9:瀕死の少女との出会い
肉片の山を片づけるときは、なるべく全体を見ないようにしている。
ひとつひとつの形を意識し始めると、どこまでが人間でどこからが魔物か、境目が分からなくなってくるからだ。
骨と布と革と皮膚を、ただ「汚れ」として袋に詰めたほうが、まだ仕事が進む。
――のだが、そのときは、視線が勝手に止まった。
「……ん?」
広間の隅、崩れた荷車の横。
血と肉と布切れの山の中に、ひときわ色の違うものが混じっていた。
赤でも黒でもない。
少し褪せた、乾いた草みたいな色――髪の色だ。
嫌な予感がして、近づく。
足元の何かを踏まないように注意しながら、崩れた荷と肉片をどかしていく。
革袋。
砕けた木箱。
切り裂かれた布。
その下から、細い腕が一本、出てきた。
血と埃で汚れてはいるが、まだ、色が残っている腕だ。
指先が、微かに震えた気がした。
「……おいおい」
思わず声が漏れる。
さらに荷物をどかす。
背嚢の破片と、裂けた革のベルトを引き剥がすと、その下から、ひとりの少女の上半身が姿を現した。
顔の半分は血と泥で覆われている。
鎖骨のあたりから、ズキリと痛みが伝わってきそうな形で布が裂け、胸は浅く早い呼吸を繰り返していた。
肋骨が何本かいっているだろう。
右脚は、膝から下が不自然な角度をしていて、裂けた布の隙間から赤いものが覗いている。
それでも――まだ、動いていた。
「……死んでいる、か?」
口が、勝手に昔の習慣でそう呟いた。
この仕事を始めてからずっと、現場でまず確認する質問だ。
耳を近づける。
少女の唇から漏れる息が、かすかに俺の頬を撫でた。
微弱な呼吸。
胸の上下は浅いが、止まってはいない。
生きている。
「ったく」
小さく舌打ちして、荷物を放り投げる。
背嚢の中身が飛び出し、乾燥肉やポーション瓶が床を転がった。
「ちょっと我慢しろよ」
そう声をかけてから、肩と腰の下に腕を差し込む。
肉片と荷物の下敷きになっている身体を、慎重に引き抜いた。
軽い。
荷物にあれだけの重さを背負わされていたせいか、余計そう感じる。
引き上げた瞬間、少女の口から、かすれた呻き声が漏れた。
「っ……」
「悪いな。骨はいくつかやらかしてるぞ、こりゃ」
そっと広間の比較的ましな場所に寝かせる。
背中の下に、壊れた荷箱の板を差し込んで、血溜まりから離した。
近くの血の跡からは、いつも以上に濃い魔素の霧が上がっている。
それが少女の周りでよどんでいるのが見えた。
「こっち来るな。……こっちだ」
霧に向かって、小さく手招きするような気持ちで、俺は息を吸い込む。
喉の奥が、また刺すように痛んだ。
熱が胸に溜まり、膝や肩に流れていく。
腰袋から簡易ポーションを一本抜き出す。
栓を歯で引き抜き、少女の唇に瓶の口を当てた。
「飲めるか」
喉を指先で軽くつつく。
反射で、少女の口がわずかに開いた。
少しずつ、少しずつ、ポーションを流し込んでいく。
半分ほど飲ませたところで、俺は左手を少女の胸元――肋骨の上にそっと当てた。
自分の中の“溜まったもの”を、意識して押し出してみる。
やり方なんて教わったことはない。
ただ、ここ数年、端数の魔素を吸い続けているうちに、ほんの少しだけ、「流れ」が分かるようになっていた。
自分の肺の奥にある熱を、手のひらに集める。
指先がじん、と痺れる。
その痺れを、少女の胸の中に押し込むようなイメージで、そっと力を込めた。
……何かが、通った。
少女の胸の上下が、一瞬だけ止まりかけたあと、
今度はさっきより少し深く、息が入っていく。
「……っ、げほ……!」
小さな咳が、俺の手の下から弾けた。
ポーションの甘い匂いと、血の鉄臭さが混ざった息が、俺の顔にかかる。
「よし。戻ってこい」
手を離すと、少女のまぶたがわずかに震えた。
重そうな瞼が、ゆっくりと持ち上がる。
暗がりの中から現れた瞳は、濁ってはいたが、まだ光を捨ててはいなかった。
「……あれ……?」
掠れた声が、喉の奥から漏れる。
すぐ目の前にいた俺の顔を見て、一瞬きょとんとしたあと、
少女は自分の体勢に気づいたのか、息を飲んだ。
「動くな。肋骨いくつかいってる。脚もだ」
「わ、たし……」
言葉が喉で絡まる。
焦点が定まらない視線が、広間の天井から、俺の顔へとさまよった。
「荷物を……置いて、逃げろって……。それで……」
そこまで言って、眉間に皺を寄せる。
不意に、唇が震えた。
「置いて、いかれて……」
ああ、と内心で思う。
朝、ギルド前で見た背中。
荷物の塊から生えた、細い足。
あのポーターだ。
「よく生きてたほうだ。普通なら、さっきの山に混ざってる」
俺は広間の隅に視線をやってから、少女に戻した。
彼女が自分の周囲を見ようと首を動かしかけたので、その頭をそっと押さえる。
「見ないほうがいい。寝とけ」
「……あなた、誰……ですか……?」
乾いた唇が、やっとその一言を絞り出す。
「ただの掃除夫だよ」
血で汚れた自分の作業着を見下ろして、肩をすくめる。
「仕事柄、死体は見慣れてるが、わざわざ増やす趣味はないんでな」
少女の喉が、小さく上下した。
それが笑いなのか、息苦しさなのか、自分でも判然としない。
「……掃除、ふ……」
掠れた声が、そこで途切れる。
まだ意識は完全には戻っていないらしい。
それでも、さっきより顔色は少しマシになっていた。
頬にわずかに赤みが戻っている。
「名前は?」
確認のために尋ねると、少女の唇が弱々しく動いた。
「……ミナ……です」
かろうじて聞き取れる、小さな声。
「ミナ、ね」
俺はその名を一度口の中で転がしてから、メモ用の札に書き込んだ。
「姓は?」
「……ない、です。村、ちいさいとこで……。みんな、ミナって……」
そこまで言うと、また苦しそうに咳き込む。
「分かった分かった。喋らなくていい」
背中を軽く摩りながら、俺は続けて尋ねる。
「出身は、どこだ」
「……北の……畑の、村……。ここから……三日、歩いて……」
ああ、と心の中で頷く。
近くの田舎――俺が昔いたような、似たような村だろう。
畑か牧草ぐらいしかない土地から、仕事を求めてダンジョン都市に出てきた。
「家には、誰かいるか」
「……母と、弟が……。仕送り、しないと……」
その一言に、薄い瞼の奥で、別の色の必死さが灯った気がした。
自分の血より、遠くの家計の心配を先にするあたり、こういう場所に流れ着く連中の顔ぶれに、妙に馴染んでいる。
「仕送りの話は、あとでだ。今は、生き延びるほうを先にしろ」
俺はそう言って立ち上がった。
広間の空気は、まだ重い。
魔素の霧も、完全には晴れていない。
自分の膝が、またじわじわと軽くなるのを感じながら、
俺はミナを抱き上げる体勢を整えた。
「今から組合を通して治療院に運ぶ。揺れるが、我慢しろ」
「……はい……」
微かな返事。
腕の中の体は、やはり軽かった。
けれど、その軽さに似合わないほど、大きなものを背負っているのは、何となく分かる。
荷物を置いて逃げろと言われ、言われた通りにして、それでも置いていかれた子だ。
その結果、こうして広間の肉片の中から掘り出されている。
「……ったく」
誰にともなく口の中で毒づいて、俺はミナをしっかりと抱えた。
金級が刻んでいった派手な傷痕の、ほんの一部だけでも、
掃除夫の仕事で“元に戻せる”なら、まだやる意味はあるだろう。
そんな言い訳を自分にしながら、俺は血の匂いの薄い通路のほうへ足を向けた。




