駆け出しの見習い魔術師 ◇塔仲間
心地よい癒しの魔法が、波のように全身にしみわたってくる。
それは、夜空の星の光を溶かした水のように、静かでどこまでも清らかな感触だった。
「メザル……師匠、意識が戻ったようです」
栗毛の髪、額に白い星を宿した少年が、大きな翡翠の瞳で、そっとエイラの顔を覗き込んでいた。
癒しを施したのは、この少年のようだった。
少年の背後には、ほかの見習いたちが石組みの縁に手をかけ、不思議そうにこちらを覗いていた。
――いつの間にか、気を失ってた。
身を起こそうとしたとき、胸の奥で白い炎が灯った。
そこから、大きな梟が――真白な翼を広げて、飛び上がる。
梟は天へと舞い、塔の高い天井近くを王者のように悠々と旋回した。
それを見ていた一同が低く、興奮したようにどよめいた。
イラヤが静かに口を開く。
「半身が梟とは、誠に縁起がよい。梟は畏きもの。ましてや大梟は、ナアラの眷属だ。そなた、名は?」
すこしためらうように、エイラは答えた。
「……私の名は、エイラ・ヴァレントです」
口にした途端、それが自分の名ではないような違和感を覚え思わず息を呑んだ。
「よろしい」
イラヤが満足げに微笑んだ。
続いて、白髪に長いひげを蓄えた賢人メザルが厳かに言った。
「王族の娘――ナアラの血脈が、大梟の半身を得た……。
これは、まこと僥倖じゃ。塔は慣例より、一つ多く祝砲を放とう」
そして、額に星を戴いた少年のほうへと顔を向ける。
「ロディス。半身を得た見習いたちを案内しなさい」
そばに控えていたロディスが静かに立ち上がり、
膝をついたまま見守っていたエイラに手を差し出した。
「はい、師匠」
彼は、エイラを優しく支えて立たせた。
そのまま肩を貸すようにして、しっかりと支えてくれた。
「最も幼き者たち、ついてきなさい」
ロディスの凛とした声に、新しく塔の子となった子供らが、そろって顔を上げた。
塔の螺旋階段を、一行がゆっくりと登っていく。
エイラはまだ少し足元がおぼつかないまま、ロディスの腕に支えられて、石の感触を踏みしめていた。
高くそびえる塔の階段の途中、外界からの光は届かない場所のはずなのに、壁に埋め込まれた魔石が淡い光を放っている。
それはまるで、ヒカリゴケに照らされた、洞窟の奥を歩いているかのようだと、エイラは思った。
「ロディス・エルヴェンといいます」
塔の中階へ差しかかったあたりで、彼が名乗った。
抑えた声は柔らかく、それでも確かな知性が宿っていた。
「私は、額に星をもらったために、十歳で塔に入りました。今は十五歳で、君と一つ違いです。夏には十六歳になりますが」
「私は……エイラ・ヴァレント」
エイラが答えると、ロディスは軽くうなずいた。
「塔に上がった者は、二年の初歩見習いを経て師を選ぶのが通例ですが……君は免除されていると聞きました。かつて、塔の賢人であったミラナさまからの手ほどきは、それほどに確かなものだったのでしょう」
エイラは少し困ったように笑った。
(手ほどき……そう言えるほど、やさしい教えではなかったけど)
実際には、魔術の根幹に関わる知識を深く叩きこまれてきた。
でも、ここで口にする気にはなれなかった。
「君は、僕と同じ師につくことになるそうです。姉弟子もいます。もうすぐ十七歳になります。少しおせっかいだけど、お母さんみたいで、とても頼りになる人ですよ」
会話がいったん途切れる。
ふと、ロディスの額にある白い星が、魔石の光を受けてかすかに輝いた。
――話には聞いていた。
この印こそ、ナアラの与えた一つ星。
原初なる神が直接その額に触れた祝福のしるし。
一瞬、羨望が胸をかすめる。
けれど、それはあくまで心のうちに留めておいた。
足元に意識を集中していたが、ふと気配を感じて顔を上げると、ロディスもまた、探るような瞳でこちらを見ていた。
大梟と共に現れたエイラの中に、何かを見出そうとしているように。
その翡翠の瞳には、エイラと同じように、羨望と親しみの入り混じる複雑な色が揺らめいているように見えた。
思えば、星と梟という違いはあっても、同じナアラの標しるしをもつ者同士、不思議な縁を感じた。
やがて一行は、第二階層の廊下へと至った。
見習いたちが共に暮らす小部屋が、蟻の巣のように入り組み、様々な色や形の扉が、整然と並んでいる。
ロディスについて長い廊下の先へと進むと、暗緑色の小さな扉の前で彼が立ち止まった。
それが、エイラにあてがわれた部屋だった。
扉を開けるとふんわり暖かい日向の匂いがして、エイラはその部屋に身を滑り込ませた。
荷物のない部屋は、無機質でよそよそしい。
しかし、陽の光が差し込んで明るいのには、どこか救われた。
寝台の上に腰を下ろす。
簡素な白布が敷かれたベッドは、少し湿気を帯びていた。
けれど、思っていたよりも心地よい。
部屋の片隅では、小さな魔法灯がほのかな光を灯している。
それがかえって、どこか、夢のようでもあった。
エイラは胸に手を当てる。
気になったことがあった。
イラヤに、名前を言ったとき、どうしてあんな違和感があったのだろう。
「……私の名は、エイラです」
もう一度、つぶやいてみる。
あのときの違和感は、もうなかった。
けれど、あの違和感は冷たい小石のように、深く沈んだだけのようにも思えた。
ふと、エイラは思い立って口に出す。
「――ヨナ」
名を呼んだ瞬間、部屋の空気が変わった。
どこからともなく、つむじ風のような気配が生まれ、室内をふわりと駆け抜ける。
光がきらめき、粒子となって舞い上がる。
それらが渦を巻き、形を成していく。
――それはやがて一塊になり、現れたのは、あの大梟だった。
天井の低い部屋には不釣り合いなほどの大きさ。
ヨナは、驚くほど愛らしい仕草で羽を縮め、身を寄せてくる。
大きな黒い瞳がこちらをじっと見つめ、
ふくふくとした白い羽毛が、エイラの手に触れた。
あたたかさが、ゆっくりと沁みわたっていく。
ヨナは、小さく、まるで甘えるように、喉を鳴らした。
「これから よろしくね」




