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駆け出しの見習い魔術師 ◇あわいの記憶 

 塔――それは、ルミディア王国に存在する魔術師の最高機関。


 唯一神ナアラの愛娘ヴェルナが創始したとも、古き忘れられた女神がその系譜を保護したのが始まりとも言われている。


 そこには、謳われない神と魂の契りを交わした魔術師が所属し、魔術の研究や政治的助言、魔術的事象に対する魔術師の派遣などを担っていた。

 


 この日、塔には、エイラと同じように十四歳の見習いたちが集まっていた。


 皆、一様に期待と好奇心に瞳を輝かせている。


 その前に背の高い痩せた女が立った。


 女は、その仕草一つとっても、静かな威厳に満ちており、居合わせた魔術師の誰よりも強い気配を纏まとっていた。

 彼女は、新しい塔の制服に身を包んだ子供たちを、最も奥まった静かな部屋にいざなった。


「私は塔の守り人、イラヤ。さあ、中へ入りなさい」

 エイラが、通り過ぎようとしたそのとき、イラヤが静かに呼び止めた。


「セリヤとカエランの娘よ」

 はっとして、エイラはイラヤの顔を見上げた。

 亡き母と父の名を呼ばれたことに、胸が震えた。


 青灰の瞳と、菫色のまなざしが静かに交差する。


「……よく来たね。待っておったよ」

 イラヤの表情は読めなかったが、声音には慈しみが宿っていた。


 そのまま、見習いたちは、塔の一番奥、地下にある円形の部屋へと進んだ。

 中央には、石組みの井戸のようなものが据えられ、中には清らかな水がたたえられていた。


「さあ、子らよ。水を覗いてごらん。汝の魂が映し出すものを、水鏡で見るがよい」


 イラヤの言葉どおり、水面は鏡のように澄み渡り、見習いたちの幼さの残る顔を静かに映していた。


 ふいに――ぷくり、と水面が揺れる。


 水面が激しく波打ち、視界が白く染まった。


 それが、合図だった。


 顔に風を受けたような感覚に襲われ、エイラは思わず目を閉じた。


 違和感を覚えて、目を開くと、そこは――別天地だった。


 風にそよぐ草花が甘く香った。


 陽光が降りそそぎ、 一面に咲いた花々が波のように揺れていた。


 むせかえる草の匂い。

 青い若葉の薫りを含んだ風が肌を撫でる。

 そこには、どこまでも続く、風を抱いた青い野原が広がっていた。


 エイラは大きく息を吸い込んだ。

 懐かしい気配が彼女を呼ぶように、そして彼女の胸がそれを求めて震えている。


 ――ここを知っている。私は、ここを知っている。魂が叫んでる!


 全身が歓喜に満たされていた。


(半身を求めている)


(半身に求められている)


 狂おしいほどの喜びが、体中を奔流ほんりゅうのように駆け巡った。

 遠くから、懐かしい光の礫がやってくる。


 ――否。あれは、真白い大梟だ。

 畏き、優しい、古きともがら。


 それは、千々の光の玉となり、娘を包み込んだ。


(……わがいとし子よ、エイラ)


(わが名はヨナ)


(死が分かつまで、お前を護る者)


 満たされていく――半身を得た歓び。


 けれど、突然その感覚が、引き潮のように消えていった。


 エイラは、困惑したまま立ち尽くす。


 青灰の瞳から、ぽろぽろと涙があふれた。


(ヨナ……ねえ、ヨナ)


(私はどうして、欠けているの?)


(生者の国に生まれ落ちた、私の片割れはどこにいるの)


(幼いころ、一緒に手をつないで走った。お父様も、お母様も、あの子もいて、ミラナと一緒に暮らした……)


「――ヨナ……わたしの妹、ニヴァはどこにいるの?」

 問いかけは、空に溶けた。

 白い大きな梟が音もなく降りてきて、 エイラの肩に、ふわりととまった。


 しかし、次の瞬間――エイラの体が、がたがたと震え始めた。

 魂を割かれた記憶が、どっとあふれてくる。


 寒い。


 怖い。


 痛い。


 苦しい。


 両肩をかき抱き、身を捩る。


 全身をかきむしりたいほどの苦痛。

 爪を立て、血がにじんでもなお、苦痛は休まることなくエイラを責め苛んだ。


 ――イフェル。


 その名が、閃光のように脳裏を裂いた。


 浅はかな女神。

 父神に焦がれた、愚かな女神。


 エイラは少しずつ、浅い息を吐く。


(思い出した。……私は生まれ変わりの途中で、女神にたましいを裂かれた――これは記憶だ……幻だ……けれど)


 ――けれど、震えは止まらない。


 ふと顔を上げると、背の高い女――塔のイラヤが哀れみをたたえた目でこちらを見ていた。


「かわいそうに」


 そのイラヤの言葉を聞いた瞬間、 エイラの意識は――静かに、途切れた。


 ふわりと甘い香りが鼻孔をかすめる。


 やわらかな寝床の感触が肌に触れた。


「まあまあ」「あらあら」

 ――綿菓子のように柔らかい声がする。


 そっと目を開けると、六人の老婆たちが見守っていた。


 そのひとりが、エイラの手をそっと握る。



「若いっていいわね。本当に綺麗。 大丈夫だよ。おばあちゃんたちがいるんだからね」

 なんとも柔らかい手だった。


「すまないけど、あなたがだれか思い出せない。知ってはいるのだけど」

 エイラは胸の痛みをこらえながら、やっとの思いで言った。


「それでいいのよ。思い出さなくても、私たちはあなたを知っている」

 その声は、まるで春の陽だまりのようだった。


 老女が奥に向かって呼びかけた。


「イラヤ! 私たちの娘が目を覚ましましたよ」


 見覚えのある背の高い女が、ゆっくりとやって来る。


「幾千年ぶりだね。エイラよ」


「私はエイラという名前ではない!」


 即座に彼女は否定した。


「いいや、おまえは、今は、エイラなのだよ」


 噛んで含めるようにイラヤが言い、そっと背を撫でた。


 もう一人の老婆が、木皿にのせた小さな蓮の実を差し出す。


「さあ、これをお食べ」

 促されるままに一粒手に取る。


 忘却の実だ。



「――これを食べたら、また忘れてしまうんだね」


 イラヤの表情は変わらない。



「塔にいる私と、このあわいの番人のイラヤが同じ者だということも分からなくなる。でも、今は忘れることが一番なのさ」


 エイラはうつむいた。

 つらい。涙がこぼれるほどに。


 イフェルが憎い。


 無くした片割れに会いたい。


 引き裂かれた心が痛い。


 でも、今は――痛いのも、苦しいのも、誰かを憎むのも、やめにしたい。


 この体はまだ幼く、弱い。


 あの女神の前に出たところで、 消し炭にされるか、 あの時のように嬲り者になるか、どちらかだろう。


 ――だからこそ、心の奥底に仄かな火がともる。


 少しずつ力を蓄え、生きていこう。  


 私はしたたかな人間だ。 なにより、あきらめない人間だ。  


 私の魔術は果てしなく、蓄えた魔力は無尽蔵。


 何一つ失ってなどいないじゃないか。


 エイラは唇の端を上げ、少し笑った。


 生まれなおしてみよう。  


 身勝手な女神に、喧嘩を売ってやろうじゃないか。


 老女から蓮の実を受け取り、ゆっくりとそれを噛む。  


 意識は少しずつ、薄れていく――。


 痛みも、憎しみも、遠ざかっていく。 けれど、胸に空いた穴だけは、埋まらないまま残るだろう。


 意識が薄れていく闇の向こうで、小さな孤独が消えない疼きのように残った。

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