやつですね」


 軽口で返す斧持ちの声も混じっている。


 俺はミナを抱えたまま、通路の片側に身を寄せた。

 そのまま通してしまえばいい――そう思って、壁に背中を預ける。


 すぐに、金級パーティの一団が視界に入ってきた。


 先頭を歩くのは、やっぱり金色の髪を後ろで結ったあのリーダーだ。

 鎧についた血はほとんど拭われていて、代わりに肩のあたりには新しい傷が走っている。

 それすらも、「よく戦いました」という勲章みたいに見せて歩いているのが、さすがといえばさすがだ。


 その後ろに、斧持ち、魔術師、双剣の女。

 最後尾には、血で汚れた荷物を背負い直したポーターが数人――ミナと同じような背中が並んでいた。


 ただ、その中に、ミナの姿はない。

 当然だ。俺の腕の中にいる。


「通りますよ」


 俺はできるだけ邪魔にならないよう、壁と自分の体の隙間にミナを庇いつつ、声を掛けた。


 リーダーがちらりとこちらを見る。

 最初、その視線は俺の顔と作業着をざっと舐めただけだった。


 そのまま通り過ぎてくれるかと思ったのだが――

 彼の目が、ふと俺の腕の中のミナに引っかかった。


「ん?」


 足が止まる。

 金色の眉が、ほんの僅かだが上がった。


「……ああ」


 そこでようやく、何かを思い出したように、口元に薄い笑みを浮かべた。


「あー、その子ね」


 軽い調子。

 ギルド前で見せていたのと同じ、「観客向け」の声だ。


「死んだと思ってたわ」


 あまりにも平然と言うものだから、俺は一瞬、言葉を探すのが遅れた。


「すまんな、死体だと思って荷の下に埋めちまったかもな。通路、塞いでたからよ」


 斧持ちが後ろから笑いながら口を挟む。

 魔術師も「そうそう」と頷いた。


「まあ、あそこで立ち止まってたら、こっちも危なかったしな」


 リーダーは肩をすくめて見せる。


「“荷物置いて逃げろ”ってちゃんと命令はしたんだ。命令には従ったんだろ? だったら、あとは運の問題だ」


 ミナの腕が、微かに震えたのが伝わった。

 意識がはっきりしてきたのか、彼女は俺の胸元をぎゅっと掴んだまま、小さく体を丸める。


 それでも、金級の連中は、彼女の表情を一瞥すらしなかった。

 俺の腕の中のそれを、「荷物」としてしか見ていない。


「……運が、よかったみたいですよ」


 俺はできるだけ平坦な声で返した。


「まだ息があります。治療院に運べば、助かるかもしれません」

「そうかそうか。そりゃあよかった」


 リーダーは、まるで他人事のように笑う。


「連れて帰ってやれば? 掃除夫のおっさん」


 その言い方に、ほんの少しだけ鼻にかかった侮蔑が混じった。


「うちはこれから深層だ。途中で足手まとい抱えてたら、こっちまで死んじまう。連れて戻るのも面倒だろ?」


 言葉ひとつひとつが、通路の石の上を滑って、俺の耳に刺さる。


 面倒。

 足手まとい。

 死んだと思ってた。


 ミナの指先から力が抜けかけたのを感じて、俺は無意識に抱え直す腕に力を込めた。

 内心では、膝の古傷とは別の部分が、きし、と嫌な音を立てている。


 それでも、顔のほうは、できるだけ力を抜いた。


「そうですか」


 ヘラ、と笑ったつもりだ。

 自分でも、どれくらいまともな笑顔になっていたかは分からない。


「なら、こちらで片づけておきますよ」


 俺がそう言うと、リーダーは満足そうに頷いた。


「助かる。掃除夫なら、死体もまとめて処分してくれよな」


 その言い草が、あまりに自然だったので、一瞬、俺は自分の鼓動の音を聞き逃しかけた。


 死体。

 彼にとって、ミナはもう、完全にその分類に入っているようだ。


「生きてる限りは、死体扱いはしませんよ」


 喉の奥に引っかかっていたものを、できるだけ柔らかく丸めて吐き出す。


「まあ、こっちの都合で死体になってもらうことはありますけどね」


 最後の一言は、ほとんど独り言のような声量だった。


 だが、斧持ちが「ん?」と首をかしげ、魔術師が一瞬だけこちらを横目で見たので、伝わってはいないわけでもないらしい。


「なんか言ったか?」

「いえ。こっちで“片づけておきます”と言っただけです」


 笑顔を貼り付けたまま繰り返すと、リーダーは興味を失ったように肩をすくめた。


「そうか。じゃ、任せた」


 あっさりと、それだけ。


 彼らはそのまま、通路の奥――深層へ続く階段のほうへと歩いていった。

 金色の髪が揺れ、鎧の金具が光を跳ね返し、足音が次第に遠ざかっていく。


 静かになった通路に、血と焦げの匂いだけが取り残された。


「……聞きましたか」


 誰にともなくそう言ったあと、小さく息を吐いた。


 腕の中のミナが、ゆっくりと顔を上げる。

 彼女の目は涙で濡れていたが、声は思ったよりしっかりしていた。


「……私、やっぱり……死んだと思われてたんですね」

「そうだな」


 否定する言葉は、すぐには出てこなかった。

 曖昧に誤魔化すより、はっきり認めたほうが、まだましだと思った。


「それでも、生きてる」


 俺はそう付け足す。


「生きてるから、こうして重い。死んだら、もっと軽い。俺は、重いほうが好きだよ」


 ミナが、小さく笑うような息を漏らした。

 泣いているのか笑っているのか、自分でも分からない声だ。


「……さっき、片づけるって……」

「言ったな」

「……私も、その“片づける”に入ってます?」


 弱々しい冗談だ。

 だが、その奥には、疑いと不安と、しがみつくような期待が入り混じっている。


「さあ、どうだろうな」


 俺はわざと少しだけ間を置いてから、肩をすくめた。


「少なくとも今は、死体袋に入れるつもりはない。治療院まで持っていく分には、“片づけ”のうちに入る」


「……よかった」


 ミナの指先が、また俺の作業着をぎゅっと掴む。

 さっきまで、通路の奥に向けられていた苛立ちが、少しだけ収まるのを感じた。


「行くぞ。あいつらが通った後は、どうせまたいろいろ汚れる」


 片づけるものは、まだ山ほどある。


 金級が残していった“汚れ”の一部を、腕の中に抱えながら、

 俺は地上へ続く通路を、ゆっくりと歩き出した。


 「こっちで片づけておきますよ」と言ったとき、自分が何を指していたのか。


 その答えは、多分この先、俺自身にも嫌というほど突きつけられることになるのだろう。

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