表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

10/15

9:瀕死の少女との出会い

 肉片の山を片づけるときは、なるべく全体を見ないようにしている。


 ひとつひとつの形を意識し始めると、どこまでが人間でどこからが魔物か、境目が分からなくなってくるからだ。

 骨と布と革と皮膚を、ただ「汚れ」として袋に詰めたほうが、まだ仕事が進む。


 ――のだが、そのときは、視線が勝手に止まった。


「……ん?」


 広間の隅、崩れた荷車の横。

 血と肉と布切れの山の中に、ひときわ色の違うものが混じっていた。


 赤でも黒でもない。

 少し褪せた、乾いた草みたいな色――髪の色だ。


 嫌な予感がして、近づく。

 足元の何かを踏まないように注意しながら、崩れた荷と肉片をどかしていく。


 革袋。

 砕けた木箱。

 切り裂かれた布。

 その下から、細い腕が一本、出てきた。


 血と埃で汚れてはいるが、まだ、色が残っている腕だ。

 指先が、微かに震えた気がした。


「……おいおい」


 思わず声が漏れる。


 さらに荷物をどかす。

 背嚢の破片と、裂けた革のベルトを引き剥がすと、その下から、ひとりの少女の上半身が姿を現した。


 顔の半分は血と泥で覆われている。

 鎖骨のあたりから、ズキリと痛みが伝わってきそうな形で布が裂け、胸は浅く早い呼吸を繰り返していた。


 肋骨が何本かいっているだろう。

 右脚は、膝から下が不自然な角度をしていて、裂けた布の隙間から赤いものが覗いている。


 それでも――まだ、動いていた。


「……死んでいる、か?」


 口が、勝手に昔の習慣でそう呟いた。

 この仕事を始めてからずっと、現場でまず確認する質問だ。


 耳を近づける。

 少女の唇から漏れる息が、かすかに俺の頬を撫でた。


 微弱な呼吸。

 胸の上下は浅いが、止まってはいない。


 生きている。


「ったく」


 小さく舌打ちして、荷物を放り投げる。

 背嚢の中身が飛び出し、乾燥肉やポーション瓶が床を転がった。


「ちょっと我慢しろよ」


 そう声をかけてから、肩と腰の下に腕を差し込む。

 肉片と荷物の下敷きになっている身体を、慎重に引き抜いた。


 軽い。

 荷物にあれだけの重さを背負わされていたせいか、余計そう感じる。


 引き上げた瞬間、少女の口から、かすれた呻き声が漏れた。


「っ……」


「悪いな。骨はいくつかやらかしてるぞ、こりゃ」


 そっと広間の比較的ましな場所に寝かせる。

 背中の下に、壊れた荷箱の板を差し込んで、血溜まりから離した。


 近くの血の跡からは、いつも以上に濃い魔素の霧が上がっている。

 それが少女の周りでよどんでいるのが見えた。


「こっち来るな。……こっちだ」


 霧に向かって、小さく手招きするような気持ちで、俺は息を吸い込む。


 喉の奥が、また刺すように痛んだ。

 熱が胸に溜まり、膝や肩に流れていく。


 腰袋から簡易ポーションを一本抜き出す。

 栓を歯で引き抜き、少女の唇に瓶の口を当てた。


「飲めるか」


 喉を指先で軽くつつく。

 反射で、少女の口がわずかに開いた。

 少しずつ、少しずつ、ポーションを流し込んでいく。


 半分ほど飲ませたところで、俺は左手を少女の胸元――肋骨の上にそっと当てた。


 自分の中の“溜まったもの”を、意識して押し出してみる。


 やり方なんて教わったことはない。

 ただ、ここ数年、端数の魔素を吸い続けているうちに、ほんの少しだけ、「流れ」が分かるようになっていた。


 自分の肺の奥にある熱を、手のひらに集める。

 指先がじん、と痺れる。

 その痺れを、少女の胸の中に押し込むようなイメージで、そっと力を込めた。


 ……何かが、通った。


 少女の胸の上下が、一瞬だけ止まりかけたあと、

 今度はさっきより少し深く、息が入っていく。


「……っ、げほ……!」


 小さな咳が、俺の手の下から弾けた。

 ポーションの甘い匂いと、血の鉄臭さが混ざった息が、俺の顔にかかる。


「よし。戻ってこい」


 手を離すと、少女のまぶたがわずかに震えた。

 重そうな瞼が、ゆっくりと持ち上がる。


 暗がりの中から現れた瞳は、濁ってはいたが、まだ光を捨ててはいなかった。


「……あれ……?」


 掠れた声が、喉の奥から漏れる。


 すぐ目の前にいた俺の顔を見て、一瞬きょとんとしたあと、

 少女は自分の体勢に気づいたのか、息を飲んだ。


「動くな。肋骨いくつかいってる。脚もだ」


「わ、たし……」


 言葉が喉で絡まる。

 焦点が定まらない視線が、広間の天井から、俺の顔へとさまよった。


「荷物を……置いて、逃げろって……。それで……」


 そこまで言って、眉間に皺を寄せる。

 不意に、唇が震えた。


「置いて、いかれて……」


 ああ、と内心で思う。


 朝、ギルド前で見た背中。

 荷物の塊から生えた、細い足。

 あのポーターだ。


「よく生きてたほうだ。普通なら、さっきの山に混ざってる」


 俺は広間の隅に視線をやってから、少女に戻した。

 彼女が自分の周囲を見ようと首を動かしかけたので、その頭をそっと押さえる。


「見ないほうがいい。寝とけ」

「……あなた、誰……ですか……?」


 乾いた唇が、やっとその一言を絞り出す。


「ただの掃除夫だよ」


 血で汚れた自分の作業着を見下ろして、肩をすくめる。


「仕事柄、死体は見慣れてるが、わざわざ増やす趣味はないんでな」


 少女の喉が、小さく上下した。

 それが笑いなのか、息苦しさなのか、自分でも判然としない。


「……掃除、ふ……」


 掠れた声が、そこで途切れる。

 まだ意識は完全には戻っていないらしい。


 それでも、さっきより顔色は少しマシになっていた。

 頬にわずかに赤みが戻っている。


「名前は?」


 確認のために尋ねると、少女の唇が弱々しく動いた。


「……ミナ……です」


 かろうじて聞き取れる、小さな声。


「ミナ、ね」


 俺はその名を一度口の中で転がしてから、メモ用の札に書き込んだ。


「姓は?」


「……ない、です。村、ちいさいとこで……。みんな、ミナって……」


 そこまで言うと、また苦しそうに咳き込む。


「分かった分かった。喋らなくていい」


 背中を軽く摩りながら、俺は続けて尋ねる。


「出身は、どこだ」

「……北の……畑の、村……。ここから……三日、歩いて……」


 ああ、と心の中で頷く。


 近くの田舎――俺が昔いたような、似たような村だろう。

 畑か牧草ぐらいしかない土地から、仕事を求めてダンジョン都市に出てきた。


「家には、誰かいるか」

「……母と、弟が……。仕送り、しないと……」


 その一言に、薄い瞼の奥で、別の色の必死さが灯った気がした。


 自分の血より、遠くの家計の心配を先にするあたり、こういう場所に流れ着く連中の顔ぶれに、妙に馴染んでいる。


「仕送りの話は、あとでだ。今は、生き延びるほうを先にしろ」


 俺はそう言って立ち上がった。


 広間の空気は、まだ重い。

 魔素の霧も、完全には晴れていない。


 自分の膝が、またじわじわと軽くなるのを感じながら、

 俺はミナを抱き上げる体勢を整えた。


「今から組合を通して治療院に運ぶ。揺れるが、我慢しろ」

「……はい……」


 微かな返事。


 腕の中の体は、やはり軽かった。

 けれど、その軽さに似合わないほど、大きなものを背負っているのは、何となく分かる。


 荷物を置いて逃げろと言われ、言われた通りにして、それでも置いていかれた子だ。

 その結果、こうして広間の肉片の中から掘り出されている。


「……ったく」


 誰にともなく口の中で毒づいて、俺はミナをしっかりと抱えた。


 金級が刻んでいった派手な傷痕の、ほんの一部だけでも、

 掃除夫の仕事で“元に戻せる”なら、まだやる意味はあるだろう。


 そんな言い訳を自分にしながら、俺は血の匂いの薄い通路のほうへ足を向けた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ