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ポンコツ侍女を演じていたら、一目ぼれした辺境伯様が求婚してきた

作者: 藍沢 理

 朝日が差し込むご令嬢の部屋。銀のトレイが宙を舞った。


 がしゃああん!


 派手な音と共に、トレイと紅茶のポットが床に転がる。周囲の侍女たちが一斉に振り返った。


「おわぁぁ! すみません、また落としちゃいました!」


 慌てて拾い上げようとして、食器を蹴飛ばす。計算通り。完璧な失敗だった。


 よし、今日も順調にポンコツできてる。


 転がる皿を追いかけ、壁に向かって走る。ぶつかる直前で止まる予定が、本当にぶつかった。


 痛っ!


 計算ミスった!?


 鼻を押さえる。涙が出そうになって必死で堪えた。これは演技じゃない。ガチで痛い。


「エミリー……またですか」

「もう、しょうがないわねぇ」


 他の侍女たちの呆れ声が響く。


 今日も無事にポンコツ認定。……って、なんか違う気がする。


 ベッドに腰かけていた主人、ソフィア様が優雅に立ち上がった。金色の髪が朝日を受けて輝いている。


「皆さん、片付けをお願いしますわ。エミリー! 私と一緒に来なさい!」

「は、はい!」


 慌てて後を追う。奥の書斎へ向かい、扉を閉めると、ソフィア様の表情が緩んだ。


「またポンコツ演技ですのね、エミリー」

「はい、ソフィア様。今日も無事に失敗できました」

「あら、でも今朝は本当にぶつかっていましたわよ?」

「……あれは事故です」

「演技の域を超えた、本物のポンコツですわね」

「否定できません……」


 ソフィア様がくすくすと笑う。いつもの会話だった。周囲には秘密の、二人だけの真実。


 あたしはソフィア様に仕える侍女として、この公爵家で働いている。表向きは、だけれど。


 本当の役割は少し違った。財政管理の補佐、人事配置の最適化、スケジュール調整。そういった裏方の仕事を密かに担っているのだ。


 けれど誰も知らない。知っているのはソフィア様だけ。


「今朝の会計書類、確認しましたわ。完璧でしたわよ」

「ありがとうございます。第三四半期の収支予測も整理しておきました」


 ソフィア様の机の上に、整然と並べられた書類を指差す。昨夜のうちに全て目を通し、ミスを修正し、改善案まで添えておいた。


「本当に助かりますわ」


 窓辺に立ち、外を眺めるソフィア様。その横顔には、いつもの心配そうな表情が浮かんでいた。


「でも……いつまでこんなふうに隠し続けるのかしら。あなたには、もっと堂々と生きる権利があるのに」

「大丈夫です。今のままで十分幸せですから」


 嘘じゃない。ソフィア様に拾われて、この三年間は本当に幸せだった。


 でも、過去のことを思い出すと、胸が締め付けられる。


 十二歳の頃。別の貴族家に仕えていた時期があった。当時のあたしは何も知らず、持ち前の能力を隠さずに発揮していたのだ。記憶力、分析力、事務処理能力。全てにおいて優れていると、周囲から褒められていた。


 それが間違いだった。


 貴族の子息たちから妬まれ、陥れられた。濡れ衣を着せられ、家を追われた。優秀であることは、下の立場の者にとって危険だと学んだ。


 だから今は、ポンコツを演じている。目立たず、妬まれず、平穏に生きるために。


「今夜の社交界パーティー、準備はできていますの?」


 ソフィア様の言葉に、意識を現実に戻す。


「はい。ドレスの最終確認と、スケジュールの調整は完了しています」

「あなたも付いてきてちょうだい。きっと退屈でしょうけれど」

「とんでもないです。ソフィア様のお側にいられるなら、どこでも」


 心からの言葉だった。この人だけは、あたしの全てを受け入れてくれた。その恩に、一生かけても報いたい。



 夕刻。王宮の大広間。


 光と音楽で溢れている。シャンデリアが天井から煌めきを投げかけ、色とりどりのドレスを纏った貴族たちが優雅に談笑していた。楽団の奏でるワルツが空気を満たし、給仕たちが慌ただしく行き交っている。


 あたしは大広間の隅、柱の陰に控えていた。侍女としての正しい位置。目立たず、しかし主人の様子は常に視界に入れておく。ソフィア様は中央の貴族たちと談笑されており、その笑顔は群を抜いて美しかった。


 今のところ問題なし!


 周囲を観察する。東側のテーブルでは若手貴族たちが政治談議に花を咲かせ、西側の窓際では令嬢たちが恋バナで盛り上がっている。給仕の動線も滞りなく、料理の補充も適切なタイミングだ。


 ふと、広間の空気が変わった。


 ざわめきが波紋となって広がる。視線が一点に集中した。入口に立つ男性に。


 濃紺の礼服。筋肉。姿勢。鋭い目つき。


 武人だ。間違いない。あと絶対怖い人だ。


 ピンときた。きたきたー! 今宵最大の地雷が会場入りしちゃったよ!


 黒髪を短く整え、整った顔立ちの中で、灰色の瞳だけが冷たい光を放っている。


「辺境伯様だわ」

「ダニエル様、一年ぶりに王都にいらっしゃったのね」

「先代様が亡くなられてから、ずっと辺境を守っておられるそうよ」

「お若いのに大変ですわね。まだ二十歳でいらっしゃるのに」


 周囲の令嬢たちが囁き合う声が聞こえてくる。


 辺境伯だ。若くして爵位を継いだという。

 あの人に絡まれたら終わる。絶対終わる。柱の陰に隠れよう。


 ダニエルと呼ばれた男性が、ゆっくりと広間を歩き始めた。その視線が会場を舐めるように動いている。戦場を見渡す指揮官の目。鋭くて一分の隙もない。


 あたしはその視線とぶつかった気がして、思わず柱の陰に隠れる。


 見られた……? いや、気のせいよね。


 心臓が暴れ馬になっている。あの目は危険だ。全てを見抜かれそうな錯覚に襲われる。


 彼の登場のせいでか、給仕がバランスを崩した。トレイが傾き、グラスが滑り落ちそうになっている。このままでは床に落ち、大きな音を立ててしまう。ソフィア様の近くだ。会話が中断されてしまう。


 体が勝手に動いた。


 柱から飛び出し、給仕に接近。人々の間をすり抜ける。軌道計算。グラス落下まで残り一秒。間に合う。


 掌でキャッチ。トレイに戻す。

 三秒の出来事。誰も気づいていない。よし、このまま柱に戻れば――視線。


 超怖い視線。


 ダニエルが見てる!!!


 距離は十メートルほど。それでも、その灰色の瞳に捉えられていることは明白だった。心臓が口から出そう。


 見られた! 見られた見られた見られた!!


 慌てて視線を逸らし、柱の陰に滑り込む。深呼吸を三回。落ち着け、落ち着け。


 大丈夫。偶然だ。きっと偶然に見えたはず。そう、ただの偶然。グラスが落ちそうだったから手を伸ばしただけ。よくあること。侍女あるある。うん、絶対バレてない。


 自分に言い聞かせた。


 けれど、その願いは、すぐに打ち砕かれた。


「君は……ソフィア様の侍女か?」


 低くて落ち着いた声が真横から聞こえてきた。


 いつの間に!?


 跳び上がりそうになるのを必死で堪え、ゆっくりと振り向く。ダニエルは前屈みになっていた。鼻と鼻がくっ付きそうな距離に、ダニエルの顔があった。


 いつの間に!?


 音も気配も感じなかった。


「は、はい! エミリーと申します!」


 声が裏返った。演技じゃない。本当にびっくりした。


「さっき、グラスを救ったね」


 灰色の瞳が、じっとこちらを見つめている。


 完全にバレてる。


「え、ええと……偶然です! たまたま手を伸ばしたら、たまたまあるあるで……」

「偶然にしては、動きが洗練されていたが」


 ダニエルはスッと顔を上げ、直立不動になる。

 おわぁぁ! 圧が激増! 猛禽の観察眼。獲物を逃がさない目だ。


「そ、そんなことないです! あたし、ポンコツですから! いつも失敗ばかりで、ソフィア様にご迷惑をかけて……」


 必死でポンコツ演技を続ける。わざとらしく首を傾げ、困ったような笑顔を作る。これで大抵の人は納得してくれる。


 けれど、ダニエルは違った。


「……そうか」


 その言葉には、明らかな疑念が含まれていた。信じていない。完全に見抜かれている。


 やばい、この人、鋭すぎる! 超やばい! 宇宙レベルでやばい!


 冷や汗が背中を伝う。


「ダニエル様、お久しぶりですわ」


 救いの声が聞こえてきた。ソフィア様だ。


 優雅に歩み寄り、ダニエルに微笑みかける。その視線が一瞬だけあたしに向けられ「大丈夫」と無言で伝えていた。


 ソフィア様、天使……!


「ソフィア様、ご無沙汰しております」


 ダニエルが軽く頭を下げる。その動作は礼儀正しくありながらも堅苦しさはなかった。


「辺境の魔獣討伐、領民から絶賛されている、と伺いましたわ」

「職務を果たしただけです。それより、今夜は素晴らしいパーティーですね」


 二人が会話を始めた。ホッとした。あたしはその隙に、そっと後退しようとして……。


「エミリー、そこにいなさい」


 ソフィア様の声に、足が止まる。


「え、あ、は、はい……」


 観念してその場に留まる。ダニエルの視線が再びこちらに向けられ、居心地の悪さが限界に達した。


 なんで!? こっちみんな! 他にもっと面白い人いるでしょ! そっち見てよ! 令嬢たちキラキラしてるじゃん! あたしただの侍女だから!





 パーティーが進むにつれ、状況は悪化していった。


 ダニエルはずっとあたしを観察している。会場のどこにいても、視線を感じるのだ。標的を定めた狙撃手の目。執拗に追跡されている。


 内心で悲鳴を上げながら、必死でポンコツを演じ続ける。


 ソフィア様が貴族たちと歓談している傍らで、わざと小さく躓いてみせる。近くのテーブルに手をつき、よろめく。計算された動作だった。


 けれど、ダニエルの目が、その一連の動きを冷静に追っている。


 うわあああ「演技だな」って顔してる!


 そんな時だった。


 ソフィア様のドレスの裾が、テーブルの角に引っかかった。生地が裂ける音。裾に縫い付けられたエメラルドとビーズの装飾が剥がれかけている。このままでは装飾が落ち、引っ張られた生地本体まで大きく破れてしまう。パーティーの場で、公爵令嬢が破れたドレスを晒すことになる。


 周囲は気づいていない。ソフィア様本人も、まだ異変に気づいていなかった。


 選択肢はなかった。


 素早くソフィア様に近づき、破れかけた部分を指で押さえる。そのまま懐から取り出した小さな針と糸で、見えない角度から応急処置を施していく。十秒ほどの作業。誰にも気づかれず、自然な動作で完了させた。


「あら、エミリー?」


 ソフィア様が気づいて振り返る。


「ドレスの裾が少し乱れていましたので」


 微笑んで答える。嘘じゃない。ただ、全てを言っていないだけだ。


 ソフィア様が裾を確認し、目を見開く。修繕されていることに気づいたのだろう。そっと「ありがと」と唇の動きだけで伝えてくれた。


 大事に至らなくてほっとした。再び柱の陰に戻ろうとすると……またもや視線を感じた。


 ダニエルだ。


 今度は、さっきまでとは違う表情をしていた。疑念ではなく、確信。それと興味。目が爛々と輝いている。珍獣発見! みたいな学者の顔になっていた。


 バレた……。


 もう隠しきれないと悟った。この人は、全てを見抜いている。観察眼が鋭すぎる。武人としての訓練で培われたのだろう。彼は人の本質を見抜く目を持っているのだ。


 逃げたい。今すぐこの場から消えたい。無理。侍女だから無理。ソフィア様の側を離れられない。詰んだ。完全に詰んだ。


 ダニエルが近づいてくる。避けられない。


「君さ、本当にポンコツなのか?」


 単刀直入な質問だった。


「あ、あの……いえ……」


 言葉に詰まる。何と答えればいいのか分からなかった。


「いや、失礼。俺は人を見る目がないと言われていてな」


 え、バレてなかった!? ラッキー!


「さっきのも、きっと偶然だったんだろう」

「そ、そうです! 偶然です!」

「ただ、一つ二つ気になるんだが」


 むむっ!


「君さぁ、グラスを救った時の軌道計算。それに、ソフィア様のドレスを修繕した時の針さばき。あれは訓練された動きだった」


 全然ラッキーじゃなかった!!


「そ、そんな……ことは」


 ダニエルはスッと下がって、適切な距離を取る。圧迫感が和らいだ。


「大丈夫。隠す必要はない。俺は君の敵じゃない」


 その声は、意外にも優しかった。糾弾するのではなく、理解しようとしていると感じた。


「……」


 けれど、過去の迫害が過った。沈黙を守る。何も言えなかった。


「理由があるんだろ? 無理には聞かないからさ」


 灰色の瞳が真っ直ぐ見つめていた。


「一つだけ言わせてくれ」


 心臓が大きく跳ねた。


「君は素晴らしい」


 褒められた。

 十二歳の時以来、誰もそんなふうに言ってくれなかった。ソフィア様を除いて。


「その能力、その機転。素晴らしいと思う」

「……ありがとうございます」


 身体が震えていた。涙がこぼれそうになって必死で堪える。


 ダニエルが微笑んだ。武骨な顔立ちが、少しだけ柔らかくなる。


「俺はダニエルだ。また話そう」


 彼は去っていった。


 その背中を見送りながら、胸の奥が温かくなるのを感じていた。



 パーティーも終盤に差し掛かった頃、事件は起きた。


 大広間の中央で、怒号が響き渡る。


「ソフィア様! あなたは不正取引に関与している!」


 中年の貴族、マービン伯爵が、書類を掲げながら叫んでいた。周囲の貴族たちが一斉にざわめく。


「何を仰るのですか、マービン伯爵」


 ソフィア様が冷静に応じる。けれど、その声には僅かな動揺が含まれていた。


「証拠がある! この契約書を見よ! 公爵家が密かに行っている、違法な取引の記録だ!」


 マービン伯爵が書類を掲げる。周囲の貴族たちが身を乗り出し、ざわめきが大きくなっていく。


 あの書類、なに?


 視線を凝らす。記憶の中で、警鐘が鳴り響いた。


 見覚えがある。けど、違う。あれは偽造だ。


 用紙の質、インクの色、署名の位置。全てが微妙におかしい。


「そのような契約、存在いたしませんわ」


 ソフィア様が毅然と否定する。けれど、マービン伯爵は勝ち誇った笑みを浮かべていた。


「ではこの署名は何だ? 公爵閣下の署名ではないか!」


 周囲の空気が険悪になる。ソフィア様を疑う視線が、複数向けられ始めていた。


 どうする、どうする……。


 助けなければ。ソフィア様を守らなければ。でも、あたしが前に出れば、全てがバレる。今まで築いてきた平穏が崩れてしまう。


 葛藤。迷い。恐怖。


「エミリー」


 横から声がかけられた。ダニエルだった。


「君の力が必要だ」


 その言葉は、命令ではなく、懇願だった。


「でも……」

「ソフィア様が窮地に立たされている。君にしかできないことがあるはずだ」


 灰色の瞳が、信頼の色を湛えてこちらを見つめていた。


 あたしは……何をすれば。ソフィア様の表情は平静を保っているが、僅かに青ざめていた。助けを求めているわけじゃない。けれど、あたしの手を必要としているのは明らかだった。


 三年前、ソフィア様はあたしを救ってくれた。拾ってくれた。受け入れてくれた。


 今度は、あたしが恩返しをする番だ。


「……分かりました」


 覚悟を決めた。もう逃げない。


 人混みをかき分け、中央に進み出る。周囲の視線が一斉に集中した。


「あの、失礼いたします」


 声が震えていた。それでも、前に進む。


「何だ、侍女か?」


 マービン伯爵が侮蔑の目を向けてくる。けれど、構わない。


「その書類、偽造です」


 言い切った。周囲がざわめく。


「何を言う! 証拠もなしに……」

「証拠なら、いくらでも提示できます。見せていただいても?」


 マービン伯爵の手から書類を受け取り、光にかざす。


「まず、用紙。これは王国標準の公文書用紙ですが、透かしの位置が三ミリずれています。本物なら、絶対にありえない誤差です」


 周囲が静まり返る。


「次に、インク。公爵家が使用しているのは特注の青インクですが、これは市販品。滲み方が違っています。光に透かしてみれば、一目瞭然です」


 書類を別の角度に傾ける。確かに滲み方が異なっていた。


「それと、署名。筆圧の分布を見てください。公爵閣下は右利きで、特徴的な筆致をお持ちです。この署名は左手で書かれたもの、もしくは模写です」


 一つ一つ、証拠を並べていく。記憶の中から、過去に見た全ての公文書のデータを引き出し、比較し、矛盾を指摘していく。


「最後に、日付。この契約書の日付は三ヶ月前とされていますが、その日、公爵閣下は王都におられませんでした。辺境視察で一週間、領地を離れておられた記録があります」


 完璧だった。反論の余地はない。


 マービン伯爵の顔が、見る見る青ざめていく。


「き、貴様っ……!」

「マービン伯爵、あなた左利きですね? 偽造文書を用いて公爵家を陥れようとした罪、重いですよ」


 ダニエルが進み出て、マービン伯爵の肩に手を置く。その手には、容赦ない力が込められているのだろう。伯爵が呻き声を上げて膝をついた。


「衛兵を呼べ。この男を拘束しろ」


 ダニエルの声に、衛兵たちが駆け寄ってくる。マービン伯爵は抵抗することもできず、引きずられるように連行されていった。


 広間に静寂が戻る。


 そこへ、拍手が響いた。ソフィア様だった。


「見事ですわ、エミリー」


 その声には、誇りと安堵が混じっていた。


 周囲の貴族たちも、次々と拍手を始める。驚愕と称賛の視線が、あたしに注がれていた。


 これで……もう、隠せない


 全てがバレた。能力も、知識も、全部。


 けれど、不思議と後悔はなかった。



 パーティーが終わり、貴族たちが帰路についた後。


 王宮の庭園に、あたしは一人、佇んでいた。夜風が頬を撫で、星空が静かに瞬いている。


 これからどうしよう……。


 全てを晒してしまった。また妬まれる。また陥れられるかもしれない。


「エミリー」


 背後からの声で振り返る。


「ダニエル様……」

「さっきは見事だった」


 ゆっくりと近づいてくる。その足音が、静かな夜に響いた。


「あたしは……もう、平穏には暮らせませんね」


 苦笑する。


「平穏?」


 ダニエルが首を傾げた。


「君が求めているのは、本当にそれか?」


 その問いに答えられない。


「一年前、父が戦死した。爵位をついた俺は、王国中の貴族から『若すぎる、経験が足りない、どうせ没落する』と言われた」


 夜空を見上げる横顔に、二十歳とは思えない重みがあった。


「辺境は厳しい。人材が足りない。だから君の能力が欲しい……そう思っただろ?」


 図星だ。


「違う。君を見て最初に思ったのは『この人は本物だ』ってことだ」


 灰色の瞳が、真っ直ぐにこちらを見つめていた。


「必死で隠しているのに、優しさが溢れている。その心根を好きになった」


 涙が溢れそうになった。


「辺境はいいぞ。実力が全てだ。能力がある者は尊敬され、必要とされる」


 ダニエルが跪いた。


「エミリー。俺の妻になってくれ」


 突然のことで声も出ない。


 能力が欲しいだけなのかな……十二歳の時の記憶が蘇る。褒められて、利用されて、捨てられた。


「不安か?」


 見抜かれた。


「それなら、断ってくれ」


 え……?


「俺が欲しいのは参謀じゃない。君だ。能力も、その心も、全部ひっくるめて、君が欲しい」


 真摯な瞳だった。


「でも……あたしは、ただの侍女で……」

「身分など関係ない。君がいい。君でなければ、意味がない」


 もう抗えなかった。


「エミリー」


 ソフィア様の声で振り返る。


「ソフィア様……」

「行きなさい、エミリー」


 優しい微笑みで背中を押してくれる。


「私はずっと、あなたに自由になってほしいと思っていましたわ」


 ソフィア様がダニエルへ顔を向ける。


「ダニエル様。もし粗末に扱ったら、公爵家の名にかけて制裁を加えますから、ね」

「そんな真似は絶対にしない。誓おう」


 ダニエルは決意のこもった表情で応じた。


 もう迷う理由はなかった。涙を拭ってダニエルの手を取る。


「……はい。あたし、ダニエル様と一緒に、堂々と生きます」


 ダニエルが微笑む。優しくて温かい笑顔だった。


「ありがとう、エミリー」


 立ち上がって、抱き寄せられた。その腕は太くて、温かくて、力強かった。漢の匂いだ。いい匂い。こっそり深呼吸をすると、思わず意識が飛びそうになった。


「これからよろしく頼む」

「はっ、はい。こちらこそ、よろしくお願いします」


 新しい人生の始まり。もう隠さない。もう逃げない。


 ポンコツ侍女だったあたしは、今日でおしまい。


 これからは辺境伯の婚約者として、堂々と生きる。


 星空の下、三人で笑顔になって未来を見つめていた。


 ダニエルの腕の中はとても心地よかった。





(了)

読んでいただいてありがとうございます。

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― 新着の感想 ―
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こんにちは。 貴族令嬢・令息の話が多い昨今ですが、個人的に侍女や使用人達の話も好きです。 なかなか見つけられないので、嬉しい限りです。 メアリーがちょこまか動く様子が可愛らしく、ソフィア様の存在も尊い…
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